俯瞰(ふかん)する

俯瞰(ふかん)とは私は漫画を描いていたときに覚えた。

上から見下ろして、モノとモノの位置をわかりやすく表現する構図を言う。砕けて言うと 「説明」に使う構図である。

さて、今年も思ったより多くの方の手相を拝見した。

手相の線は、地図である。

手相の線は、人生を俯瞰して見るのと似ている。

今は辛いけど、その先に希望があるのなら、それを見つけることができる。

迷っている先にある、人生のイベントを確認して、頑張ることができる。

手相を拝見して思うこと。それは 時間は遡れない。

後ろを向いて悔やみ続けるより、これからの糧にしていくほうがいい。

例えば、「家を買ったけど、ついてない」と悔やむより、次の手を打っていくのが精神衛生上よろしいのだ。

手相には自分の考え方が現れるので、考え方を変えることがこれからの運気をも変える。労力も少なくて済む。

そういえば

長いこと生きてきたのに、神棚を一生モノだと思っていた。

ところが、神棚は何年かごとに買い換えるものだというではないか。世の中、知らないことのほうが多い。

自分の尺度で物事を測るのは良いが、決めつけはやめておいたほうが良い。自戒いたしました。

謙虚は、世の中を渡る武器になると、本に書いてあった。

視点を変えれば、禍福はあざなえる縄のごとし。

あのときの失望が、次への扉へと導く、きっかけになったりする。

神様の導きは、少々荒っぽいこともあるのだな~と思う。

 

数年前に、万年筆が欲しいと思っていたが、高価なので躊躇っていた。今年、筆記具メーカーのパイロットから子供向けの万年筆「kakuno」が発売されたのだ。この「kakuno」万年筆に詳しい上司によると、高価な万年筆に匹敵する書きごこちらしい。ネットで見ると、3000円の商品と同じくらいのペン先だとか。

太さもF=細字 M=中字 とあり、インクもカートリッジとコンバーターと選択できるのだ。いいじゃん。

買うなら今でしょ!と2本購入。

私は細字がお気に入り。紙に滑る書き心地がツボである。

中字も購入して、母が愛用中。1050円でこれは、優れもの。

長く愛用したい。万年筆は書き始めると、一時、筆致が悪くなるらしいが、それを我慢して使い続けると、どんどん手に馴染んでくるらしい。これも上司から聴いた。色々と知識を得られるのでありがたい。

知らないことが多い。人間だから。



2013年、冬至だ

夏至から、半年、待ちに待った冬至。お風呂に入る前にかぼちゃとあずき(あんこ)を食べてしまった~。

写真は来年の干支、午なので、北欧 スウェーデンのダーラナホース(またはダーラナヘスト)。幸せを運ぶ馬と言われている縁起物の飾りと日めくりカレンダー。もう残すところ1週間ほどですが、12月は師走というくらい、師匠も走る忙しさということで。

私は昨日、周辺の多くの方に無理をお願いして、走って(聴いて)もらいました。私自身は気持ちが走ったといえます。

私の周りには人の姿を借りたサンタクロースさんたちが多いと実感しました。

私がある人の願いを叶えたい!と思ったことに、ある人は協力してくれて、それで「願いを叶える」というミッションは無事にクリアできました。これはもう、周辺の協力してくださった方々のおかげで、自分は幸せ者だと思います。

自分で良かれと思っていたことが、相手にとってはそうでもなかったり、むしろ迷惑だったりということもあるでしょうが、悩んでいる時間はもう残り少ないので、悩まないことにしました。

人間関係というのは、深読みが必要なようで、実は表面だけを見ていれば良いということもあるのです。でなければ「社交辞令」が今世紀まで残っていないはず。

裏読みの裏読みは表読み?

