ときどき新規

手相見するようになって数年も経過すると、リピーターさんの手相を拝見する機会が増える。

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ご新規さん、メインの年、リピーターさんと半分ずつな年、そして今年はリピーターさんメインとなっているようだ。

2回目3回目と拝見する依頼主が多いのだ。皆さん、人生の転機にさしかかり、私の元へは運気の流れの確認にいらっしゃる。その時間の流れを考えると感慨深いが、私の示した苦難の道のりを、あえて選択する依頼主も多い。そういう流れに乗る人を見ていると、人生の目的は幸せになることだけ、ではなくて「生まれる前から自分で選択している道」があるようにも思えてくる。

苦しい人はその苦しみを、悲しい人はその悲しみを、人生で体験することに意味があるのかもしれない。人生が思い通りになったとして、それは、その人の今世のテーマなのかも。

自分の年齢を考えるに、残された時間が圧倒的に少ないのだが、私の人生のテーマは?と自問するとこのブログのテーマ「自分と他人様の幸福」を探査することに違いない。

来世は、シリウス星系の宇宙基地勤務の宇宙人と言われているのを、信じている私。

信じるのは自由。

この地球に生まれるのもこれが最後だと思って、

この凡庸で、平和でちょっぴり切ない庶民な暮らしを、全うしたいと思う。

今年は、再度拝見、ときどきご新規な依頼主の流れ。



その瞬間から始まる物語

手相見も、天然石ワークも、縁(えにし)の糸は、相談を受けた瞬間からつながっていると、思っている。

私はせっかちな性分なので、”ちょっとご相談”な話が振られても、依頼主に必要な石を探して、アンテナを張り始め、情報を探して歩く。

一番、時間をかけるのは、ここかもしれない。

手相見の依頼も、予約を受けた瞬間から、カードリーディングを始める場合もある。私のはざっくりとした占いであるが、手相見をするときは、多くの切り口を必要とする場合もある。

どうしても、縁がつながらない人というのも存在する。

先日、拝見した方は、なかなか私のブログまで辿りつけず、かなり苦労したと話してくださった。

連絡が着いても、日程や時間が合わずに、結局 拝見できぬまま。というのもある。

世の中は、すべてタイミングと、依頼主の熱意次第だと思う。

先に話した方は「もう、縁がないんだわ」と諦めかけたが、紹介者に最後の最後、連絡先を写メしてもらい、やっと連絡がついた。

「後から、メールフォルダに入ってました。全然気づかなかった」と報告してくださったが、「目に入らない」というタイミングもあるのだなぁと思う。

「ブレスレット欲しいんですけど~。○○運で」とたずねられて、手首のサイズや石の好みなどを聞いても「よくわかんないんですよね~」という返事。

サイズを教えて、と言っても、フットワークの重い人。

正直、よくわかんないなら、持たないほうがいい。

持ちたい、欲しい!と思わなければ、石に失礼ではないか。

作り手のテンションも微妙…というか下がりそう。

より石のパワーを引き出したい、と思われるなら、リターンは早めに頂戴するのがなによりも良い。

石には私のテンションも映っているように思えるから。

天然石ワークも手相見も、私一人で行うものでは無い。依頼主の希望というか、願いが存在しなければ成立しない物語である。

そして、依頼主の欲しい!という心が無ければ、それは完成しない。

手相をかざして、「当てて御覧なさい」という依頼主も居た。

過去を当てさせて、力試しをしているのだろうが、手相はその人の運勢の立ち位置を見るものだから、未来を知りたければ、正確な情報(今の立ち位置)を提示されたほうがもっと、未来を予想しやすくなる。

必要な情報を出さずに「当ててごらん」とたずねられても、どの立場からモノを言えばいいのか、戸惑うこともある。

せっかく、見料を払うのだから、挑戦的ではなくて、協力者として、未来の話、これからの話をしていきたい。

普段なら、見逃す、幸運のサインを、ちょっと目線を変えれば、見つけられるかもしれない。



 

 

