もう、半歩前へ

ゴールドルチル

本日、手相見有り。今まで手相を拝見するのは、紹介されてということにこだわっていた。

それは、きっと自分の手相見について懐疑的な部分があったからだと思う。

私は手相を見て、他人の運気を見ているが、そのことに対して自分にそういう資格があるのか。見ていいのか。心のどこかでずっと問い続ける聲を聴いていた。

このままのスタイルでいこうか、それとも。そんなことをつらつら考えていたときに、ブログを読んでくださっている方から依頼のメールが届いた。

今までも、数度、依頼者が遠方在住の場合があったりして、実現は難しかった。

また、男性の方からの依頼も、紹介者がいない場合はお断りしていた。

今回は同じ街に住まわれている女性の方で、「ダメもとで」問い合わせてくださったその行動力に感じることがあり、思い切ってお受けした。

紹介で見ている手相見に、メールをすることに勇気も必要だっただろうと想像する。

私も、そろそろ自分なりに制限していた枠から、外れてみることにした。外れてみて、見えたものが依頼者の希望と違うのなら、そのときは、手相見を続けるかどうかを考えれば良いと考えたからだ。

これは、背後霊に聴いたというか「やってみれば」というお膳立てがされたと解釈している。

必要な「お告げ」は、他人の口からやってくるのだ。

自分の行動や思考に限界を設けているのは、自分自身なのだ。

そういう意味では、自分の世界を作っているのは自分の心だと言える。

私のブログを読んで、どこかしら共鳴してくださっているのなら、紹介者はなくともご依頼を受けて拝見しても良いのではないか。もう、一歩前に踏み出す日が来ているのではと判断した。

今日、依頼者にお会いするとき、私は緊張していた。なんとも小心者な神経である。

結果、ブログを読んで、受け入れてくださった方の手相は拝見していけると思うに至った。

でも、男性の場合は紹介者が必要だというのは変わりない。

とりあえず、半歩ながら前に行動してみた。

ダメもと、これが開運のキーワード。

ダメでもともと。断られることを恐れない。

私も、ダメでもともと、相手に受け入れられなくても、なんら変わりない。ただの手相見である。

今日は、そう自覚した記念日。

 



夕陽にのびる一条の光

本日、2013年11月16日 15:52分に、西の空に落下物を目撃。

これは2009年10月28日以来、ほぼ4年ぶりのことで、わたしは興奮して、携帯電話で写真を撮影した。

機種変更して間もなくな携帯電話であったため、ズーム機能がわからず、手こずったのが悔しい。

写真では細い光の線で映ってはいるが、肉眼で見ると光り輝いている物体の落下の様は、見とれるくらい美しかった。

5枚ほど写真を撮影したが、思い通りに映らないので、あとの数分は、ただただ光が消えていく様を見つめていた。

流星にしては滞空時間が長すぎる。音もしない。

ただの落下物であっても、ようは目にするタイミングが意味する。

4年前は、買い物の帰りに、なにげに空を見上げたときに見た。

今回も、一日中市内を歩き回って買い物の帰りに、見上げた空に、光っていた。

前回も今回も、私はあることに迷っていた。その迷いに対する啓示(大げさであるが言ってしまおう!)のように目に飛び込んできたのだ。

その光の強さに、誰も気がついていない。

買い物帰りの客も、道路工事の作業員も、バスを待っている年配者も。

写真を見て、写真は写真だと思った。私が目にした輝きは、とてつもなく強く見えたから。

「見えた」のだ!!

