仕事運を鑑定していただいた

手相を拝見して、人様の運気を読む身であるが、自分自身の運勢は大雑把にしか把握できない。身内の運勢も同じく。細かいところは情が入るのか、それが自然の摂理なのか読み取れないのが本当のところ。占い師は自分自身を占えないのだ。これは霊感占いでもそうだと聞いている。

私は「ツイテイナイかも」と思うと、動きがセコセコする。ジタバタする。そして結局は運に乗り切れない性質である。趣味のひとつは占いなので、機会があれば、色々な方に鑑定していただく機会も多い。多くの先生と出会い、鑑定していただいたことは私にとって財産である。

生活に余裕があるわけではないから、占いに大金を費やさせない。が、どんな占いでも、他人様に奨める事もあるので、自分で試してみることにしている。

無料占い、お試し占いなどを掲げている業者もチェックする。

私に必要なメッセージは、第三者の口を通して告げられると、信じているからだ。

今回、「抽選で、鑑定いたします」というメルマガの記事を見て、応募してみた。占いという軽い言葉ではすまない、運命鑑定。

ずっと、氣にはなっていた、先生だけど、鑑定料金から、なかなかお願いできずにいた。

新しいメニューのために、サンプルとして募っていた鑑定に、思い切って応募した。

必要なメッセージがあれば、当たるかも、という気持ちからだった。

そんなこんなで、私が当選したのだ。今年一年の運、使い切ったのでは???と思うほど嬉しい。このたび、サンプルとして、サイトで紹介されているので、先生の許可を得て、リンクを下に貼っておく。

とても、丁寧にじっくりと具体的に鑑定してくださり、質問にもきちんと答えてくださった。

鑑定を終えた後、先生には私のブログを見ていただき、ネットと言うメディアの性質上、細かい部分は、フェイクしてくださるようお願いした。私と私のブログを知る人が読んでくだされば、「コレはアレのことね」と解っていただけると思うので、脳内変換しながら読んでくださいませ。

占いというツールは複数用いて、多角的に見ると別のなにかが浮かびあがって見えることも。

ときに幸福は不幸の顔をして

残暑が厳しい日が続いています。あまり更新もしていませんが、いつもお立ち寄りくださりありがとうございます。さて、私は手相見としてプロと言えるのか、見料を戴いているから、プロと言われればそうですし、これを生業にしているかと言えば違います。おかげさまで、口コミながら多くの方とご縁をいただき、拝見して参りましたが、4年目の今でも初対面の人とお会いするときや二度目の場合も緊張します。いつでも気持ちだけは真剣勝負です。手相を拝見したとき、一見して、メンタル系の悩みを持っている人と言うのはわかります。これは数を見てきたから、と言えましょう。私は医師ではありませんから、そういう方を拝見する場合は言葉を選びます。

一番辛いのは御本人です。でも本人が気がついて「治したい」と思わない限り、治せない病もあると思うのです。

その、希望として、必要な段階として手相見はあるのかもしれません。

先日、高校を卒業して、全く会っていなかった同級生から電話がありました。

同級生の言葉は聞き取りにくいものでしたが、自分が不眠症で病院へ通っていること、独身であることを早口で告げて、私が独身かどうかを問うと、手短に礼を言って、電話は切れました。

それから、一週間、朝から晩まで 一日数回、同級生から電話が来ています。電話は迷惑設定に登録しているので呼び出し音は鳴りません。早朝5時半から夜は11時半過ぎまで、電話は来ています。

私は、朝から晩まで同級生の相手はできないので、電話は出ていません。普通に考えて尋常ではないという数の着信履歴。

着信履歴に並ぶ電話番号を見ると切なくなります。

高校時代の同級生は朗らかで、明るく、ちょっと天然なところはあるけれど、とてもそんな病に縁がある人には思えなかった。

年齢的にもそういう不安定な年齢なので、とても他人事と思い切れもしないというのが正直なところです。

先日、youtubeで、興味深い映像を見つけました。

映像の中に、「ときに幸福は不幸の顔をしてやってくる」という言葉があります。

…わたしもそう思います。

今、自分は不幸かもしれない。けれど、その不幸は未来の幸福に繋がっているのかもしれない。

忘れないで欲しい。不幸なあなたを救うのは、医師や薬やスピリチュアルや占いも必要であるが、最終的には 自分を救えるのは自分の意思だけなのだから。

見方、見え方イロイロ

遅ればせながら、お盆のお墓参りへ。市民になって初めて、霊園の一番高いところに上ってみました。自宅から往復2時間半の道を歩いて出かけました。気分はプチ登山でした。往路や復路を違った道で歩いてみると、違う風景や街並みが新鮮で楽しかったです。

羽を思わせる雲や

龍の姿を思わせる雲にも出会いました.

