未来を観る代償

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昔、私が手相見を直感で見ていることについて、ある人に諭されたことがある。

「本来、未来を観る目は閉ざされているべきなのですが、それに反して、観るということは、それなりの代償を払わなくてはならない場合があります」

言われた直後はよくわからなかった。私は頼まれて見ているのだし、必要とされているから観ている。それ以外なにものでもなかったからだ。

手相を有料で見るということは、他人様の人生を自分の目で見るということだ。秘密や苦しみを共有しないと、見通すことができない。

誰にも言えない事情と、苦しみ。それを糧として、人生の一部を切り取って読むのだ。

その流れが、禁を犯すことになるのなら、贖わなければならない。

私の場合は、それは自らの病であると思っている。

周りを見るに、他人の人生を見ている人間に、健康で、人生が順調で、幸福百点満点 という存在はいないのではないかと思っている。

私のような、健康体ではなくて、家庭もなくて、それしか他人に役にたてないのであれば、手相見をツールにして、受け入れるのは、ある程度覚悟の上だ。

そうでない場合は、気軽に足を踏み入れる領域ではないとも考えている。

断っておくが、あくまでも これは私の個人的な考えである。

ただひとつ確実に言えるのは

他人の人生を観る代償は、あらゆる形で求められる。

それは自分の体、家族の健康、あるいは経済的な損失なのかもしれない。

他人様の人生を観ることは、ある意味、恐ろしいが

その先に喜びが待っているのであれば、嬉しい。

正直、私は覚悟を決めている、とは言い切れないかもしれない。

今でも深刻な相談を受けて、その行方を読んで伝えるとき、怖い。

私の告げる言葉で、依頼主は、行動する。

行動した先には何人もの人生が関わっている。

その先に存在する人に、恨みを買うこともあるだろうし、責められることもないとも言えない。

私は、いつも「運のいい人とご縁ができますように」と背後霊にお願いしている。

そのおかげか今まで、深刻なトラブルに巻き込まれたことがない。

けれど、その代償は自分の病という形で払っていると思っている。

「お客様は神様である」という有名な文言があるが

客が神様で何をしても良い、という意味ではなくて、

お客を神様だと(大切に)思って という意味だと聞いたことがある。

もし、私が健康体で、金銭的に恵まれていて、順風満帆であったなら

手相見をしていたか、と問われれば、多分していないだろう。

私にとって、他人の人生を観るということは、これはもう「不思議な世界から」の縁(えにし)以外

なにものでもないから。

もし、自分もヒーラーになりたい、占い師になりたい、と思う方がいらっしゃったら

今はたくさん、養成講座もあり、本も出ているし、もちろん私のように独学で

氣がついたら手相を見ていた、って場合もあるだろうが、

趣味で見ているほうがどんなに気楽かは、推して知るべし。

私も趣味で見ているときは、楽しかった。

無料だと責任もないと言えないが、良い事だけ言っておいても許される。

 

他人の未来を観るって言うのは、それなりに覚悟も必要だと。

まだまだ未熟な私はそう思う。

 

選んでいるのは人間とは限らない

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せっかくの休日であるが、新しいブログサイトを立ち上げようと、ソフトをインストールしたり、設定したりしていて、一日が終わってしまった。

このサイトソフトは商用には使えないので、試作品の販売や、良いものの紹介に、別のサイトを構築しようと思案中である。本格稼動までには数ヶ月かかると思いますが、無事、開設に至った場合はよろしくお願いします。

1月は逃げるというが、本当に年末からタイムワープしたような印象の日時の速さである。私自身、光速に近づきつつあるのか?写真は昨年末に撮影した空の写真であるが、左側が頭、右側が体で、龍を思わせたので撮影した。年始にアップしようと思ったのに、今頃になった。

さてさて、表題の話になるが、私は、天然石と人間の接点として、石を取り扱って、数年になるが

数年を経て数をこなすと、人間と石の間には、「お約束」というか「相性」というのが存在しているということを感じずにはいられない。

何度、同じ石を手にしても、失ってしまう人。

落とした(失った)石に数日、数ヶ月を経て、もう一度手にすることができる人。

大金はたいて手に入れた石が、海の藻屑となってしまった人。

落とさなくても、何度もストラップコードが切れてしまう人。

私も、経験がある。経済的に切羽詰ったとき、タイチンルチルという太い金線の入った天然石を数粒購入して、お財布のチャームを作った。すぐに近郊の神社に、お参りに足を運んだところ、

