引かずに、押せ

最近、知って、妙に印象に残っている言葉「獅子に腕を噛まれたら、引くな、押せ」。

苦手なことを避けずに、自分から立ち向かえ、ってことですかね?

そうですね~。苦手なことなどを避けよう、避けようと考えていると、その間の負の思考が、かえって苦手なことを呼び寄せる。

あえて、苦手なことが目の前に来たら、思い切って掴みに行ったほうが、得る事があるという意味だと思ったのですが。どうなんでしょう。

実際、獅子に腕を噛まれて、引こうとすると、大怪我、うまく腕が抜けても、その隙に獅子は襲ってきますね。

逆に、多少痛いけど、腕を突っ込んで、獅子に一撃を加えて、打開するという手も使えます。そのほうが自分の気分としては「勝ち」ですね。

もう、生きている年数より、死ぬまでの年数のほうが近い年齢の私として、自分の人生を振り返ると、「無駄ばかり」「失敗ばかり」「選択違い」という言葉が脳裏をよぎります。他人から見ると「愚かで」「負け犬」と指さされるかもしれませんね。

でも、私自身「これが私が”生まれる前から望んでいた計画通り”の人生だったのね」と納得してしまうと、私自身にとっては、「幸せな人生」だったということ。他人の感想は関係なくなる。

自分が、自分の人生を「予定通りだったなぁ」と納得してしまえば、他人の眼から見てどうよ?というのは意味が無いわけです。

「こんなこと、恥ずかしい」という思考は自分の本質に対して考えていればいいのか。

「煉さんて~~、その年齢で、結婚してないんですか~?人生終わってますよね~~ 」と言われたとしよう。

「そうだよね~~。一般的にはそう見えるよねぇ。でも自分でそういう人生を選んだから、しょうがないのよ」と応えるだろう。

一般的と言うのに、こだわりや安心を得られなかった。

一般外な人生。まさにわたしが選んできたのはそこかも。

人並みの幸せには、縁遠くてしかたない。

生きているだけで、自分に「OK、上出来」と言えるのが私の今生の目標だったってことだ。

そういう視点でみれば、「なんだぁ。幸せな人生ってことね」と腑に落ちた。

「引かずに押した」ぞ!! ←????こんな感じでいいのか。

…なんの落ちも無く、終わる。

 



先に笑ってみるか

世の中には、ツンデレという言葉がある。ツンツンしているが、意外なところでデレっとする。そこに「キュン」とくることを指すの…かな。

私の高校生時代の同級生は、就職した先で、仕事をバリバリこなすヤツだったが、人望が無くて、出世コースから外れてしまった。

「自分は仕事ができる。次の人事異動で、課長になれる」と確信していたが叶わず、精神のバランスを失ったと、風の便りに聞いた。

仕事ができること=出世する とは直結しているようで違う。

人をまとめて、上に立つ人に求められるのは、コミュニケーション能力だ。

威張ったりすることではなくて、部下の力を引き出す能力だ。

他人を貶めて、出世しても、恨みを買って、足元をすくわれてしまう。

仕事で得た名声を、別の形で失うことになる。

世の中の見えない部分に、その仕組みは存在している。

 

本当に「できる人」は、仕事は普通よりややできる程度だが、部下の使い方が巧い人だ。ここが、周囲から「できる人」と、評価される。

たまに仕事ができない(処理能力が劣る)のに出世している人を観察すると、「上」に対するコミュニケーション能力に長けている人が多い。

人間は、機械じゃない。

感情がある。

感情があるかぎり、仕事にはコミュニケーションが必要なのだ。

会議も、飲み会も、会社の旅行も。人間を観察するためにある。

仕事と考えると堅苦しいが、守護との手段として捉えると、また違う面も見えてくる。

その中で、笑顔は、お手軽で無料。タダですよ。奥さん!

