早くも9月

週末は、伯父の葬儀のために急遽、岩見沢市へと出向いた。

父方の本家のある街。訪れるのは数十年ぶりである。土地と交通の便から、札幌や東京には出かけやすいのだが、旭川市を越えた向こうは、なんとなく敷居が高く思う。

こういうこと(冠婚葬祭など)が無ければ、訪れることも無い。私の生まれたのは、岩見沢市から遠くない三笠市の幾春別(いくしゅんべつ)という街。

ただ、幼少時に離れているので、その土地の思い出はない。

8月の最終日は、通夜と葬儀で慌しく過ぎてしまった。

日程に余裕があれば、足を伸ばして、札幌や旭川の街を楽しめたのだが、あいにく余裕がなかった。

往路は、特急オホーツクで。

帰路は、旭川まで、スーパーカムイに初めて乗り

旭川からは、特別快速に乗った。

北海道は、広いとつくづく思った。

人生の終わりについて考えると、涙を流してくれる人がいるということは幸せなのだ。

そうして忘れられない年の8月となった。

写真は、岩見沢駅のホームにある、ばんえい競馬の像。

 

後ろの霊の人に会いたい

先日読んだ本 「死ぬことが怖くなくなる たったひとつの方法」

スピリチュアルな対談集であるが、著者の一人 矢作直樹氏は、東京大学医学部教授。同大学医学部附属病院救急部集中治療部長である。この人が本作で「ヘミシンク」について語っていたので、興味をもった。

ヘミシンクというのは、以前、小耳には挟んでいたが、「聴くだけで”体外離脱”なんて可能なのぉ?」と私は懐疑的であった。しかし、世間的に地位も名誉もある人が体験を語ってくれたことで、興味を持つとは。

ミーハーとそしられようが、かまわない。

私は夢か現か、体外離脱しかけたことがある。背中にコードがついていて、引っ張られて肉体に戻るという生々しい感覚を体験している。

でも、体外離脱して、もとの体に戻れなくなったらどうする?見たくない怖い霊に遭遇したら? グルグル考えた。今はネット時代であるから、あらゆる体験記録もブログで読める。

「ヘミシンク 挫折」「ヘミシンク 体験」 「ヘミシンク リトリーバル」などさまざまな文言で検索して読んでみた。

予想以上に多くの人が、自分のガイドに出会っている。これは新鮮な驚きだった。

もちろん、危険だと警告する内容も読んだ。

重要なのは、マイナス思考の人は手を出すのはやめておく。

自己責任で手を出すこと。

でもね、御幣があるが、お酒もタバコも、危険と言えば、危険だが、嗜好品として存在している。

ヘミシンクもそんな位置づけ。

自分の霊格をあげておけば、怖い霊には会わずに済む。なによりも、たとえそれが脳内の幻覚、妄想だったとしても、己自信の内観ができて、自分のガイドに会えるならば、ネットゲームよりも楽しめるかもしれない。たとえは悪いが、映画「トータルリコール」の一場面。娯楽として割り切ってしまえば良い。

動機は不純ながら、いきなり体外離脱は、怖気づいているので、「マインドフード」と呼ばれる分野のCDから少しずつはじめてみようってことで、

とりあえず、「内なるガイドにつながる」と「具現化」から。

試してみてなにか発見したら、随時、記していこうと思っている。

お値段もお手ごろで、なによりも眠れる。質の良い眠りがそこにある…が。

眠れると言うか、思考が停止して、すっきりとするのだが、まだ脳は筋肉痛なのか。本来の使い方ではないよね…。

 

ヘミシンクは、根気強く聴き続けるのが大切らしい。

ブログにはヘミシンクのゲートウェイ を 4年目にしてガイドに会えたという人もいらした。

ゲートウェイシリーズはちょっとお高いが、これで何年も楽しめるのなら、ある意味お得な娯楽ではないかと思っているのだが。

とりあえず、具現化で。

 



お告げは他人の口からやってくる

花文字

 

新しい(推察)守護霊が来てから周りの空気がちょっと変わってきていると感じている。

最近、ヘミシンクを始めて、寝つきがすごく良くなった~と喜んでいる。しかしヘミシンク体験者の間ではこれを「寝オチ」と表し、しかもこれは、脳の筋肉痛のようなモノと表現されているのだ。