暑中お見舞い申し上げます

7月も半ば。連日暑い日が続いています。暑中お見舞い申し上げます。

このところ、あわただしくて、ゆっくり空を見上げながら歩くことが少なかったような。

昨日は図書館へでかけた帰宅道で空を見上げると、面白い雲が浮かんでいた。

昨日、十数年ぶりに、枕を新調した。

枕。マクラ。

ずっと愛用していた枕は「通販生活」が販売している「メディカル枕」だったが、これがまた丈夫で…。気がついたら十年以上使ってたかな。

最近、さすがにヘタッて来ていて、それでもいいか~と思っていたのだが。

更年期のせいか、肩こりもなおらないし。眠りも浅くなってきた。

そんなとき

マイナスの氣を祓い、新しい運気を呼び込むために、枕を買い換えるのが手っ取り早い、というので、買い換えた。で、2代目もメディカル枕。

届いたその日に昼寝で爆睡。夜ももちろん、熟睡。

今回の件で枕の寿命というのをネットで調べましたら、3年前後とか。

このメディカル枕は取扱説明書によると使用期間は5~6年が目安だとか。

いや、十年以上使用してすみませんって感じかね。付属カバーも丈夫で穴も開かない、擦り切れなかったし。

でも新しいのはやはり、ふかふか感が違うね。大きくて安心だし。お値段は少々お高いけど、何年も使えるからコスパは悪くないでしょう。

年齢的に これが最後の枕かも?

中身がチューブタイプのは音がうるさいし、羽枕はやわらかすぎる。

私にとって夢はお告げを受ける大切な時間。枕も大切だと思ったのだ。

高級品(私にとっては)を買うのは勇気がいる。私が初代のメディカル枕を買ったと話したとき、同僚に「だって~、煉ちゃんは自分にお金を惜しまないタイプだもん」と言われたっけ。

だって 自分以外にお金かける相手がいない。

かけるってほど稼いでもいないのが問題だけど、それは言わないお約束で。

それは、幸福であるし、不幸でもあるのだ。

でも、今は愛猫に一番、お金をかけている と思う。

愛猫にお金をかけているっていうのは…(以下 略)。

最近、ブログを最初から読ませていただきました、というメールを頂戴するのだが、なんというか、日常を書き散らかしたような文章を読んでくださって、恐縮です。

いつもありがとうございます。



手を合わせて願う

花文字
花文字

ローズクォーツを購入したのはもう、十数年も昔です。転職したばかりで、職場の上司とはソリが合わず、仕事を覚えるのも辛くて、心が疲れていました。疲れている心を癒したくて、見て、イメージに使いやすい、ローズクォーツを買い求めてました。以来、人生の転機に石は増えていきました。

石オタクになってから、大切な友人や知人には天然石を贈ってきました。現在は、自分で作ったアイテムが多くなりました。

贈った相手とは疎遠になった場合もあります。そのとき、相手のことを思うとともに、手元に在る石たちはどうしているかと想いを馳せます。

スピリチュアルな話では、魂は進化する過程で、石は石として修行をしているのですというではありませんか。

私自身の魂も悠久の昔は、石だったのでしょうか。

手相見のときに、石のアイテムをおまけとしてお渡ししていたのは、自分自身がどん底のとき石で救われたからです。若い頃、バイトで人工水晶のチップを磨いていたからです。

電気製品の中に使われている水晶。人間の念にも反応するでしょう。

石の上に通った悠久の時間を思えば、自分自身の悩みも小さく思える。自然の芸術、地球の分身である石を目にすれば、考え方にも少しは余裕が出てくるというもの。

普通は自分が幸せでないと、他人の幸せは願えません。

自分が不幸でも、他人の幸せを願える人は、それは徳となるのでしょう。

私は、他人から見れば不幸な人間かもしれないけれど、自分自身はまぁまぁ幸福だと思っています。すっごく幸福!と思っていないのは不幸ですか?