「面白くも無いのに、笑えるか」と、あなたは言うだろうか。

笑ってみれば、面白くなるかもしれないよ。

ニワトリが先かたまごが先かという議論になるけど、

私はカタチから入ることを力説する。

好きなこと、愛しているペットを思い浮かべると、自然な笑いになるらしい。

必要以上に笑うことはお勧めしないが、なにかあるときに笑えるようにしておくと、落ち込んだりすることも少なくなる。

昔、仕事をしてもしても終わらなかったとき、大笑いしたことがあるが、あれは脳のなんとかという物質が出て、笑わせていたと思う。

人間にはそういう仕組みがあるんだなぁ。

あるなら使ってみては、と思うのだ。

最近、このブログは、自分自身に向けて綴っているのだと、自覚してます。

もう、ブログもネタ切れというか、あえて無理して綴らなくても良い時期に来ているのだと思ってます。小手先でどうなるものでもないので、思いついたらメモる。

備忘録に近い路線になってますな。



自戒

周りは自分の見たように見える。

最近氣がついたことがあるので、自戒として記しておくことにする。

もっと言葉を大切にしよう。忙しかったり、疲れていたりすると思考が短絡的になってきて、目にする言葉も、発する言葉も軽いものになりがちだ。

最近の私が使っていた言葉「貧乏暇なし」というフレーズを知り合いが口にしていて氣がついた。

「貧乏」という言葉を発したときから、「貧乏」の波動は寄ってくる。

口癖にならないようにしよう。

「お金が無い」も禁句だ。自分で自分に暗示をかけているようなものだ。

これは「手持ちがない」と言う。

今は手持ちにないけど、いずれやってくる。

昔の人は言葉に宿る魂を言霊(ことたま)と言って神聖な存在として扱っていた。それゆえ、スルメはアタリメ、猿(去る)はエテと言いなおした。

東京では「派手だね」と言えば、マイナスの意が入っているので、京都では「雅やなぁ」とやんわり表現する。

もっと言葉を大切にしよう。たとえ貧しくとも、言葉=表現は豊かでいよう。

その2

職場で子供と言っても良いくらいの相手にナメられた態度をとられても、眼中には捉えない。

真剣に注意も、叱るにも値しない事象だ。

私が注意せずとも、相手が必要なときに、必要な形で気づくだろうから。

ということは、他人様から直接何か言われるうちが花ということか。

影で言われて済むようなら、ちょっと切ないかも。

その3

行動せずに後悔するくらいなら、行動してから後悔しよう。

やるだけやって、あとは天にお任せする。

周りの風景が変化するには、時間差がある。

即効性は求めない。

忙しいを嬉しい言葉とする。

自分の許容量を、きちんと把握する。

好きな仕事しか、しない。

嫌な仕事だったら、好きになるようにする。

無理もしない。

 



