北枕と私

すみません。更新が止まっていました…ね。

ブログを記すときと言うのは、俗に言うと「神が降りてくる」ようなものなんですが、このところ「神が降りてこない」というか、忙しかったです。

昨日の夜、いきなりブレーカーが落ちてパソコンに保存しているデータを一部失った。アンペアを増設してから初めて。

節電が叫ばれている昨今なので、アンペア増設には躊躇する。

数日前から調子が悪かったパソコンのキーボード。メールを打っていると、今日、とうとうキーボードの「C」が押せなくなり、無反応に。キーボードが壊れたので、近くの家電量販店へ走った。コンパクトなキーボードが欲しいと思っていたので、「ま、いっか」。お安いキーボード(1600円)は1年ちょっとしか持たなかった。そこで ちょっとお高め(それでも2500円)のキーボードを購入。

風水の本を読んでいて、布団で寝る私の頭がドアの延長線上に来ることを知り、慌てて布団の向きを変えた。しかし狭い部屋なので、枕の位置を変えて「北枕」となった。

一説によると北枕は体に良いといわれるが、初日、眠っていると、耳元でささやく声が…。聞き取れず。寝ぼけていたのかもしれない、と氣にもせず。

北枕にしてから、毎日、夢を見るようになった。

意味ありげな、無いような。不可思議で印象深い内容の夢である。

列車の切符を手にしている。…とか

旅行に誘われて承諾する。…とか

夢占いでは いずれも、運気の切り替わりを意味しているらしい。

現在、小物を置いてという風水ではなくて、風を読み、地を読むという本格風水を勉強中。

実践してみて、なにかがありましたら、ご報告しますね。

 

4月のテーマは

気がついたら、4月です。人事異動の季節、旅立ちの季節です。今年はエイプリルフールに面白い記事を載せようかとも思ったけど、本気にされても困るし、普通どおりとしました。私が今まで一番、素直にだまされたエイプリルフールの嘘は、某国民的グループが解散した、という知人からのネタでした。4月1日ということを忘れて「ホント!?」と絶叫してしまい、言った本人が「今日、4月1日だから…」と慌てて口にしました。

私は昨年、今年一年のエネルギーを見通してもらったりしたのですが、4月のテーマは「再生と意識の変容」です。あと、GWを過ぎたら、停滞していた運勢も好転し始める、と言われていたので、とにかく辛くしんどいことがあっても、5月のGWを目標にすごして参りました!もう少しだ!!がんばれ煉!!とかなんとか。

最近、携帯電話に知らない方からの着信番号が増えました。

応募したバイト先からかも?と出ると手相見や、天然石関連の問い合わせです。とうとう、天然石関連は、広告の営業らしいのもかかってくるようになりました。ネットで「商取引のなんとか」を掲載して、携帯番号も載せているからですね。

そんな中、困難を乗り越えて、新しい出発のきっかけを掴んだという連絡も受け、私はとても嬉しいです。

一時は、話を聞いているだけの自分の非力さ、無力さも痛感しましたが、私がいくら氣をもんでも、その人の人生は当人の選択しだい。私には祈ることしかできません。

その人は、苦しい中でも、私の言葉に向き合い、真剣に考えてくれて、新しい道を選択した。

人は、優しい言葉で傷つくこともあるし、厳しい言葉で救われることもある。

これから、あなたが遭遇する困難は、困難ではない。

好きなことをして、出会う困難には喜びが隠れているから。

新しい生活を始める人に、幸運がやってきますように。

 

 

石に呼ばれる

いつもの通勤道、通勤時間、いつも通る横断歩道の上で、石が光り輝いていた。雪融け水に光り輝いていた石を、私は拾って出勤した。勤務先で取り出して見ると、石は普通の石ではなくて、メノウのようだ。パッと見て写真ではジャガイモのようでもあるが、光に翳してみると、わずかに光が透けた。