でもまぁまぁ、ってところがいいんじゃないでしょうか。少なくとも不幸ではないので。

そこで他人がどう思っていようと関係ありません。

自分の持っていないものを嘆いてもしかたない。手にしているものを喜んでみる。

喜んでいると、別の喜びが、引き寄せられてくる、そんなものなのでは。

マイナスのスパイラルにはまった、はまっているなと思ったら、はじめは嘘でも偽善でも

いいじゃないですか。

自分のために、他人の幸せを願ってみては。



わがまましてます

5月、6月と嵐のように、すぎて、7月です。

2013年も半分過ぎてしまいました。今年の念頭に、掲げた目標は、なにごとも昨年の1.5倍でした。今年の受注内容は1.5倍どころか、気分的には3倍くらいの印象です。これから あとは余生のような気がしてます。

もう残り少ない人生ですし、不器用な人間ですから、依頼された方全ての願いを丸ごと受け入れるのも、難しくなってきているようです。

これはすでに頑固者?偏屈? …老化現象ですね。

手相を一度拝見して、ご満足いただけなかった(と思われる)方から、数年を経て再度依頼を頂く場合があります。それはありがたいことですが、手相を拝見していて、その方とまたお会いしても満足する内容を提供できない、または私の手相見内容を受け入れられない、と思われる場合は、お断りしています。これは、天然石アイテムに関しても同じです。

以前、知り合いに頼まれて、知人の友人に、天然石の説明を2時間以上したことがありますが、私も相手も得るものがなかった。相手は願い事に対して、石を単なる道具としてしか見ていないのです。それにとても自分本位な方という印象でした。もっと周囲に気を利かせれば、もっと良い方向へ向かうだろうにと残念だった記憶があります。

石って道具でしょ。どこが悪いの。と思ったとしたら、私と考えと違うので、私の作ったものがあなたに貸してくれる力は少ないでしょう。

手相見も石も、パートナー、相棒です。

ブレスレットで身につけて、その「相棒」をたまに労い、浄化する。石をかわいがってくれる人に渡したい。

だからこそ、私は石を選びます。

お店であらかじめ待っている石たちと違うのは、依頼をうけてから、石を探してまわり、手元に届いた石を選別、浄化して休ませているところです。

できあがったら、お香やホワイトセージで浄化し、浄化函で休ませています。

石は、人間よりはるかに長い時間、存在しているのです。

手相見も、少しはお役に立ちたい。

手相を一度拝見して、二度、三度と見ていても、依頼主の行動が必要な場面で、行動が起こされていない、膠着している事象がある場合も、すでに私の見る力が及ばないということ。

こればかりは相性があるので、しかたないです。

でもそれは傲慢な願いなのかもしれません。



押してダメならば

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力いっぱい押しても開かない扉が、引くと開く。人生において、処世術というのは必要だと思う。それは偽善や欺瞞ではなくて、生きていくための技術だから。ブログにも何度も書いているが、私はたいした人間ではないのに、人様から望まれて手相を見る。人は自分で自分の運命を願うことができるが、見通すときには私情がはいるので、的確に見通すことは難しい。私自身、定期的に自分の方向性をほかの人に見てもらう。

普通の生き方をしていれば、まず接点がないであろう方々と言葉を交わし、人生を垣間見る機会を得られているのは、手相見だからだ。数が増えれば、実生活ではまず、お近づきになれない、なれないだろう方の相談もある。

単に、私を愚痴のゴミ箱にしていると思われる方や、懐疑的な言葉を投げかける方もいらっしゃる。実際たいした人間ではないので、今さら取り繕ってもしょうがない。人間である以上は、合う合わないというのもある。ただ、私は背後霊。。。。それは誰かは不明だが。。。。に縁の必要な方とつないでくださいと願いをかけているので、必要な出会いだと信じている。

信じること、信じて仰ぎ見ること、これをさして信仰というのなら、信じる自分を信じるのも、信仰のひとつだろうか。面倒くさい言い回しだけども。

自分の感じるものを信じることしか、他人様に提供できる部分がないのだ。

小学生低学年のころ、下校途中に二人の上級生に呼び止められ、学年を尋ねられた。上級生が怖かった私はとっさに学年を偽った。上級生は偽ったことに理由をつけ一人は私を押さえ込み、一人はこぶしで腹を2回殴り「うそをついた罰だ」と言い捨てて去っていった。

