富氣と頭髪

タイトルは「フキとアタマガミ」です「フケとトウハツ」ではありません。

今日はひさしぶりに、涼しいせいか、日中は眠たいです。スピリチュアルでは彼岸の中日だから眠たいと言う説もあります。この世とあの世の扉は、月食の月と地球の影のような感じで、開いて閉じるらしいです。

私は、皆さん御存知のとおり、たいした人間ではないので、小さい悩みが少なくありません。ここらの話は2009年9月5日付「さようなら 枝毛」にも書いています。

長い間、一番の悩みは髪の枝毛、切れ毛で、ストレス脱毛でした。どんな高級シャンプーを使用しても、美容室でトリートメントを作ってもらっても、髪は筆のような枝毛になるし、ちょっとストレスを感じると、小さいハゲが頭に出現する。それは、小型円盤が着陸した跡に見えて我が家では「ミステリーサークル」と呼んでいました。

この髪の毛の悩みは高校生の時から20年以上も私を悩ませたのですが、この5年ほどは、枝毛もミステリーサークルも出現しなくなりましたね。

今思うと、頭部から正体不明の生体エネルギーが放出されていたのかもしれません。人間、誰しも髪の毛の伸びる速度は違うと、美容師さんのお話ですが、私の場合は伸びる速度が早いほうで、部位によって早さもマチマチです。

手相見を本格的に始めてから、出現しなくなったような感じです。ひとつ、悩みが解決しても、次の悩みが出現するのが人間。今度は髪の毛のクセに悩むようになりました。悩むところがレベル低すぎ、と突っ込みは御容赦ください。某漫談のネタにもあるように、「一日幸せになりたければ、床屋へ行け」という言葉があるように、髪が調子が悪いと、気分も盛り下がるのが人間というもの。

で、次にシャンプーは思い切って自分史上一番「お高い」のを購入。リンス不要なので、お高いようでそうでもないのです。使用量も少なく済みます。

髪の毛というのは、「氣」の影響を受けやすいというので、シャンプーするたびに浄化されて、後に残さないことも考慮して買いました。

トリートメントは、洗い流しても良いし、洗い流さないで使用すると整髪料にもなるという優れものを見つけました。

この数年、良い美容師さんに出会い、良いシャンプーに出会い、トリートメントに出会って、自分の髪質が好きになりました。こんな日が来るとは、円盤着陸跡の出現に悩んでいた頃は想像もできませんでした。

一点でも、これだ~!というお高いものを身に着けるのは、贅沢ではなくて、自分の中の豊かさに繋がるということで「富氣」をまとう、呼び寄せると言うことで、お奨めしてます。

私の場合は、シャンプーです。嫌なことや自分の失敗、反省点を洗い流す気持ち=浄化するために使用しています。

普段から質の良いものを身に着けているわ!という方も、もうひとつ上のランクの品を身に着けてみてはいかがでしょうか。

普段なら、絶対買わない高級菓子、普段は縁のない高級なお店で食事。ブランド物のハンカチ一枚、指輪でも良いと思います。「これだ!」という品を傍に置き、触れることで幸福な気持ちになり、その気持ちが更なる豊かさを呼ぶのではないでしょうか。

西洋占星術では、愛と金運は同じモノとして見るそうです。どちらも「欲しい」一辺では、上手くいきません。与えて(使って)得る(もらう)ことが大切なんだそうです。

私は、依頼主から見料を頂戴しているので、与えるものは「手相見の経験」しかありません。

最近、自分の運の「受け取り」が少ないわ~と感じているなら、運を待っているより、ちょっとした種を巻いてみる行動に出てみては。この世の不思議で、今日蒔いたソレが、明日、回収できるわけではありませんが、数日、数年後に大きな運に成長して戻ってくると、思っています。

今の私の幸福は、昔々に蒔いた種が戻って来てくれていると、最近 実感しています。

もしかしたら、回収は来世になるかもしれませんが。。。。。。(・_・)

種を蒔く時は、自分から。

7月末に見つけた右腕の「宝毛」も視界に入るたびに「嬉しい」気持ちになっていましたが、先日、長さを少し残して、切れていました~!今度の宝毛も無事に育って欲しいです。

