やはり手相見

もう、12月となっていました。

今年に入ってから携わっていたアルバイトの仕事が終了しました。

このままずっと土日のアルバイトを掛け持ちで働くのは体にキツイかも、と思っていました。ところが、急転直下で、明日で終了となりました。

この数ヶ月の間に仕事にストレスを感じたのは久しぶりです。

不調は 胃に来ました。

やはりストレスを貯めて体を壊しては元も子もありませんね。

普段、皆様にウンチクを垂れているのに、この有様。

はっとしました。

そんなとき、仕事もひと段落しましたので、、バイト先から勤務時間を短くするという申し出がありましたが、これから寒いし、予定も詰まっているので延長はご辞退しました。

好きな仕事なら踏ん張れる。でもこの仕事の展開の激しさは、背後の方の「力技」が働いているとしか思えない。

このまま手相見をやめてもいいのかな なんてちょっと思った矢先ですよ。なのに降って湧いたような仕事の終了。

そんなわけで、この一年、土日の午前中は手相見をお断りしていましたが12月13日からは、お受けすることが可能となりました。

今年、依頼をしてください、ご意向に添えなかった皆様、大変もうしわけありませんでした。

今年は、本当に好きなことに没頭する暇もなくて、気ぜわしい年ではありましたが、「今のガイド」さんのお言葉通り、「少し時間を作って…云々」することが可能となり、安堵しています。

バイト先がバイト先だけに私のことをご心配くださった、皆様、ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。

紅乃 煉



現在の私のガイド

現在のガイドのお嬢さん

続く、としていていつの間にか時間が経ってしまいました。

どうもこのところ調子が良くないので、ヘミシンク本を多数著作されている「まるの日圭」さんがヘミシンクで「ガイド拝見」をしてくれるというので、依頼しました。

「ヒーリングサロン ネコオル」

今までいろんな方に、ガイド(守護霊)を見てもらった経験があります。

ガイドは、見る人によって見え方が違うのじゃないかと思っておりました。ある人は二列で後ろに多数いる。ある人は光の存在、ギリシャの哲学風な男性、前世からつながる男性…等々。