その痛みと恐怖は私に長いことトラウマとなっていた。それを黙って見ていた同級生を責めて泣いた。親に訴えても親はわが身が忙しくて頼りにならない。誰も味方がいない。

現代なら大騒ぎになったかもしれない。

恐怖で嘘をついた私も悪いだろうが、下級生に理由をつけて暴力を振るった上級生のことを思うと彼なりの正義でそうしたのだろう。その子の正義が私にとっては災厄だったということだ。

正義は立場によっていかようにも変容する。

長いこと思い出したくもない出来事だったのだが、この数年、何らかのはずみで思い出すと

傍で見ていた同級生にも、もしかしたら心の傷になっていたかもしれない。

上級生も、下級生相手に憂さを晴らすというか、そういう鬱屈した事情があったのかもしれない。

等々思えるのは、年齢を重ねて、あらゆる角度から見えてきたからだ。

天網恢恢 粗にしてもらさず。

幸い大怪我にもならなかったし、あれは意味あることだったのかも、と数十年経って思えるようになった。意味あることだったと思わないと救われない。

人生には、人間の目や感覚には及ばない大きな歯車(のようなイメージ)が動いていると思う。

それは一見関係のない事象のように見えるが、はるかな時をこえて、意味あることだったとつながって現れる。

理不尽な暴力や、中傷や出来事を、上辺だけで見るとわからないこと、時間が経ってわかること、糧にすること、忘れること。これが年を重ねるということだ。

今、ネット社会の普及で、ブログが炎上ということを目にするが、必要とされているのは「スルー力(りょく)」らしい。

真っ向から責められたときに、まっこうから迎え撃つより、流す力が必要ということか。

悩んでいることがある、つらいことがある、そんなときは、考え方を押してより引いて、違う視点で見てみると、誰かの悪意も、自分にとっては糧になる。

一番の復讐、報復は「相手に影響されない」「うんと幸せになる」 それが一番。

費やす時間は個人差があるので、焦らなくてもいい。

相手を責める気持ちが湧いて来たら、私は脳内に浮かんだ映像を消しゴムで消すというイメージやホウキで叩く イメージで祓っていました。実際すると暴力ざたですが、イメージですので気分転換を意識的することに意味があるのです。

スピリチュアルをかじった今は、光に包んで消すというイメージを使ってます。

小学生時代のいじめっ子や理不尽な教師など、私の人生においては、気づき、今の道へ進ませる守護天使の化身、配役だったのではないかとも思うことにしています。

いいんです。自分が思うことが「自分の世界平和」につながるのなら。



 

愛があるから譲歩する?

最近、時間の流れが速く感じます。5月、6月は自分史上天然石依頼最多。それにともなう仕入れで多くの天然石と会えました。手相見は、依頼者とのタイミングが合わずに休業。これが運気の流れというものでしょう。まさに昔、手相を見てもらったときに予言されていた「裏の仕事」が上昇中か?

もう、やりつくしたかな、悔いはない。と思ったら、天然石の在庫が増えていました。せめてこれらの石たちを新しい持ち主のもとへ届けるまでは続けていよう…なんて。こうやって毎年この時期は手相見よりも天然石関連のほうが多いのです。

やめる時期を考えてると、こうやってエンドレスになります。

その一方、手相見のブログのほうが閲覧者数が多くなっているという不思議。では、不思議ついでにちょっと語ってしまいましょう。それは、男女の恋愛運の違いについてです。

手相見の相談で多いのは、進路、恋愛、結婚、離婚、です。

進路は夢や希望にそって運気の流れを読んで、タイミングを計ります。恋愛関連も、未来に待ち受けているイベントを見ながら対応策を読みます。イベント=波 ですから、波が来るとあらかじめわかっていれば、波を避けるか、踏ん張るか、受け入れるか 覚悟することで、運気の流れは変えられます。

