ご縁があったら

小学生のとき、通学途中にある立派な大木があり、季節になるとたくさんの実をつけていた。枝にたわわに実った胡桃を摂ろうとして、樹によじ登り、ご近所のおば様に「危ないよ!!」と叱られたのも今となっては良い思い出だ。

食べても美味しい、見ても楽しい。胡桃は一番身近な自然界の恵みだった。

その拾った実の筋を取り、布で磨いて宝物にした。

やがて大木は伐採されて、その後にはおしゃれな家が建った。この胡桃の実は、大木の忘れ形見でもある。

社会人になってからも、公園にある胡桃の木から実が落ちていると、拾ってしまう。胡桃の実は、私にっては郷愁のアイテムだ。

 

お気に入りの雑貨屋さんで、見かけた瞬間から氣になっていたのは、これがオニくるみの殻から作られたインクだと聴いたから。胡桃からインク?衝撃である。そのうえセピアの色に惹かれた。 購入したとき、インクの作成者さんのお話も聴けた。作った年によって色味が変わってくるという。なんということだ。胡桃は実は食べられるし、見ても楽しいし、インクにもなる。恵の多い存在だ。

この年齢になっても、知らないことってあるんだわ。

最近は、忙しくて天然石アイテムには説明カードをつけていないが、このインクとツケペンで、石の名前を書いてみたいと思った。名前だけね。由来は今までどおり備忘録に記します。

5月は慌しく過ぎてしまった。タイミングが合わず、手相見もお断りばかりして申し訳ない。

6月からは、来年にかけて土日祝日限定でしか拝見しない予定です。

ご理解いただけたらありがたいです。

このところ、数年ぶりにメールや電話で問い合わせくださる方々がいらして「まだ、手相を見ていますか」と尋ねられることが続くのも偶然とは思えない。そんなに必要はないけど、数年に一度見てもらいたい~という、そんな手相見が私の立ち位置でイイトコだろうから。

これが、数年、手相見をしていた私に対する「答え」なのかもしれない。

手相見の需要がなくなれば、自然にフェードアウトすることになるだろう。

私の運気は次の段階に来ているようだ。

 

ご縁があったら、お会いいたしましょう。

次の展開も模索中。というか探査中。

探し物を求めて~内面の旅へ

毎年、GWは紙に埋もれている氣がする。今年は桜も、去年より早く咲いた。連休中は、それなりに忙しく過ごした。デスクトップPCを開いてのホコリ除去もこのシーズンに行う。

身辺のゴミを片付けていた。

私の人生の大部分は紙ゴミとの格闘である。私の周りに紙ゴミが多いのは、幼い頃からの趣味でイラストや漫画を描いていたからだ。

漫画のネタを紙に書き留めるのはクセのようなものだ。

モノを持たずにシンプルに暮らしている人に憧れるが、それは叶わぬ夢だと思っている。

書くことは、紙=神 に通じる行為で、記憶するのも紙、想いをまとめるのも紙がなければならぬ。紙のない世界では暮らせないだろう。

絵でも文でも紙に書くと言うのは、脳の中の異次元から、この世に具現化するための儀式のようなものだ。で、あるからして、今も夢を見ると、紙切れに書き溜めているので、散らばった覚書を整理し、ノートにまとめて転記したりした。

本棚の本もかなり捨てたと思ったが、まだある。本につぎ込むお金を計算したら、切ないので考えないことにしている。本代は、亡き父が酒代につぎ込んだのと変わりない…と思いたい。

結局「保留」の箱にはまだ、メモが大量に入っている。私にとっては捨てがたい存在であるが、他人様から見ると、ただのゴミだというのが悩ましいところ。結局、幸福とはなんぞや?という極論まで行きつける。

メモを見て、書いた頃の自分を思い出したり、夢日記をまとめながら、その時の夢の啓示を確認したりした。私の人生のテーマは「探し物を求める旅」

そして、人生には閉じた扉がいくつかあり、それは今世では開かない らしい。

…個人的な希望としては、来世は地球には生まれてきたくない。

モノの本によると、「生まれ変わる」というのは、未来もあるが、宇宙的な時間軸の関係で、過去に生まれ変わったりする場合もあるという。過去は、ご遠慮したい。今世だってもうゴールを目指して淡々と生きていくエネルギーしか残ってません。