 

物事について考えるとき、天からの声というかアドバイスは第三者の口を通して示されることが多いのです。

これは今まで出会った、スピリチュアル関連の方々が共通して口にします。

ようは、それを感知する、聞き分ける能力が必要だと言えます。

見料を戴いていましたが、私は手相見を自分で特別な才能だと思っていません。数を見ればある程度見えるものだと思っています。

私の場合それにプラスされるものがあるので、今まで依頼者とのご縁が続いたのでしょう。

数が多くなるということは、それなりに手相見として、厳しい場面にも遭遇します。狭い街なので、依頼者同士の関係も意外なところで繋がっていたりしますし。大げさに言えばいつどんな誤解を受けて、謗られてもしかたないとも言えます。

見料を初めて戴いたときから、たかが手相を見るだけで、他人様の人生をどうこうできるわけもありません。

答えは依頼主本人の中にすでに存在しているのですから。

と思う反面、誠実であらねば、身に危険が及ぶということも覚悟していました。

実を言いますと、今年になってから 手相も、天然石も、いつやめよう、いつかやめようとどこかで思っていたのです。

そんな迷いが出たところ、偶然、今回ご縁のあった方から

「もっと責任のある仕事として取り組む」

「手相をとおして、人の心理にアドバイスしていくようなことを、もっと仕事にしてゆかれては」ということを示されました。

もう、「趣味の延長で~~」という言い訳ができないところに来たんだなぁ。

いまさらですけど、再確認できた氣がします。

これが私にとっての啓示です。

先日の夢で、大火事、竜巻、に加え、口の中に毛が生えるという不思議な夢を見ました。

夢占いでは、浄化、環境の変化、運気の上昇を意味します。

毛=髪 カミ 神に通じる言葉を告げる口という意味もあります。

スピリチュアルでは、神は自分の内側に存在するといいます。

よく「~~~で良いのでしょうか」と尋ねられることがありますが、あなたが良いと思っていることは良い。

でも、それ以外の考えもあると知った上でもう一度、自分の内側を見つめてみる。見方、見え方のイロイロを示すために、手相を見ているのです。それがお役目だと受け入れます。

 

見えていたこと

これから話すことは、ある人に向けての呟きというかメッセージです。私が手相見を本格的に始める前のことですが、

自分自身への戒めの意味で記しておきます。もちろん内容は加工しています。

まだ、手相を一食御馳走になることで拝見していた頃です。

ある日、仕事の関係者に紹介されてお会いしたあなたは、とても素敵な方でしたが、悩み事が色々あったようですね。普通の暮らしの上ではなにも接点のない、あなたが、私という人間に興味を持ったのも、たぶん私が手相を見るからだったのでしょう。

お友達の延長で相談を伺っていました。

そのうちあなたは、パートナーが「占い」に懐疑的なので、ぜひ、私に見て欲しい、といいました。氣は進みませんでしたが、パートナーの方も拝見しました。そのうち、あなたは私と会うときに、私に断り無く、パートナーを同席させたりしましたね。事前に言ってくださったらよかったのですが、いきなりというのはいただけませんでした。しかし紹介者への義理もありましたので、むげにお断りもできずにお話を伺っていました。

そのうち、諸般の事情であなたとパートナーの関係が、危機→冷却→復活の過程で何度かお話を聞くことになり、やがてもとどおりの穏やかで平和な生活を取り戻されたとき、私は、自分の手相見としてのお役目が終わったと思いました。お二人の心の底、他人には見せられない苦悩を、垣間見てきたからです。

その頃はすでに見料をいただくようになっていた私に、あなたは、これからの展望を見料を払うので、見て欲しいとおっしゃった。見料を戴く以上は、依頼主と手相見の立場が明確になったと思いました。

私はあなたが、占いやスピリチュアルに必要以上に傾倒せず、家庭を中心に幸せになって欲しい。それが一番平穏で、良いのではと思い、あなたが落ち着くまで距離をおくことにしました。今思うと、正直に言えば良かったかもしれません。ずいぶん、理由を言ってほしいといわれましたが、願いをかけたので、理由は告げませんでした。

あなたと知人以上のお付き合いをすることに疲れていたのです。

説明する気力もありませんでした。

これからも友人として会って欲しい、捨てられたようで辛い あらゆる言葉を尽くしてくださったけれど、「あなたに尊敬されるに値しない人間ですから」とお断りしました。これは謙遜ではなくて、「あなたには軽蔑されても尊敬されても、もう関係ない」と思っていました。

