負の感情と向き合った3月

4月になりました。今日は、満月にして皆既月食の日です。占星術の運命の分岐点です。

1月から3月にかけて、周辺の人間関係の変動が多々あり、運命の嵐を感じていました。ちょうど12年前も私は嵐の只中でした。父の死、自分の病、ご近所との確執。そういう星回りだったと思います。今回のテーマは自分の負の感情でしょう。手相見であり、他人様の運命の流れを見ている私の中に、悟りきれて部分、諦観できずにいたもの、が存在したわけです。正直、枯れていたと思っていた感情がまだ残っていたのか!少し人間らしさが戻ってきたのかもしれません。

それは欲であり、黒い感情であり、恐れでありました。

ヘミシンクで少しずつ内部に変化が生じているならば、現在は膿出しの終盤です。これで、私は人間の負の感情の所在、昇華、やり過ごしの術を学びに行く機会を得たのだと納得しました。学びの途中、自分でその感情の活かし方を試すにあたり、得たアイテムに関する質問を、販売店に質問したところ、思いもよらない方から直接お電話を頂戴し、私の素朴な質問に関して、それは丁寧に教えていただく機会を得たのです。これは、正直本当に、お話できただけでもう、今年の運気を使い果たしたんじゃない?と思ったほどです。お電話を頂戴した相手の携帯電話番号すら、私にとってはお守りです。教えていただいたテクニックを実践し、手相見の皆様とシェアしていけたらな、と思っております。

人類が生まれて、数々の「神の使い」が地上に使わされ、愛を説き、平和を説いてきましたのに、人間と言うものは、何千年経ても負の感情をうまく処理できないもののような氣がします。

当たり前のこと、普通のことだと思っていても、別の人間から見ると、妬み、嫉みの対象になる場合があるわけで、それゆえに人は魔除け、厄除けを欲しているのでしょう。

これからは、開運の他に、厄除け魔除けのほうも勉強します。

もう、あれだ、普通に安定した道に行きたいなぁ、安定したら手相見も辞めたいなぁ と心の中で思っていたのに、背後霊からは思いっきり「それはダメ」と言われた気分です。

先日、見た夢で、とうとう ある書類を背後霊(ガイド?)からいただいてしまいました。

そう、不安定こそがわが人生のスパイス。

ずっと肩書きは「明日をもしれぬ自由業者」なままなんでしょうね。

しかし、もう新しいことを覚える気力もないので、好きなことを好きなだけやっていくのが

無難なんじゃないか。

運気の大いなる波の変動は来年らしいので、コツコツ開運探査を続けていくだけです。

知人に、自分の嫌いなことをすぐ口にする人がいます。

「このまえ、あのお店のお菓子美味しくて」と話すと

「あのお店の店員に失礼な態度をとられたので嫌い」というような答えが返ってきます。

感想は個人の勝手ですが、一事が万事、嫌いなことを口にしている。

本人には自覚がないのでしょう。

嫌いなことを多数口にしていると、それが癖になる。嫌いなことを言う口で楽しいことを

話したほうが良いんだろうな。

良い運気を引き寄せるには言葉は大切だとわが身を振り返って反省した3月。

まさに他人は鏡の法則。

周りには嫌いなもの は少ないほうがイイ。

自分の中の負の感情、ヘミシンクのイメージトレーニングで頑丈な箱に入れて海に流します。

 

ご縁を大事に次の段階へ

3月も去っていく。春風邪は症状は軽いですが、治りが遅いですな。

季節の変わり目です。

先日から依頼主の方々から、「結婚した」「試験に合格した」「子供が生まれた」「商売が繁盛している」等の嬉しいご報告を多々いただいており、私も嬉しいです。

手相を拝見しなければ、繋がらなかったご縁ですから。

最近、ネット検索で「紅の煉」(くれないのれん)で来られる方がいらっしゃるんですが。”くれの”ではなくて”くれないの” と呼ばれると忍びな雰囲気になるのが不思議なところです。

あと、”火に束”でも検索されていたっけね。

今まで、手相見の内容を忘れるように努めて参りましたが、リピーター様が増えていることから、できるだけ大局な流れを捉えて、遠い視点からアドバイスや運気の見渡しができないかと思い、勉強中。

手相見だけではなくて、開運の探査も続行中です。

季節の変わり目は運気の変わり目でもある

 

三寒四温というか、季節の変わり目、ともいうか。これは運気の変わり目か。週末から、体調がよろしくない。朝は平熱だが夜になったら高熱が出る。

熱が出る前は首周りから背中にかけて凝りがひどかった。

これは数年に一度の体調が悪い=運気の変わり目が肉体に現れているのではないかと思いあたる。

今時は、微熱程度ならお風呂も入っていいよ!というネットの記事を読んだので入浴後、一気に熱が38度7分まで上昇したものの、翌朝には36度3分に下降。

38度越えたのは数年ぶり!一瞬、インフルエンザかも?と思ったが、すぐに下がったし、関節の痛みもないので、風邪だと判断。

熱があるものの、身体的には痛みがないので、これはやはり「運気の変わり目」か~?