いつの間にか、タイチンルチルのチャームはお財布から消えていた。

大ショック!!1粒いくらしたと思っている!さっきまでは確かにあった。今来た数メートルの道を戻ったけれど、チャームは見つからなかった。

人気(ひとけ)の無い神社の境内に、まるで神様が引き換えに受け取ったかのように。

その後、切羽詰った状態は回避された。

落とした石の行方は誰も知らない。

 

私の周辺では、石をなくした人が少なからずいるが、それを考えると、もっと道端に石やブレスレットが落ちていても良さそうなのに、どういうわけか拾ったことはない。

たまにハートのローズクォーツを拾ったり、道路に埋もれていた、赤メノウの原石を拾うことがあるくらい。

石はどこへ行っているのか。

石は、時空を越えてあるべきところにあるのだと思う。

人間が石を選んでいるだけではない、石が人を選ぶこともある。私はそう信じている。

その人に合わない石は姿を消す。

働いてくれて、ツヤが消え、割れる石もあるし

さらに輝きも増す場合ももちろんある。

だから、手元から消えたことは、人ならぬ存在が願いを聞き届けてくれた

あるいは、災厄とともに代価として、連れ去ってくれたと思えてしかたない。

石を亡くした、コードが切れた それだけで済んで、良かったのだ。

石はそういう存在だ。

 

人生は短い

人生は短い。自分の短所を治しているより、長所を伸ばすほうに時間を費やしたほうが、いい。

飛行機雲

 昔読んだ本にそう書いてあった。

その人の生き方は、その人自身の歴史であり、作品だから、他人が「変えよう」なんて、おこがましい。無理! たとえ変えられたとしても、莫大な労力を要する。

一方で、「感動」が、価値観を変え、生き方を変えることがある。

私の価値観はあなたの価値観と同じ。世界が同じ価値観しかないとして、そこに何が見えるのか。

想像してみよう。

いろんな人がいて、いろんな考えがあり、それを受けるも、流すもあなたの自由。

自分が持っている考えも、好みも、あるものから刺激を受けて、感動を受けて受け継いできたもの。

皆、他人に影響されて存在する。

他人に、貶められてしまったまま、なんてもったいない。

どんなことをされても、それを自分の糧として取り入れていこう。

 

仕事関係に悩んだら、ビジネスマナー本を読めばいいし、

恋愛に悩んだら、周囲に相談するのもいい。

きっとさまざまな方法はあるけど、自分で変えようと思わなければ

変わらない。

周囲に変わって欲しい!と思うのは、手抜きな考え方だと思う。

変えようと考えてみる。

それは、ちょっとした諦めでも、抵抗でもいいので

動いてみるのが一番ではないか。

 

恥ずかしくても、格好が悪くてもいい。

せっかく 人間に生まれてきたのだから。

 

 

2012年 あけおめ

謹賀新年。

今年でブログ開設5年目に突入です。

途中、ブログソフトの不具合で数ヶ月中断しました。

再スタートしたものの、飽きっぽい私が、こんなに長くブログを続けてこられたのも、立ち寄ってくださる方々がいらっしゃるからです。ありがとうございます。

それなのに、12月はほぼ放置、1月は5日から記事を書くとは…。

なにをしていたのかというと、一年のまとめ、内職の収支計算と、天然石関係の内職です。

なにを作っていたかは、備忘録を見てくださいませ~。

 

虹入りの水晶タンブルをワイヤーで巻いてみました。

 

今年も、手相見は細々続けて行きます。

新年早々、届いた携帯電話のメールに

「おみくじをいつも大吉をひいていたのに、今年は小吉だった。どういう意味ですか?」なんていうのがありまして

私は神様ではないので、お答えいたしかねます…(苦笑(-_-))

今まで、依頼主=お客様と思っていましたが、拝見する人数が増えてくると、なにからなにまで、聞かないと気がすまない!!という依頼主もいらっしゃいます。

でも、でもですよ!