毛一本で一喜一憂している自分は、小市民だと思いますが、幸福なんて人それぞれだから、良いんです。



それは お告げでした

先日、図書館で一冊の本を借りました。

 斎藤一人さん著作の「ツイてる」です。これにはCDが付録で付いているのですが、斎藤さんの声は聞きやすく、解りやすい内容です。100回聞いて、100回試すのが良いというので、試すことにしました。

お金持ちの働く思考と姿勢が解説されていて、とてもタメになる内容です。その中に「氣を配る」というお話があったので、「そうか!」氣を配ると言うのは、こういうことか!本当か?試してみよう!!これはお告げだ! ということで、今月は、天然石関連の「お直し」の品の取り扱いが多いこともあり、「石の調子はいかがですか」と氣になる方へとメールを差し上げています。

「煉さん、いきなりどうしたの!」と驚かれませんように。

私をとおして天然石を手にされた方には、幸せになって欲しい。もちろん、石にもです。

天然石関連には「どうですか」とメールできますが、手相見の依頼主さんには気楽にメールできませんね。

でも、何年経っても、御礼のメールをいただけるのは、とてもありがたく嬉しいことです。

年に一度、数年に一度メールをくださる依頼主さんたち、ありがとうございます。

あなたの一言で、手相見の寿命が1年延びるのを感じます。

 それから、「人は困らない、困っているように見えて学んでいるんだ」という話と「他人が機嫌が悪いのは一過性のもので、その人の都合で勝手に機嫌が悪いだけで、自分は自分の機嫌をとることに専念すべきだ」、「他人の機嫌をとる前に、自分の機嫌をとれ」という内容も深い感銘をうけました。

愛の行方

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暑い!9月も半ばと言うのに、30度超えている。黒酢を飲んでいるけどバテる寸前。私も手相見となって数年経過しまして、先日、ドメインの更新を済ませました。あと1年くらいは続いていると思います。狭い街で手相見なんてしていると、知り合い同士を、そうと知らずに拝見していたりします。親子や恋人同士、親戚同士、同僚、知人…様々です。手相を拝見するときは、大仰な予言はせずに、依頼者の手相を通じて鏡になるように読み取ります。私個人の主観がが入ると読みがブレます。そのため、そういう問題で、当事者の間に立って、言葉を交わす、見方によっては優柔不断と思われるでしょう。

運気の流れを読んで、それからどうするか、と言うときに、役に立つのが今までの経験値だと思っています。悩みを解決するには、どうするのが一番穏便に済むか、発展性があるかとか、考えます。でも自己主張が強く、特に愛が絡んでくると、どんなアドバイスも依頼主の耳には届きません。結局は自分で「なんとかしよう」と思い切らないとどうにもならないことも多いのです。

ひとつ言えるのは、相手をどうこうすることは、まず不可能なので、自分の見方や考え方、行動を変えるほうが、たやすく効果を期待できるということ。人、ひとりの思考を外から変えるのは、それはそれは大きなエネルギーを要します。効率悪いです。

自分が相手のために、という「愛」について。

「愛」とは相手を思い、相手の意に添う事、相手の幸せを願うことだと思っています。

自分に冷たいのは、許せない、思い通りになってくれない、という類の感情は「自己愛」です。

手相見でお話を伺っていると、時にそういう感情に触れます。

あなたの「愛」は相手への「愛」ですか。

自分への「自己愛」ではありませんか。

それを確認したうえで見ると、手相が示す線の意味も、流れも変わってくるのです。

「愛」は形で明示できません。行動で示すしかないと思っています。

相手のために i  (自分)を滅することができるのか。何千年経っても悩ましい。真実の愛がどこにあって、どうすれば見えるのか。人間の悩みの大部分を占めている。見るほうも言葉を選ぶ、難しい問題です。

虹の季節

デジカメの写真を整理していると、去年の今頃は、空の虹の写真を撮影していたが、今年は撮影できていないようだ。夏至が過ぎて、今は冬至が待ち遠しい季節だが、太陽の通り道が変化して、窓辺のサンキャッチャーに光が差して虹が室内に多く映し出される季節となっている。虹を見ると、気持ちが和むのはその色彩の美しさ、太陽の光のありがたさを感じるから。サンキャッチャーが世界中で愛されているのも、よくわかる。空の虹を見るためには、雨を経験しないとならないので、運気が悪いというばあいは、虹入り水晶を傍におくことをすすめている。虹は光、光は魔を祓う。