いえいえ、お世辞でも社交辞令でも嬉しい言葉を受け取り、自分の生きていくエネルギーへと変えていく。

それが年を重ねる意味なのかもしれません。

ただし、相手に何かをする場合は、深読みも深追いもしないこと。期待しないこと。期待するのは若者の特権だと思えるようになりました。

期待はしないけど、希望がないと、人生は長く感じます。

私ぐらいの年齢になると、「したいからする」という感じ。

ああ!これが年齢を重ねた図太さと映るか、寛容さととるか。

どんなにもがいても、他人の考えを変える事はできません。

自分は自分でしかないのです。

傷つく心も、反省も、ヘミシンクのツールの箱に入れて浄化することにしています。

冬至が過ぎれば、世界の氣の流れも、ちょっと変わってきますね。

手相見の年内の拝見は29日まで。

新年は1月3日から可能です。



2013年を思う

2013年も残すところあと16日となった。

今年は、手相見は「ときどき新規」と思っていたが、師走に入ってきて「半分、新規」となって暮れるもよう。

自分で行動する、フットワークの軽い女性が多かった印象。

そういえば、今年は男性の依頼者はいなかったわ。

これから年末にかけて、サンキャッチャー作りに浸る予定。

今年は、昨年より1.5倍!を目標にしていたが、達成したかは微妙。

来年は、今年の1.5倍のスキルアップを目標としたい。

私は、書家のKooさんが、書いてくださったとおり、依頼主の内面を映し出す水面になろうと勤めた。つまり、私に手相見を依頼する人次第で、浮かび上がる内容が違ってくるのだ。

人の運気を読み取るには、自分自身を律していかねばならない。

まだまだ未熟であるが、そう努めてきた。

今年、手相見のご縁を頂いた方々には深く御礼申し上げる。

ひとつの事象を悪く受け取れば、悪くなるし、良く受け取れば、良くなる。

この世を見る、自分自身の世界平和のタメに、周囲がなんと言っても、形から入っても良いから、自分の幸運を信じて欲しい。全ては、ウマくいっている。

昨日より、今日の私、明日のあなたは、きっと全て予定通り、なのかもしれない。



幸せを探しに

昨日、住宅街にオープンして間もない雑貨店に、友人と連れ立って立ち寄りました。

ドアを開けるまで、お店なの?(失礼)と、ドキドキ。

ドアが、なんとも言えず良い雰囲気です。一見、カフェにも見えます。

立ち入ると、別世界でした。

8畳ほどの店内に

お店のオーナーさんの作られた布製品を始め、手作りで愛に満ちた様々な雑貨が所狭しと待っていてくれます。

 



師走、始まる

写真は、11月12日午後に友人が撮影した、「縦にかかる虹」です。お許しを得たので、載せておきます。クリックすると大きな画面になります。ほぼ中央にうっすらと虹の塔が見えます。

私には神さまが立っている姿にも見えます。

アブナイ?ですか。

今年は私、虹を直接見ることはできませんでした。お知らせを受けるのみです。それも不思議な虹が多かった印象。これは、宇宙から地球へ降りてくるエネルギーが違うからなのかも、なんて考えています。

それとも、皆、空を見る機会が増えたし、携帯電話にカメラが装備されているからでしょうか。

今年の、手相見のテーマは、「夫婦」だったような氣がします。

以前、ブログでも書いたような氣がしますが、今年を振り返って、もう一度記しておくことにします。

夢で見たのは

ある夫婦がいて、夫を変身させて妻も変身する という内容。

これから、相手を変えよう!と思ったら自分も変わらなければならない。

相手NG、自分はOKではくて

相手NG は 自分もNG なので

相手OK=自分OK なことを考える。

相手を変えられないのならば、今の立場から退くか、先に自分を変えてみることが必要なのだろう。

夫婦とは、人生の高度な修行だと聴く。

どこまで譲歩できるか、どこまで相手を思いやられるか、が日々試されているのだ。

夫も妻も、究極のサービス業と言えるのだろう。

自分や相手の要求が大きくなれば、どちらかが我慢を強いられたのなら、そこに「愛」はあるのかと

問う。「愛」は維持するのに、お互いの労力が必要だ。育てて、維持し、守るのにはテクニックが必要なのだ。

究極の愛は見返りを求めないことだ。

どんな目にあっても自分が相手の幸せを考えられるかどうか、だろう。

打算が働いてしまうのもしかたない。でも、精神的に病んでしまいそうなら、逃げてもいい。

夫婦というのは、一つの修行をクリアしたとして、縁が切れることもある。

【愛】から【情】に意識が移っても、修行仲間であることを意識すれば、相手もOK、自分もOKな方法を考えてみる。

迷っているときは、離婚という選択肢は選ばないこと。回避策をすべてやって見たけど、ダメだった。

全てやって見たけど徒労に終わった。やるだけやってダメだった!