メノウとは石の正式な名前ではなくて、アゲート、オニキスなど模様や色見で様々な呼ばれ方をするというのを今回初めて知った。メノウは身近な石だと思っていた。勉強不足だった。硬度7ある。私は、今回の石の他にも、自宅周辺の普通の道で埋まっていた、

紅縞メノウの原石を掘り出したことがある。

今回の石は、自然の中で時間をかけて、丸くなり、手のひらにしっくりとなじんだ。誰も気にもとめない道端の石。私は呼び止められた氣がする。横断歩道の真ん中で、石は黄金に輝いて見えた。

「磨いてみたい」と思ったので、サンドペーパーでコツコツ磨いてみようと思案中。 ある意味、幸運というのもこんなものかもしれない。一人一人が求める幸運は違う。意識的に注意深く見ていないと、気がつかない。石好きの私のアンテナが石を見つけたように。

今月は、私の作った天然石アイテムが「消えた」というお話をいつもより多くいただいた。あなたに必要な石=パワーは変わった という合図だろうから、自分の欲しい運というのはなにか、もう一度考えて見て欲しい。

仕事運と言っても健康があれば、バリバリ働いてあげる金運。

好きなことさえできれば良い、という延長線上にある仕事運。

恋愛で求めるのは、相手の愛か?それとも自分の気持ちの安定か?

あれも、これも欲がありすぎて、決められない!!という場合は、とりあえず好きな色で、石と接点を持ってみることをおすすめする。

 

今がそのとき

最近は、贈り物を依頼されることが多いので、リボンとワイヤーで、ギフト用のリボンをコツコツ作ってます。買ったほうが見栄えも良いし、早いかもしれませんが、コスト削減と願いをこめるという細かい作業ははずせません。

私は、幸い、職場で苛められたことはありませんが、小学校では苛めで不登校、中学校では空気が読めず、仲間はずれという経験があります。学生時代の良い思い出というのは案外少ないので、こういっては何ですが、卒業アルバムを懐かしく見返すということは、ありません。もう年齢も年齢で身辺を身軽にしなくてはならないので、先日は学生関係のアルバムを全て整理しました。同級生の名前もほとんど忘れていて、自分の学生時代の希薄さを思い知りました。

苛めの不登校を乗り越えたきっかけは、自分の好きなものを心の支えにしたからです。当時はアニメでした。好きなアニメを見るために、歯をくいしばって、殴られたり、無視されたりしても学校に通いました。

中学生のときは、周りと話が合わなくて、孤立していました。好きなものや関心が周囲とは違っていたんですね。

担任の先生が理解のある方でしたから、なんとか中学校は乗り切りました。一応、学習能力があるので(苦笑)高校に入ってからは「人付き合いのマナー」関係の本をたくさん読みました。

人間関係はある意味、テクニックです。好かれる人にはポイントがあるのです。一人っ子で人付き合いの距離感がつかめなかった私は社会人になってからも、転職するたび、ドキドキ、ビクビクしていました。

今でもそれは変わりません。

職場で、苛めにあっている、という相談もあります。

誤解を恐れずに言えば、苛められるほうにも原因がある場合が多いのですが、苛めていいと言うものではありません。

苛められているという人間が気づかないように、苛めている人間も自分が苛めていると氣がつかない場合もあるのです。だから苛めに黙って耐えていれば、嵐が過ぎる、ということもなく、エスカレートすることもあります。心理学の本でも、よく取り上げられています。

苛められている?と思ったら、なんらかの行動をとるか、耐える期間を決めてやり過ごす。

私の場合は、小学校卒業、中学校卒業 という切り替わりがあったから耐えられたのかもしれません。

職場なら、次の仕事を探す、上司に相談する、いろいろなアクションのとり方があります。やるだけやってダメだったら、次の道が見えてくるし、あきらめも覚悟もできてくるでしょう。

きっかけで、転職して、意外な展開が待っていることも多いのです。

あなたを次へ導くための、見えない世界からのアプローチである場合もあるからです。

一番大切なのは、耐えることで耐性がつくことではありません。耐え続けて 体や心を壊してしまうよりは、走って逃げることが何倍も勇気がいるけど。

今がそのときだ!という体からのサインを見逃さないでほしいのです。

 