どれが正しくて、間違いだというワケではない。

ガイドはその時々で交代するものだし、ヘミシンクによると、「見えない世界」がF10-F21という階層で現されるがあるので、その次元によるのかもしれません。

あと、ここがポイント!まるの日圭さんは、見えたガイドのイラストを描いてくださいます。

この記事のイラストの写真がそうです。

そしてA4用紙2枚に及ぶメッセージを記してくれます。

ヘミシンク歴1年とちょっとの私。断片的な経験はしていますが、リアルな体験はまだ。そこでモチベーションを維持したいという理由でお願いしました。

最近の不調に対して「現れた」のは、金髪のボブカットの若い少女。

天使のような雰囲気もあり、小悪魔風にも見える。

胸には緑色の石のペンダントをしている。

メッセージはA4用紙にみっちり書いてくださったが、部分抜粋してみますと

彼女が私に伝えたのは「もっと好奇心をもって、興味の有る事に集中して」

「今から必要なことは、人の言葉に振り回されすぎないようにすることです」

「これから出会う人は、自分と同じバランスを持っている人か、自分のバランスを崩す人かの二種類です」

そうそう、最近忙しくて、ワクワクすることなくなったなぁ。どうしよう?と

思っていたのだ。

ワクワクするものが見つからない。視界に移る世界は色褪せて見えるなとも思っていた。

「人からの誘いも少し考える時間を作って、それから返事をするようにしましょう」

メッセージを読んでいくうちに、

これからの世の中は

一人ひとりが好きなことを集中してやっていれば、人の文句を言う暇もない、良い流れの世の中になるのじゃないかなぁと思うのだ。

それが本当の、アセンション。次元上昇ではないか。

働き方も今までとは違う、産業革命以来の流れがくるのかもしれない。

メッセージからは、今の前面にでているガイドは、私に必要なモノを表現している。

私だけにじゃなくて、世間の人たちに向かって語りかけているようにも思える。

年末年始は時間ができるから、ヘミシンクを聴きながら、自分の内面と向き合ってみよう。

出産の経験は無いが、産みの苦しみに似ている気分を体験中。

私はもういちど、私を生もうとしている。

まるの日圭さんは、「ヘミシンクのある暮らし」というブログも開設しています。

興味深い記事も多いので、興味のある方はいらしてください。

今さらながら氣がついた

忙しくて、ブログの更新もままならない。

しかし、それは言い訳である。

本当に更新する氣があるならば、どんなことがあっても、書くことがあるのだ。

ある人が言った「年齢を言い訳にして、覚えられない、できないと言う人がいるけれど、”覚えなければ命が無い”とかいう状況なら、覚えるでしょう。ようは、それほど真剣じゃないってことだよ。何回でも聞けば言いや、という甘えがあるから覚えない」

私は自分にも、それが当てはまると氣がついた。年齢を言い訳にして、他人様に何度も教えを請うのは、なんか違う。真剣さがあれば、メモるし、実践する。しないのは真剣さが無いからだ。

私の周辺の人たちについても思いをめぐらせた。

「何度説明してくれても覚えなくて、ごめんなさい」と言われる。私はそのつど、方法を伝えて、情報の集め方も伝えるが、「煉さんが居てくれないと、○○できないのよ」と言われる。

今までは、それでもいいかなと思っていた。

ある日、氣がついた。私がいないとできないなら、それはその人にとって必要なことではなないのではないかと。

本当に逼迫しているなら、印象深くて覚えるはずなのだ。

記憶は感情に直結している。

またある人は 困ったことがあると、思い出したようにメールをくれる。いつも真摯に考えて返信をする。けれど相変わらず、その人からは「あれがダメ、これがウマクいかない」とのメールが来る。私の答えた内容は役に立っていないらしい。役に立つと言う考え自体が傲慢だろうか。

傲慢と、そしられてもいい。

なんだか疲れてきた。

友情も、恋愛も、我慢して続けるには、私は年をとってしまったことに氣がついた。

別の人は、「こうするといいんじゃない?」と伝えると、すぐに実践する。

そして、以前は「無理」と言っていたことも、自分で試してみて、どんどんクリアしていく。私が手を貸すこともなくなり、私以上に先に行ってしまったようだ。

更年期もあるのかな?いやいや考え方も変わってきたのだ。

背後霊(ガイド)も変わっているかも。

思い立って私は、ヘミシンク本を何冊も出版している「まるの日圭」さんの「ガイド拝見」に申し込むことにした。

前置きが長かったかな?続きは次回。



それは自己責任

141018_berybery私の住んでいる街は、街路樹の葉もほぼ落ちてしまい、すっかり晩秋の風景が広がっています。その街中の道路脇の植木というか、枯れ草の中に、ぽつんと在ったのが。

写真の赤い実。

これは、カフェで食したことがある、ベリーの実では?思わず、手にして帰宅。これひとつだけですよ。可愛いというか、枯れた色合いの中に存在する赤に惚れて、洗って食べてしまいました。

まさしく、カフェで食べたベリーパフェに乗っていた味でした。

それが10日以上前のことで、現在も無事でおります。

数年前、仕事帰りに、全然知らないおじさんから、オレンジを一つ、通り過ぎついでに「はい」と手渡されたことがありました。

 

怪しく思って、食するのをためらった後、食しましたよ。美味しいオレンジでした。

世の中には、こういうことがあるんです。

私の場合は道端に木苺、おじさんからオレンジ だったけれど、チャンスが突然目の前に来るってことがある。そのとき、怪しんで食べないという選択肢もあるし、思い切って食べて(乗って)みることも有りですね。その時は、もちろん自己責任で。自分の直感を信じることです。