ありふれた宇宙の出来事を目にしたことに意味がある。

いつも、愚痴を言ったりしたこと。不満をもっているけど仕方ない、と思っていたことを、できることから少しずつ、片付けてみよう、挑戦してみよう、試してみようと決めた。

今日はその記念日である。



今がそのとき

私の密かな楽しみは、Eテレ(教育テレビ)の「0655」と「2355」で「わたし猫」や「我輩は犬」などのコーナーを見ることに加え、月曜日恒例の携帯電話で撮影して楽しめる「たなくじ」。番組名がそのまま放送時間のこの番組。携帯電話が新しくなって初めてのたなくじ。「超吉」!自分史上最高運気だった。

シャッター速度が速くなって、便利。ピントも合わせやすい。

撮影した「たなくじ」は良い運の場合はそのまま保存して、お守りにしている。

さて、相談事の中に、「疎遠にしたい人」についてというのが増えてきた。疎遠にしたい人と疎遠にするタイミングは、

1位 転居を機会に住所を知らせず

2位 誘いを断り続けて、そのまま疎遠

5位 面と向かって絶縁宣言する

というのがあるらしい。

私は、上記のいずれも、された経験がある。自分自身を振り返ると思い当たる部分もあるが、どこか鈍い人間なのか、だいたい自分から絶縁など断言せずに、少し距離を置くというのが好み。

人によっては「はっきり言ってよ」と責められた時は「宣言」する場合もある。

今まで鈍感力でいるに越したことは無いと思っていたが、年齢も年齢なので周辺に上記のような行動を取られているのでは?とマメに考えるようにしている。

去るものは追わず、来るものは拒まずといるのが一番だが、そこらへんの加減が難しいのも事実だ。

携帯電話が壊れたのは、そういう見えない世界からのメッセージが来ているのかもしれないな、と思いあたる。

これを機に、携帯電話やパソコンのメールアドレスを整理し、周辺も整理することにした。

そうだ、今がその時だ!

電話帳にたくさん名前があるから、安心と言うわけでもない。

自分を必要にしてくれる人を見極める目が必要なのだ。

ひとつの縁を失うということは、新しい縁を結ぶ機会ができたということだ。

さびしがっている暇はない。

 



携帯電話が昇天した日

131031携帯電話

131031ハロウィーン

先日、携帯電話の充電部分のカバーが外れて、ショップで無償で直してもらった。それが22日。ついでに充電ホルダーも壊れたので、新しいのをポイントで購入。それは28日。

ついでに、減りの激しい電池パックを交換してもらった。それが30日。

携帯電話の充電時には、写真のようなエレメントが季節に合わせて表示される。

私はこの携帯電話がお気に入りだ。今日はハロウィン。充電時には上記の写真のように楽しい画面が。

その数時間後、携帯電話の画面は突然、7色の光を放って、沈黙したのだった。携帯電話の液晶部分が壊れたのは、本日31日である。欧米人ではないけれど、空に向かって「オー・マイ・ガー!!」な気分だ。

もう5年近く愛用してきた。私はヘビーユーザーではないのでまだまだ大丈夫だったと思っていたのだが。

携帯電話が息を引き取る場面を始めて見た。

これを機にスマートフォンへ…とも考えたが、普段は待ち受け専用だし、メールが打てればいい。現在のプランでいくと、1ヶ月の通信費は1000円ちょっと。

これをスマホにするとして、実質無料の機種を選んだとしても、通信費は7000円前後となる。ネットはパソコンで間に合っているし、スマホは不具合もまだ多いと聴く。なによりも、スマホ…特にiPhoneの液晶の美しさに魅入られてしまったら、ずっとスマホを触ってしまうかもしれない。私は意志が弱いのだ。