と思ったときに次のステージが用意されていると私は思う。

しかし、今年のテーマを振り返ると、「大人な」内容が多かったが

自分で道を切り開く方も多かった。

少しでもお役に立てたのなら、手相見していて良かった。

あと、近所のスーパーで売られている たこ焼き屋さんで、初めて「ネギマヨネーズ たこ焼き」を購入して食したところ、激ウマでした。そのお店は老舗で普通のたこ焼きも美味しいのです。そのたこ焼きの上に刻み長ネギとマヨネーズがたっぷりトッピングされていて、これがとても香りよくて美味。普通のたこ焼きよりも50円ほどお高いのですが、しばらくやみつきになりそうです。

ネギは健康に良いし、風除けにも効果有り。

美味しいものが食べられて幸せ。

もう、半歩前へ

ゴールドルチル

本日、手相見有り。今まで手相を拝見するのは、紹介されてということにこだわっていた。

それは、きっと自分の手相見について懐疑的な部分があったからだと思う。

私は手相を見て、他人の運気を見ているが、そのことに対して自分にそういう資格があるのか。見ていいのか。心のどこかでずっと問い続ける聲を聴いていた。

このままのスタイルでいこうか、それとも。そんなことをつらつら考えていたときに、ブログを読んでくださっている方から依頼のメールが届いた。

今までも、数度、依頼者が遠方在住の場合があったりして、実現は難しかった。

また、男性の方からの依頼も、紹介者がいない場合はお断りしていた。

今回は同じ街に住まわれている女性の方で、「ダメもとで」問い合わせてくださったその行動力に感じることがあり、思い切ってお受けした。

紹介で見ている手相見に、メールをすることに勇気も必要だっただろうと想像する。

私も、そろそろ自分なりに制限していた枠から、外れてみることにした。外れてみて、見えたものが依頼者の希望と違うのなら、そのときは、手相見を続けるかどうかを考えれば良いと考えたからだ。

これは、背後霊に聴いたというか「やってみれば」というお膳立てがされたと解釈している。

必要な「お告げ」は、他人の口からやってくるのだ。

自分の行動や思考に限界を設けているのは、自分自身なのだ。

そういう意味では、自分の世界を作っているのは自分の心だと言える。

私のブログを読んで、どこかしら共鳴してくださっているのなら、紹介者はなくともご依頼を受けて拝見しても良いのではないか。もう、一歩前に踏み出す日が来ているのではと判断した。

今日、依頼者にお会いするとき、私は緊張していた。なんとも小心者な神経である。

結果、ブログを読んで、受け入れてくださった方の手相は拝見していけると思うに至った。

でも、男性の場合は紹介者が必要だというのは変わりない。

とりあえず、半歩ながら前に行動してみた。

ダメもと、これが開運のキーワード。

ダメでもともと。断られることを恐れない。

私も、ダメでもともと、相手に受け入れられなくても、なんら変わりない。ただの手相見である。

今日は、そう自覚した記念日。

 



