語りつくしたようです

フリーターを地で行く生活を送っています。

真の自由業者と言えるかもしれません。本当の休日が無いので、隙間の時間に手相を拝見しています。

一日、3人までがイイところでしょうか。過去を振り返ると、だいたい一日3人まで、見ていました。しかし、手相見で忙しいのではなくて、手相見以外で忙しいのはこの4月がピークではないかな。

5月からはちょっと息つけると思います。

今年に入ってから、ご新規さんが多かったのですが、このところはリピーターさんが増えてきました。

先日、見た夢の話しを。

集団の中に居る自分(たぶん高校生の設定)が

校歌(一般の生活?)を知らず、歌えない。というものです。

ああ、やはり、この道しか、もう残っていないのか、と思い当たりました。

手相見ているようで、実は依頼主の幸福を応援しているのだと思えます。私に話すことで、気持ちの浄化につながっているのであれば、私も手相見を続けている甲斐があります。

依頼主の方からかけていただける言葉のおかげです。

たぶん、依頼主が絶えて、手相見でなくなるときが来るまで、これしかできないんだろうなぁ。

そんなこんなで、今月は、あまり更新できませんでした。

すでにネタ切れかも…。



申し訳ない

 

ここのところ、身の周りが慌しくて、手相見のブログも備忘録もほぼ放置状態が少し続くと思われます。

なんというか、自分の心理的なものもあるようです。

春だから?

もしかしたら、怖れていた、これが更年期の心理と言うものでしょうか。

私は内面と向き合っているというか折り合いをつけるために格闘中。

オラクルカードを数回めくっても、同じカードが示されます。

引き寄せの心理が働いているのかも。

自分がちょっとした超能力者になったような気分です。

他人様の手相で運勢を読み取りながら、自分の運勢はなかなか読みきれませんし、心理的な落ち込みや葛藤の解決策も、手探りで探しているのですが。

私は今、心理的にとても幸せと辛さ(漢字の似ているそのままに)一本のラインを上がったり下がったりしているような不思議な感覚があります。

 

変容の兆しを感じています。

どんな変容かは、神または背後の人のみが知ると言う。



思案中の春

4月となり、消費税も上がりましたね。

私が消費税が上がる前に買ったのは、酸素透過性ハードコンタクトレンズです。

欲しかったものも多々ありましたが、増税後に買おうと覚悟を決めたので、購入していません。

テレビでは、増税前に買っておけ~買っておけ~というようなイメージでニュースを報道しているので、それに乗るのもシャクに触るし、乗らないのも不安な小市民。レンズのみにしておきました。

メガネも処方箋を作ってもらったけれど、買いに行けません。

家族の通院の付き添いで慌しいのに加えて、土日も働いているので

手相見はその合間…祝日に拝見しています。

平日ご希望の場合は、拝見日に余裕を持ってご相談ください。

3月末からは、予約、問い合わせが多いようです。

 

増税してから買う!だってお国のためだもん~。という気持ちになれば、あら不思議、自分が豊かに思える。

思えば消費税が導入されて、3パーセント、5パーセント、そして8パーセントとなりますが、人間はきっと慣れてしまうんでしょう。

増税分、お給料も気持ち、上がりました。でも通勤のバス代も上がったので…あまり実感が湧かないです。

もっと税金の使い道に眼をこらすべし。という天の声が聞こえるようです。

無関心になって選挙の投票にも行かない、なにもかかわらないけど文句だけ言うというのは、人任せな感じでしょう。お金は大事です。

先日、何年かぶりに手相を拝見した、リピーターの依頼主さんに

「煉さんは、いつの間にか見料上がっていて驚きました。(笑)前はお話を聴いてもらうために、見料を頂いている、と話していたから」と言われました。

そうだなぁ~。手相見を始めたばかりのころは、そうだった。うん。

今は、あまりリピーターさんを増やさないために見料を受け取っているのかもしれません。

今の御代にしてから、「気楽に見てよ」という方やひやかし半分の方は依頼されなくなりました。

儲けているように見えるのでしょうか?

