手相見後のメールの話

ハンドマーク

世の中お盆です。更新がないので、忙しいとお察しの方、いらっしゃいますか。

「まだ、手相を見ているんだぁ」と旧知の方に言われました。「まだ」とは、どういう意味?なんて深読みしません。私自身も「まだ」見ているんですよ、と答えます。趣味の延長線で見始めて、依頼があれば、「まだ」見ている。そんなところです。見料を頂戴して、手相を拝見したあと、お礼のメールをします。

少し前から、氣がついたのですが、メールの時にひとこと、ふたことアドバイスというか、追加の文面を記すことがあります。あれはいわゆる「降りてきた」言葉のような氣がします。

御礼のメールの後、ほとんど全ての方が、返信をくださいます。

今まで拝見した3桁の依頼主で、メールをさしあげて返信がなかったのは、お一人だけです。

その方は私の拝見結果にかなりの不満を、面と向かって告げられたので、相性が合わなかったんだなぁと思います。数年後、同じ方から手相見の依頼がありましたが、相性もあるので、とお断りしました。

手相後のメールでも、なにか感じることがあります。

メールのやりとりから、すでに運気を読み取る作用が働いているのかもしれません。

基本、紹介いただいた方はご縁があるので拝見しますが、二度目の依頼主は、選びます。

手相は、依頼主の内面を見るもので、その先に運気の展開を見ますから、今まで拝見した方の人生や考え方が、私に力を貸してくれると思っています。

事業をされる方、幸福を願われる方には、私の持てる限りの知恵を示して、良いほうへ向かっていただきたい。

何年にもわたって手相を拝見している方に、「言われたときは、”なんだ?違うんじゃない?”って思っていましたが、今なら、あのときのアドバイスの意味がわかります」と言っていただけたとき、「そういうこともあるんだなぁ」と他人事のように思いました。

誰もが幸せになりたい!と思っていて、うまくいかない、と思うなら、それは自分自身を省みる機会がやってきたのです。他人を変えることは難しい。自分自身を変えて、他人を変えることのほうが、少しは易しいのです。

長年見てきた中で、幸福を引き寄せる人は、謙虚な人、フットワークが軽い人。良いといわれたことを、すぐに試してみたり、自分の生活に取り入れる行動をする人です。

わたしが手相を見る人には、回りまわって、幸福が訪れますように。といつも願いをかけています。

縁をつないでくださった皆様、ありがとうございます。

残暑お見舞い申し上げます

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はやくも立秋となり、今年の年末も見えてきました。

今から10年ほど前ですが、まだ見料を頂戴せずに手相を拝見した知人がおります。その後、没交渉だったのですが、近況を意外な方からいただきました。「よろしく、と話してましたよ」とその方は近況を教えてくださったのです。

世間一般的な常識から察するに、年齢的には可能性は低かったでしょうが、その方の手相には「出会い」が刻まれていました。その出会いを目指して自分を磨いてください、と伝えておりました。

「自分磨きをがんばります」というメールを頂いたので、覚えていました。

運命の人と出会い、幸せを築く機会を得られたこと、とても嬉しく思います。

新しい人生の展開には、山もあり谷もあることでしょう。でももう一人ではなく苦楽を共にするパートナーが傍にいること、うらやましいです。

幸せにしてもらう、のではなくて、幸せになる、日々を紡いで過ごされますように。ご健康とご多幸をお祈りしています!

今度、お会いすることがあれば、見料…じゃなくて、お茶を一杯ご馳走してね(笑)。

余裕って必要だ

本日、午前零時をもってお借りしているサーバーでsql4のサーバーが停止のため、見よう見まねでデータをエクスポートしたり、インポートしたりしてドキドキしましたが、とりあえず、sql5のサーバーへデータが無事に移行できたようです。で、ブログは見られるようです。良かった良かった。最悪、ブログをまた一から始めるのもしんどいので、ほっとしています。

長く生きていると、つらいときや面白くない場面に遭遇するときがあるわけですが、そんなとき、私はもうずいぶん昔に、つかの間、同じ職場で働いていたMさんを思い出します。