浄化の波

crystal rainbow

この数年、風邪らしい風邪をひいていなかった。以前はよくひいていたので、「珍しいこともあるな。この次風邪をひいたら、運気の切り替わりの時だろうな」となんとなく思っていた。

今度の風邪は喉からきた!バイト先の仕事が日程で決まっているので休めない。市販薬を飲みながら出勤した。熱も出たが、夜に出て、朝になると平熱に戻る。不思議な熱の出方で、今までの風邪とは勝手が違うと思っていた。1週間くらいで治るか、10日で治るか、二週間でも、どうも本調子にならない。幸い、手相見の依頼は月末に集中していたので、気楽に構えていたら、もう月末に突入。

こじらせてしまったか…少々焦る。と、今日夢を見た。…私は入院していた。明日は退院だ、と空になった注射器をぼんやり眺めている。

空になった注射器は、薬で満たされていたのを前日(夢の中での、だが)確認していた。退院は、現在の運気に対して浄化完了、という意味やね。

このところ、重たい内容の相談を続けて受けたから、相手の負のエネルギーを引き受けてしまったのではないか、と心配してくれた人もいた。当たらずとも遠からずかもしれない。

この一週間は不思議な夢を見ていたが、全て身体にかかわる内容だった。実際の体調云々というよりも、魂の治療完了ってことだろうなぁ。

そうしたら、私の作った天然石のアイテムを購入してくださった方から、連絡があった。別々の日に購入し、別々の方に贈ったアイテムが、同日に消えた、というではないか。私の作ったものは、消えるときは別々の方々の手元から、数日を前後して消えることが多い。たいてい不安です、という連絡がくるが、それは「運気の切り替わりの証」であると告げている。運を失ったわけではない。運を運ぶことを妨害している厄を持って離していくのだろうと思う。お金を払った石が手元から消えるのは悲しいことだろう。納得がいかないかもしれない。石は大地からの預かり物であるから、別の見方をすると、厄祓いが石で済んで良かったではないか!厄祓いではない場合は、石は石を呼んでくる。次の石と縁ができることが多い。「同じのを作ってください」と依頼されることも多いが、石との出会いは一期一会。石が消えたときから、必要なエネルギー(石)は変わっているのだ。新しい石が、出会いを待っている。

私も、手元から石が消える時期と集まってくる時期があると感じている。今は、集まってくる時期だと思う。それも意識的に見ているせいか、虹入りの石が多くなっている。虹を見るためには雨上がりでなければならない。

数日、石が消えたという連絡が続いたので、気になる依頼主に「調子はいかが」というメールを複数送ったのだが、不思議なことに皆「メールが届きません」とエラーで戻ってきている。

ブレスレットを依頼されて1年以上の方、ストラップを購入された方、念のため、金具など確認してくださいませ!!

そういう時期なんですね。

 

守備範囲外です!

予想以上に風邪からの快復に時間がかかっています。

本人は、あまり辛くないのですが、周辺の人間には「大変ですね」と言われます。これは、やはり運気の切り替わりに入っていると思われる。

すっかり回復したら直感も冴え冴えしているかもしれません。

手相を拝見する人数も大台に乗っているので、遭遇する事象も多岐にわたっています。

私はただの手相見ですが、拝見した数だけ言えばそれだけ多くの知識を得たと言えます。私は占い師ではないので、事象に見合った経験値のお話しかできない。

最近、相談内容が複雑で重たくなっているのを自覚しています。冷静に考えると、答えはシンプルなのに、自分で複雑にしている人のなんと多いことか。これもあれもと欲張っているうちに、解決へ向けての目標がブレて、よい方向に向かなかったりすることも多い。

手相を有料で見るようになって、得たものも多いが、失ったものも多いと思っている。

一番、失ったなと思うのは、友達だろう。

言葉に出さずとも友達だから、知り合いだから、時間と場所を問わず、些細な内容を質問してくる。こちらも友人だからと思って答えていると、次には、「自分のパートナーの手相を見て」「アドバイスもちょうだい!」