手相を拝見して、2年以上経ってから、上記の文面でメールがあっても

「マジ?それとも冗談??どういう意味??」なんてオタオタしました。

まだまだ修行が足りない自分です。

あと、何年も前に拝見したから、年賀状を頂戴したりして、これはとても嬉しいです。

皆さん、優しい方ですから、私の見立てを、黙って聞いてくださっていることでしょう。

ハズレテイルコトモあるんだろうな…と遠い目をしたりしましたが、私が手相から読み取っているのは

「可能性」なのかもしれませんね。

こんな私ですが、2012年のテーマでは

前半は

「受容と人間関係」の流れ。

後半は

「変化と自由」「自己表現」「コミュニケーション」がテーマとなるそうです。

自分の本当にやりたいこと、本当はやりたくないこと の叫びを聞く。

インスピレーションが更に発達する年!!

ということで、枕元に夢日記を置いて、精進します!

とはいえ、新年早々、奥歯を抜きました。

抜歯は手術。安静にして、私のお正月休みは最終日となりました。

てか、休んでいるようで、休んでいなかったかも(・_・)

 

2011年を振り返って

2011年を振り返って…。

氣がついたら年末です。ブログの更新は今月ほとんどしてません。((-_-;))
そのせいでしょうか、知り合いから「忙しそうですね」というメールやお言葉をいただきました。
恐縮です…。
単なる、話題不足です。

今年を振り返るに、手相見では新規の依頼主よりも、リピされる方の数が多い年でした。
つぎのステップを必要とされているのだと感じます。
私の手相見は数年後の流れを大雑把に見るもので、即「答え」が出るものではないからかもしれません。
自分では、見ているときは他の「なにか」につながっている感覚なので
良く言えば、霊感で、悪く言えば「いきあたりばったり」な感じでしょうか。
そのため、話したことは覚えていません。
意識的に覚えていないようにしてもいます。

拝見するときはいつでも、依頼主の運勢とは「初対面」であります。

○○才でお子様が…と話して

「○○才で、結婚しました。子供も生まれました」

とお知らせいただくのが数年後です。
今年も、実は○○才で子供ができると言われていたのですが
私、先日○○才の誕生日だったんですよね…。そしたら子供ができていたんです!」
と言われて、私が驚きました。(・_・)

ギリギリセーフ?…いやいや。

自分で言ったことに自分で驚いて、なんとも怪しげさ満載です。
親、ご兄弟、親戚 お友達…ご紹介のご縁の広がりも感じた一年です。

悲しい別れもありましたが、それがきっかけで
長い間、念願であったメンターとも出会えました。

クリスマスから年末にかけて予想外にたくさんの贈り物をいただきました。
皆さん、本当にありがとうございます。
私の為に作ってくださった時間、選んでくださった時間など
かけていただいたすべての時間のありがたさ、お気持ちに
心から感謝と御礼を申し上げます。

写真は、クリスマスプレゼントにいただいた、アクセサリートレーです。

薔薇のモチーフが豪華です。

自分では、絶対縁がなかったと思うほど、素敵です。

ご縁をいただいて嬉しいです、それというのも

2012年は、風水的にも占星術的にも、薔薇のモチーフがラッキーアイテムだそうです。

女性には薔薇モチーフ、写真でも良いので、力強くオススメシマスよ。

 

そして、2012年は、今までの私のしてきたことに対する答えが得られる年だと
いうことです。

私にとっての審判の年。正直ドキドキしています。

今年は、正直、手相見よりも、天然石関係の依頼件数が多かったです。
ブログタイトルは、天然石+(plus)が正しいです。
でも、鶏が先か卵が先か?と言われると、手相を見ることがあって
次に天然石だったので、ブログタイトルはこのままで、2012年もいこうと思います。
ブログ開設のときは、2012年まで続けられるかなぁと思って
最初のご挨拶を未来日付の2012年にしてましたが
2013年まで延長します。