夕陽にのびる一条の光

本日、2013年11月16日 15:52分に、西の空に落下物を目撃。

これは2009年10月28日以来、ほぼ4年ぶりのことで、わたしは興奮して、携帯電話で写真を撮影した。

機種変更して間もなくな携帯電話であったため、ズーム機能がわからず、手こずったのが悔しい。

写真では細い光の線で映ってはいるが、肉眼で見ると光り輝いている物体の落下の様は、見とれるくらい美しかった。

5枚ほど写真を撮影したが、思い通りに映らないので、あとの数分は、ただただ光が消えていく様を見つめていた。

流星にしては滞空時間が長すぎる。音もしない。

ただの落下物であっても、ようは目にするタイミングが意味する。

4年前は、買い物の帰りに、なにげに空を見上げたときに見た。

今回も、一日中市内を歩き回って買い物の帰りに、見上げた空に、光っていた。

前回も今回も、私はあることに迷っていた。その迷いに対する啓示(大げさであるが言ってしまおう!)のように目に飛び込んできたのだ。

その光の強さに、誰も気がついていない。

買い物帰りの客も、道路工事の作業員も、バスを待っている年配者も。

写真を見て、写真は写真だと思った。私が目にした輝きは、とてつもなく強く見えたから。

「見えた」のだ!!

ありふれた宇宙の出来事を目にしたことに意味がある。

いつも、愚痴を言ったりしたこと。不満をもっているけど仕方ない、と思っていたことを、できることから少しずつ、片付けてみよう、挑戦してみよう、試してみようと決めた。

今日はその記念日である。



今がそのとき

私の密かな楽しみは、Eテレ(教育テレビ)の「0655」と「2355」で「わたし猫」や「我輩は犬」などのコーナーを見ることに加え、月曜日恒例の携帯電話で撮影して楽しめる「たなくじ」。番組名がそのまま放送時間のこの番組。携帯電話が新しくなって初めてのたなくじ。「超吉」!自分史上最高運気だった。

シャッター速度が速くなって、便利。ピントも合わせやすい。

撮影した「たなくじ」は良い運の場合はそのまま保存して、お守りにしている。

さて、相談事の中に、「疎遠にしたい人」についてというのが増えてきた。疎遠にしたい人と疎遠にするタイミングは、

1位 転居を機会に住所を知らせず

2位 誘いを断り続けて、そのまま疎遠

5位 面と向かって絶縁宣言する

というのがあるらしい。

私は、上記のいずれも、された経験がある。自分自身を振り返ると思い当たる部分もあるが、どこか鈍い人間なのか、だいたい自分から絶縁など断言せずに、少し距離を置くというのが好み。

人によっては「はっきり言ってよ」と責められた時は「宣言」する場合もある。

今まで鈍感力でいるに越したことは無いと思っていたが、年齢も年齢なので周辺に上記のような行動を取られているのでは?とマメに考えるようにしている。

去るものは追わず、来るものは拒まずといるのが一番だが、そこらへんの加減が難しいのも事実だ。

携帯電話が壊れたのは、そういう見えない世界からのメッセージが来ているのかもしれないな、と思いあたる。

これを機に、携帯電話やパソコンのメールアドレスを整理し、周辺も整理することにした。

そうだ、今がその時だ!

電話帳にたくさん名前があるから、安心と言うわけでもない。

自分を必要にしてくれる人を見極める目が必要なのだ。

ひとつの縁を失うということは、新しい縁を結ぶ機会ができたということだ。

さびしがっている暇はない。

 



携帯電話が昇天した日

131031携帯電話

131031ハロウィーン

先日、携帯電話の充電部分のカバーが外れて、ショップで無償で直してもらった。それが22日。ついでに充電ホルダーも壊れたので、新しいのをポイントで購入。それは28日。

ついでに、減りの激しい電池パックを交換してもらった。それが30日。

携帯電話の充電時には、写真のようなエレメントが季節に合わせて表示される。

私はこの携帯電話がお気に入りだ。今日はハロウィン。充電時には上記の写真のように楽しい画面が。

その数時間後、携帯電話の画面は突然、7色の光を放って、沈黙したのだった。携帯電話の液晶部分が壊れたのは、本日31日である。欧米人ではないけれど、空に向かって「オー・マイ・ガー!!」な気分だ。