誰かが話していた。「神は悪魔の姿で人を試し、悪魔は天使の姿で人を惑わせる」

今、辛いことがある人は、それは神様が試されているから。今運気が絶好調ならば、魔が忍び寄っているかもしれない。

古くから、人間は人の妬み、嫉妬の眼差しを「邪眼」と言って恐れていた。運が良い時ほど、周囲が眼に入らなくなり、有頂天になり、唯我独尊、独善的になるのが人間の常だ。

それゆえ、手にした豊かさは周辺の人と分かち合い、「あの人にイイコトがあると、自分にも恩恵がある」ようにすると良いと言われている。

嫌な人、苦手な人のことは、考えまいとすると、よけい氣になるもの。

本当は思考の端に思うのも、時間がもったいないと思うのだが。

妬んでいたり、氣にしたりする時間がもったいない。

私も修行が足りずに、苦手な人や好きではない人がいるが、引きずると、自分が損をするので、手帳には、イイコトしか記していない。

他人様が自分にしてくださった事だけ記入している。

頭に来たことも、腹が立ったことも、自分にとっては大事なエピソードだが、残しておくのは抽象的なことだけだ。

後は忘れる。適当な創作にして、ぼんやりと覚えている。

あっ!これって学習能力が無い人間ってことですか??((-_-;))

他人を気にしている時間は自分のことを考える時間に当てておく。

ただし、自分のことだけ考えていると、思わぬ「邪眼」に眼をつけられる。

人間の嫉妬は恐ろしい。

妬まれる側も恐ろしいけれど、妬む側をも侵食し、疲弊させ、負のスパイラルに巻き込んでしまう。

俗に、幸福な人はイジメをしないと言われる所以である。

確かに、自分が幸福なときは他人のことには寛容になる。

そこで、

嫌なこと、苦しいことを、良いことへ結びつけるかどうかは、本人の信じる気持ちにかかっている。

苦手な人や困った人は、自分の力試しに現れた「神様の化身」かもしれないのだ。

近況★

毎日暑くて、通勤で体力を消耗しています。暑がりの私。今年は、黒酢ドリンクを飲んで、なんとか体力を保っていますが、健康診断が終わったとたん、飲み食いしているので、体重増加してます。そのうえ、体力回復には睡眠ね!とばかりに寝ています。ロングスリーパーな私。午後10時まで起きていられません。早ければ午後8時半には爆睡しています。

寝ている間、魂は「あの世」に行っているということで、エネルギーを充電している感じですか。鮮明な夢もよく見ます。西洋占星術で言うところの土星が、もうすぐ私の星座から立ち去ります。もうすぐだ~~~。待ち遠しい。

 

仕事運を鑑定していただいた

手相を拝見して、人様の運気を読む身であるが、自分自身の運勢は大雑把にしか把握できない。身内の運勢も同じく。細かいところは情が入るのか、それが自然の摂理なのか読み取れないのが本当のところ。占い師は自分自身を占えないのだ。これは霊感占いでもそうだと聞いている。

私は「ツイテイナイかも」と思うと、動きがセコセコする。ジタバタする。そして結局は運に乗り切れない性質である。趣味のひとつは占いなので、機会があれば、色々な方に鑑定していただく機会も多い。多くの先生と出会い、鑑定していただいたことは私にとって財産である。

生活に余裕があるわけではないから、占いに大金を費やさせない。が、どんな占いでも、他人様に奨める事もあるので、自分で試してみることにしている。

無料占い、お試し占いなどを掲げている業者もチェックする。

私に必要なメッセージは、第三者の口を通して告げられると、信じているからだ。

今回、「抽選で、鑑定いたします」というメルマガの記事を見て、応募してみた。占いという軽い言葉ではすまない、運命鑑定。

ずっと、氣にはなっていた、先生だけど、鑑定料金から、なかなかお願いできずにいた。

新しいメニューのために、サンプルとして募っていた鑑定に、思い切って応募した。

必要なメッセージがあれば、当たるかも、という気持ちからだった。

そんなこんなで、私が当選したのだ。今年一年の運、使い切ったのでは???と思うほど嬉しい。このたび、サンプルとして、サイトで紹介されているので、先生の許可を得て、リンクを下に貼っておく。