その職場で任用期間が満了した後、Mさんと再会したのは、ハローワークででした。その職場で私は「臨時事務主事」という短期の臨時職で働いており、Mさんは上位職の秘書というお仕事をされていました。その仕事ぶりや落ち着いた物腰に、同年代だった私は、密かに憧れを抱いていました。

ハローワークでお会いしたとき、Mさんが上位職の方々の「私設秘書」の立場で(上位職の方々がお金を出し合って、私設に雇っていた。職場の直接雇用ではなかった)ということを知りました。

私設ゆえに、お給料は私がいただいたいた臨時職のお給料よりは少なく、仕事内容は多岐にわたり、多忙だったことを聞きました。当時、普及し始めていたパソコン技能を習得しないなら辞めてほしい、と言われて、職を辞してハローワークに来ていたのです。私には雇用保険がありましたが、Mさんは私設雇用だったため、雇用保険には入っていなかったようです。

直接お話したのはその時がはじめててでした。

帰り道、立ち寄った花屋で、Mさんは薔薇の花を買いました。

正直、ハッとしました。失業中の身の私は正直、花を愛でる心の余裕がなかったからです。

Mさんの、育ちの良さというか、粗雑な私とは感性の元が違うのだなぁと思ったのです。

うまく表現できませんが、苦境に立ったときに、自分に優しくできる余裕があるかないか、で人生の質が変わってくるのだろうと知りました。

仕事がうまくいかないとき、つらいことがあったとき、自分を責めるより、ちょっと優しくして、明日への鋭気を養うことって大事。それは贅沢ではありません。

そして、傍目から見て、わからない仕事のつらいことや、逆に喜びもたくさんあるのだということ、そしてそれは、見ようと思わないと、見えないことなのだと、Mさんを時々思い出します。

Mさんとはその後、短期のアルバイトで一緒に働く機会に恵まれましたが今はお付き合いしていません。お元気でいらっしゃることを祈っています。

雲の備忘録

後頭部神経痛もずいぶんと楽になりました。

本日、帰宅時に、雲の陰に太陽が隠れたのですが、不思議な印象だったので撮影しました。

まるで空飛ぶ円盤。

太陽の光のエネルギーを感じます。

その前日に見たのは、ドラゴン(龍)が空を横切るような雲。

本日は、雲の写真のみ。



痛いって生きてること?

週末はExcelでマクロを組んで独習していました。

フォームボタンに登録するより図形にマクロを登録したりして。Excel便利だわぁ。と思っていますが、すでに世の中バージョン2010や2013が主流。私の時代はね(すでに大昔の話か?)教室に通って習った時は97だったのに、検定試験は2000で受験させられ、Macでは2002を使用していた。

1級を取得したときは2003だった。使っていないと、習ったこと忘れちゃうから、バイトでは積極的に使ってた。一番、Excelを使ったのは統計データの集計の仕事をしていたときだろう。

昔から、自分の限界に挑戦するというところがあったので、データ入力のときにほどほどということはできない。キーパンチャー専業だったときは、50分入力して10分休みという作業だったが、今のバイト先ではついついデータ入力のクセが出て、頑張っちゃう。

そんなところで頑張ったあげくに更年期なので、ついに、首にキマシタ。市販の薬でなんとか仕事を続けていたけど、月曜日の朝、首が全く回らなくなり、後頭部に激痛を感じて整形外科に罹った。

今回の後頭部の激痛は、なんていうか、刺されるような激痛で初体験だったけど、肩凝りが原因のものだった。

レントゲンで見たところ首の骨がストレートネックになりかかっていて、一部関節がせばまっている部分もありましたけど、処方された薬のおかげで、痛みは軽くなっております。病院のお薬は効きます。当たり前か。

薬が効くってありがたいことです。

激痛の走り方から察するに、頭部神経痛もあるのじゃないかと思うのだが、首の付け根が痛いんで、調べたらば、首の後ろのチャクラには「霊」が出入りする入り口があるらしい。12年前、私は首の前、甲状腺の右葉を腫瘍で切除している。私の運気の星回りは首に来る。今回は左側の首後ろに痛みが出た。