それは、おいて置いて、私の心のお師匠さまのブログに「高級霊はしゃべらない」とあり、私はつねづね自分が言葉によるお告げがないのが不満だったのだが、その記事によって腑に落ちた。

耳元で明確に話す守護霊でなくて、良かったのだ。

私は数日、実母とオオゲンカをしたのだ。始まりはすごくくだらないことだったが、どちらも似た性格なので応酬がエスカレートし、このままでは実母と言えど、どうにかされる、どうにかしてしまう?と危機を感じたのだが。

急なお誘いであった、友人から体験談として「夫婦喧嘩したときは、どうせ仲直りするんだから、早めにする」と語られ、「これはお告げ」と私から折れてみた。

しかし、母は私の謝罪も、歩みよりも一切拒み、頑なな態度をさらに硬化させた。

謝罪の言葉は、相手が受け取ろう、と思わない限りは、届かない。今の日本をめぐる頑なな国の態度を思わせる。

これを想像するに、運命がもしも、あなたに「幸運を」「よいチャンスを」と差し伸べてくれていたとして、本人に「受け取ろう」という意思がなければ、それは掴めないのだ。

自分で掴もうとしないで、運命を嘆いているのは、嘆いている運命を自分で求めていると言うことだ。嘆いて、自己憐憫(れんびん)が好きな場合は、どんな働きかけも、作用しない。

多分、私はこれからも母に歩み寄ろうとするが、きっと母は全速力で逃げるだろう。それはずっと続くかもしれない。でもそれは、私のせいではなくて、本人が歩み寄らない自分 が好きなだけということだ。

今、親子関係で悩んでいる人がいたら、親を大切に、とか親を敬おう という教えが世にあるのは、基本、親の世代より子の世代の魂が進化しているが、進化におごって親を見下さないようにする戒めである。

人間としての経験値は親にスキルがあるかもしれないが、その魂は進化する。

進化しないと人間という存在である意味はない。

故に見下さないような戒めが必要だからこそ、子の世代は親の世代にはある程度の諦めが必要なのかもしれない。

あなたは、あなたの人生を、あなたが掴み取っていく。親の考えや希望は参考にして良いが絶対ではないと、知っていてほしい。



守護霊の名前は

龍神

最近、忙しいのは、氣のせい。

図書館で、面白そうな本をたくさん、借りているから。

天然石の在庫が多くなったので、いろいろと作っているから。

それと、今、「ヘミシンク」のCDを聴き始めたから。

聴いていると、すぐ寝てしまう。俗に言う「寝オチ」してしまうのだが。

これがまた、寝そびれることがないほど、すぐ寝てしまって、朝まで起きることがない。

ヘミシンク で不思議な体験ができなくても、この寝つき良さ、侮れん。

「ヘミシンク」では、不思議な体験はできていないのだが、不思議な夢を見た。

守護霊が交代する夢。

守護霊と名刺交換する。「天使男(てしお)さん」という名前。

てしおって、そのまんまな読み方。しかもイケメンではなかった。40代の普通のサラリーマン風のメガネ男。しょせん、私のイメージ力はこの程度か。

これからは「てしおさん」と呼びかけながら、協力を依頼するつもり。

手相見もほどほどに忙しいと、ブログであまり詳しくも書けない事案が増えてくる。

先日、検索文字に「手のひらがピンクの人について」という文言が残っていたので、お答えする。

手のひらで、見るのはその人の現在のエネルギーである。

ハリがあってつやつやな人は、良いエネルギーを放っているが、くすんでいる人もいる。

ピンクだけど、まだらになっているひとは、無駄な場所にエネルギーをつぎ込んでいると判断する。手のひらのしわは、多い人は苦労する、と昔から言われるらしいが、横線の細かいの部分は、だいたい自分で自分の限界を決めている人、気苦労の多い人に見られる。

縦線が多いのは、やる気や開運のタイミングを表すが、これも短めのが多いと器用貧乏になりかねない。

私自身は両方にあてはまるタイプ。

手相の線で運、不運を計るときは、線の切れ、遮りを読む。

よほどの不運が見られても、切れた線から立ち上る線があれば、良し。

立ち上っていなければ、立ち上げる方法を模索する。

私はそのために手相を拝見している。

三人寄れば文殊の知恵。

依頼主と私、そして「てしおさん」で知恵を出し合うのだ。



 

 