世界は自分の見るように見える

仕事の山場が過ぎたと思ったら、飼い猫が膀胱炎になって通院、慌しい。

落ち着いた頃、母が「頭が痛い」というので、年齢も年齢なので、脳外科に連れて行ったところ検査結果は

「脳には異常なしです。肩こりから来ている頭痛ですね。痛み止めを処方しておきます」と大事にならなかった。

そんなところで、週末のバイトへ。ところが雪が降って、バイトは半日で終了した。それで、時間ができたが、結局、自宅周りの雪かきに汗を流した。

これを、大変だったわ~と捉えるか、充実していたなぁ、と捉えるか。

自分を取り巻く世界は、本人の見たいように見えるのだ。

昔、悩める人がいた。

彼をDさんとしておこうか。彼は、都会育ちで、どうにもこの街に、というか街の人が好きじゃないらしい。

Dさんと私の仕事での接点は数分なのだが、そのわずかな時間に「この街の人にああ言われた、こう言われた」とこぼす。

愚痴という漢字にあてはめるほどではないが、その負の言葉の連なりに、わたしは相槌をもって流すのみである。

親身なアドバイスや真剣な言葉は、依頼主には尽くすが、Dさんは不要だと言うだろう。

Dさんの仕事は、世間で言うところの「立派な」仕事である。立派な仕事をしているのだから、もっと自信を持っていいと思う。

彼は、周りを批判しているが、自分が見える世界が、鏡だということに氣がついていないのだ。批判しているように見えて、自分の不足分を映し出しているのだ。

なんともったいないことだろう。

嫌なら、仕事を変えるか、考え方を変えるかするのがいいのだが、彼は私に負の言葉を延々と言うのみ。

だが、私は他人の感情のゴミは拾わないことにしている。

負のエネルギーに巻き込まれそうになったら、光のイメージで相手をブロックする。

私にとっては、良いイメージトレーニングの練習台と思うことにした。

周りに対して不満ばかり言っている人は、自分が周りに同じような態度をとっている事に氣がつかない。

常に前向きに、光を与えようと努力(思う)する人は、不満を、満足に近づけていける人だ。

ちょっとした、不便な環境を、いかに自分の理想に近づけるか。

Dさんを見ていると、世間一般でいうところの立派な職業なのに幸せを感じていない。

「安定した仕事をしているから幸せというわけでもない」

「●●をしているからと言って幸せを感じていないんだな」と

あらゆることが見えてくる。

私は、彼は衣食住には欠いていないが、幸せではないのだろうと思える。

幸せになるのに必要なこと、それは、自分で幸せを感じる、その感性が大事なんだと改めて、思い知った。

逆を言えば

幸せになるには自分の覚悟さえ、あればいいのだ。

少なくとも、周りがどう言おうと、

幸せなんだ~~~と考えておけば、真の幸せは、後からついてくる。


脳をだます

ren091210

手相を拝見して、運気の流れを読むのは、あっけないということは、以前から言っている通り。手相は己の思考が表れたものであるから、「これからなにか良いことありますか」「××才ごろに出会いがあって…」という具合。悩み事があるとどんな展開になるかという傾向を読んで、少しでも良い方向へ持っていく方法を提案する。が、提示される情報が極端に少ない場合、隠し事などがあれば、読み取るカンも鈍るのは否めない。また、傾向をお話しても、既に本人の内面で答えが出ている場合も、私の「読み取り」は確認作業となる。

自分で、これからどうしたいのか?

どうしたらよいでしょう?とたずねられると、「このままだとこうなります」と予想する。

それを受け入れるか? その結果は避けたいのか。自分で決められなければ、流されるままとなる。

だから、決めてしまおう!傍から見て、「図々しいわね」「できっこない」という展開でもいい。

思うだけは無料だ。誰に迷惑がかかるわけがない。

テレビで脳梗塞で倒れた学者が、鏡を使って自分の脳をだまし、麻痺した右手を動かし、奇跡的に回復した話を見た。

脳は、騙される。どうせ騙すなら、良い方向へ騙してしまおう。思考が変われば、手相の線も変わってくる。

弱弱しい運命線が太くなり、深い内面からの警告で切れていた線も繋がる。

不運続きで疲れていたら、小さな達成感を積み重ねて、自分にOKを出してみよう。

人間は、結局、自分の運を上げてくれそうな人間に集まってくる。同情されて優しくされることに慣れてしまうと、運は先細る。

どうせならば、運を人と分かち合い、循環させると決めてみてはいかがだろう。

転んで、泣いて、泥だらけになっても、笑っている人に、人はかけより、手を差し伸べてくれる。

周りのせいにして、責める人間には近寄りがたい。

悩みは、悩みの向こうにある「何かを」好転するさせるために存在する。

それでも悩み続けたい人も、存在するけど。

それは、それで悩む本人の人生のテーマなのかもしれない。

 



山場越えました

トンネルを抜けると、雪国だった…。なんて文学的な表現をしてしまいたくなる。今日は2月の上旬。ワラジを何足か履いている私ですが、どうやら山場を抜けたと思います。

第1のバイト先のデータベース関連と月初めの作業が。第2のバイト先のイベント受付関連、第3の手相見関連、第4の天然石関連が、集中して来ていたのですが、過ぎたようです。この感覚は昔の原稿を書いていて終わった、「脱稿した~」という感覚に似ています。

本日以降、平日の手相拝見も午後5時以降可能となり、土日は午後4時以降で、よろしくお願いします。

毎月10日を過ぎると、余裕も出てきますので、どうしても午後2時から、なんて場合があれば、まずはご相談ください。

拝見数が増えていると、意外なところから意外なつながりで、拝見している方々がつながっていると知らされ、私自身驚くこともあります。もちろん顧客情報は守秘義務ですので、ご安心を。