生業にしようと思ったら、見料を倍いただくか、拝見数を倍に増やさないと無理な話です。

私の年齢からして、残り少ない時間を当てています。

運気を見るのは気力を使います。お代は私自身と依頼主のため。

無料で見ていると、気楽な分、責任も無い印象をもたれるかも。

守秘義務のための契約金です。

無料で見ているときは

手を差し出す人も気楽過ぎて、私の言葉はあまり届かないことが多かった。

今のバイト先でも、「見て欲しい」という方が意外に多いのですが

同じ職場の方は、お断りしようかと思案中。

同じ職場の関係上、いろいろと面倒になるのも困ります。

さて、それとは別に、紹介者がいらっしゃらなくとも、ブログを読んでくださった方からの依頼は受けても良いかも、とも思うようになりました。

これもまだ、思案中です。

エイプリルフールはとうに過ぎたのに、思案中ばかりで申し訳ありません。

質問や意見がありましたら、よければ、お聞かせください。

春は、思案中ですから。

おかげさまで

昨日は妙な日記を打ちましたため、多くの方にご心配をいただき、ありがとうございます。就寝前に少し高熱が出ましたが、朝起きたらすっきり、両腕に出ていたじんましんも跡形も無く消えました。

風邪ならば、長引くかも、と憂鬱になりましたが、本当にあっという間に来て、ナニかが過ぎ去ったようです。

耳の不調と言うのは、劇的な不調ではないですが、何かが違う…という妙な感じでした。

ネットで検索すると、【突発性難聴】の前触れと言う記事もありました。

早々に回復して良かったです。

ほぼ休みなしで働いているので、ご心配頂きましたが、精神的にも肉体的にも己の限界点には到達していないと思っています。

自分の知りたいことが学べ、時給以外は好条件のバイトだと思いますから、これはもう「引き寄せた」ようなものですかね。

ヘミシンクCDの効果が出たのかもしれません。

多少の不調は、おまけだと思っています。

後ろの存在や、皆様のお気遣いに感謝しています。



運気の変わり目到来

昨日撮影した夕焼け。太陽から放たれる光の美しさに感動した。

朝、起きると耳の調子が悪い。聞こえないとか、痛いとかそんな感じではなくて、なんというか「調子が悪い」まるで耳を手で塞がれているような感覚。

運気の変わり目、到来か?

「手相見をやめようと思った私が悪かったです。許してください」背後の方にお願いしたところ、昼過ぎに不調は解消された。

「天然石を扱うのもやめようかな」と思っていた矢先、昼間に職場で不思議な存在を見かけた。一見、普通の人に見えたのに。私の目の前を駆けた女性(と思われる影)が飛び込んだ、エレベーターの中には、誰もいなかった…。珍しく、2基あるエレベータの扉が同時にふたつとも開いていた。

ときおり、わたしが前を通ると、誰も乗り降りしないのに、2基同時にドアが開くときがある。

偶然も、重なると不思議な感覚である。

「煉さんは、いつも辞める辞める、言っているけど(見るのも、作るのも)やめないでしょう(笑)」と人様から言われる。

そうだよ。

手相見で個人的には重たい案件や、難しい天然石の依頼を受けるたびに「やめたほうがいいのかな」とはいつも問うている。私の後ろの存在に、自分の内面に。

昔、他人の運命を見る人は、身体のどこかが不調になる、とも言われた。

本来は、未来を見る眼は閉じていなければならない、と。

それを承知で、他人様の運勢を手のひらから読み取ってきた。

私が読んできたのは、運勢であって、運命ではない。

けれども、人間なので迷いもある。

とくに今は、履いているワラジが増えているから、「やめてもいいのかな」と思った。

 