 

氣がついたら、5月も半ば。

バイトの都合で申しわけありませんが、手相見のご依頼の日取りは20日以降でお願いします。

私は水面~手相見に関するあれやこれ~


メッセージ絵書を保護する厚紙に書かれていたのですが、これも私の宝物です。手相を見るということは、ブログ内で幾度も記しているように、案外あっさりしているものです。運気の流れを読むのが主流です。

私の場合は手相を元にもっと深いところを見ていると想います。結果、当たるあたらない、という括りではなくて、目の前のチャンスをどう生かすか、人生の嵐をどうやりすごすか、ということを、今まで見てきた方の手相をもとに、方法を探すという内容です。

そこに手相見の私個人の私的な意見は入らないように努めますが、結局私は、依頼者の思考を写す水面のようなものです。水面が静かでなければ、空の月の姿をしっかり写すことができません。その逆も有りです。今まで、私は依頼主には恵まれていました。皆さん、基本的に前向きで、優しいし、パワフルです。手相を見た甲斐があるというものです。多くの方から、夢に近づいた、今、頑張っている、という知らせが忘れた頃に届きます。未来を見通す眼は本来閉じておくもの、それを使っている代償として、私は健康な体とひきかえ、あるいは視力の低下を招いています。

人の人生に、微力ながら立ち入る上で、提示された人生の機微を多くの人の運気を読み取ることでシェアしていきたいと思っています。

しかしながら、私は預言者ではありません。依頼主の現在の運気を押さえて、未来を予測することが可能ですが、選択するのはご本人です。

「煉さんが、○○と言ったから、○○しない」と主張される前に、自分の考えはどうなのか、もう一度向き合って欲しいと思います。

私の手相見は所詮、人間の力の及ぶ範囲であり、見えない世界の力を示しているものではないからです。

長い手相見の経験上、招来の危機や否定の予測を申し上げても、結婚される人はされるし、離婚される人はされます。手相見の意見は聴くけど、それは参考まで。という方々がほとんどです。

そういう使われ方で良いと思っています。

私は、水面。相手が「黙って座ればピタリと当たる」というのは、私には無理です。そんなに人の裏側に入り込むことは精神衛生上よろしくないので、いたしません。

聴きたいことがあれば、示していただかないと、それに対して深く見ることはできません。

依頼主の人生は依頼主が主役です。

それから、今までも何度かありましたが、同伴での手相見は今後、固くお断りします。

「お友達同士」「恋人同士」「ご夫婦」「兄弟姉妹」「親子」等々

いずれも同時にお申し込みは承りますが、同席での拝見はお断りします。

理由は、集中力が下がること、人間の深いところは、たとえ肉親と言えども「話せること」「話せないこと」が存在するからです。

今まで、なんとかなっていたところもあったのですが、今回、思うところがありまして、文章として記すことといたしました。
なにとぞ、ご理解賜りますよう、よろしくお願いします。


ご縁を大事に次の段階へ

3月も去っていく。春風邪は症状は軽いですが、治りが遅いですな。

季節の変わり目です。

先日から依頼主の方々から、「結婚した」「試験に合格した」「子供が生まれた」「商売が繁盛している」等の嬉しいご報告を多々いただいており、私も嬉しいです。

手相を拝見しなければ、繋がらなかったご縁ですから。

最近、ネット検索で「紅の煉」(くれないのれん)で来られる方がいらっしゃるんですが。”くれの”ではなくて”くれないの” と呼ばれると忍びな雰囲気になるのが不思議なところです。

あと、”火に束”でも検索されていたっけね。

今まで、手相見の内容を忘れるように努めて参りましたが、リピーター様が増えていることから、できるだけ大局な流れを捉えて、遠い視点からアドバイスや運気の見渡しができないかと思い、勉強中。