それから、パワーストーンオラクルカードに予想以上のご依頼をいただき
感謝します。
1月1日以降に、メールに添付して送信します。
今しばらくお時間をいただきます。

今年一年、ブログにお立ち寄りくださった方々

手相見、天然石関連のご依頼をくださった方々

皆さんのおかげで一年生きてこられました。

本当にお世話になりました。

深く感謝し、厚く御礼申し上げます。

まだまだ未熟者ですが、来年もよろしくお願いします。

 

 

見えざる”もの”も扱っている


最近、天然石や八角形鏡を紹介して思うもの。

取り扱っているのは、モノ(物質そのもの)だけではないのだということです。

天然石も、美しいから欲しいという場合と

開運したいから欲しいという場合とは、気持ちが違うが、結局は豊かな気持ち、「富氣(ふき)」が必要ということに帰結する。

つまり、取り扱い品はただ単なる、天然石のブレスレット、やストラップ、ではなくて、作り手の気持ち「幸せになって欲しい」「開運してほしい」というプライスレスなものもあるのだということを、今一度、感じた次第です。

開運をイメージングするときは、その場を想像(イメージ)するだけではなくて、気持ちも「嬉しい」「楽しい」を感じないと、難しいという。

その、「富氣(ふき)」をサポートするために。

石の保存方法にもこだわっているし、浄化もかかさない。

傍から見ていると、なんでもない、つまらないことかもしれない。

しかし、こだわっている私の気持ちも、お届けしていることを、片隅に覚えていてくれたら

嬉しいデス。

 

 

氣がついたら冬景色



すっかり、冬景色になった。

太陽の沈む時間が早くなり、冬至が待ち遠しい季節。

なかなか更新できず、氣になっていたけど…。

あっという間に12月。

年末です。

誰も彼もが忙しい季節。

忙しいからこそ、

書く内容を考えるというか。

先日、手相を拝見した依頼主さまたちから嬉しい報告が続いた。

新しい人生に向かって天の思し召しがあったという。

どうか新しい道、新しい運命、新しい生命を、受け入れて欲しい。

私は、今年、念願かなって、メンター(指導者)の方々にめぐり合うことができた。

すべてが、つながっていないようで、実は見えないところで、きっちりつながっていたと思う。

ある人は、宇宙的視点から

ある人は天然石の小宇宙へ。

運気の流れを読み取って、貴重なご指導、ご鞭撻いたただけて、本当に幸せな自分を感じている。

手相見も、天然石も、自分自身の力というより、見えないものに導かれて、今ここにいる。

 

年末に向けて、来年こそ、良い家庭、夫婦、恋人に恵まれたいと願っている方には

ぜひとも、マザーオブパールのブレスレットやストラップをお勧め。

効力は私の想像以上にあるらしい。

鉱石ではないけれど、真珠を育む、命を宿すマザーオブパールの力を、感じてみませんか。

 

見えるもの、見えないもの

目の前にある、ひとつの物体。あるものは「良いものだ」と言い、あるものは「悪いものだ」と思う。

目の前に見えている存在が、あなたにとっては「腹の立つ」ものだとしても、別の人にとっては「大切な」ものだったりする。

 私から見て、「いいこと」があなたの眼から見て「とってもよくないこと」だったり。

手相見をしていてもそれは、ことあることに感じる。

ある一場面を見て、個人が抱く感情が別々なことを考えると、ある神秘家が語った「この世は幻である」という言葉を思い出す。

 私は宗教家でもないし、信者でもないが、聖書からの言葉で好きな言葉がふたつある。

それは、

「求めよ、されば与えられん」

 「復讐するは我にあり」

「求めよ…」というのは欲しいものは、欲しい!!と思わなければ、受け入れることはできない。

(別の意味があるかもしれないが、文面だけで好きな言葉だと言える)