そのうち咳がひどくなったので、仕事場の保健室で咳止めのお薬をいただいて、無事バイトを終了。

帰宅途中にドラッグストアで咳止めの液薬を購入してきた。

咳は体力を消耗する、というか肋骨付近が痛いので、困る。

薬剤師さんから咳止めの薬について錠剤と液体の効能の違いなど詳細に聴くことができて、それが収穫だった。

これからの運気の変わり目に、私的には準備をしている。

大丈夫だ!と思いたい。

自分を実験台として、いろいろとお試しなこともしております。

どのようなお試しかは、続きは手相見の機会でお話します。

あなたは全てを持っている

手相見を見料を頂戴し始めてから、丸8年経ちました。

趣味の延長線で、他人様の手相を拝見してから25年過ぎました。

普通に暮らしていたら、耳にはしても、立ち入らない”深い話”にも立会いました。

そこで、私なりに考えた、私個人で得た感覚でモノを言いわせていただくと

結婚したい!できない!!と言う方は、家庭という学びを得られないかわりに、独り身の自由を得ている。

子供が欲しい!授からない!と悩む人は、子育ての喜びの変わりにパートナーとの学びを得ている。

たとえばです。この世の「幸福」の基準が、結婚して子供が生まれて、孫に囲まれた幸せな老後というのに限定してしまうのは、もう違う時代に入っているのではないでしょうか。

今は、ネットも普及して、個人の呟きがあっという間に、世界中の多くの人に共有される時代です。

幸福には、いくつものゴールがある。

画一的じゃない時代なんだと思います。これだ!という正解はどこにもない。

 

自分で不幸だ!と思っていても傍から見ていたら「幸せじゃない」という、見方もできる。

私?私はアレだ。表の職もパートだし、内職しているし、結婚もしていないし、肩書きはずっと「明日をも知れぬ自由業者」。

公務員の多い親戚からは「完全に人生の落ちこぼれ」扱いで、病弱で、救いようのない存在と思われている。

哀れまれているでしょうね。

こういう表面の事例だけみて哀れまれても、良いんです。一般に流布している社会の”幸せコース”から見たら、確かにオチこぼれています。

昔、結婚していた友人に「だんなさんがいてうらやましいよ」と話したら

「だんなが居たら居たで、いろいろと面倒なことがあるのよ。独身には独身のよさがある。世の中上手く出来ているよ」と言われました。

これが、二昔前なら、親の決めた相手と、年頃になったら有無も言わされずに結婚してですよ、もしも相手が、粗暴で酒飲みで、厳しい姑、小姑が居たとしてですね、私は一年も辛抱できませんね。きっと。それくらい、結婚に向いていない性格だとつくづく思います。

親類に顔を合わせるたびに「結婚」とか「老後はひとりで寂しいよ」とお決まりの台詞を言われますが、もともと一人が長いので、失う心配も無いのです。

てか、私の人生には、学びに「結婚」は入っていないようです。

今の時代に生まれてよかったです。はい。

確かにお金はないけど、屋根つきの家に住んで、ひもじい思いもせず、眠たいときに眠れる、良い暮らしですね。日本に生まれたことが、幸運だとも思っています。

美貌があって、お金もあって、理想的なだんなが居て、なに不自由のない!!という人も存在するけれども、学びの「面」が違っていて、他人からは見えないというか。

お月様の裏側のような秘密や悩みがあるんです。

悩みがないってことは、もうそれこそ「解脱」した人くらいなのでは。

いろんな境遇で、いろんな悩みを持っている。

みんな違ってこそ当たり前で、この世界を構成して共有している。

もう、新聞やネットや、女性誌でお決まりの幸せ!を刷り込まれて、ないものねだりするのをやめてしまえば、あなたの「持っていないもの」は「これから手に入るもの」とも言えませんか。