手相見だけではなくて、開運の探査も続行中です。

上から降ってきたなにか

このところ、眠気が強くて、ヘミシンクを聴くのをお休みしている。

よくあることなんだろうけど、と前置きしておいて。

寝落ちする寸前に、頭に何か「落ちてきた」感覚があった。

飼い猫や、机の上の本ではなくて。空気の珠、丸い玉のようなものがふわりと落ちてきた感覚。入眠時の幻覚のようなものか。

昔、眠っていたところ、頭の中から、なにか引っ張り出されるという感覚を味わったことがあり、今度はその逆パターン。脳の錯覚としても面白いと思う。

別の日には、光の玉が、落ちてくる夢をみた。夢は潜在意識の表れてあるから、興味深い。

本日、私が呼ばれていた(と思っている)モルダバイトのペンダントが到着。

手にして見つめていると、遠い宇宙に想いを馳せると、アニメオタクだった頃や自分や天文オタクだった頃を思い出す。

最近のアニメを見てときめかないが、’80年代から90年代のアニメをYoutubeで見ると、気分が高揚するなぁ。

世の中には、人間には見えていない世界がある。最近の宇宙物理学は、それを数式で証明できつつあるようだ。

数式を見ても凡人には数字の羅列でチンプンカンプンだが、見える人には意味ある事象が見える。そんなふうに世界には、自分の目だけで見えないものが存在する。

 

密かにブログのファンをしていた道内のある霊能者Aさんの、メルマガの内容が、偏りだしたことに氣がついたのは最近だ。

言葉遣いが乱暴で、断定的になってきた。ネット上でもよからぬ噂が流布されている。だいたいはとても汚い言葉で罵倒された、という内容が目立つ。

噂は噂にしかすぎないが、実際はどうなのか、会ったことのない私には断定できない。

ただ、自戒として話す言葉には氣をつけねば、とあらためて思った。

どんなに優秀な霊能力者も、心の隙間に入り込まれて、低級霊に憑かれてしまうと、「言葉が乱暴になる」とか「金銭にうるさくなる」そうだ。

強力な守護霊が憑いていても、守ってくれないのか?

というと、そういう低級霊から守ってくれていても、当人には及ばないらしい。

低級霊に憑かれると、直近のことはよく当たるらしい。そして位の高い神様の名前を名乗って接近してくるとか。

とりあえず、私には、今のところ、そういうのはない。

直感で、繋がっているのみである。

バンバン当たり始めたら、かえって危険なのか?難しいところである。

見料は、当面、新渡戸さんでお願いすることになりました。

ご連絡とか近況報告

桜が咲いて喜んだのはついこの間だったのに、この数日、私の住んでいる市はえらく寒くなりました。ストーブ点火!しています。周囲も寒暖差のせいか、アレルギー鼻炎か風邪なのか、よくわからない方々が続出です。

私のほうは、働き方の効率が悪いのでしょうか、忙しくしておりまして、土日もバイト。祝日は手相拝見、隙間時間に家族を病院へ連れて行って、天然石を探して廻るという生活です。

それから、最近、前日や当日に「拝見していただけますか」というのも増えています。

大変ありがたいのですが、心の準備と言うか事前の準備も色々としていないようで、実は見えない部分で用意がございます。基本、応じることは難しいことをご了承ください。ウマく時間が合えば、応じることも有りますが…。

なにをしているかというと、それは企業秘密(企業じゃないけど)。

もうひとつ、コメント欄で問い合わせや申し込みをいただくことがありますがブログのソフトの関係で、私のパソコン宛にメールが届かないことがあります。

こちらから氣がついて、返信を差し上げても、最近はスマホが普及しており迷惑メールブロックをされているようで、ドメインで迷惑メールに振り分けられたり、エラーで戻ってきてしまうことが少なくありません。

「返信が来ない!プンプン!」となる方とはご縁がないと思っておりますけども。

どうしてもエラー等でメールが送信できない場合は、ご紹介者にご連絡を差し上げます。が、2日経ってもこちらからの返信が無い場合は、もう一度、ご連絡くださいますようお願いします。

 

手相拝見時間について

私の住んでいる街は、陸別町には及ばないが、超寒いです。

寒波襲来中です。

さっそくですが、お知らせでとお願いです。

最近仕事が増えまして、慌しくしています。

今までのバイトも期間前提で、時間が長くなりました。

増えたバイトも期間が未定ですが、とりあえず、新年度までを目標にしています。

そんなわけで、手相見をご希望の方は1月中は 土日午後3時30分以降の時間しかご用意できませんのでよろしくお願いします。

手相見が生業になれば良いのですが、まだまだ、そうもいきませんね。

平日は午後5時半以降ですが、早めに申し込んでいただければ、調整いたします。

まずは、メールでお問い合わせください。

私自身、思いもよらぬところから、思いもよらぬ仕事がやってきまして、これが時給は高くは無いが、こちらの条件をだいたい呑んでいただけるというお話なのでお受けしました。