あなたの考え方は知人や依頼主としては許容できましたが、友人としては”合わない”。これは仕方のないことだと思っています。

見料を頂戴せずに他人の人生に立ち入ることの距離感の加減や難しさを、痛感しました。

私には、見えていました。

もし、私があなたの傍に居続けていたら…

これからあなたはとても幸せな生活を送るだろうが、その幸せを維持する努力を怠れば 数年の後、その「平穏な幸せ」に満足ができなくなる。そうしているうちにまた、パートナーとの関係に悩み、または友人関係に悩んで その都度、「占い師」の私を必要とするだろう。人脈の広いあなたのことだから、私を友人知人に紹介することだろう。

一歩間違えれば、共依存です。

でも、もうあなたを通じての様々な悩み事に、立ち入ることはできないと思ったのです。

 

私が紹介制で手相を拝見しているのは、このブログを見て、判断してもらえればと思っているからです。

手相見もスピリチュアルの話も、相手を選びます。自分のブログになんでも綴れば良いってモノでもありませんよね。

こうして書こうと思ったのは、私にとってあなたとの距離感は、手相見として、とてもよい勉強になった反面、トラウマになっている、と思ったからです。

正直、道でバッタリ会うことがありませんように、と思う自分がいました。

生霊で来ている気配も感じました。

あなたにはいろいろとお世話になって、感謝しています。

あなたの幸せを願う気持ちに偽りはありません。

でももう、私のブログを読まなくともいいでしょう。

あなたの恵まれた環境を大切にしてください。

もうわが道を行っていいんです。すでに、私の願いは成就しました。

自分の傲慢さと非力さを反省しています。

非力ながら、それでも私は望まれる限り手相を見ていくのだろうと思います。

私が手相を拝見した依頼主の中には「とても元気になった。1週間に一度は見て欲しいですよ!」とリップサービスしてくださる方もいらっしゃるが、実際、一度拝見すると、数ヶ月前に拝見した依頼主から、細かいことまでメールで問い合わせがくることもあるし、ことあるごとに、見て欲しいという方もいらっしゃいます。

2回目の依頼には半年以上、期間をあけていただいているのには、ワケがあるのです。

そんな細かいことまで、手相見に聞きたくなる心理、私にもよくわかります。そんなに占い師に払うお金もない、もったいないので、そういうときは「オラクルカード」をお奨めします。

友人や知人から頼られると、ついつい答えたくなる自分もいる。でもそうすると、なにか違うような気がしたのです。

こういう記事を書くと、「わたしのことですか」とメールが来ることがありますが、個人を特定しているようでしていない場合もあります。

 

暑中お見舞い申し上げます

立秋を前にしてのギリギリで、申し訳ないですが、暑中お見舞い申し上げます。私の住んでいる街は暑いときは、日本で一番暑かったりするのですが、翌日には10度くらい急降下する、寒暖差の激しいところです。
 

写真は飼い猫のぷりん(16歳、メス)の気絶しているような寝姿。

お気に入りの寝床で爆睡のときの写真はこちら。

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寝床は、食器棚の上にあるのですが、脚がはみ出て、寝場所を確認ということになります。

寝床に貼っているのは、使用済みのムーンカレンダー。蓄光で、暗闇で光ります。

8月、今年も今月を入れて残り5ヶ月です。早いものです。

早く感じるのは、時間の流れが加速しているからかも。

西洋占星術で、てんびん座宮から土星が立ち去るまで、あともう少し…。

最近、見つけた、無料の占いサイトがありまして、これがまたよくできているんです。占星術で、自分の金運を占ってみましたら、これからの半年間に金運のある期間が1週間!どれくらい無いんだよ!って感じでした。

時間と情報量

写真は、現在練習中というか手をつけている、ワイヤーのチェーンメイルで作ったチェーン。紐やワイヤーニッティングなど試してみるが挫折も早い私。

最近、テレビでは歴史の流れをワイドショー化で紹介する番組が増えている。私が中学生や高校生だった頃にこういう番組があれば、興味の持ち方も違って進路にも影響を受けただろうと思う。

江戸時代は300年近く続いたが、300年間、変わらない江戸時代だったろうと思う。どういうことかというと、現代から思うに明治時代は100年ちょっと前であるが、その頃に比べると人間が接する情報量が格段に違うのは、皆さん御存知のとおり。

数年前の昼ドラマを再放送で見るだけでも、このパソコンのディスプレイはブラウン管だから○年前、液晶だから古くないドラマ、携帯電話のデザインで、何年前のドラマ 等々、一画面で推察できてしまうのだ。

十数年前には携帯電話も普及していなかった、とか液晶がカラーじゃなかったとか。

パソコンが一般的ではなかったとか。

この十数年のIT関連の進歩の速さを考えると、江戸時代の100年と、現代の100年という時間の密度というか速さが違うのは明確だ。

いや~、20年前が舞台のドラマを作ろうと思うと、もう時代劇並みの時代考証が必要なんだ!!