恋愛でも、カップル双方から別々に依頼されて、拝見することもあります。男女の間の気持ちに温度差がある場合も少なくありません。

依頼主の立場に視点を移して、最善の選択肢を選ぶのが理想ですが、依頼主によっては、最善が最善にならずという場合があるのも事実です。

男性が望む、恋愛と出会いが、かならず相手の女性の希望に沿っているわけでもないからです。

男性は、恋愛には刺激、結婚には包容力、安定を求めているし

女性は、恋愛には包容力、結婚には安定と刺激を求めている。

同じものを見ているようで、見えている色が違っている。

完全な理解は難しい。お互い、相手に対する愛情があって、どこまで譲歩できるかというところにかかっているのではないでしょうか。

よく「私と仕事、どっちが大切?」とか「俺の言うことを聞いてくれるのが、愛情だろ」という選択を迫るケースもありますが、これは「相手のためにどれだけ自分が譲歩できるか」が重要なのではないかと思うのです。

○○だけど、それを上回る■■があるからしょうがない。■■なところもあるけど、○○だから、まぁいいか。 的な。

注意して欲しいのは、「我慢」することじゃないです。「ココは譲っても良い」ということが大切なのです。

よく条件で結婚相手も選ぶ人がいますが、条件至上主義であっても、気持ちに添っていなければ、そのズレはやがて体の不調となって現れます。人間の心はそれほど、パワフルなのです。

不調となって現れてしまうと、回復には時間も体力も必要です。

女性は、良い人と出会って結婚したい。

男性は自分を受け入れてくれる良い人を探している。

結婚は継続するものなので、我慢していたら続かないのです。

この「良い人」とは何を示すか。それを得るためにはどこまで「我慢」できるかではなくて、妥協あるいはどこまで譲歩できるか。または、どうしても譲れないのはどこか。

また自分にはどんな人が合っているのか。

私は結婚というのは、ひとつの修行と考えています。

恋愛と結婚の年齢を当てるのが得意(と、依頼主からは言われている)な私ですが

チャンスをチャンスとして掴み取るには、手相を通じて自分の内面を知るというのも

方法として有効でしょう。

手相を見ていると、運命の人に出会う時期も、別れる時期も、またそれによって何を失い、何を得ているのか。手相は刻んでいるように思えます。手相、それは自分の深いところに在る「自分からメッセージ」です。

 



 

ひさしぶりの晴れ

今日は、久しぶりに太陽が顔を出し、日射ざしも強くて、暖かい一日でした。本日、満月。それもスーパームーンと言われる、月が地球に一番接近する日だとか。窓辺で石たちを月光浴させるには良い日です。

私はずっと、FireFoxというブラウザを使用していたのですが、いつの間にかブラウザで備忘録のカテゴリが反映されていない。

そこで、OSをWindows7にしたのを機に、Explorerにしてみたら、今度はブログに写真をアップロードしたところ、写真が反映されない。どちらも使い勝手が、よろしくないので、ブログを更新するときはchromeを使うことにしました。

どこか開運に通じるなと思い当たったのは、「方法はいくらでもある」「試してみないとわからない」「とりあえず、試してみる」ことは大切、ってところかな。

自分の限界がどこかなんて、限界までやってみないとわからない。やる前に失敗する理由、できない理由を探しているうちは、まだまだ余裕があるってことではないか。

やるしかない、というところまで自分が行ってみて、初めて見えるものもある気がします。

昔、私は本屋で働いていまして、売れない本を発行元に返却するという業務をしたことがあります。書店では裏方の、大切な業務だけど箱詰め中心の面白みのない作業でした。

あるとき、面白くない作業をなんとかならないかと思いたち「体力の限界に挑戦する」と大げさに宣言して、励みました。設定時間内に何箱、箱詰めができるか、自分で目標設定して励みました。