その縁がつながったというのが、私も不思議です。

私の年齢、自動車免許なし、その他諸々の悪条件を示したうえでの自分の思い通りな条件で、なにか叶うと、普通人間、「こんなウマい話は無いよな」と警戒しますね。

私も例外ではありませんでした。でも今回は警戒することはやめました。

ありがとうございます、と受け入れることにしました。

それが自分の思考癖を改める良い機会だと思いました。

チャンスが来たら、とにかく掴め。

良いことが起きたら、悪いことが起きるという思考癖は、思い込まされた暗示のようなものです。

世の中は、そういう風に思考をコントロールする情報に満ちてます。

その逆もある。良いことが続いているときは、良いことが続く。ずっと良いことが続く~~~。

という思い込みのほうを選択しよう!昨日の私と今日の私は違う!!そう思い込むことに。

脳はそういう暗示にかかりやすいのです。

で、更新は今までに増しても滞るかもしれませんが、あるいは神(マジか?)が降りてきて記事が増えるか。それはこれからの仕事内容によります。

1月ももう半ばなんですね。

早いわ~!!自分の記憶が欠落しているのか、少々不安です。

今年の年賀状の話

今年も、年賀状をたくさん、ありがとうございました。年賀状を頂くのは好きなほうですが、差し上げるほうとしては、色々とこだわりがある人間です。

パソコンが普及して、絵柄も豊富でカラーで華やかな写真入りの年賀状も多いです。宛名もパソコンが印刷してくれる、便利な時代です。私も利用している一人でした。ここ数年は、自分なりにひと手間かけたものを書きたいな、と思うようになりました。

今までは、手書きのイラストや、あて先によって絵柄を変えたり、シールを貼ったり。今年は途中まで自分で撮影した写真を印刷していたのですが。

今年は元日にお届けできなくて、届いた年賀状のお返しを、書いていました。

私の手相見という立場宛に、年賀状を下さる方のコメントを読んでいるうちに、思い立ちました。

昨年、暇なときに、「パワーストーンオラクルカード」の画像を取り込んでいましたので、一人ひとりの開運のポイントをオラクルカードを引いて、その画像を差し込んで印刷することに。

そんなわけで、途中から趣向が変わっています。

前半は「ダーラナホース」 北欧の幸運を運ぶ馬の写真です。

オラクルカードは(ご神託)を意味しており、マイナスの要素がないことが、年賀のご挨拶にふさわしいかも。

手間はかかりますが、一人ひとりの顔を思い浮かべ、名前を言い、カードをひきます。

ひいたカードを、頂戴した年賀状にメモして、印刷時に、カードの画像を差込します。

そして、宛名も、手書きします。この宛名の手書きには、私なりのこだわりがあり、手書き文字に宿る言霊に開運招福の願いをかけます。

何百枚も出さない人間だからできる、瑣末なこだわりですけどね。

オラクルカードは種類も豊富ですが、中でもパワーストーンオラクルカードは、画が美しく、人間の好みを選ばないところが良いと思います。

カードの画には、その石の力も宿っていると言われています。

この年賀状の趣向も、準備は去年のうちにしていたのだけど、「ちょっと面倒だな」となおざりにしていたのです。今年は自己満足ですが、叶いました。

すっきりしました。



2013年、冬至だ

夏至から、半年、待ちに待った冬至。お風呂に入る前にかぼちゃとあずき(あんこ)を食べてしまった~。

写真は来年の干支、午なので、北欧 スウェーデンのダーラナホース(またはダーラナヘスト)。幸せを運ぶ馬と言われている縁起物の飾りと日めくりカレンダー。もう残すところ1週間ほどですが、12月は師走というくらい、師匠も走る忙しさということで。