思案した結果、今回はスマホは見送ることにした。

今、在庫のある中で一番、手っ取り早いものを選んで機種変更。

右が壊れた携帯電話。左が新しい携帯電話である。

どっちもSH製。

唯一、困ったことが。

携帯電話の液晶画面がまったく起動しないため、データの移行ができなかったのだ。

バックアップはパソコンでとってあるが、データは8月末日のものだったので、9月以降の電話帳アドレスが消失したことになる。

ブログをご覧の皆様の中で、9月から10月にかけて、私にアドレス変更のお知らせを下さった方々にお願いします。

お手数ですが、空メールでご連絡をくださると、助かります。

また、本日、31日の朝から、携帯宛にメールを下さった方、携帯電話の不具合で届いていない可能性もありますので、

私宛にメールをくださって、2日以内に返信が無い場合は、念のためもう一度、メールを再送信してくださるよう、お願い申し上げます。

つい先日も、左目のコンタクトレンズをいつの間にか紛失してしまい、最近、次々とモノが壊れ、失せ、心身ともに動揺しております。

運気の変わり目、実体にダメージがなくて良かったです。

モノで済むなら、それにこしたことは無いですからね。

よろしくお願いします。



理想の手相道具との出会い

手相見を始めた頃は、道具は使用していませんでした。

お話する過程で「運命線が…」「生命線が…」と話すとたいていの方は「どの線?」「どこですか」とお尋ねになります。私にとっては、見分けられるのが当たり前の手のひらの線ですが、知らない人はまったく知らない。

説明するのに、いいものはないかなぁ…と思案し始めたとき、最初に用いたのはガラスの棒、これは本来、手相用ではなくて、何年も前に購入していたガラス工芸の(つまようじ)として購入したものです。説明するときに、線を指し示して使用します。

ある日、ガラス棒はうっかり破損してしまい、しばらく次の手相棒を探していました。

かんざし、ガラスペンなど試しましたが、どれもしっくり来ません。

そんなとき、書店で「手相棒」を見つけて、それを使用しました。さすが手相を変えるために考案されただけあって、悪くは有りません。

これもしばらく使用していましたが、先日立ち寄ったお店で、ぶどうつるで作った鉛筆のオブジェと出会いました。

えんぴつの形をしていますが、オブジェなので、文字は書けません。

書けないので、手相棒に使えるかも!と思ったのです。

そのうえ、刻まれた模様が四葉のクローバー!私がよく使う幸運のシンボルです。

運命を感じて(大げさかな)、お店の方に「これに名前を入れることができますか」とたずねましたら快諾していただき、「Ren」と入れていただきました。ぶどうつるというのは思った以上に硬いようで、作業は少々たいへんだったようです。

ガラス棒より重くなくて、落としても割れる心配がない。そして、手のひらの手相の線をなぞって示しても、ぬくもりが伝わるようです。

なにより名前も入れていただいて、一点もの。手相見のモチベーションも上がるというもの。

このお店、「Q太郎」という店名。店名の由来はご主人のニックネームだそうです。

大きなものから小さなものまで木製品はもちろんのこと奥様が木工の品に施されている絵付けが、それがとてもセンスが良くてかわいらしいので、ずっとファンでした。

お店に並んでいるアイテムには名前を入れてくださるサービスもありますので、木のぬくもりにほっこりしたい方はぜひとも、お立ち寄りください。定休日は月曜火曜だそうです。

[北見市 木工 Q太郎] で検索してください。

大切な方に贈りたい、優しくてかわいい、素敵な木製品と出会えるかもしれません。



 

自分自身への覚書

 

ヘミシンクを初めてから2ヶ月ほど経過。ヘミシンクの体験ブログを読み歩くと、「ヘミシンク」らしい体験ができるよう脳が慣れるまでに2年前後必要らしい。それまで私はヘミシンクを眠りのお供にしようと思っている。

眠りのお供に、「過去世の探求」を聴きながらのとき、夢を見た。衝撃的な夢だった。夢は夢で前世とは言い切れないが、あまりにリアルだったので、私のグループソウルが体験したものかもしれない。

時代は江戸時代くらい。僧侶同士の内紛から、一人は陥れられ、座敷牢に幽閉される。その幽閉される際には、拷問もされて、かなりな目に合うのだ。私は陥れたほうか、陥れられたほうかはわからない。が、夢の内容はリアルで目が覚めたとき、夢でよかったと心底思った。
私の過去世は、覗いてはならない扉の向こうにあるのかもしれない。