復讐するは …は、なにも自分で復讐しなさい、ではなくて、

「復讐をするのは我(神)であるから、あなたがすることはない」という意味だと聞いてから好きになった言葉だ。

もしこの世が、同じ感性、同じ価値観の人間だけ存在したならば、どうだろう。

想像するに、平和は平和かもしれないが、発展も刺激も無い、調和の世界が地平線の彼方まで続いている…。

やがては、静かな終焉を迎えるのではないか。

 同じ存在を見て、違う思考を抱く。

人間は、だからこそ、互いに妥協し、許しあい、切磋琢磨して、発展してきたのだ。

あなたの考えは、私とは合わない。

でもあなたの存在は否定しない。

ちょっと接し方を工夫しよう。とか思ったり。

 

そう思えば、職場の人間関係も、困った人との関係も「許せないわ」「ムカつく」ということも

ちょっと緩~く、許せるのではないか。

自分の視界(世界)からフレームアウトさせる。

 

…とまぁ、言うだけ(書くだけ?)言ってみるものの

自分でできるか、と言えば、一歩進んで二歩下がるわけで。

開運グッズも試してみるわけです。

開運したい、幸せになりたい!!と思うのは、不運が続いた時が多いのではないだろうか。

思いたったときが吉日。

 

 

満月の夜

満月

2011年11月11日は満月。

その横には木星が輝いていますが、フレームに納まりませんでした。

満月のお財布の儀式も済ませました。

今日は、窓辺に水晶を置いて、月の光で浄化、エネルギーチャージができます。

コンパクトデジカメで、思いのほか美しく写真が撮影できました。

最近、職場の同僚が気になるというご相談が増えました。

 

「○○さんは、あんなことして…ブツブツ」

他人のことが不満で氣になるのは、暇だからですかね。

忙しかったら他人にはかまっていられません。

自分も忙しいけど、氣になるの!!ってな場合は、その感情の奥になにがあるのか、自分でじっくり向き合ってみるいい機会です。

 

彼女が職場の男性からちやほやされているから?

彼がまったく氣が利かないから。

ああもう、なんてあの人はずるいのかしら!!

さまざまな感情がありますが、その元々はどこから発生しているか。

黒い感情に気づいたら、人間くさい自分を素直に認めてしまい、好きなことをして忘れてみては。

 

この10年で、普及した携帯電話。道を歩きながら、携帯画面を見ている人も少なくありません。

子供づれなのに、小さい子供に目もくれず、見ているのは携帯電話の画面。

まだ、携帯が普及していなかったころは、そういう

道を歩きながら、バスを待っている少しの時間に、自分のこと、他人のことを考える隙間時間があった氣がします。

今はその隙間を携帯電話、メール、ゲームで埋めてしまう。とりあえず何かしている。

ゲームは息抜きになるならいいけど、面白いから、ハマっちゃう人が少なからずいる。

ゲームは面白いですよ。

私は携帯ではなく、PSでもDSでもなくて、本当に初期のころのゲームウォッチ世代なのですが、

3Dガンダム…今の立体の3Dではなくて、液晶画面が3面連なっていて、画面を移動して戦うというヤツをバイト先で買ってやっていました。

PCゲームもやり始めるとコンプリート目指してやり続けます。

そんな性分なので、ネットゲームも携帯ゲームもやりません。ハマるのわかっているから。

自分にこらえ性がないのを自覚しているからです。

危険な場所には近寄りません。

おっと、脱線、ゲームじゃなくて。

…もっと、隙間時間にぼんやりしたり、考え事しても良いんじゃないかなって。

お月様を見てそう思いました。

 

 

天空の橋

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今年も、天空に橋がかかりました。

私は現在、バイト先であるこだわりというか、神経症的にこだわっているモノがあります。

これは、マイルールとして、自分のモチベーションを上げるために密かに行っているのですが。

この妙なこだわりは、こっそりひっそり続けたいと思っています。

こういう、

「自分だけがこだわっている」という仕事の上での「こだわり」を持つのはいいのではないですかね。

お茶だしを率先したり、これだけは手を抜かずにする!というこだわりというのは、ある意味「内なる神様とのお約束」であります。

神社のお百度参りや、「○○断ちで願いをかける」ようなものです。

昔、バイトしていた書店では、店員さんが、コミックスの平積みの仕方に、独特の「こだわり」を持っていました。

ただし、自分でこだわるだけ。

迷惑をかける行為はもとより他人に強制してはいけません。