とても、丁寧にじっくりと具体的に鑑定してくださり、質問にもきちんと答えてくださった。

鑑定を終えた後、先生には私のブログを見ていただき、ネットと言うメディアの性質上、細かい部分は、フェイクしてくださるようお願いした。私と私のブログを知る人が読んでくだされば、「コレはアレのことね」と解っていただけると思うので、脳内変換しながら読んでくださいませ。

占いというツールは複数用いて、多角的に見ると別のなにかが浮かびあがって見えることも。

ときに幸福は不幸の顔をして

残暑が厳しい日が続いています。あまり更新もしていませんが、いつもお立ち寄りくださりありがとうございます。さて、私は手相見としてプロと言えるのか、見料を戴いているから、プロと言われればそうですし、これを生業にしているかと言えば違います。おかげさまで、口コミながら多くの方とご縁をいただき、拝見して参りましたが、4年目の今でも初対面の人とお会いするときや二度目の場合も緊張します。いつでも気持ちだけは真剣勝負です。手相を拝見したとき、一見して、メンタル系の悩みを持っている人と言うのはわかります。これは数を見てきたから、と言えましょう。私は医師ではありませんから、そういう方を拝見する場合は言葉を選びます。

一番辛いのは御本人です。でも本人が気がついて「治したい」と思わない限り、治せない病もあると思うのです。

その、希望として、必要な段階として手相見はあるのかもしれません。

先日、高校を卒業して、全く会っていなかった同級生から電話がありました。

同級生の言葉は聞き取りにくいものでしたが、自分が不眠症で病院へ通っていること、独身であることを早口で告げて、私が独身かどうかを問うと、手短に礼を言って、電話は切れました。

それから、一週間、朝から晩まで 一日数回、同級生から電話が来ています。電話は迷惑設定に登録しているので呼び出し音は鳴りません。早朝5時半から夜は11時半過ぎまで、電話は来ています。

私は、朝から晩まで同級生の相手はできないので、電話は出ていません。普通に考えて尋常ではないという数の着信履歴。

着信履歴に並ぶ電話番号を見ると切なくなります。

高校時代の同級生は朗らかで、明るく、ちょっと天然なところはあるけれど、とてもそんな病に縁がある人には思えなかった。

年齢的にもそういう不安定な年齢なので、とても他人事と思い切れもしないというのが正直なところです。

先日、youtubeで、興味深い映像を見つけました。

映像の中に、「ときに幸福は不幸の顔をしてやってくる」という言葉があります。

…わたしもそう思います。

今、自分は不幸かもしれない。けれど、その不幸は未来の幸福に繋がっているのかもしれない。

忘れないで欲しい。不幸なあなたを救うのは、医師や薬やスピリチュアルや占いも必要であるが、最終的には 自分を救えるのは自分の意思だけなのだから。

見方、見え方イロイロ

遅ればせながら、お盆のお墓参りへ。市民になって初めて、霊園の一番高いところに上ってみました。自宅から往復2時間半の道を歩いて出かけました。気分はプチ登山でした。往路や復路を違った道で歩いてみると、違う風景や街並みが新鮮で楽しかったです。

羽を思わせる雲や

龍の姿を思わせる雲にも出会いました.

 

物事について考えるとき、天からの声というかアドバイスは第三者の口を通して示されることが多いのです。

これは今まで出会った、スピリチュアル関連の方々が共通して口にします。

ようは、それを感知する、聞き分ける能力が必要だと言えます。

見料を戴いていましたが、私は手相見を自分で特別な才能だと思っていません。数を見ればある程度見えるものだと思っています。

私の場合それにプラスされるものがあるので、今まで依頼者とのご縁が続いたのでしょう。

数が多くなるということは、それなりに手相見として、厳しい場面にも遭遇します。狭い街なので、依頼者同士の関係も意外なところで繋がっていたりしますし。大げさに言えばいつどんな誤解を受けて、謗られてもしかたないとも言えます。