私は、運の流れは変えられると思っているが、私が直接変えられるわけではない。本当に変えるには当人の思いにかかっている。

自分の非力さを感じるたびに「もう、やめようか、明日やめようか」と思っていたのだ。

けれど、そのたびに、励ましてくれたり、必要と切望してくれる人が存在して続けてこられた。

作ったものに、力があるのなら、それはきっと、依頼主の後ろの存在が力を貸してくれているのだ。

私はその橋渡しをしているにすぎない。

オラクルカードで問いかけてみた。

答えは「あなたは正しい道を進んでいます」。

今、運気が変わりめに突入したようだ。

おっと、両手に今、蕁麻疹が出てきた。

明日までに治るといいけど。

オラクルカードに問いかけてみよう。



引かずに、押せ

最近、知って、妙に印象に残っている言葉「獅子に腕を噛まれたら、引くな、押せ」。

苦手なことを避けずに、自分から立ち向かえ、ってことですかね?

そうですね~。苦手なことなどを避けよう、避けようと考えていると、その間の負の思考が、かえって苦手なことを呼び寄せる。

あえて、苦手なことが目の前に来たら、思い切って掴みに行ったほうが、得る事があるという意味だと思ったのですが。どうなんでしょう。

実際、獅子に腕を噛まれて、引こうとすると、大怪我、うまく腕が抜けても、その隙に獅子は襲ってきますね。

逆に、多少痛いけど、腕を突っ込んで、獅子に一撃を加えて、打開するという手も使えます。そのほうが自分の気分としては「勝ち」ですね。

もう、生きている年数より、死ぬまでの年数のほうが近い年齢の私として、自分の人生を振り返ると、「無駄ばかり」「失敗ばかり」「選択違い」という言葉が脳裏をよぎります。他人から見ると「愚かで」「負け犬」と指さされるかもしれませんね。

でも、私自身「これが私が”生まれる前から望んでいた計画通り”の人生だったのね」と納得してしまうと、私自身にとっては、「幸せな人生」だったということ。他人の感想は関係なくなる。

自分が、自分の人生を「予定通りだったなぁ」と納得してしまえば、他人の眼から見てどうよ?というのは意味が無いわけです。

「こんなこと、恥ずかしい」という思考は自分の本質に対して考えていればいいのか。

「煉さんて~~、その年齢で、結婚してないんですか~?人生終わってますよね~~ 」と言われたとしよう。

「そうだよね~~。一般的にはそう見えるよねぇ。でも自分でそういう人生を選んだから、しょうがないのよ」と応えるだろう。

一般的と言うのに、こだわりや安心を得られなかった。

一般外な人生。まさにわたしが選んできたのはそこかも。

人並みの幸せには、縁遠くてしかたない。

生きているだけで、自分に「OK、上出来」と言えるのが私の今生の目標だったってことだ。

そういう視点でみれば、「なんだぁ。幸せな人生ってことね」と腑に落ちた。

「引かずに押した」ぞ!! ←????こんな感じでいいのか。

…なんの落ちも無く、終わる。

 



先に笑ってみるか

世の中には、ツンデレという言葉がある。ツンツンしているが、意外なところでデレっとする。そこに「キュン」とくることを指すの…かな。

私の高校生時代の同級生は、就職した先で、仕事をバリバリこなすヤツだったが、人望が無くて、出世コースから外れてしまった。

「自分は仕事ができる。次の人事異動で、課長になれる」と確信していたが叶わず、精神のバランスを失ったと、風の便りに聞いた。

仕事ができること=出世する とは直結しているようで違う。

人をまとめて、上に立つ人に求められるのは、コミュニケーション能力だ。

威張ったりすることではなくて、部下の力を引き出す能力だ。

他人を貶めて、出世しても、恨みを買って、足元をすくわれてしまう。

仕事で得た名声を、別の形で失うことになる。

世の中の見えない部分に、その仕組みは存在している。

 

本当に「できる人」は、仕事は普通よりややできる程度だが、部下の使い方が巧い人だ。ここが、周囲から「できる人」と、評価される。

たまに仕事ができない(処理能力が劣る)のに出世している人を観察すると、「上」に対するコミュニケーション能力に長けている人が多い。

人間は、機械じゃない。

感情がある。

感情があるかぎり、仕事にはコミュニケーションが必要なのだ。

会議も、飲み会も、会社の旅行も。人間を観察するためにある。

仕事と考えると堅苦しいが、守護との手段として捉えると、また違う面も見えてくる。

その中で、笑顔は、お手軽で無料。タダですよ。奥さん!