面白くない仕事をいかに面白く思えるか、いかに自分の暮らしに面白くつなげていくか、小さいことだけれど、そういう気の持ちようが大切だと、そのとき学びました。

なんのつながりもないことが、何年かを経て、意外な展開を見せるということもあります。

私の場合は失業中に覚えた水引作りの内職が、今の天然石関連につながっています。

手相見の経験もその時代にたくさん機会をいただきました。

そのときに知り合った同僚は、今でも大切な友人です。

本屋で覚えたPOP書きも、役に立ってます。

先日、読んだ本に自分に危機が迫りそうになったときは「ゲームが盛り上がってきました」という言葉で奮い立たせると良い書いてありました。

仕事が忙しくてつらいときは「わたしはモテモテ」などと前向きな言葉で受け止める。

できない理由を探す時間に、出来る方法を探すのに費やす。

そういうことに気がつくには、一度、大なり小なり人生のピンチ(と思われる)に遭遇することが必要なのかもしれません。というより、ピンチをも糧とする、ご都合主義が必要。

 



 

掴みはOK?

すみません、ちょっと天然石関係の作業が忙しいので、手相見は休業状態です。

天然石関連の仕事で嬉しいのは、依頼者の方が皆様、口を揃えて「急ぎません」「暇なときで良いです」と申し出てくださることです。なんと寛容な依頼者の皆様に恵まれていることか。ありがたいです。

正直に言うと、大まかでも希望を言ってくださるほうが、作業としては計画が立てやすいので、皆様、大雑把でもよろしいので目安として、いついつまでぐらいと、「来月中」「遅くとも○月までくらい」等々お知らせください。

運は運ばれてくるもの、とは言いますが、掴みに行く勢いというものも必要だと思うのです。とくに、開運アイテムは「いつでもいいです」と言ってくださっていると、現在のように依頼が続いたり、合間に修理、手相見など飛び込んで参りますと、ズルズル後ろに回されてしまうかも、かもです。

運を掴みに行く積極的な気持ちが必要です。

比較的に「早いですね~」と言われることが多い出来上がりですが、それは、依頼者のお気持ちが変わらないうちに、という考えもあります。それ以上に、頭上から降ってきたモノが消えないうちに作る、からでもあります。

依頼者に必要な存在を欲する、今、がその時だからです。

モノを作るとき、その人の魂は異次元につながっていると思っています。

 

皆様のお気遣いには深く感謝しつつも、目安として締め切りがあると、作業の見通しが立ちやすいのです。

ただし、今日の依頼で3日の納品…というのは、石の在庫があれば応じられますが、最短納品のめやすは1週間以降にしてくださいませ。

 

よろしくお願いします。



 

職業欄に書けるように

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(クリックすると拡大します)徳島県在住の書家・kooさんは観じて、メッセージを添えてくださる作家さんです。数年前にネットを通じて知り、石印を作っていただきました。手相見のときお渡しするメモに押している「紅乃 煉」の印は、kooさん作のものです。いつか、メッセージ絵書というのをお願いしたい、そしてブログに載せたいと切望していました。

あるとき、天から「今でしょ!」という流行のフレーズが降ってきて(笑)、お願いしました。

ある方からこの6月から私の手相見の運気が変わり目に入ります。単独では無理な場合でも、気持ちだけでも「本業」とされたほうが良いですよ、と言われていたのもありました。お願いした文字に「煉」にkooさんが添えてくださった言葉、私にはもったいないような言葉ばかりですが、言霊が成就して、依頼者のお役に立てるように精進したいと思います。

絵書を保護していた厚紙にも、すてきな言葉が記されていました。

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ご丁寧に、お手紙も添えられており、その細やかな気配りに感激です。

「この度は、ご依頼くださりありがとうございました。水面が、清く静かでなければ、空の月はゆがんで映ります。人をそのまま、映し出すことが出来る煉さんは澄んだ心の方だと観じます。ありがとうございます。」

月が映る水面になれるように、自分を律して生きたいと思います。

Kooさん、素敵なメッセージ絵書をありがとうございました。

職業欄に書いて恥じないよう、これからの励み、宝物として大切にします。