見料を初めて戴いたときから、たかが手相を見るだけで、他人様の人生をどうこうできるわけもありません。

答えは依頼主本人の中にすでに存在しているのですから。

と思う反面、誠実であらねば、身に危険が及ぶということも覚悟していました。

実を言いますと、今年になってから 手相も、天然石も、いつやめよう、いつかやめようとどこかで思っていたのです。

そんな迷いが出たところ、偶然、今回ご縁のあった方から

「もっと責任のある仕事として取り組む」

「手相をとおして、人の心理にアドバイスしていくようなことを、もっと仕事にしてゆかれては」ということを示されました。

もう、「趣味の延長で~~」という言い訳ができないところに来たんだなぁ。

いまさらですけど、再確認できた氣がします。

これが私にとっての啓示です。

先日の夢で、大火事、竜巻、に加え、口の中に毛が生えるという不思議な夢を見ました。

夢占いでは、浄化、環境の変化、運気の上昇を意味します。

毛=髪 カミ 神に通じる言葉を告げる口という意味もあります。

スピリチュアルでは、神は自分の内側に存在するといいます。

よく「~~~で良いのでしょうか」と尋ねられることがありますが、あなたが良いと思っていることは良い。

でも、それ以外の考えもあると知った上でもう一度、自分の内側を見つめてみる。見方、見え方のイロイロを示すために、手相を見ているのです。それがお役目だと受け入れます。

 

見えていたこと

これから話すことは、ある人に向けての呟きというかメッセージです。私が手相見を本格的に始める前のことですが、

自分自身への戒めの意味で記しておきます。もちろん内容は加工しています。

まだ、手相を一食御馳走になることで拝見していた頃です。

ある日、仕事の関係者に紹介されてお会いしたあなたは、とても素敵な方でしたが、悩み事が色々あったようですね。普通の暮らしの上ではなにも接点のない、あなたが、私という人間に興味を持ったのも、たぶん私が手相を見るからだったのでしょう。

お友達の延長で相談を伺っていました。

そのうちあなたは、パートナーが「占い」に懐疑的なので、ぜひ、私に見て欲しい、といいました。氣は進みませんでしたが、パートナーの方も拝見しました。そのうち、あなたは私と会うときに、私に断り無く、パートナーを同席させたりしましたね。事前に言ってくださったらよかったのですが、いきなりというのはいただけませんでした。しかし紹介者への義理もありましたので、むげにお断りもできずにお話を伺っていました。

そのうち、諸般の事情であなたとパートナーの関係が、危機→冷却→復活の過程で何度かお話を聞くことになり、やがてもとどおりの穏やかで平和な生活を取り戻されたとき、私は、自分の手相見としてのお役目が終わったと思いました。お二人の心の底、他人には見せられない苦悩を、垣間見てきたからです。

その頃はすでに見料をいただくようになっていた私に、あなたは、これからの展望を見料を払うので、見て欲しいとおっしゃった。見料を戴く以上は、依頼主と手相見の立場が明確になったと思いました。

私はあなたが、占いやスピリチュアルに必要以上に傾倒せず、家庭を中心に幸せになって欲しい。それが一番平穏で、良いのではと思い、あなたが落ち着くまで距離をおくことにしました。今思うと、正直に言えば良かったかもしれません。ずいぶん、理由を言ってほしいといわれましたが、願いをかけたので、理由は告げませんでした。

あなたと知人以上のお付き合いをすることに疲れていたのです。

説明する気力もありませんでした。

これからも友人として会って欲しい、捨てられたようで辛い あらゆる言葉を尽くしてくださったけれど、「あなたに尊敬されるに値しない人間ですから」とお断りしました。これは謙遜ではなくて、「あなたには軽蔑されても尊敬されても、もう関係ない」と思っていました。

あなたの考え方は知人や依頼主としては許容できましたが、友人としては”合わない”。これは仕方のないことだと思っています。

見料を頂戴せずに他人の人生に立ち入ることの距離感の加減や難しさを、痛感しました。

私には、見えていました。

もし、私があなたの傍に居続けていたら…

これからあなたはとても幸せな生活を送るだろうが、その幸せを維持する努力を怠れば 数年の後、その「平穏な幸せ」に満足ができなくなる。そうしているうちにまた、パートナーとの関係に悩み、または友人関係に悩んで その都度、「占い師」の私を必要とするだろう。人脈の広いあなたのことだから、私を友人知人に紹介することだろう。

一歩間違えれば、共依存です。

でも、もうあなたを通じての様々な悩み事に、立ち入ることはできないと思ったのです。

 