「でも 私が会いたいときは友人として会って!」

… 要求だけが増えてくる。

自分の周辺の人の手相を見ていても、「私だけは特別扱いして」

言外にそういうのが滲んでくると、もう友人関係は続けられないと思う。

「私一人ぐらい、(いいでしょう。)」というニュアンスで言われたこともあるがそういう人は当人が思っているより多いのだ。

そこで、明確に線引きをすることにした。

どうしたことかと思っていたところ

自分のパートナー以外の人に、告白された。その人が連絡をしてくれる携帯電話のメールアドレスを、私に決めてほしい! という相談メールまでやってきて私は相手の手相を見たことを後悔してしまった。

「あなたの人生には、これ以上関与しません」とお断りした。

手相を見ている間は、見料という報酬を得ているが、こういう細かいメールの返信だって、時間はかかるし、手間もかかるのだ。無報酬だが、これはフォローに入っていると思われているのか。こだわる私が悪いのか。プロなんでしょ!と言われれば、プロだから、守備範囲外もあるのだと答える。

こんな悩みにもならないことを考えてしまうくらい、数多く人の人生と秘密を共有したのだとあらためて、自戒する。

今までは、自分なりに誠実に返信をしてきたのだが、もうそろそろ、考える時期に来ていると思う。

レムリアンシードがやってきた

レムリアンシード

先日、友人のAさんから、アメリカ旅行からのお土産が届いた。

ホワイトセージを束にして、使用するスマッジングスティックとレムリアンシード。

レムリアンシードというのは、1990年代から市場に出回っている特殊な水晶。ネットで検索すると、たくさんの情報が提供されている。

ややピンクかかった表面に、バーコードのような筋が特徴的。その採掘される状態が、母岩についているのではなくて、一本一本独立した状態で見つかることから、古代文明のレムリア人が、転生した姿とも、そのバーコードには、古代文明の叡知が記されているという伝説がある。

話には色々と聞いていたが、実際、氣になりだしたのは今年に入ってから。

この水晶は手元にやってくるべくして、やってくる、とも言われている。天然石オタクの私としては、氣になる存在であった。まさかこんなに早く、手元に来てくれるとは!

それも、友人の手を通してとは。ありがたい。

レムリアンシード

このバーコードの精緻さには見とれてしまう。ルーペであちこち見てしまうほど美しい。

採掘されていた鉱山が閉山してなかなか手に入らないと聞いていたので、ご縁に感謝する。

このレムリアンシードが届く前の日から、私は数年ぶりに風邪らしい風邪をひいた。体温がぐんぐん上がり、37.5度から38.2度。熱っぽいけれど、あまり辛くない。不思議な感覚だ。

スピリチュアルな観点から見ると、発熱は浄化を意味するというので、レムリアンが手元に来たことで、体内エネルギーが変換していると思う。

今年は、水晶原石 虹入りのポリッシュポイントを業者の方からも頂戴した。水晶に縁のある一年になりそうだ。

名刺をネットで作成して新調した。

発送はなんと風水の街、シンガポールから。めでたい。

浄化函にいれて、パワーチャージして、ご縁をいただいた方にお渡しする予定。

占い師ではなく手相見

手相を見る、と言うと、相手の反応は大概ふたつに分かれる。「手相を見て」という人と「あ、そういうのは嫌いなの。何か言われると怖いじゃない」という人だ。

昨今、テレビで話題の「占い師」であるが、私は自分のことを占い師と思ったことは無い。始まりが「手相の本に書いてある内容に、自分の手相が当てはまらない。みんなの手相はどうなっているんだろうか」だったので、色々と見ているうちに、相手が「当たる」と言ってくれたから、ずっと見てきた。そういうことから自称「手相研究家」「手相オタク」に分類されると思う。では、なぜ見料を頂戴しているかというと、依頼主が払っても良い、と言ってくださるからである。