「面白くも無いのに、笑えるか」と、あなたは言うだろうか。

笑ってみれば、面白くなるかもしれないよ。

ニワトリが先かたまごが先かという議論になるけど、

私はカタチから入ることを力説する。

好きなこと、愛しているペットを思い浮かべると、自然な笑いになるらしい。

必要以上に笑うことはお勧めしないが、なにかあるときに笑えるようにしておくと、落ち込んだりすることも少なくなる。

昔、仕事をしてもしても終わらなかったとき、大笑いしたことがあるが、あれは脳のなんとかという物質が出て、笑わせていたと思う。

人間にはそういう仕組みがあるんだなぁ。

あるなら使ってみては、と思うのだ。

最近、このブログは、自分自身に向けて綴っているのだと、自覚してます。

もう、ブログもネタ切れというか、あえて無理して綴らなくても良い時期に来ているのだと思ってます。小手先でどうなるものでもないので、思いついたらメモる。

備忘録に近い路線になってますな。



自戒

周りは自分の見たように見える。

最近氣がついたことがあるので、自戒として記しておくことにする。

もっと言葉を大切にしよう。忙しかったり、疲れていたりすると思考が短絡的になってきて、目にする言葉も、発する言葉も軽いものになりがちだ。

最近の私が使っていた言葉「貧乏暇なし」というフレーズを知り合いが口にしていて氣がついた。

「貧乏」という言葉を発したときから、「貧乏」の波動は寄ってくる。

口癖にならないようにしよう。

「お金が無い」も禁句だ。自分で自分に暗示をかけているようなものだ。

これは「手持ちがない」と言う。

今は手持ちにないけど、いずれやってくる。

昔の人は言葉に宿る魂を言霊(ことたま)と言って神聖な存在として扱っていた。それゆえ、スルメはアタリメ、猿(去る)はエテと言いなおした。

東京では「派手だね」と言えば、マイナスの意が入っているので、京都では「雅やなぁ」とやんわり表現する。

もっと言葉を大切にしよう。たとえ貧しくとも、言葉=表現は豊かでいよう。

その2

職場で子供と言っても良いくらいの相手にナメられた態度をとられても、眼中には捉えない。

真剣に注意も、叱るにも値しない事象だ。

私が注意せずとも、相手が必要なときに、必要な形で気づくだろうから。

ということは、他人様から直接何か言われるうちが花ということか。

影で言われて済むようなら、ちょっと切ないかも。

その3

行動せずに後悔するくらいなら、行動してから後悔しよう。

やるだけやって、あとは天にお任せする。

周りの風景が変化するには、時間差がある。

即効性は求めない。

忙しいを嬉しい言葉とする。

自分の許容量を、きちんと把握する。

好きな仕事しか、しない。

嫌な仕事だったら、好きになるようにする。

無理もしない。

 