真夏の怪

数日涼しい日が続いていましたが、明日からは暑いそうです。

先月の話になりますが、携帯電話に届いた1通のメール。携帯番号で届いたショートメールと言う類のものです。携帯番号に見覚えがありません。文面は「右左」のみ。

誤って送信されたものかと思い放置していると、続けさまに「右上」「みんな」「れ」と怪しい文面が続いた…。

ある霊能力者が、最近の霊はデジタル家電を操作して、時には携帯電話を使う…と話していたので、私は背筋に寒気を感じた。ストーカーに遭遇した人の気持ちが少しわかるような気がした。

果たして。

数分後、「れんちゃん、スマホ買いました」という文面が届き、どうやら最近ご無沙汰していた叔母からのメールと判明した。スマホのメール文面は慣れるまで大変だと聞いたことがある。

叔母も叔父も苦戦中のようだった。怪しいメールの件は解決したが、最近多いのがフェイスブックからのお誘いメール。

私はフェイスブックはしないと決めているので、スルーさせていただいている。

アレは、機能でなにがしかのチェックを外さない限り、自動的に何度かメールが送られてくるらしい。

本人が知らない間に、送信されている場合もあるので、思い当たる方は確認されることをお勧めする。

どなたかのご紹介で私のアドレスが登録されていて、そのつながりでメールが来ているのだ。

最近、その手の自動送信メールが増えている。

数年前の依頼主の方の名前もあった。

ご結婚されていたらしい。おめでとうございます。

お誘いメールからの情報で、ネットで氏名を検索すると、思いがけず、写真も見られてしまう。フェイスブックって、意外と外側から情報が見られるものなんだなぁ。

いろんなどこそこのコミュティつながりで何人友人がいる、とかまで、お誘いメールでわかってしまう。

とても私にはつかいこなせないです。

 



ときどき新規

手相見するようになって数年も経過すると、リピーターさんの手相を拝見する機会が増える。

130727charm01
130727charm01

ご新規さん、メインの年、リピーターさんと半分ずつな年、そして今年はリピーターさんメインとなっているようだ。

2回目3回目と拝見する依頼主が多いのだ。皆さん、人生の転機にさしかかり、私の元へは運気の流れの確認にいらっしゃる。その時間の流れを考えると感慨深いが、私の示した苦難の道のりを、あえて選択する依頼主も多い。そういう流れに乗る人を見ていると、人生の目的は幸せになることだけ、ではなくて「生まれる前から自分で選択している道」があるようにも思えてくる。

苦しい人はその苦しみを、悲しい人はその悲しみを、人生で体験することに意味があるのかもしれない。人生が思い通りになったとして、それは、その人の今世のテーマなのかも。

自分の年齢を考えるに、残された時間が圧倒的に少ないのだが、私の人生のテーマは?と自問するとこのブログのテーマ「自分と他人様の幸福」を探査することに違いない。

来世は、シリウス星系の宇宙基地勤務の宇宙人と言われているのを、信じている私。

信じるのは自由。

この地球に生まれるのもこれが最後だと思って、

この凡庸で、平和でちょっぴり切ない庶民な暮らしを、全うしたいと思う。

今年は、再度拝見、ときどきご新規な依頼主の流れ。



夏に考える

龍神

私は夏が苦手。汗かきだから。更年期だから汗がでるのかもしれないが、暑い夏はとにかく。

暑いのよりは、寒いほうがいい。が、真冬も困る。家の中にいて凍死しそうになるし、足指がしもやけになる。

で、どの季節が良いのかと聞かれれば、春、秋、冬、夏は最後だ。

そのくせ、夏の怪談は好き。暑くてどうしようもないとき、我が家にはクーラーがないので、近くの書店に足を運んで、怪談本を買ったりしていた。

その書店も閉店して、今はネットで稲川さんの無料怪談話ムービーを見たりする。

昔、入院中は冬でも夏でも病院の中は暑かった。冬でも夏でも、夜、眠るときは氷枕を、病院から借りていた。入院中に、よく聞いていた曲はバッハのリラクゼーション。次がモーツァルト。さすがに聞いているうちに眠りにすんなり導かれる。今でも眠りそびれたときは、バッハやモーツァルトにはお世話になる。クラッシックは、長い間、愛されているだけあって、旋律が美しい。入院中は、不思議な体験をたくさんさせてもらって、今から思うと人生の転機だった。