先日、ある方からうかがった話だと、厳密にいうと、人間には「罪」は存在しない。
過去世の過ちはリセットされるが、贖罪を望んだときに、魂の大きな成長が期待できる場合のみ、そういう人生設計がされるのだという。

ということは、どんなに悪事を働いても、その魂が氣にもしなければ、ありていに申せば「憎まれっ子世にはばかる」のだろうか。

しかしながら、現世にもまれて、荒んだ悪人でも、人間としては人生の経験値で行動しているとして、その魂は純粋で美しい部分があるとしたら、その部分=魂の美しい部分 が自分の行いを悔いて、自分自身に贖罪を課すのだろうか。

よく、「誰が見ていなくても、お天道様が見ている」という言い方をするが、お天道様、すなわち自分自身の深い部分、魂がすべて見ていることになる。自分自身の善も悪も。自分自身を偽りきれても、魂までは偽れない。

神様はいない、と言われればそうかもしれない。
神様は自分自身の魂のなかに存在するのだ。どこにも逃れられない。
たとえ、この世を去っても。

そう考えると、世の中の不思議な力を感じずにはいられない。

手相の相談の中に、「○○は××をしてくれないんですよね」「△△を■■してほしいのに、氣がきかない」という文言を聴くことがある。
自分自身に対する戒めの言葉として
相手にしてほしいことがあるなら、自分から先にするしかないと思う。

優しくして欲しいのなら、優しくすることから。

信じて欲しいのなら、信じることから。

お金が欲しいのなら、お金を使うことから。

仕事で認められたいのなら、他人の仕事を認めることから。

自分から行動しないとずっと

不満を言っているだけ。くれない族、くれくれ族のまま。

欲しければ、与えることから。

本日、見た夢は

その1

道に迷う夢。目的地に向かって歩いていると、途中、老人に会い現在地を訪ねたら、目的地と違う方向に来ていた。自分としては間違えようのない道を歩いていたはずなのに。ショック。

この夢、私はもしかして違う道に入り込んでいるという警告?

その2

行きつけの道に、新しいお店がオープンしていた。おしゃれ雑貨を取り扱う店。立派なお店の中もリアルに見えた。

新しいお店、これは自分のセールスポイントが増えたということか???

ヘミシンクをしてから、夢はくっきりしているような氣がします。。。



今は語れず

手相見です、と声を大にして言えない状態の手相見です。ヘミシンクを始めてから、眠りの質が良くなったような氣がします。肩こりも解消されたような氣がします。

氣がする、というのは、本人は「軽くなった」と思っていたら、行きつけのヘアサロンにて、マッサージされたとき「凝っていますね~」と言われたからです。氣のせい?

あちこちで、関連書籍を読んで知識を得ましたところ、ヘミシンクというのは、バイノーラルビートという手法を活用して商用にしたものだそうです。技術の詳しい内容は、ネットや書籍で得られますので省きます。

砕けて言うと、古い脳からの情報を引き出すとか。深い瞑想状態に導いてくれるというのですが、慣れていないと、すぐに寝オチする。人によっては2年から3年も寝オチするというから、続けることに意味があるというか、続けることが大事らしいのです。