私は昨日、周辺の多くの方に無理をお願いして、走って(聴いて)もらいました。私自身は気持ちが走ったといえます。

私の周りには人の姿を借りたサンタクロースさんたちが多いと実感しました。

私がある人の願いを叶えたい!と思ったことに、ある人は協力してくれて、それで「願いを叶える」というミッションは無事にクリアできました。これはもう、周辺の協力してくださった方々のおかげで、自分は幸せ者だと思います。

自分で良かれと思っていたことが、相手にとってはそうでもなかったり、むしろ迷惑だったりということもあるでしょうが、悩んでいる時間はもう残り少ないので、悩まないことにしました。

人間関係というのは、深読みが必要なようで、実は表面だけを見ていれば良いということもあるのです。でなければ「社交辞令」が今世紀まで残っていないはず。

裏読みの裏読みは表読み?

いえいえ、お世辞でも社交辞令でも嬉しい言葉を受け取り、自分の生きていくエネルギーへと変えていく。

それが年を重ねる意味なのかもしれません。

ただし、相手に何かをする場合は、深読みも深追いもしないこと。期待しないこと。期待するのは若者の特権だと思えるようになりました。

期待はしないけど、希望がないと、人生は長く感じます。

私ぐらいの年齢になると、「したいからする」という感じ。

ああ!これが年齢を重ねた図太さと映るか、寛容さととるか。

どんなにもがいても、他人の考えを変える事はできません。

自分は自分でしかないのです。

傷つく心も、反省も、ヘミシンクのツールの箱に入れて浄化することにしています。

冬至が過ぎれば、世界の氣の流れも、ちょっと変わってきますね。

手相見の年内の拝見は29日まで。

新年は1月3日から可能です。



携帯電話が昇天した日

131031携帯電話

131031ハロウィーン

先日、携帯電話の充電部分のカバーが外れて、ショップで無償で直してもらった。それが22日。ついでに充電ホルダーも壊れたので、新しいのをポイントで購入。それは28日。

ついでに、減りの激しい電池パックを交換してもらった。それが30日。

携帯電話の充電時には、写真のようなエレメントが季節に合わせて表示される。

私はこの携帯電話がお気に入りだ。今日はハロウィン。充電時には上記の写真のように楽しい画面が。

その数時間後、携帯電話の画面は突然、7色の光を放って、沈黙したのだった。携帯電話の液晶部分が壊れたのは、本日31日である。欧米人ではないけれど、空に向かって「オー・マイ・ガー!!」な気分だ。

もう5年近く愛用してきた。私はヘビーユーザーではないのでまだまだ大丈夫だったと思っていたのだが。

携帯電話が息を引き取る場面を始めて見た。

これを機にスマートフォンへ…とも考えたが、普段は待ち受け専用だし、メールが打てればいい。現在のプランでいくと、1ヶ月の通信費は1000円ちょっと。

これをスマホにするとして、実質無料の機種を選んだとしても、通信費は7000円前後となる。ネットはパソコンで間に合っているし、スマホは不具合もまだ多いと聴く。なによりも、スマホ…特にiPhoneの液晶の美しさに魅入られてしまったら、ずっとスマホを触ってしまうかもしれない。私は意志が弱いのだ。

思案した結果、今回はスマホは見送ることにした。

今、在庫のある中で一番、手っ取り早いものを選んで機種変更。

右が壊れた携帯電話。左が新しい携帯電話である。

どっちもSH製。

唯一、困ったことが。

携帯電話の液晶画面がまったく起動しないため、データの移行ができなかったのだ。

バックアップはパソコンでとってあるが、データは8月末日のものだったので、9月以降の電話帳アドレスが消失したことになる。

ブログをご覧の皆様の中で、9月から10月にかけて、私にアドレス変更のお知らせを下さった方々にお願いします。

お手数ですが、空メールでご連絡をくださると、助かります。

また、本日、31日の朝から、携帯宛にメールを下さった方、携帯電話の不具合で届いていない可能性もありますので、

私宛にメールをくださって、2日以内に返信が無い場合は、念のためもう一度、メールを再送信してくださるよう、お願い申し上げます。

つい先日も、左目のコンタクトレンズをいつの間にか紛失してしまい、最近、次々とモノが壊れ、失せ、心身ともに動揺しております。

運気の変わり目、実体にダメージがなくて良かったです。

モノで済むなら、それにこしたことは無いですからね。

よろしくお願いします。