手相見を直接の知人以外にする機会を得たのも入院中だったし、隣の病室には「見える人」である男子学生がいて、興味深い体験談も聞くことができた。

ある意味、一番怖いのは、夜な夜な、入院ベッドのカーテンの隙間から中をのぞく、おじいさんとか、一晩中「殺される~ぅ」と絶叫していたおばあさんの声だった。

私は、基本、マイナス思考癖があるので、落ち込んだりすると、アレヤコレヤのマイナスな霊が寄ってくるらしい(某霊能者談)人生の落ち込みが激しかったとき、「あ~!あ~!(憑いている霊が)臭い!」と絶叫されたことがある。

幸い、気分を変えると、すぐ離れていく存在らしいので、実害はない。

マイナス思考というのは身についている本人には、そう考える流れができているので、それを逆らってプラス思考にするのは、ある意味苦行だ。はじめは慣れないことをするので、ぎくしゃくする。そのぎくしゃくするのをこらえて、慣れた習慣を意識的に変えていかないと、いつまでもマイナスのループの中に嵌っていることになる。

昔から存在するハレの日、ハレの氣というのは、そういうのを断つためにあるのではないだろうか。

今までの自分の運気をなんとかしたい。なんとかしよう、と思い立ったら、思い切ってちょっと高い買い物をする、行ったことのない店に入ってみる、どれも今ひとつなんだよなぁと思ったら。

そうだ、神社に行ってみよう。

神社の夢はよく見る。

神社の中から外を見る夢、神社に向かって歩く夢。

お寺の夢より神社の夢が多い。

手相見が忙しいときは、天然石関連は、ヒマとなり、天然石関連が忙しいときは手相見はヒマとなる。この流れもうまくかみ合っていて、お導きを感じている。

今?今はどちらもヒマなので、在庫の石を整理してます。

来月分の問い合わせは多いけど、予定は未定。

 

その瞬間から始まる物語

手相見も、天然石ワークも、縁(えにし)の糸は、相談を受けた瞬間からつながっていると、思っている。

私はせっかちな性分なので、”ちょっとご相談”な話が振られても、依頼主に必要な石を探して、アンテナを張り始め、情報を探して歩く。

一番、時間をかけるのは、ここかもしれない。

手相見の依頼も、予約を受けた瞬間から、カードリーディングを始める場合もある。私のはざっくりとした占いであるが、手相見をするときは、多くの切り口を必要とする場合もある。

どうしても、縁がつながらない人というのも存在する。

先日、拝見した方は、なかなか私のブログまで辿りつけず、かなり苦労したと話してくださった。

連絡が着いても、日程や時間が合わずに、結局 拝見できぬまま。というのもある。

世の中は、すべてタイミングと、依頼主の熱意次第だと思う。

先に話した方は「もう、縁がないんだわ」と諦めかけたが、紹介者に最後の最後、連絡先を写メしてもらい、やっと連絡がついた。

「後から、メールフォルダに入ってました。全然気づかなかった」と報告してくださったが、「目に入らない」というタイミングもあるのだなぁと思う。

「ブレスレット欲しいんですけど~。○○運で」とたずねられて、手首のサイズや石の好みなどを聞いても「よくわかんないんですよね~」という返事。

サイズを教えて、と言っても、フットワークの重い人。

正直、よくわかんないなら、持たないほうがいい。

持ちたい、欲しい!と思わなければ、石に失礼ではないか。

作り手のテンションも微妙…というか下がりそう。

より石のパワーを引き出したい、と思われるなら、リターンは早めに頂戴するのがなによりも良い。

石には私のテンションも映っているように思えるから。

天然石ワークも手相見も、私一人で行うものでは無い。依頼主の希望というか、願いが存在しなければ成立しない物語である。

そして、依頼主の欲しい!という心が無ければ、それは完成しない。

手相をかざして、「当てて御覧なさい」という依頼主も居た。

過去を当てさせて、力試しをしているのだろうが、手相はその人の運勢の立ち位置を見るものだから、未来を知りたければ、正確な情報(今の立ち位置)を提示されたほうがもっと、未来を予想しやすくなる。

必要な情報を出さずに「当ててごらん」とたずねられても、どの立場からモノを言えばいいのか、戸惑うこともある。

せっかく、見料を払うのだから、挑戦的ではなくて、協力者として、未来の話、これからの話をしていきたい。

普段なら、見逃す、幸運のサインを、ちょっと目線を変えれば、見つけられるかもしれない。



 

 