万一、毒入りだったら、こうしてブログを書いていないだろうが、木苺も、オレンジも、食べたらなにかあるかもしれない。

思っているより試してしまえ!という直感が働いたのは本当の話。

あの、木苺、私の運を試すために、そこに在ったんじゃないかなぁと都合よく考えております。

運がいいとか悪いとかは、自分で思っている限りで、自己責任。



同姓同名

141019_サンキャッチャー

土日はお寺でバイト中、だれも居ない本堂から「お鈴(りん)」の音が…。

怖くはないけど不思議な感覚。

不思議なことが、当たり前に存在する空間におります。

秋です。冬至が待ち遠しい季節です。短くなる日照時間を、楽しませてくれるのは、サンキャッチャー!レインボーメーカーの出番です。

さきほど、めったに連絡がこない親戚から携帯電話に着信があり、ドキリとした。

この年齢になると、親戚からの久しぶりの電話→訃報がほとんど。

つい先日も、遠い親戚が逝ってしまったばかり。脳裏にはよからぬ想像が。折り返しなんどか電話をするが、出ない。ますます不安が。

夜、何度目かの電話にやっと出た。「着信がありましたが…」と言うと相手は「あぁ?」という反応。どうやらスマホを持っている故の誤動作だったらしい。

私の実名は従兄弟の奥様と同姓同名となる。それが相手方にも「どうして○○ちゃんの嫁から私宛に着信が…?」と訝しんでいたようだ。

私は出生時の名前を、通称に、裁判所に申し立てして戸籍を改名しているから、その親戚とってはずっと○○×という名前であった。

改名して15年以上になるが、親類にはあまり浸透していないようだ。

紅乃 煉という名前で手相を拝見して7年以上になるが、これもまた読みが難しいので浸透していないようだ。

先日もお得意様に「くれないのりゅう」と読まれて、

今までコツコツ積み上げてきた、薄っぺらい自信を一瞬に突き破り、日本海溝の底に行き着くかと思うほど落ち込んだ(笑)。

言霊は人を救いもするが傷つけもする。

人間は、温かい言葉で傷つくこともあるし、厳しい言葉に救われることもある。

言葉は言葉でしかないが、受け取る側次第で、どんな力でも持つ。

神様は、悪魔の姿で人間を試し

悪魔は、天使の姿で人間を堕落させる。

頭ではわかっている。

それでも

浮上するまで、時間も気力も要った。

それが人間。

それで人間。

完璧なわけない。

完璧なら、それは神様。

 

それから、このブログと備忘録がipad やiPhoneではサーバーエラーや、表示されない不具合があるようです。

可能でしたらパソコンからご覧くださいませ。

ぷりんと突然のお別れ

我が家の三代目猫女王、ぷりん(愛称ぷりこ)が本日朝の、6時過ぎに虹の橋を渡りました。

本当に突然のお別れでした。

本日朝、5時過ぎにはお気に入りの缶詰を一パック丸々とたいらげていました。元気そうでしたし、その後横になって眠っているのかと思っていたら、息をひきとっていたのです。

心臓麻痺か脳出血ではないかと予想します。

ぷりんは、先日、8月の22日に満で18歳となりました。猫の18歳は人間年齢に換算すると88歳。高齢です。

生後2ヶ月(出会ったのは1996年10月の22日)で拾ってきて、以来、頑なにドライフードを口にせず、まぐろの缶詰、鳥のささみに加えそれもベビーラーメンやえびっぷり!などの塩系のおやつを振り掛けないと食さない徹底ぶりでした。我が家の猫エンゲル係数を一匹(ひとり)で上げていたのは、このぷりんです。

亡父が生前、「好きなものを、好きなだけ食べて死ねば、本望だろう」とよく言っていましたので、短命でもしょうがないかも、と思いながら世話をしてきました。食事には他の猫たちより、手間も氣もかけてきました。