大昔、人は自分の感知する世界が全て。自分の周りの情報だけが全てであったが、今は、テレビで書籍でインターネットで、多くの人の人生や情報を共有できる時代。ある意味何十人分の知識を得ることができる時代。

情報が多くて、助かる分、選択肢が多くて迷いも多い。

これから未来を想像するに、100年後の世界を読むことは難しい。

100年後、昨日の常識は今日の非常識、昔は○○だったけど、今は違う…。時間の速度が速くなっている。

 

整理しながら

先日、在庫の天然石の浄化が無事に終了しました。「宝石のエネルギー」という書籍の中で記されている方法を試していました。本当に石に気泡がつく場合とつかない場合があります。不思議です。

手相見の依頼は基本的にメールでやり取りしますが、戴いたメールは3ヶ月をメドに削除します。御礼のメールを整理していると、依頼主さんからいただいた感想には、あるキーワードがあることに、今更ながら気がつきました。

「すっきりしました」

このフレーズが一番多かったです。

依頼主が示した悩みや思いに、私は手相を拝見してタイミングなどを申し上げますが、一人でアレコレ考えていたことに、私が手相という導(しるべ)を見て答えると、なにかを感じてくださっているのではと思います。

「話す」ことは言霊として、自分に示すことですから、滞っていたエネルギーが流れ始めるのだと思います。

手相を拝見しているときの、私は「鏡」でありたいと思います。

手相は、あなたの内面を表したモノであり、私はそれを映し出すのです。それに対する試してみる様々なことがらを提示しますが、選択権は依頼主にあります。

どうしても、納得できない、行動に移せないという場合は、納得できる、移せるタイミングを読み取るようにします。

私自身は、傍から見て、恵まれてもいなくて、運もない、普通より下のような運気の人間ですが、関わった人すべてが運が上がりますように、そして幸福になった人の運気が巡りめぐって私の運を上げてくれますように!と欲深なことを考えているのです。

私に手相見の依頼をする時は、そういう準備ができた人だから、今がその時だ~!という人が多いのだと、数を重ねるごとに実感します。

運というのは、「運ばれて」くるもの。

他人様との交流無しにはやってきません。

お金はお客様扱い

怪しい手相見のカメ更新のブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

手相を拝見していて、必ず聞かれること、それは恋愛関係と金銭関係の運気です。

私は自分の恋愛関係は、他人様に話せないくらい格好が悪いヤツですが、こういう手相見をしていると、自分の人生の何倍ものお話の数を知ることになります。それは映画や漫画で言うところの「俯瞰図(ふかんず)」、運気の流れを上から眺める感覚に似ているかもしれません。

貧しいどん底の時、自分には「お金持ちの思考」というものが欠落している、お金持ちの人にお話を伺ったらば、少しはなんとかなるかもしれない、と考えて色々と本を読み、お話を伺い、観察しました。

俗に言う、お金は金を呼ぶというのも、お金を貯めるばかりでは、いけないというのも、長い歴史で培われた知恵だということはわかりました。お金はエネルギーを表したもの、エネルギーの対価であるというので、手相見で見料を戴いているのですが、戴いたお金はお客様だと思って扱っています。

お客様だから、お香で清めて、少し暗いところ(専用の箱)で休んでいただいて、帰って(使わせて)いただきます。

帰っていただくときは、お願いをします。

「たくさんの仲間を連れて戻ってきてくださいませ~」

心の中で、ですよ。

請求書の支払いのときも、お菓子を買うときも、英世さん、稲造さん、諭吉さんに「使わせてもらいます。また仲間を連れて戻ってきてね」と心の中で呟きます。

私は、石持ちではあり、お金持ちではありませんが、かろうじて毎日暮らせるのは、このお願いのおかげだと思っています。

そうこうしているうちに、楽しくなってきましたし、お金を支払うときの切ない思い(苦笑)はなくなりました。

引き寄せの法則で、お金が少なくなることで残念な波動を出すより、仲間をそのうち連れて帰って来~い、と思うほうが楽しいと思うのです。

パチンコや宝くじを変われるときは、「負けちゃうかも」、「どうせ当たらない」などと思うよりは、ずっとずっと良いと思うのです。

万一、財布の中身がすっからかんになっていたとして、悲嘆にくれるよりも、いつか戻ってくる、と思うことが大切なのです。

自分は自分

この年齢なれば、もういい年なのであまり他人様に叱責をされることはないのですが、先日、車の通らない横断歩道を急いで渡ったらば、年配の男性に「赤信号だろう!…ったく!!」としかられてしまいました。