暑中お見舞い申し上げます

7月も半ば。連日暑い日が続いています。暑中お見舞い申し上げます。

このところ、あわただしくて、ゆっくり空を見上げながら歩くことが少なかったような。

昨日は図書館へでかけた帰宅道で空を見上げると、面白い雲が浮かんでいた。

昨日、十数年ぶりに、枕を新調した。

枕。マクラ。

ずっと愛用していた枕は「通販生活」が販売している「メディカル枕」だったが、これがまた丈夫で…。気がついたら十年以上使ってたかな。

最近、さすがにヘタッて来ていて、それでもいいか~と思っていたのだが。

更年期のせいか、肩こりもなおらないし。眠りも浅くなってきた。

そんなとき

マイナスの氣を祓い、新しい運気を呼び込むために、枕を買い換えるのが手っ取り早い、というので、買い換えた。で、2代目もメディカル枕。

届いたその日に昼寝で爆睡。夜ももちろん、熟睡。

今回の件で枕の寿命というのをネットで調べましたら、3年前後とか。

このメディカル枕は取扱説明書によると使用期間は5~6年が目安だとか。

いや、十年以上使用してすみませんって感じかね。付属カバーも丈夫で穴も開かない、擦り切れなかったし。

でも新しいのはやはり、ふかふか感が違うね。大きくて安心だし。お値段は少々お高いけど、何年も使えるからコスパは悪くないでしょう。

年齢的に これが最後の枕かも?

中身がチューブタイプのは音がうるさいし、羽枕はやわらかすぎる。

私にとって夢はお告げを受ける大切な時間。枕も大切だと思ったのだ。

高級品(私にとっては)を買うのは勇気がいる。私が初代のメディカル枕を買ったと話したとき、同僚に「だって~、煉ちゃんは自分にお金を惜しまないタイプだもん」と言われたっけ。

だって 自分以外にお金かける相手がいない。

かけるってほど稼いでもいないのが問題だけど、それは言わないお約束で。

それは、幸福であるし、不幸でもあるのだ。

でも、今は愛猫に一番、お金をかけている と思う。

愛猫にお金をかけているっていうのは…(以下 略)。

最近、ブログを最初から読ませていただきました、というメールを頂戴するのだが、なんというか、日常を書き散らかしたような文章を読んでくださって、恐縮です。

いつもありがとうございます。



手を合わせて願う

花文字
花文字

ローズクォーツを購入したのはもう、十数年も昔です。転職したばかりで、職場の上司とはソリが合わず、仕事を覚えるのも辛くて、心が疲れていました。疲れている心を癒したくて、見て、イメージに使いやすい、ローズクォーツを買い求めてました。以来、人生の転機に石は増えていきました。

石オタクになってから、大切な友人や知人には天然石を贈ってきました。現在は、自分で作ったアイテムが多くなりました。

贈った相手とは疎遠になった場合もあります。そのとき、相手のことを思うとともに、手元に在る石たちはどうしているかと想いを馳せます。

スピリチュアルな話では、魂は進化する過程で、石は石として修行をしているのですというではありませんか。

私自身の魂も悠久の昔は、石だったのでしょうか。

手相見のときに、石のアイテムをおまけとしてお渡ししていたのは、自分自身がどん底のとき石で救われたからです。若い頃、バイトで人工水晶のチップを磨いていたからです。

電気製品の中に使われている水晶。人間の念にも反応するでしょう。

石の上に通った悠久の時間を思えば、自分自身の悩みも小さく思える。自然の芸術、地球の分身である石を目にすれば、考え方にも少しは余裕が出てくるというもの。

普通は自分が幸せでないと、他人の幸せは願えません。

自分が不幸でも、他人の幸せを願える人は、それは徳となるのでしょう。

私は、他人から見れば不幸な人間かもしれないけれど、自分自身はまぁまぁ幸福だと思っています。すっごく幸福!と思っていないのは不幸ですか?

でもまぁまぁ、ってところがいいんじゃないでしょうか。少なくとも不幸ではないので。

そこで他人がどう思っていようと関係ありません。

自分の持っていないものを嘆いてもしかたない。手にしているものを喜んでみる。

喜んでいると、別の喜びが、引き寄せられてくる、そんなものなのでは。

マイナスのスパイラルにはまった、はまっているなと思ったら、はじめは嘘でも偽善でも

いいじゃないですか。

自分のために、他人の幸せを願ってみては。