でも、予想に反して、定期検査でも異常なく、毛艶もいいね!と獣医さんにほめられました。

本当に長生きしたと思います。

12歳でみみこ、14歳(予想)でななこ、13歳で こたろう、と先立った猫たちに比べると、闘病もせず、ほんとうにあっけなくあっさり旅発ちました。それも敬老の日に。出来すぎ!!さすがだぷりん。

まさに大往生。私もあやかりたいくらいです。闘病もしていなかったので、体重はへらず肉付きもがしりしています。毛並みも美しい。寝ているような姿です。一晩置いたら、起き上がってくるかも!と思うほどです。

子猫のときから世話をしていたけど、甘え上手ではなかった ぷりん。

孤高の女王様。

頑固で、氣が強い。男装の麗人のような面構え。18年間、傍にいてくれてありがとう。ぷりん。

私的には、突然のお別れというのは、幼少時、叔父が事故で他界という形で経験していますが、成人してからは身近な存在では初めてです。

亡父も今までの猫たちも、闘病の果てに見送っていますので、ある程度覚悟と言うのがあったんです。

でも、ぷりんは本当に突然だったので、つくづく、今日は明日に続いているっていうわけではないのだと、改めて氣がつきました。

その分、思ってしまうんです。しかたないですね。

もうちょっと優しくできたんじゃないかってね。

突然のことで、悲しみを感じる余裕はまだないです。きっとあとからジワジワくるのだろうと思います。

ちょっと忙しくて

このブログも、備忘録も更新が滞っています。

備忘録は、お直し中心なのですが、更新するには気ぜわしい。

手相見も、続いたので、話をまとめる余裕がない。

プライベートもちょっと忙しい。

そんなこんなで、お立ち寄りくださっている皆様、もう少ししたら落ち着くと思いますので、またよろしくお願いします。

在宅ワークでデータ入力もしているので、肩が凝るなぁと思っていましたら、ある人から「人間の首の後ろ部分は、霊が出入りするポイント」と聞きました。

太古から、ネックレスを身につけているのは、装飾のためだけではありません。首周りにあるチャクラを守るためなんだとか。

そんなわけで、磁気ネックレスを購入せねば!と思い立ち、水洗いも出来るという、マグネループを購入。磁気の力で、結界も作れて、肩こりも少し楽になりました。

気のせい?かも、と懐疑的な部分もあったのですが、磁力で、MRIも撮影できる時代ですから、信じました。このマグネループの良いところは、寝ている間も装着できるというところです。

私には効果ありました。



夏バテかも

140811_虹
残暑お見舞い申し上げます。

台風が温帯低気圧に変わり、雨のちに虹がかかりました。今年、自分で虹を見るのは初めてです。

もともと、暑いのは苦手な北国育ちでしたが、更年期障害のホットフラッシュが加わり、バテております。食事はきちんと摂れているし、睡眠もヘミシンクのおかげでばっちりです。で、夏バテがどこに出ているかと言うと、気力ですかね。

手相見の依頼に臨機応変に応じるのは夏場は無理そうです。

夏はとにかく暑いと萎える。

メインのバイトのほかに土日のアルバイトがあり、それがお寺の事務補助です。

私はそのお寺の檀家ではなくて、自身では無宗教というか、自分教、水晶教(自称)です。

檀家さんのデータベース作り、行事案内作成、その他書類作りが主な仕事です。たまに納骨堂の掃除もします。

このバイトは知り合いから紹介されたのですが、不思議なご縁でつながりました。大げさに言うと時空を越えて、な感じです。こういうことがあるから、他人様とのご縁は良くも悪くも疎かにしないほうがいい。