先日は、節分でした。皆さん、恵方巻きに豆まき、されたでしょうか。

私の最近増えたバイトは、某所での節分祈祷の受付だったのですが、申込書を見ると、我子や孫、親兄弟の無病息災、交通安全などの願いを目にすると、案じてくださる人の存在するありがたさを感じました。

自分がこうして生きていられるのも、知らないところで祈ってくださる方があればこそ。

本当に「おかげさま」だと思います。

孤独を感じたとき、辛いとき、周りに味方がいないと思えたときも、きっと誰かが遠くで、あなたの無事と安全と平和を祈ってくれているに違いないと、確信しました。



手を握ってみた

先日見た、不思議な夢を記しておきます。 寝るとき、頭の上の位置には箪笥があります。 空間はありません。本当は頭上のオーラやチャクラのために、少し空間があれば良いのだそうですが、私の部屋は狭いので、そんな余裕はありません。 夢の中で私は、頭上に手を伸ばします。 すると、誰かの手があり、わたしはそれを握ります。感触から女性の手だとわかりました。 誰の手だろう、と思いながら目がさめかけ、もう一度、うっかり手を頭上に伸ばして、存在する手を確認して握ります。今度は、女性の顔が浮かびました。 変だぞ、頭上には空間はないはず。と思い出し、さらに確認して握ります。 そこで、目が覚めました。 伸ばしていた手は、もしかしたら、私の霊体の手が、背後霊の手を握ったのかも。 前回は男性だったが、頭上にいるのは女性のようです。 霊には性別が無いので、女性性があると判断しました。 ヘミシンクは続けることに意味があるので、寝オチしても、しなくても続けてます。 ヘミシンクの最中に、大きな光を見ることがあります。紫色や黄色など様々です。 このところ仕事が忙しくて、早朝にヘミシンクをすることがないので、成果はありませんが、気長に続けます。 このところは、ヘミシンクしないと、気持ちよい眠りに就けなくなったような氣がします。 眠りの質に貢献しているのは事実です。



今年の傾向

1月は行く、2月は逃げる。早いもので、もうすぐ2月です。

手相見のお問い合わせをくださる皆様、いつもありがとうございます。

手相を、見始めて、振り返るに、1年ごとに依頼者の相談の内容や環境などに共通なことがあるなぁと感じておりました。

ご新規さん中心、リピーターさんメイン、どちらも半々とかですね。

相談内容も、不思議と偏ります。

結婚、離婚、家族のこと、自分の進路…。

今年は、外から、が中心になりそうです。

何かというと、「依頼者が私の住む街の外から来られること」が多いのです。不思議と続きます。

手相見として、私も育てていただいていると感じます。

依頼者あっての手相見のスキル向上というのでしょうか。皆さんのおかげで、皆さんの手相を見ることができるのです。自分で自分の手相を見るとあっという間に終わってしまうし、自分のことだと迷いがあるので、詳しくは見られない。

 

手相見は、あくまでも通りすがり。私の見立てが全てではありません。他人様の人生をどうこうできる力もないのです。

見立てで、自分の意に沿わなければ、とりあえず流してしまうのが人間というもの。

何年かを経て「あ!」と思い当たる、気づくことができたときのために、手相を見ることに意味があると思っています。

自分で、お金を払ってまで、聴きたいことがある!なんとかしたい!と思うからこそ、見料を払っていただけるもの。

無料でちょっとだけ、見てもらえたら良いわ。と、ちらちらと手を差し出してくる方には、簡単に言う場合と「今は見る時期じゃないですね」と告げる場合があります。

聴くという、腹が決まっていないと、こちらも真剣にはお話できません。

手相は、本当はシンプルで、運気の流れを、見るものです。

私は、その先にあるものを読み解きたいと思ってます。

ある方に見ていただいたところ、普段のワタクシと手相見のワタクシ、ガイド(背後霊?)が入れ替わるそうです。

確かに、手相を見ているときは、脳裏に浮かぶ、というよりは、口をする~っと通って出てくるというか、ダウンロード画面に近い感覚はあります。

きっと、それは、私の手相見るという行為が、依頼者にとって「鏡」となっているようです。

運気の確認作業を一緒にしているということ。

依頼者あっての手相見です。

 