すぐに劇的な体験ができると期待せずに、続けるのが大切。

ヘミシンクでは、自分のイメージ力を要求されます。

これだけで、普段使っていない脳細胞を一部活性化できそうな氣がしてくるから不思議。

ヘミシンクを同じ頃始めた、ヘミシンク仲間がイメージするものと自分のイメージ(体験?)が微妙に違うというのも、比較していて面白いと思います。

精神世界では、この世は、自分の考えが現れた世界と、よく言います。

長いこと生きていると、それは正しいと思えます。

幸福な人は、周りを幸福な視点で捉えますし、悲観的な人は悲劇的に捉えます。

常に怒っている人は、自分が虐げられているとどこかで感じているのです。

自分が虐げられているから、相手を攻撃してしまう。どこかに溜まった不満が出口を求めているのでしょう。

先日、ある一文に『「鍛えられていると思うか、いじめられていると受け取るか」それは本人の気持ち次第である』とありました。

私自身、もう人生に未来を考えるより、終焉を考えねばならない年齢ですから、残りの人生は、周囲から責められても、都合の良い考えでいくつもりです。

人生、もう終わりのほうが近いのだから、嫌なものはイヤだけど、せめてこの世は、苦しみや辛さまでも自分のために存在しているのだと、ご都合主義よろしく思うことにしました。

この世には、昨日の正義は今日の嘘ということもあるので、自分だけが正しいということは、ないと理解して過ごしていますが、自分は自分以外になれないので、なんとか折り合いをつけて生きていくしかないのです。

そう、願っています。



SIGN-サイン-

先日、空に浮かんでいた雲。白い羽に見えませんか。

ヘミシンクの、「創造性開発(クリエイティヴ・ウェイ」を購入しました。CD4枚組です。

私は基本、モノ書きなのですが、書いているときに、我に返るというか、自分で自分にブロックをかけてしまうところがあり、これを打破するためにいろいろ試しました。自己催眠にも挑戦したことがあります。

でも、あまり効果を感じられなかったです。

モノを作る人なら経験があると思いますが、 脳裏に浮かんだ妄想(アイディア)を3次元で表現するのには、見えないエネルギーが必要なのです。私には行動するとどうしても、ダメな部分に引っ張られる傾向があるので、何とかしたいと思っていました。私のガイド(守護霊)さんは姿を見せません。なにか意味があるのでしょうが、直感では指示してくれます。その直感のおかげで、過去、病を患ったときに、私は医師を変え、病院を変えて無事に済んだ経緯があります。

内側から、衝動があれば、それを信じて進むのが良いようです。迷って選択したもの…つまり、理性を働かせて手にしたものは、ババをひくのも思考癖のひとつです。

CDを購入すると、決めたとき、夢に見たのは、とても美しい満月の姿です。それは現実世界よりも大きく光が強い、見とれる月の姿でした。これを内面の「OK」と捉えています。

先日、美しい夕焼けが、西方浄土を思わせるように見られました。

美しい、とコンデジのシャッターを切りましたが、この美しさはあっという間に、夜のとばりに溶け込んでしまいました。

このタイミングというか、今示されているあらゆることを、自分へのサインとして、受け止めることにしています。

手相見をしていた頃、「当たっている」「当たりました」と言われても、自分は手相の線を見ているだけなので、不思議な感覚でした。読み取るだけではなくて、もっとよりよい方向へ、物事が流れたら良いのでは、と見続けて、御代を頂くようになってあっという間に5年以上過ぎていました。

こういうと、語弊があるかもしれませんが、手相見としての自信があるか、と問われれば、「普通」としか答えられませんでした。

紹介制で拝見しているということは、紹介してくださる方々の「見て欲しい」「見てもらいたい」と思いがあればこそです。

はじめから「信じられない」「怪しい」という気持ちがあり、開示される情報…「聞きたいこと」「悩みの内容」が明示されなければ、私の受け取る「内容」にもブレが出てくるのだと思います。

私に、相談をしてくださった方々に、恥じることのないように、これからも精進していきたいと思っています。

手相見でも、天然石でも、あなたと私の、出会いはきっと、必然だと思うから。



秋に考えること

自分は、正直、こんなに長いこと生きるとは思っていなかった。「1999年、空から恐怖の大王が降ってきて、人類は滅ぶ」とか

「米ソで核戦争が起きて人類は滅ぶ」とか

「石油が枯渇」など

とかく、世の中は滅亡の雰囲気が漂っていた。

自分自身、不登校で自殺を考えたことも数回あるし、生きているのがとことんイヤになったこともある。また、病気での手術前には、自分が死ぬことについてアレコレ思案することもあった。死はいつも身近にあった。スピリチュアルに興味を持ったのもその頃からだったし。