例えは良く無いですが、会社に不満があっても、相手に不満があっても「円満退社」「円満離婚」(?)が後々よろしい。

よく「会社を辞めるとき、不満を指折り数えて、上司に言った」という類の話を聴きますが、それは避けるが賢明です。

その会社の元同僚がどこでどう、自分の人生にかかわってくるかわかりません。

どこで、別れた(元)夫、妻、親族と縁が繋がるかは、天のみぞ知るところです。

また、お寺にいるということは、忘れていた数十年前のご縁と繋がる機会があるということ。

そして、病院と同様、お寺も人間の生死と密接につながっている場所と言えます。

半年以上、お寺で(実質わずかな日数ですが)、働いてみて、垣間見えるものも増えました。

弔いは、「亡くなった人を想う」、「生きている人間の為」にあるのだということです。

そのために、(現世に残る人)は、お寺にお布施をし、志納するのですね。

私の年齢を考えると、今更感ですが、毎週接する、あの世とこの世の境界線上に、私も末端に足の小指程度に触れています。

祈る人の気持ちが、大切なんですね。

私自身は、うまく死後の世界に旅立っても、家族がいないので、祈る人は皆無でしょう。でもそれで良いんだと思っています。

一人でも手を合わせ、祈ってくれる人がいるってことは、幸せなことです。

この世に、当たり前にあるってことは、なにもない。

すべてが、有り難いこと。私もあなたも毎日、奇跡の中で暮らしているようなものですね。

苦しみも、悲しみも、更年期も。生きているからこそ。

お寺の事務所は大部分がガラス張りなんですが、一日、一度、ガラスが鳴ります。風でもなく、地震でもないのに、鳴動するのです。お寺に立ち寄る霊が挨拶してくれていると思っています。

でも、暑い。

これで秋になるともの寂しさを感じるのも毎年のことです。

いいんじゃないの

140729空
このブログを始めた頃、精神的にも身体的にもキツかった。余裕がなかったとも言える。嘆くよりは、運を良くする方法を試してみて、その結果を記録しようとブログをつづった。ブログに来てくださる方のキーワードを見ると、「手相」「風水」「お茶碗に5円玉」「運気の変わり目」が多い。手相を「鑑定」ではなくて「見る」と言うのは、人の人生を鑑定する度量が私に無いからで、ただ見ているから。風水にこだわっていたのは、自分自身の運気が底の底だったので、言葉はよろしくないが「藁にもすがる」思いで始めた。もちろん「お茶碗に5円玉」もそうだ。

効能?ありましたとも。ありましたがブログでこんな良いことがあったよ~と具体的には申しません。私の「良いこと」は他人様から見たら「瑣末」なことかもしれないが、自分の「幸せ」は他人から認めてもらうことではなくて、自分で決めて良いと思うのだ。

今、自分を不幸だの、ツイテいないだの思っても、それは案外、意外なところにつながっていくかもしれない。言い古された言葉だが、「ピンチはチャンス」であるかもしれない。

私にはそういうことがあった。

自分自身の思考や行動が、実はテレビの影響だったり、周囲の人間の価値観から影響されていたりする。人間は学習したとおり動いている。

○○だから幸せ、○○だから不幸 という価値観はあなたの見ている世界だけかもしれない。常に決め付けしない、押し付けもしないようにして共存すれば良いのだ。

世間一般から見れば、私は老いていて、お金も無いし、持病があるし、独身。イコール 可哀相な存在だろうが、

若くないから、恋愛関連の心配も無いし、お金も無いから、失う心配も無いし、独身だから嫁姑の確執や夫への不満も無いし、いつ死んでも心残りは無い と言える。

他人の立ち位置を見て自分の幸不幸を判断しない。これからはそういう時代なのかもしれない。

私がヘミシンクを始めて1年経った。スピリチュアルな体験は明確にはないが、これは脳が慣れるまで2年はかかるというので、まぁ良い。

続けることがヘミシンクのコツだという。

良質の眠りを得られたので、体外離脱には興味は無いが、ゲートウェイの1,2巻に興味が出てきたところ。

2巻でCD6枚なのですが、一人だと挫折しそうなので、気長にヘミシンクの友(略してヘミ友)を探しています。

自分で幸せになること

140622_rose
先日、年に一度の持病の定期検査で総合病院へ出向いたのですが。受付窓口でとても威圧的な不遜な態度をとる熟年男性を見かけました。受付窓口の女性が検査に出向く指示を忘れたようなんですが、それに対して、罵っているんです。文字にするのも嫌なくらいです。