1月は行く、2月は…

最近、忙しくて、ごぶさたです。フルタイムで働いているお勤め人の方には申し訳ないですが、短時間ワーカーのワタクシ、世間で言う「貧乏暇なし」「ワーキングプア」色々な言葉がふと脳裏をよぎったりします。土日も働いております。

しかしながら、キツクて高給な仕事をこなすという選択肢は、ワタクシにはありません。かといって、ラクで高給な仕事にはもっと縁がない。

そうだな、商売で言うなら「薄利多売」。

 

現在、この思考癖を直すべく、イメージトレーニングしてます。

今の自分のキャッチコピーは「体力の限界に挑戦中(自分比)」

風邪除けには甘酒が良いよ!と周囲にすすめています。

これも体験からです。甘酒は「飲む点滴」というほど、栄養があるのだそうです。

私が体験を通して言えることは、御代を頂くけれど、くださる相手から「ありがとう」と言われる。

好きな仕事を好きなようにして、感謝されること。

自分の好きなことをしていると、疲労も感じず、質の良い眠りが得られるということ。

私が幸せを感じるのは、こういう部分ですね。

肉体の限界よりも精神の限界のほうが、早く人間を疲弊させると思うから。限界を見極めるカンはどこで養うかが、思案のしどころですが、そういう部分を手相で見つけることも、よくあります。

人間、最後は気力ですから。

仕事を探したり、落ち込んだりしたときは

もっと自分の気持ちを大切に扱って欲しいです。

 

ヘミシンクも続けていますが、最近はさすがに寝オチします。

2月は、もっと聴きこみます。

ipod touch 欲しい!と引き寄せに挑戦中。

 



放物線を感じるとき

私が愛用する、パイロットの万年筆、「KAKUNO-かくの-」には、モンブラン社のインクが入っている。ミッドナイトブラックという、落ち着いた色。私は自分の字に劣等感があり、ウマくなりたいと思いつつ、ずるずると放置していた。書く事が楽しければ、字もうまく書こうという思考が働くかもしれない。と思った矢先に「KAKUNO」が発売され、思いもよらないところで、手に入った。

次はインクだ。紙は神に通じるというので、願い事や目標を書き留めるのにはインクは、良いものを使いたい。これも思いもよらないところから、分けていただいた。万年筆にはカートリッジではなく、コンバーターという器具を装着している。KAKUNO は廉価版ながら、三千円クラスのペン先を持っている。20ミリサイズを使用していたが、あっという間に使い切るので50ミリサイズを購入して使っている。インクが無くなるのが早いか、ペン先が壊れるのが早いのか、悩んでいたが、分けていただいたモンブランのインクが廃版になるというので、慌てて購入した。

自分を幸せにできるのは、自分しかいない。

私はカタチから入る人間。

幸せにしてもらおう、と思うのではなくて、自分で「幸せだ」と思い切ることに力を注ぐことにしている。

幸せだと思ったら、多少のことは、氣にならない。氣にならない。…ということにしておく。

今、辛くて、暗くて、どうしようもない。

嫌いな人がいるとか、復讐したい人がいるとか、いう若者よ、

あなたの倍近く(汗)、い、いや 十数年長く生きてきた私が最近、思うことは、人間、数年後はどうなるか、わからないということだ。

どうしようもない嫌いなヤツとどこかで一緒になるかもしれない。

さんざん、苛めた存在が、思いもかけないところで、命運を握ってくる場合もあるかもしれない。そのとき後悔しても、後の祭りなのだ。

情けは人のためならず。

情けは、未来の自分のためでもある。

人には思いやりをもって接するのが、あなたの運を底上げする。

最初は、形から入っても良いんだ。

目先の損得にとらわれることなかれ。

世の中にある「運」というのは大きな、放物線を描いている。