もう5年近く愛用してきた。私はヘビーユーザーではないのでまだまだ大丈夫だったと思っていたのだが。

携帯電話が息を引き取る場面を始めて見た。

これを機にスマートフォンへ…とも考えたが、普段は待ち受け専用だし、メールが打てればいい。現在のプランでいくと、1ヶ月の通信費は1000円ちょっと。

これをスマホにするとして、実質無料の機種を選んだとしても、通信費は7000円前後となる。ネットはパソコンで間に合っているし、スマホは不具合もまだ多いと聴く。なによりも、スマホ…特にiPhoneの液晶の美しさに魅入られてしまったら、ずっとスマホを触ってしまうかもしれない。私は意志が弱いのだ。

思案した結果、今回はスマホは見送ることにした。

今、在庫のある中で一番、手っ取り早いものを選んで機種変更。

右が壊れた携帯電話。左が新しい携帯電話である。

どっちもSH製。

唯一、困ったことが。

携帯電話の液晶画面がまったく起動しないため、データの移行ができなかったのだ。

バックアップはパソコンでとってあるが、データは8月末日のものだったので、9月以降の電話帳アドレスが消失したことになる。

ブログをご覧の皆様の中で、9月から10月にかけて、私にアドレス変更のお知らせを下さった方々にお願いします。

お手数ですが、空メールでご連絡をくださると、助かります。

また、本日、31日の朝から、携帯宛にメールを下さった方、携帯電話の不具合で届いていない可能性もありますので、

私宛にメールをくださって、2日以内に返信が無い場合は、念のためもう一度、メールを再送信してくださるよう、お願い申し上げます。

つい先日も、左目のコンタクトレンズをいつの間にか紛失してしまい、最近、次々とモノが壊れ、失せ、心身ともに動揺しております。

運気の変わり目、実体にダメージがなくて良かったです。

モノで済むなら、それにこしたことは無いですからね。

よろしくお願いします。



理想の手相道具との出会い

手相見を始めた頃は、道具は使用していませんでした。

お話する過程で「運命線が…」「生命線が…」と話すとたいていの方は「どの線?」「どこですか」とお尋ねになります。私にとっては、見分けられるのが当たり前の手のひらの線ですが、知らない人はまったく知らない。

説明するのに、いいものはないかなぁ…と思案し始めたとき、最初に用いたのはガラスの棒、これは本来、手相用ではなくて、何年も前に購入していたガラス工芸の(つまようじ)として購入したものです。説明するときに、線を指し示して使用します。

ある日、ガラス棒はうっかり破損してしまい、しばらく次の手相棒を探していました。

かんざし、ガラスペンなど試しましたが、どれもしっくり来ません。

そんなとき、書店で「手相棒」を見つけて、それを使用しました。さすが手相を変えるために考案されただけあって、悪くは有りません。

これもしばらく使用していましたが、先日立ち寄ったお店で、ぶどうつるで作った鉛筆のオブジェと出会いました。

えんぴつの形をしていますが、オブジェなので、文字は書けません。

書けないので、手相棒に使えるかも!と思ったのです。

そのうえ、刻まれた模様が四葉のクローバー!私がよく使う幸運のシンボルです。

運命を感じて(大げさかな)、お店の方に「これに名前を入れることができますか」とたずねましたら快諾していただき、「Ren」と入れていただきました。ぶどうつるというのは思った以上に硬いようで、作業は少々たいへんだったようです。

ガラス棒より重くなくて、落としても割れる心配がない。そして、手のひらの手相の線をなぞって示しても、ぬくもりが伝わるようです。

なにより名前も入れていただいて、一点もの。手相見のモチベーションも上がるというもの。

このお店、「Q太郎」という店名。店名の由来はご主人のニックネームだそうです。

大きなものから小さなものまで木製品はもちろんのこと奥様が木工の品に施されている絵付けが、それがとてもセンスが良くてかわいらしいので、ずっとファンでした。

お店に並んでいるアイテムには名前を入れてくださるサービスもありますので、木のぬくもりにほっこりしたい方はぜひとも、お立ち寄りください。定休日は月曜火曜だそうです。

[北見市 木工 Q太郎] で検索してください。

大切な方に贈りたい、優しくてかわいい、素敵な木製品と出会えるかもしれません。