霊障もあるのか?と思い念のため、お香を焚いて見たら、効き目があった。

同居している家族は耳が不自由なので、夜中に私が絶叫しても、聞こえない。

「エイリアン」という映画のコピーが脳裏によぎった。

「宇宙ではあなたの悲鳴は誰にも聞こえない…」(ダッタカナ)

 

この数日、一番、驚いたことは、充電したばかりのコンパクトデジカメの充電池が一瞬で放電してしまったこと。

デジカメが壊れたかとヒヤリとしたが、なんらかのエネルギーがこもって、放電したらしい。その後、無事に再充電して使えてます。


 

 

 

人よ、策士になれ

ワタクシは、昔から、姉妹の長女に見られるが、実はひとりっこという育ちのため、兄弟げんかというものをしたこがありません。いとこ同士とのケンカも、場数を踏んでいないためか、連戦連敗の悔しい思いをしました。まして家庭内では親が上で子供は下なため、理不尽な思いもたくさん経験しました。人生負け路線一直線。

基本、殴りあったり、相手とタイマンするは苦手というか未経験。

変わりに得た術は自分の中の気持ちのガス抜きをいかにするか。

相手にどう伝えるかという小技ばかりだったという氣がいたします。

ちょっと前には「やられたら、やり返す。倍返しだ!!」という台詞がテレビドラマから流行しましたが、面と向かって人様にどうこう言えるほど立派な人間でもございません。

それはもう、バイト先でもそうで、納得がいかないことがあったとしても、「しかたないか」でやり過ごします。自分自身の心の平和が一番大切ですから。

私はバイトの身でありますから、切実なこともありません。

昔のことですが、「恋愛したいんですが」というご相談を受けたことがあります。彼女の仕事ぶりは、知っておりましたし、噂も耳に入る場所におりました。

彼女は新卒一年めにして、何年も先輩の方にも自分の考えをきっぱり言える、氣の強い女性です。てか、怖いもの知らず?

その「納得いかないこと」を相手に面と向かって語る勇気を目の当たりにすると尊敬してしまいます。

でも伝え方が感情的なのを見ると、もったいないと思うのです。

新卒何年かでの「逆ギレ」は周囲の人が大人なので容認してくれるでしょうが、すでに数年経過し、ベテランの域に達した人間がコレをすると、自分が築いてきた今までの仕事での評価を一瞬にして下げてしまうことになりかねません。

手相を見るとき、私は依頼主の女性に対しては、男性には直球を投げるな、正論だろうと、追い詰めるなと、お話します。

仕事でも私生活でも、ものには言い方、攻略の仕方があると思います。

感情的になり、相手を非難するだけなのは、結局 自分にとっても不利なことです。

頭の良い女性はそこのところ、すごくお上手だと思います。

柔らかい口調で、周りの人心を掴み、対象者を上手に誘導して、自分の思い通りにしているのです。これは変化球?いや、知略のなせる技でしょう。

本当の強い女性、賢い女性は、相手を思い通りにする術を知っている。

男性は、意外と、女性からの非難直球には弱いような氣がします。この場合弱いというのは、ヘタレるわけではなくて、正面きって相手をしづらい、扱いに困るということです。

あと、仕事をするうえで男性相手に「涙」を武器にするのは、お勧めできません。

できたとしても 使える時期は短いもの。

「あいつはすぐ泣くからな」という評価が付いてしまったら、面倒くさいと思われて、繋がる縁も繋がりません。

あ、でも「そこがかわいい」という人もいるかもしれませんが。

涙は恋人の前でのみ、武器にしてください。

まぁ、私ってば、面と向かって他人様を非難するほど、デキた人間ではありませんが。

情けは人のためならず。回りまわって己が身のため。

生業にあらずだが

昨年、頼まれたバイトを、土日に10ヶ月ほどしていてですね、少し所得が増えたので、国民健康保険料やその他諸々の税金関係の支払い金額が数倍に。

数値で区切られている以上、1円でもラインからでたら、支払い内容が数倍ってねぇ、しかたがないんだが、なんか納得がいかないわ。2、3倍まではまぁ仕方ないと思うが…。

収入は2倍になっていないのに。保険料が数倍なんですよ!