「欲しい幸せ」の裏には「必要ない苦労」が隠れているのかもしれません。

得ていないことに、悩むなら、諦めてしまうか、得るために動くと、なにかが違って世界は変わるでしょうね。

悩むより、解決策を探すのが良い。

子供もいませんので、子供の将来への心配もない。

心配と希望は、裏表、同じところにあって、見えかたが個人によって違うんです。

自分の食い扶持だけを心配すればよい人生で、幸せだよ、と話しても「そんなはずない」と否定される始末。

そういう人は、自分の幸せを、絶対幸福ではなくて、相対幸福(他人と比較すること)でしか実感できないのかもしれません。

確かに。私は、野たれ死ぬ確率MAXでしょう。

世の中の女性が全て、結婚が幸せっていうのも、不自然な話で、孤独を学ぶため、という人生も有りだ、と思っていると自分の世界は平和です。

二人で居ても孤独を感じることがある、とある人が話していました。

逆に孤独で居ても、孤独を感じない場合もある。

結局、自分の人生は、他人様の人生になり代われないので、他人様のことを妬んだり、優越感に浸ったりしても、しかたないんです。

あなたはあなただから、価値がある。

あなたという存在は、この広い宇宙の時間の流れの中では唯一無二の存在なのだから。

怖い話?

年度末と言うことで、慌しい日々を送られている方も多いことでしょう。

手相見の問い合わせも複数いただいていますが、この冬は毎週末、爆弾低気圧に直撃され雪かきに追われておりました。

今は、手相見よりも先にすることがあるのか。手相見の本を読み返し、過去のデータを整理して過ごしております。

人間対人間で過ごしていると、心に黒さも抱えます。その黒さを浄化するアイテムとしてこのところ、役に立っているのが、ヘミシングの「箱」というイメージトレーニングです。

自分の中のいろいろな感情を、箱につめて、海にながしちゃう!というイメトレです。

怠け心や、妬み、嫉み、悲嘆、自己嫌悪等々、負の感情の嵐にもまれて生きて参りましたが、経験して、苦しんで、自分と言う存在のパーツが埋まってきたのだと思います。

年齢も年齢ですし、相手が世辞を言ってくれているのだと思いつつ、喜ばしいこともあります。裏の裏は表というように、裏を読む気力もなくなっているのでしょう。生きていることに疲れを感じることも、まま、あります。

最近、「しない善より、する偽善」という言葉を好きになりました。

情けは人の為ならず と似ているニュアンスを感じます。

心根が体調に影響を及ぼすなら、あらゆる心理ツールを駆使して暮らしていこうと思ってます。

心のお守り、って大切だと思います。

世の中には、愚痴をこぼして、それをエネルギーにして、運気を上げるというアイテムも存在するらしいです。

ポジティブ思考癖がついているので、私には必要ないのですがね。

招来、孤独になり、心に黒さが溜まって、どうしようもなくなったら、頼ろうかと思います。

頼れるものがあるって、それだけでも心が軽くなるもんですね。

近いうちに、新しいアイテムも試してみて、良い感じな手ごたえが得られましたら、ご紹介したいと思います。

最近、怖かったこと。

私のブログにバイト先からのアクセスが増えていること。

それは、まぁ、隠しているブログではないので良いとして、本日は定休なのに朝から、アクセスしている形跡があることです。

定休日なのに、だ、誰?…とある意味怖い話だと思いました。

雪に埋もれて3月


先日は自分の暗黒部分に懊悩している気持ちを記していたのだが、思いのほか皆様にご心配いただき、恐縮した。まだまだ修行が足りない手相見でお恥ずかしい限りである。春だから?でも地元はまだ雪に埋もれている。

そんな中、愛猫が膀胱炎を再発して、週末は病院へ。

飼い主に愛されている犬や猫がたくさん病院にやってきていた。

愛する対象が存在すると言うのは幸せだ。

愛猫は同じ病気で昨年は2月にお世話になっていた。

愛猫は早朝から猫トイレを出たり入ったりしていたので、病院が開くのも待ちきれず、朝早くでかけた。 春がそこまで?と暦で確認する今日も、道には雪山が多くある。

すっごい近距離であるが、寒さが大敵、猫のためにタクシーを呼ぶ。

開院を、同じ待つなら、病院で待つ。昨年の症状を踏まえて、膀胱炎と診断され、注射を打って治療は終了。落ち着かなかった猫も午後にはぐっすり眠りについた。

やれやれ。給料日前にイタイ出費であったが、注射で治る病気で良かったよ。

今まで、他人様に「幸せ」「開運」を目指して探査してきたが、少しその手法を検証し、アプローチを変えてみなくては、と思い立ち勉強中。

使えるものは何でも使う!!