イベントのある年齢も、流れも読み取ってはいるが、手相は本人の深層心理が表れていると思っているから、当たるも八卦、当たらぬも八卦。

ところが先日、「急を要する、ぜひとも」と依頼されて、2度目の手相見となったが、正直に申し上げて手相は見なかった。

私は手相は急激に変化しないと思っていたので、前回から半年経過しないと、手相は拝見できません、とお断りしてお会いした。

前回の手相見に対する意見なら、きちんと伺おうとも思っていたのだが、手相を見ながら伝えた内容が、

「当たっていたので、次の展開を読んで欲しい」と言われたのだった。

運の切り替わりのタイミングなどは、数字として、浮かんできたものを直接申し上げるのであるが、あとは私の脳裏のところに、現れる「ひらめきだけ」があればお答えする。

思うに、座って見るだけで、答えを導き出すことはできない。

私には手相を見ることが 占い師の水晶玉 のようなツールであり、手段といえる。

でも、私の答えが絶対であるわけではない。

依頼者の価値観と私の価値観が違えば誤差もでるし、私が「良いのでは」という解決方法が依頼者にとっては納得がいかないこともあるだろう。それを判断するのは、依頼主の自由だ。

自分で試して良かった知識はお勧めするが、

昨今のワイドショーで有名な自称占い師のような「神様がああしろ、こうしろと言っている」なんていうお告げ系ではない。

神様は人間になにかを要求することはないと思っている。

人間がお供えする、努力するのを見守っていて、努力を認めて少し応援してくれる、そんな存在ではないだろうか。

目の前にある存在を、神と思うのも人間、悪魔と思うのも人間。

人間だけが自分の中に、神も悪魔も宿すことができるのだ。

 

 

先日見た夢の話

先日見た夢の話です。
私は人生の転機を夢で知らされることがあります。

先日見た夢は、自分の前に一本の大きな道が開けているというものでした。

今年は、「私の裏側」が動き出す年。

そして後半には、今までの結果が現れる、とも言われています。

私は自分自身が手相見ではありますが、客観的に自分の運を知りたくて、機会があれば、さまざまな方に見てもらいます。

複数の意見がすべて、今年の後半の転機を告げています。

後半になると、手相見の私、天然石オタクの私、今まで手がけてきた案件に対して、審判がなされるということかもしれません。

状況次第では、手相見や天然石関連から一切手をひいて、あらゆる環境を変えることも考えています。

それほど、最近の相談内容は重量級。

依頼主の背景にも不思議とテーマがあって

一昨年2010年はご新規さんが多く

昨年2011年はリピーターさんが今まで最多で

今年2012年は、新規さんもリピさんも半分くらい。

相談内容はどんどん、ヘビィになっている印象です。

そして、数年前に拝見した依頼主から、ポツッとメールをいただくようになりました。

今年の後半は、自分でもこれからのことを考えて行動しようと思っています。

まだ、運気が停滞している6月までは、周りのようすを見ながら

自分の本当にしたいことを、見つけていくということでしょうか。

後半に、これまでの答えが返ってくることを待っているのです。

 

2月には魔が潜む

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ずっと、ブログを更新していなくて、何をしていたかというと、そろそろブログを再構築したいなぁと思っていたところ、レンタルサーバーが、新しいソフトを自動インストールするサービスを開始したので、試していました。

なにせ素人なので、マニュアルもないまま、あれだこれだと触っていて、画面が表示されなかったり、てこずったり。

そういえば、私が初めて、ブログをはじめたのも2月だったし、ソフトのエラーで最初のブログをとりやめて、再開したのも2月だった。

そうだ、2月には私にとって、後先考えず、ブログをいじってしまうという「魔」が潜んでいるような氣がする。

備忘録も動きが重くなったので、別のブログに展開してもよいかも、と

思っています。

あちこち、リンクが途切れたりしていますが、しばらくお許しください。

写真は数年前に撮影した、雲です。龍を思わせるので撮影しました。