これは、低所得者の意欲を削ぐと思うのだが。

今年は中途半端な稼ぎを脱出したいところ。

このところ色々あり、「ここいらで止めてもいいかぁ」と思っていたら、続けざるを得ない状況になったようです。

まぁ、この世が税金で公共サービスが回っているなら、仕方ないことだ。

これからも手相を見続けるべし、という天のお告げか。

実際、皆様の依頼があればこそ、私の生きる意味も余裕にも繋がっている。

支払う金額(税金)が増えたことを嘆くって言うのは、自分の心が貧しいって再認識する。

払えるだけ、働いた自分を褒めるほうが、豊かな自分だ。

持病持ちの私には、国民健康保険が無くてはならないシステム。恩恵を受けていることはありがたい。

よく、「税金をとられる」という表現が私を含めて、多くの人の口から出るけども、獲られる、っている意識が、よろしくない。

「納めている」と思えば、もっとお役所、政治家、などお上のすることに興味も持つし考える。長いこと、底辺な生活だったので、意識を改める。

齊藤一人さんの語る内容に、少しでも近づきたい。

実際、手取りは変わらないのであるが、増えた税金を納められる、豊かな自分、という考えにして。自分の中の「貧しい自分のメンタル」に氣がついた6月。

ちょっとした贅沢が、豊かな自分の波動に繋がるという。

暮らしに工夫をして、豊かさを探査する日々は続きそうだ。

夢見の話

本日の午後、ある方から届いたメールに「西の空を見て」とあり、窓から西空は見えないワタクシ、外に飛び出して見たところ、太陽の横にほんのり虹(彩雲)が見られたので、携帯で撮影した。

この写真だと、虹ははっきり見えないが、太陽(左端)と並んで、もうひとつ、太陽のようにも見られないこともない。彩雲は、昔から吉兆と言われるが、太陽が二つならぶとは「幻日(げんじつ)」と言われて天変地異の前触れともされる。良い事しか信じたくないので、ここでは彩雲ということにしておこう。大気が不安定なのか。

ついでに今日の明け方、見た夢の話を記しておく。

自分の住んでいる次元、宇宙空間から飛び出し、外から自分の住んでいる次元(宇宙)を見る、という夢。

夢の中の三次元宇宙はピラミッドを重ねたような、ひし形、映画「天空の城ラピュタ」に登場する飛行石のような形状をしており、銀河系はその上の端にあった。私たちの住む銀河系は三次元宇宙の辺境に位置し、さらに地球の属する太陽系は、銀河系の端に位置していると確認する夢だ。

先日、エドモンド・ハミルトン著 古典SFの名作「フェッセンデンの宇宙」を再読したので、その影響かも。

銀河系の中央には、セントラル・サンという部位があり、(レンズ状の銀河系の中心部。恒星の集合部分)そこから放出されているエネルギーが、この太陽系の太陽や地球に影響を与えているという学説があります。

最近、私が西洋占星術に興味を持っているのは、占い、だけではなくて、星のエネルギーが人間の行動に影響しているかも、と思ったのがきっかけです。

この世には見えないもの、一例として電磁波ですが、道行く人の多くが、スマホの画面を眺めている姿をみかけると、まるでお告げを待っているかのような印象を受けます。

電子レンジの電磁波は、眼には見えないけど、確実に食品を温めてくれますよね。

微弱な電波が、人間の脳になにがしかの影響を与えないとは誰も断言できないでしょう。

それが、良い方に現れるか、悪いほうに現れるか。誰にもわからない。

そう考えると、前人未到の世界が広がっているのを感じます。



ご縁があったら

小学生のとき、通学途中にある立派な大木があり、季節になるとたくさんの実をつけていた。枝にたわわに実った胡桃を摂ろうとして、樹によじ登り、ご近所のおば様に「危ないよ!!」と叱られたのも今となっては良い思い出だ。