信号無視したのは事実なので、恥ずかしいのですが、昨今のニュースから、背筋が冷たい気持ちも体験しました。ひとまず殴られたりしなくて良かったかも。

怒鳴った男性の心理も想像してみました。

心配してくださってありがとう、なのか

自分に面白くないことがあったので八つ当たりだったのかは、当人にしかわかりません。

ならば都合の良い理由で自分は納得しました。

こんな感じ。

守護霊様が男性の口を借りて、警告してくださった。→ありがたい。

ということにしておくと、背筋の冷たさも、忘れました。

例として

ある時、ある人に通り過ぎがてらに「笑われた」として、それが

「あいつ、かっこ悪い」 か

「あの子可愛い」 とか思って笑ったのかは、当人にしかわかりません。

それに対して

「あの人は~~と思っているに違いない」とか

「あの人は私をバカにしている」というのは、相手ではなくて、自分自身が思っていることです。

「○○は嫌みったらしい」

「××は人をバカにしている」というのはその人ではなくて、結局自分の内なる声だったりするのです。

本当に深いところにいる自分自身が、相手の行動に見える「投影」という心理が働いているのだと思います。

この世には社交辞令が存在します。

いちいち裏を読んでもしかたありませんね。

悪口を言われてる、嫌われているのも氣にしたってしかたない。

あなたはあなたであり、他人にはなりえません。

他人の思考まで操作することはできないのですから。

深読みをしない鈍感力というのも、必要な時代なのです。

鈍感だけでも嫌われますけどね。

ほんの数十年前に、個人が接した情報量と、現在接する情報量は違います。

余計な情報は、排除することも自由な時代です。

あなたはあなた。自分は自分。

 

宝毛

宝毛というのをご存知だろうか。「福毛」とも呼ばれる。これは周囲の体毛と比較して一本だけ長く成長したもの。5センチから10センチ伸びる場合もある。

あるいは、白毛が生えることを言う。民間伝承では「抜いたら、不幸がおこる」とか「生えている人に幸運を呼ぶ」など諸説様々有り、「宝毛」で検索すると、多くの情報がヒットする。

仏様の額の白毫(びゃくごう)になぞらえて、そういう伝承があると言われてもいる。

一昨日、私は、自分の右腕に、一本だけ長い毛があるのを発見した。

撮影にはてこずったが、周りの毛と比較すると、長い。7センチくらいあるだろうか。

昔、左ふくらはぎにも、長い毛が生えたことがあったのだが、せいぜい4センチくらいだったと思う。そのときは、氣にしないで抜いたけどな。

今回は、ネットで調べたら、多くの記事が見つかったので、抜かずにおくことにした。恥ずかしながら、福毛の伝承も詳しく知ったのは、初めてである。なによりも不思議というか、感心したのは、こんなに伸びるまで、全然、気がつかなかったことだ。入浴してもゴシゴシ洗っていたし。一晩で伸びるのはありえないだろうから、ある日突然、「見えた」というのが正しいかも。

酷使する右腕に在って、よくぞこの長さまで伸びたもの。記念に抜いてとっておこうとも思ったが、「抜くと身内が死ぬ」という説もあるので、そのままにしておく。また抜けたら同じものが生えてくるという説もあるので、氣に留めておくことにする。

だいたい、肩とか、顎に多く見られるというこの福毛、あなたの体にもあるかもしれない。

6月も終わりで、明日から7月。私の運気も切り替わる時期にあって、宝毛が「見えた」というのは、なんとも不思議。

少なくとも、この「毛」は私を、幸せにしてくれた。

幸福も、こんなものだろうか。目をこらして、あるいは、あるきっかけで「見える」ものなのかもなぁ、なんて。

あと、この暑さのためか、自室の網戸がいきなり外れ、猫が逃げる寸前だった。(汗)

網戸外れるほどのエネルギーが南の窓からやってきたということだろうか。だといいけど。

ちょっと見づらいけど、観光イベントで期間限定ながらSLが走る季節となり、準備中の車両を見かけた。鉄子でなくても、旅に誘われるようなSLの車体だ。