自分の黒い部分から眼をそらさずに、それを糧として得たものは大きい(と思いたい)

亡父がよく好んで使っていた言葉「使えるものは親でも使え」ってな。

手相見の依頼者に必要だと思えば、蔵書(と言えば聞こえがいいが、古本)から本を貸し出しもしているのだが、これは続けていきたい。

備忘録で扱うブレスレットのデザインも、変わっていくことだろう。

いろいろと、視点も視界も、感覚も、雪に埋もれて変わってきている。

きれいごとでは済まない

この週末の私の気分を表しているよう。私はあることで、自分なりに頑張ってきたけど、「頑張る」という方向性が、どうやらズレテいたようで、報われていない!という現実を突きつけられた。

落胆するということは、ある意味、期待していたということで、その期待していた自分に、ものすっごく腹が立つ。

自分なりに工夫して、処理してきたこと。上に対して何度か相談していたけれど、報われなかったのだという暗澹たる気持ち。

報われることのほうが珍しいのが、この世の常と知りながら。

この数年、自分なりにいろいろしてきたけど、それは「あたりまえ」であって、自分のしてきたことが、なんの役に立っていなかったのか?と反省。

正直、こんな扱いを受けるとは思っていなかった。甘いだろうか。

それから落胆。結局自分は、上の「お情け」で今の立ち位置にいるだけなのかもしれない。

こんなに自分の中に醜いもの、邪悪なものが渦巻くとは。

胸に渦巻く あらゆる暗黒部分と向き合うことになった。

何年ぶりだろうか。

スピリチュアルに救いを求め、あらゆる人の思想に教えを求めていたけど。

自分の器のちっさいことと言ったら。

写真の雲は下に延びてくると、竜巻になるような漏斗の形をしているが、写真と同様、竜巻にならずに済んだ。

私の心の暗黒な部分も、人間臭くていいじゃん。とあえて肯定してみる。

結局、この嵐は自分の中で勝手に渦巻いているものでしかない。

そんなとき、脳裏になにか閃いた。

「次があるから。あなたの立ち位置は”そこ”ではない」

それは、妄想か?それとも氣の迷いか。でもはっきり脳裏に降りてきた感覚があった。

人間だもの。

生きていれば、きれいごとで済まない事が多々ある。

それを把握した上で、それでも私は手相見を続けていくだろう。

それしか、できないから。

手相見の間隔

先日、かなり以前、手相見を始めて間もなくの頃に拝見した依頼主から、数年ぶりに電話をいただいた。

「まだ、手相を見ていますか?知り合いの知り合いが手相を見て欲しいと言っているようなんです」 その方は、「手相見も天然石にも、もう頼らない」と明言されていらした方だったので、電話を頂いて正直なところ、意外だったが嬉しくもあった。

ご紹介していただく方には、まずブログ(このブログね)の記事を数件読んでいただいて、これを書く人間を直感的に判断してもらうのが一番良いと思っていた。

文章には、その人の人となりがにじみ出る。くどい人はくどい文章を書くし、自分勝手な人間は自分勝手な文章を書くという。

私は手相見にこだわらず、あらゆる方法で幸運を探査している。

お茶碗に5円玉も試してみるし、風水も取り入れてしまうし、天然石だって用いてしまう。

護符だって書いてみた。

やれることは、試してみるのが、私の主義。

とはいえ、このところはネットもされない方の依頼も年に数件ある。

今まで、あまりしょっちゅう手相を見ても、その人の未来は激変していないかぎり

半年から1年の間をあけて拝見していたが、必要に応じてその間隔を3ヶ月以上とすることにした。

詳しくは「手相見の流れ」をご覧ください。

世の中の空気は今、急速に変わりつつある。自分自身の思いが周りの運気を形作りやすいと感じているから。

それは、聲ならぬ声というか「お導き」の感覚を受けた。

私の手相見は、予言ではなくて、運気の流れを読むものだ。

必要な人には自然に縁がつながるようになっている。

不思議なことに、見た瞬間に未来への「意識」が変われば、未来も変容する。

一番大切なことは、運と自分をもっと信じることだろう。

そうして、私はこの数年間に得た人間関係の細かい分を、切捨て、切り捨てられたような

「力」の存在を感じざるを得ない。

上から降ってきたなにか

このところ、眠気が強くて、ヘミシンクを聴くのをお休みしている。

よくあることなんだろうけど、と前置きしておいて。

寝落ちする寸前に、頭に何か「落ちてきた」感覚があった。

飼い猫や、机の上の本ではなくて。空気の珠、丸い玉のようなものがふわりと落ちてきた感覚。入眠時の幻覚のようなものか。

昔、眠っていたところ、頭の中から、なにか引っ張り出されるという感覚を味わったことがあり、今度はその逆パターン。脳の錯覚としても面白いと思う。

別の日には、光の玉が、落ちてくる夢をみた。夢は潜在意識の表れてあるから、興味深い。

本日、私が呼ばれていた(と思っている)モルダバイトのペンダントが到着。

手にして見つめていると、遠い宇宙に想いを馳せると、アニメオタクだった頃や自分や天文オタクだった頃を思い出す。

最近のアニメを見てときめかないが、’80年代から90年代のアニメをYoutubeで見ると、気分が高揚するなぁ。

世の中には、人間には見えていない世界がある。最近の宇宙物理学は、それを数式で証明できつつあるようだ。

数式を見ても凡人には数字の羅列でチンプンカンプンだが、見える人には意味ある事象が見える。そんなふうに世界には、自分の目だけで見えないものが存在する。

 