食べても美味しい、見ても楽しい。胡桃は一番身近な自然界の恵みだった。

その拾った実の筋を取り、布で磨いて宝物にした。

やがて大木は伐採されて、その後にはおしゃれな家が建った。この胡桃の実は、大木の忘れ形見でもある。

社会人になってからも、公園にある胡桃の木から実が落ちていると、拾ってしまう。胡桃の実は、私にっては郷愁のアイテムだ。

 

お気に入りの雑貨屋さんで、見かけた瞬間から氣になっていたのは、これがオニくるみの殻から作られたインクだと聴いたから。胡桃からインク?衝撃である。そのうえセピアの色に惹かれた。 購入したとき、インクの作成者さんのお話も聴けた。作った年によって色味が変わってくるという。なんということだ。胡桃は実は食べられるし、見ても楽しいし、インクにもなる。恵の多い存在だ。

この年齢になっても、知らないことってあるんだわ。

最近は、忙しくて天然石アイテムには説明カードをつけていないが、このインクとツケペンで、石の名前を書いてみたいと思った。名前だけね。由来は今までどおり備忘録に記します。

5月は慌しく過ぎてしまった。タイミングが合わず、手相見もお断りばかりして申し訳ない。

6月からは、来年にかけて土日祝日限定でしか拝見しない予定です。

ご理解いただけたらありがたいです。

このところ、数年ぶりにメールや電話で問い合わせくださる方々がいらして「まだ、手相を見ていますか」と尋ねられることが続くのも偶然とは思えない。そんなに必要はないけど、数年に一度見てもらいたい~という、そんな手相見が私の立ち位置でイイトコだろうから。

これが、数年、手相見をしていた私に対する「答え」なのかもしれない。

手相見の需要がなくなれば、自然にフェードアウトすることになるだろう。

私の運気は次の段階に来ているようだ。

 

ご縁があったら、お会いいたしましょう。

次の展開も模索中。というか探査中。

その一押しに必要なもの

占いが氣になったりするのは、未来に希望が欲しいからではないでしょうかね。

人間は未来に希望が持てないと絶望しかないと、生きて行けないのじゃないかと思うのです。絶望だけ、になると自暴自棄というか、周りも巻き込んだり不幸のスパイラルに突っ走ると言うか、破滅へまっしぐら、となるのでは。

手相を見て欲しい、という人に「未来が不安」という方は多いですが、「幸せで最高!」や「どうでもいいぐらい絶望してる」って人はいません。「幸せだけど、心もとない」とか、「不幸だけど希望が欲しい」人が占いに足を止めるのでしょう。

占い師の言葉を励みにするとか、糧にするのが、良い利用の仕方でありますが、占い師の言葉に自分の人生の全てを託すのは正しい使い方ではありません。自分の人生の主役は自分で、こればかりは誰にも代わりにはなれません。ドイツの精神学者 フロイトやユングの言うところの「集合的無意識」で他人と繋がっているというのなら、他人の幸福は自分の幸福とも考えられますし。

スポーツで例えると、ゴルフでボールがカップにインしそうでしない、カップの淵を滑って行ってしまう場面や、テニスでボールがネットのヘリを転がってしまう場面を想像してみてください。

崖っぷちにつま先立っていて、あと少しのバランスを崩すと落ちてしまいそう!!な場面でも良いです。

あと、もう一押し、見えない力が欲しい!!、もう一息踏ん張りたい!!

というときにお役に立つのが、占いであり、そのための開運グッズだと思うわけです。

「運ばかりあってもねぇ」と、ある人に言われましたが、まことにそのとおりで、運を引き寄せるには自分が少しでも動かないとならんわけです。

もう一息、運の一滴があれば、化学変化を起こして、劇的に流れが変わることもあるんです。

長いこと生きていると、そういう場面を幾度も眼にしているし、体験もしています。

自分が運気、どん底だわ~、もうダメかもしれない…死にたいわぁ と思ったとき、TOKIOの「宙船(そらふね)」という歌に惹かれました。中島みゆきさんの名曲です。

「おまえが消えて喜ぶものに おまえのオールを任せるな」

喜ぶやつがいるかどうかはわからないですが、自分のオール(希望)を放り投げるのは、まだだ~。と思いなおし、加えて占いも活用しました。

自分の気力、あと一押し、欲しい!そのときに。