この世に自分ほど無価値な存在はないとも考えた。

秋は実りの季節だが、次世代に命をつなぐ季節。

寂しさを思わせる季節でもある。

輪廻転生といえば、人間は予想以上に多い回数を転生しているという。

私も自分の前世について何度かリーディングをしていただいたが、多種多様な前世を読み取っていただいた。

錬金術師のようなもの、巫女、宇宙人、娼館の女主人、軍人、奴隷。

なんとバラエティに富んでいることか。

死ぬのは初めてではなかった。なんとなくそう安堵した。

生きるということは、天然石の中に虹を見つけるようなものではないか。

完璧な美しさではないが、内面の傷に価値がある。

たくさん、生まれ変わってきているのなら、一度や二度、空虚な人生を体験することに価値があるのかもしれない。

失敗だらけの人生や他人様に誇れない自分でも、それはそれで価値があるのだ。

信じる、信じないは当人の勝手であるが、ないよりはあったほうが、特に私のような人間には救いになるような気がする。そう思っていないと、せつないではないか。

一時、某スピリチュアルウンセラーが芸能人の前世を「貴族ばかり」と霊視する、とメディアで批判されたが、前世が貴族で芸術になじんでいたから、今世は才能溢れているのではないかと思えば納得がいくかもしれない。

なるようにしかならない人生の、辛さ、寂しさや孤独も

こぼれるような喜びも、幸せも。その内に内包する傷が虹となるよい機会であるように。

都合の良いことだけ考える人生も、アリ。

ただ、自分は自分。他人にはなり代われない。

長く思える数十年も、天界から見れば一瞬だろう。

例えるなら、私たちは 人間から見て、細菌のように短命で世代交代が早い存在なのかも。

自分の存在する宇宙そのものが、誰かの夢、なにかの物質の中に存在するのかもしれないと

昔、読んだSF小説を思い出した。

 

ヘミシンクを初めて二ヶ月すぎました。

あいかわらず「寝オチ」してます。しかし、今日「具現化」のCDを聴いていると脳裏に「美しい箱」がはっきりと見えました。我が家には存在しない豪華な箱です。新鮮な驚きでした。

これからは「箱」をイメージしやすくなったと思います。

とりあえず、半年間、聴くのを目標にしています。

ガイドの姿は自分の好みのイメージをフルに稼動させています。



試行錯誤の果てに

今年は、大玉がマイブーム。
加えて宝石質の天然石もマイブーム。
天然石のパワーにあやかるなら、良い品質の、できれば大きくて美しい品にパワーが宿ると思い知ったからである。
アクセサリー用のワイヤーでは大玉を使用すると、すぐ切れてしまう。「切れにくいワイヤー」だの、「釣り糸」だの。
良いと聴いたものは全て試してみた。
試行錯誤、五里霧中。
そして
大玉にはブレスレット同様、ゴムがベスト。ゴムもドイツ製の切れにくいゴムを二重、3重で使用。
それに、宝石質の石を加えるときは、上部写真の左のように、ヘマタイトやシルバーのドラム型ビーズで補強して、丸カンを嵌めてアーティスティックワイヤーで加えてみた。
魔方陣のようで、パワフル。強度も良い。
なによりもゴムの伸縮が、多少の粗雑な扱いでも平気らしい。
大きな珠で穴が大きい石にはゴム!これが、旅路の果てに得た答えである。
 
ワイヤーが切れてしまって、そのままになっているストラップやキーホルダーがありましたら、ぜひとも修復をご相談くださいませ。
アーティスティックワイヤー、丸カン、ゴムを駆使して、もう一度、お傍におけますように。