私が紹介制で手相を拝見しているのは、このブログを見て、判断してもらえればと思っているからです。

手相見もスピリチュアルの話も、相手を選びます。自分のブログになんでも綴れば良いってモノでもありませんよね。

こうして書こうと思ったのは、私にとってあなたとの距離感は、手相見として、とてもよい勉強になった反面、トラウマになっている、と思ったからです。

正直、道でバッタリ会うことがありませんように、と思う自分がいました。

生霊で来ている気配も感じました。

あなたにはいろいろとお世話になって、感謝しています。

あなたの幸せを願う気持ちに偽りはありません。

でももう、私のブログを読まなくともいいでしょう。

あなたの恵まれた環境を大切にしてください。

もうわが道を行っていいんです。すでに、私の願いは成就しました。

自分の傲慢さと非力さを反省しています。

非力ながら、それでも私は望まれる限り手相を見ていくのだろうと思います。

私が手相を拝見した依頼主の中には「とても元気になった。1週間に一度は見て欲しいですよ!」とリップサービスしてくださる方もいらっしゃるが、実際、一度拝見すると、数ヶ月前に拝見した依頼主から、細かいことまでメールで問い合わせがくることもあるし、ことあるごとに、見て欲しいという方もいらっしゃいます。

2回目の依頼には半年以上、期間をあけていただいているのには、ワケがあるのです。

そんな細かいことまで、手相見に聞きたくなる心理、私にもよくわかります。そんなに占い師に払うお金もない、もったいないので、そういうときは「オラクルカード」をお奨めします。

友人や知人から頼られると、ついつい答えたくなる自分もいる。でもそうすると、なにか違うような気がしたのです。

こういう記事を書くと、「わたしのことですか」とメールが来ることがありますが、個人を特定しているようでしていない場合もあります。

 

暑中お見舞い申し上げます

立秋を前にしてのギリギリで、申し訳ないですが、暑中お見舞い申し上げます。私の住んでいる街は暑いときは、日本で一番暑かったりするのですが、翌日には10度くらい急降下する、寒暖差の激しいところです。
 

写真は飼い猫のぷりん(16歳、メス)の気絶しているような寝姿。

お気に入りの寝床で爆睡のときの写真はこちら。

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寝床は、食器棚の上にあるのですが、脚がはみ出て、寝場所を確認ということになります。

寝床に貼っているのは、使用済みのムーンカレンダー。蓄光で、暗闇で光ります。

8月、今年も今月を入れて残り5ヶ月です。早いものです。

早く感じるのは、時間の流れが加速しているからかも。

西洋占星術で、てんびん座宮から土星が立ち去るまで、あともう少し…。

最近、見つけた、無料の占いサイトがありまして、これがまたよくできているんです。占星術で、自分の金運を占ってみましたら、これからの半年間に金運のある期間が1週間!どれくらい無いんだよ!って感じでした。

時間と情報量

写真は、現在練習中というか手をつけている、ワイヤーのチェーンメイルで作ったチェーン。紐やワイヤーニッティングなど試してみるが挫折も早い私。

最近、テレビでは歴史の流れをワイドショー化で紹介する番組が増えている。私が中学生や高校生だった頃にこういう番組があれば、興味の持ち方も違って進路にも影響を受けただろうと思う。

江戸時代は300年近く続いたが、300年間、変わらない江戸時代だったろうと思う。どういうことかというと、現代から思うに明治時代は100年ちょっと前であるが、その頃に比べると人間が接する情報量が格段に違うのは、皆さん御存知のとおり。

数年前の昼ドラマを再放送で見るだけでも、このパソコンのディスプレイはブラウン管だから○年前、液晶だから古くないドラマ、携帯電話のデザインで、何年前のドラマ 等々、一画面で推察できてしまうのだ。

十数年前には携帯電話も普及していなかった、とか液晶がカラーじゃなかったとか。

パソコンが一般的ではなかったとか。

この十数年のIT関連の進歩の速さを考えると、江戸時代の100年と、現代の100年という時間の密度というか速さが違うのは明確だ。

いや~、20年前が舞台のドラマを作ろうと思うと、もう時代劇並みの時代考証が必要なんだ!!

大昔、人は自分の感知する世界が全て。自分の周りの情報だけが全てであったが、今は、テレビで書籍でインターネットで、多くの人の人生や情報を共有できる時代。ある意味何十人分の知識を得ることができる時代。

情報が多くて、助かる分、選択肢が多くて迷いも多い。

これから未来を想像するに、100年後の世界を読むことは難しい。

100年後、昨日の常識は今日の非常識、昔は○○だったけど、今は違う…。時間の速度が速くなっている。