声も大きいし。とっても不快だったのですが、受付の女性は謝罪していながら表情ひとつ曇らせない。プロだと思いましたね。不快では有りましたが、視点を変えると、病院だし、体の調子の悪い人もいるし、許容されるのかも。そう思わないと、こなせませんね。立場は違いますが、若い頃ビジネスホテルの受付をしていたことがありまして、女性だということで態度が不遜で尊大なお客もいらっしゃる。始めからケンカ腰なんですね。

重箱の隅をツツクようにです。でも社長が応対すると、態度を一変させるんです。紳士的になる。社長がいなくなると、また責めてくる。 自分より下のモノにしか強く出られないという。「自分は小物です」と自分で表明しているような印象です。昔、年配の男性が、車を降りて、抗議していたのは、若い女性だったのを見かけたこともあります。

車の運転に抗議していたようです。「よほど面白くないことがあったのかな」と思ったけど。

別の日には銀行の窓口の女性に声を荒げている男性を見たことがあります。事業者用の窓口でしたから、「なにか商売がうまくいっていないのかしら」と思ったりしました。 あれは相手が女性だからああいう態度を取るのでしょうか。

絶対自分に反撃してこない相手を選んでいるんですね。周りから見ても一目瞭然。 他人に対して攻撃的な人は、周りが「ああしてくれない」「こうしてくれない」だの「わたしばっかり」等々不満がくすぶっていて、ちょっとした刺激で弾けてしまうんだろうと思います。

不満な自分の態度が周りに影響していると考えもつかないのでしょう。 他人に優しくされないと、不満があったら、そこはこらえて、他人に少し優しく接してみると、いいんじゃないでしょうか。 わたしばっかり!と思いますか。相手に攻撃をして一時は扱いが変わるかもしれませんが、攻撃された相手の中で芽生えた不満の波動はめぐりめぐって、発したあなたに戻ってきます。

不思議なもので、速攻反応がないから厄介なのです。 遠大なドミノ倒しのように、小さな波紋は大きくなって、戻ってくるのです。

今のままでは、ずっと今のままか悪くなりこそすれ、良くはなりません。相手が一歩譲って、あなたがすっきりしても、深いところが満たされていないからです。 同じ、波紋でも、良いことなら、もっと大きな恵を得ることができます。それは本人が忘れた頃にもたらされます。 わたしばかりが譲っている!私ばかりが我慢している!そう思っても 私から!となにか良いことを始めてみるのが、開運の近道でしょう。

人生の終焉が見えてきた私には、そう見えます。 良いことをしても、すぐに好転が見られないかもしれません。悪いことのほうがインパクトが強くて、目立たないでしょう。目立たないけど、無駄にはなっていないものなのです。 私は手相見であるけれど、愚痴を聴くのも、つらいことを聴くのも御代を頂いているので、仕事と割り切っています。

が、友人に延々と愚痴られるのを耐えられるほど、人間ができていないようです。 私の友人たちは皆、前向きでパワフルで、尊敬できる人ばかり。 どう励ましても私の言葉が届いていないと思われる人には、力が及ばず申し訳ないと思います。 でも!愚痴や不安は癖になる。自分で意識的にプラスに考えないと、自分で決めないと、負のスパイラルからは抜けられないのよ。 自分では自覚が無いかもしれませんが、愚痴っているのが楽になっている場合もあるのです。

愚痴を言う唇から、今ある幸せ、今得ているものに感謝して、最初はつらくても、少しずつ良いものを見ていくようにしたほうがずっと人生は暮らしやすいのよ。 体は不調かもしれない。つらい事もあるでしょうが、それは、「生きているから」です。あなたを支えてくれる人が傍にいるのだから、氣が付いてほしい。あなたはきっと私よりも何倍も頑張っているし、恵まれている。今気づかないともったいない。