密かにブログのファンをしていた道内のある霊能者Aさんの、メルマガの内容が、偏りだしたことに氣がついたのは最近だ。

言葉遣いが乱暴で、断定的になってきた。ネット上でもよからぬ噂が流布されている。だいたいはとても汚い言葉で罵倒された、という内容が目立つ。

噂は噂にしかすぎないが、実際はどうなのか、会ったことのない私には断定できない。

ただ、自戒として話す言葉には氣をつけねば、とあらためて思った。

どんなに優秀な霊能力者も、心の隙間に入り込まれて、低級霊に憑かれてしまうと、「言葉が乱暴になる」とか「金銭にうるさくなる」そうだ。

強力な守護霊が憑いていても、守ってくれないのか?

というと、そういう低級霊から守ってくれていても、当人には及ばないらしい。

低級霊に憑かれると、直近のことはよく当たるらしい。そして位の高い神様の名前を名乗って接近してくるとか。

とりあえず、私には、今のところ、そういうのはない。

直感で、繋がっているのみである。

バンバン当たり始めたら、かえって危険なのか?難しいところである。

見料は、当面、新渡戸さんでお願いすることになりました。

この世に正解はない

このところ週末は大雪で、2時間おきに外へ雪かきに出ていました。

筋肉痛になるかと思ったけれど、雪が軽いので、筋肉痛は軽くて済みました。

氣がつきましたら、手相見+の記事数が400件となっていましたので、これが401件目の記事であります。

雪かきに追われて、手相見も予定通りに行きません。そういう時期ってあります。

私の父方の従姉妹はバリバリキャリアの公務員ウーマンなんですが、親類の葬式で会ったとき「普通のパートのおばちゃん」がしたい、と話してました。

上に立つ人間はいつでも決断と責任の立場で、ストレスが溜まっているのと察します。

彼女は結婚して子供もいますが、仕事のために、子供になにかがあると実母に助けられていたと言います。

子供と一緒にいられなかったという寂しさもあったのかもしれません。

普通のパートのおばちゃん、である私から見ると、バリキャリでうらやましいと思っていたのですが、人間と言うのは、自分の持っていない部分を欲するものなのですね。

自由があれば不自由をうらやみ、不自由なら自由を欲する。結局のところ「リアルが充実」するっていうのは、自分の気持ちの落としどころを掴むと言うことに尽きるのでしょう。

それぞれの生き方は自分で選択したので、誰がOKで誰がNGということもない。

人間の生き方の評価は勝手に他人がしているので、合わせる必要もないのです。

手相を見ていて、これからの展開を話していて、敢えて、難しい道、厳しいほうの選択肢を選ぶ依頼主もいらっしゃいますが、私の見通しでの「幸せ」と依頼主の魂が欲している「幸せ」は別物なのだと、思い当たります。

占い師と依頼主の相性も、確かにありますしね。

ただ、「こうなる可能性」を示されたからと言って、盲目的に信じる前に自分の内面、心の声を確認しながら選択する自由はあるということを覚えていて欲しいのです。

今、迷っている人、辛い人、その辛さは、自分自身の成長のため、カルマの解放のため、予定通りなのかもしれません。

予定通りなら、次はもっと自分の心に正直なものを選択してみてください。あなたの思考

結婚しているからOK、未婚はNG

子供がいるから良い、いないのはダメ

モテルのは良い、モテナイのは…etc.

この思考の展開は、案外、世間(または支配層)の刷り込みかもしれません。

ようは、自分がなにを選んだか?

自分の考えに固執しないで、たくさんの意見を聴くのも大切で

自分がどれを選ぶか、だけです。

昔と違って、たくさんの情報に触れることができる時代です。

道行くスマホを見つめている人を見ていると、それぞれがそれぞれの神の声を聞いているような印象を覚えます。

見ている方向は手元の画面だけれど

周りも見ていないと、足元が危うくなるので

占いと言うのは、足元を見るために利用するのが一番なのではと思うわけです。