世界は自分の見るように見える

仕事の山場が過ぎたと思ったら、飼い猫が膀胱炎になって通院、慌しい。

落ち着いた頃、母が「頭が痛い」というので、年齢も年齢なので、脳外科に連れて行ったところ検査結果は

「脳には異常なしです。肩こりから来ている頭痛ですね。痛み止めを処方しておきます」と大事にならなかった。

そんなところで、週末のバイトへ。ところが雪が降って、バイトは半日で終了した。それで、時間ができたが、結局、自宅周りの雪かきに汗を流した。

これを、大変だったわ~と捉えるか、充実していたなぁ、と捉えるか。

自分を取り巻く世界は、本人の見たいように見えるのだ。

昔、悩める人がいた。

彼をDさんとしておこうか。彼は、都会育ちで、どうにもこの街に、というか街の人が好きじゃないらしい。

Dさんと私の仕事での接点は数分なのだが、そのわずかな時間に「この街の人にああ言われた、こう言われた」とこぼす。

愚痴という漢字にあてはめるほどではないが、その負の言葉の連なりに、わたしは相槌をもって流すのみである。

親身なアドバイスや真剣な言葉は、依頼主には尽くすが、Dさんは不要だと言うだろう。

Dさんの仕事は、世間で言うところの「立派な」仕事である。立派な仕事をしているのだから、もっと自信を持っていいと思う。

彼は、周りを批判しているが、自分が見える世界が、鏡だということに氣がついていないのだ。批判しているように見えて、自分の不足分を映し出しているのだ。

なんともったいないことだろう。

嫌なら、仕事を変えるか、考え方を変えるかするのがいいのだが、彼は私に負の言葉を延々と言うのみ。

だが、私は他人の感情のゴミは拾わないことにしている。

負のエネルギーに巻き込まれそうになったら、光のイメージで相手をブロックする。

私にとっては、良いイメージトレーニングの練習台と思うことにした。

周りに対して不満ばかり言っている人は、自分が周りに同じような態度をとっている事に氣がつかない。

常に前向きに、光を与えようと努力(思う)する人は、不満を、満足に近づけていける人だ。

ちょっとした、不便な環境を、いかに自分の理想に近づけるか。

Dさんを見ていると、世間一般でいうところの立派な職業なのに幸せを感じていない。

「安定した仕事をしているから幸せというわけでもない」

「●●をしているからと言って幸せを感じていないんだな」と

あらゆることが見えてくる。

私は、彼は衣食住には欠いていないが、幸せではないのだろうと思える。

幸せになるのに必要なこと、それは、自分で幸せを感じる、その感性が大事なんだと改めて、思い知った。

逆を言えば

幸せになるには自分の覚悟さえ、あればいいのだ。

少なくとも、周りがどう言おうと、

幸せなんだ~~~と考えておけば、真の幸せは、後からついてくる。


脳をだます

ren091210

手相を拝見して、運気の流れを読むのは、あっけないということは、以前から言っている通り。手相は己の思考が表れたものであるから、「これからなにか良いことありますか」「××才ごろに出会いがあって…」という具合。悩み事があるとどんな展開になるかという傾向を読んで、少しでも良い方向へ持っていく方法を提案する。が、提示される情報が極端に少ない場合、隠し事などがあれば、読み取るカンも鈍るのは否めない。また、傾向をお話しても、既に本人の内面で答えが出ている場合も、私の「読み取り」は確認作業となる。

自分で、これからどうしたいのか?

どうしたらよいでしょう?とたずねられると、「このままだとこうなります」と予想する。

それを受け入れるか? その結果は避けたいのか。自分で決められなければ、流されるままとなる。

だから、決めてしまおう!傍から見て、「図々しいわね」「できっこない」という展開でもいい。

思うだけは無料だ。誰に迷惑がかかるわけがない。

テレビで脳梗塞で倒れた学者が、鏡を使って自分の脳をだまし、麻痺した右手を動かし、奇跡的に回復した話を見た。

脳は、騙される。どうせ騙すなら、良い方向へ騙してしまおう。思考が変われば、手相の線も変わってくる。

弱弱しい運命線が太くなり、深い内面からの警告で切れていた線も繋がる。

不運続きで疲れていたら、小さな達成感を積み重ねて、自分にOKを出してみよう。

人間は、結局、自分の運を上げてくれそうな人間に集まってくる。同情されて優しくされることに慣れてしまうと、運は先細る。

どうせならば、運を人と分かち合い、循環させると決めてみてはいかがだろう。

転んで、泣いて、泥だらけになっても、笑っている人に、人はかけより、手を差し伸べてくれる。

周りのせいにして、責める人間には近寄りがたい。

悩みは、悩みの向こうにある「何かを」好転するさせるために存在する。

それでも悩み続けたい人も、存在するけど。

それは、それで悩む本人の人生のテーマなのかもしれない。