”運”についての個人的な考察

ブログにも以前、書いた話かもしれないが、あらためて書いておくことにした。

「運」が良いというのはどういうことか。

具体的には個人によって違うだろうが、字のごとく「運」とは運ばれる存在である。

誰かが何かが、あなたのもとへ運んできてくれる。

私は昔、大きなスーパーのフードコートで隣り合った店舗のバイトさんが、同じような商品を作っているのを遠目で見ていたときの話だ。バイトさんは年齢が同年代くらいで、どちらも男性だ。

片方の男性Aは、ひどく仏頂面で、下を向いて、クレープを焼いていた。

もう一方の男性Bは、にこやかで笑みが絶えないまま、同じように、クレープを焼いていた。

自然と、行列ができたのはクレープのほうだ。

味は食べ比べたら、Aのほうが美味しいかもしれない。表情が仏頂面なので、食べたい、という気持ちが湧き上がらない。

Bのほうは、もしかしたらAの焼いたものより味が落ちるかもしれない。けれども、そのにこやかな笑みにひきつけられて、人の列がつながる。

運を上げたい、良い運に恵まれたい と切望するならば、この笑みが重要で、人が引きつけられるということが必要だ。集まる人が多ければ、情報が集まってくる。情報が集まれば、それだけチャンスに恵まれるということだ。

昔、見ていた海外のテレビドラマの話だが、大富豪一家に破産の噂がたったとき、庶民から嫁いだ後妻は、うろたえて、先妻の娘に、問う。「私はどうしたらいいの?」

上流階級育ちの娘は、後妻に対して言い放つ。「いつも以上に、着飾って、いつもどおりパーティに出て。いつもどおりよ」

この場面が印象に残っているのは、破産しかかっているから、みすぼらしさを前に出すな、(金持ちなりの)平常心を持て、的な術を感じるからだ。

運にも共通する。面白くないことがあった、不幸があった、悲しい…人間でいると、色々ある。悲しくて落ち込んでいると、泣きっ面に蜂というか、続くことがある。

不幸なことがあって、思い切り泣いてもいい。けれど他人に対しては、平常心、微笑んでいれば、運は周りが運んできてくれる。

作り笑いでも良いんだ。

仏頂面で周辺に文句を言っていると、周りの人は大人だから、一見、応じてくれていて、一時、幸福感を感じるかもしれないが、それは真の開運につながらない。

それは、周りの人のおかげだから。

あなたが、微笑むと、運は、周囲の人から運ばれて、集まってくる。

幸せとは「なるもの」ではなくて、「感じる力」が重要とも言う。

苦しいとき、切ないときは作り笑いでもいい。

運の良い人を演じることが、本当に運の良い人になれる、近道である。

そして、本当に運の良い人は周りをも幸福にしてくれる。

 

その瞬間

想像してみよう。ビニールの袋を指先で穴を開けるとして。

穴を開けるとき、指先は圧力がかかって、痛い。痛いがさらに力を加えて、穴が開いて、突き抜けた指先は、楽になる。

凡庸なたとえで恐縮だが、私の開運のイメージはこんな感じ。

別のたとえで言うなら、セーターを着るときの、頭を出すまでの、キツさというか。

つまり、開運するときは、その寸前が一番、キツイというかつらいと言うか。そこをこらえてさらに一歩踏み出すと、取り巻く運気はがらりと変容する。

ある神職の方が話してくれたことがある。

「苦しい時、もうダメダ、思ったとき、実は目標まであと少しのところに来ている。

神様は”もうダメだ”という立場に人間を置いて、試す。それでも踏ん張れるか。それでも頑張れるかと。それでも、頑張った人に、願いは叶う。」

苦しいとき、辛いとき、私はこの言葉を思い出す。願い事がたやすく叶うよりも、そのほうが、人間にはいいのかもしれない。

たやすく叶ったという願いは、本人が、苦難や労力を、苦に思っていないだけかもしれない。

手相を見て、運の流れを見てみるということは、その人の希望の存在を確かめることに近い。

絶望したくて、手相を見て、という人はいないだろう。希望が見えるかどうかが知りたいからこそ、手相を見て欲しいと希望するのだ。

運が開ける、変わり目は一番つらく、きつく、ついていないと感じることが多い傾向がある。

 

職業欄は×××

今更だが、私は、いろいろと仕事を掛け持ちして暮らしている身。メインのバイト中心に、単発の仕事を請けて暮らしている。手相見も天然石も趣味の延長ではあるが、そのうちのひとつ。

体の調子に加え年齢の関係で、正社員の採用は叶わない。世の中、新卒の子も苦戦するほど厳しいのだ。

フルタイム働きたいところだが、地域がら雇用側は短時間中心の募集が多い。

この春、短時間のバイトをひとつ増やそう!と思いたち、履歴書を書き、応募した。面接も途中までは良い感じであるが、続けて不採用通知を受け取った。

バイトの声はかけていただくことが多いが、自分から応募したバイトに対しては即採用されたことは少ない。

先日、スーパーの早朝品出しのバイトに応募したところ、適性検査を2つして、その後面接があり、1時間以上拘束されたが、不採用。お茶も出なかったうえに今のメインのバイトを辞めないと、難しそうな話だった。

それと、氣になったのは適性検査のときの消しゴムが、古くて劣化しており、消せない消しゴムだったのが印象的。あの古さはびっくり。消しゴムが使えないのは参った。

これからも気長にバイトを探すことにしているが、私の場合 職業欄はすでに「手相見」を本業のつもりで居たほうが良いと、ある方から言われていた。

しかし、職業は、と尋ねられて「手相見」と答えられるほどには、稼げていない。

手相見 よりも情報サービス業?のほうが相手には印象が良いかも。

開運探査人を英訳してみたり、運気ナビゲーター等 いろいろクリエィティブな造語を思案したがまとまらず。

ハイパーライフクリエーター とか?(苦笑)

職業欄は 占い師? 占いしている氣はないのだが。

「煉さん、占いするんですってね」と言われることも増えているが

職業欄は 自称 自由業 ということにしておこう。

背後霊はわかっていらっしゃる。私が「安定」を手にしたら「手相見」も「天然石」も、他人様にも関わらなくなることを。

昔は、不採用=世間に受け入れられない、世の中から必要とされていない と思って落ち込んだけれど、いいかげん今は

天の思し召しと受け入れることにした。

春は人事異動の季節である。数ヶ月前には係長だった人が、昇進して課長になり数ヶ月を経ると、歩き方から、話し方まで、それなりに洗練されてくるのを見ていると、地位が人を作るのだと実感した。そうなると、自分で自分の地位を決めてもいいのではないか。心理学でも振舞い方から入ると、それらしくなっていくということを聞いた。

私に必要なのは、「普通の人」の、ではなくて、「普通ではない人」の、オーラかもしれない。

今回、天然石関連で、自分史上最高額 単価の石 ゴールドルチルクォーツを仕入れたことで、ちょっと度胸がついたと思う。

 



 

春分の日

 

No.215

シルバーはピカピカに輝いているのも美しいが、空気に触れて酸化して黒ずんだ色になってもなかなか味がある。写真のブレスレットは、 #215 で

2011年11月に作成したモノ。留め金具をマグネットクラスプに変更したモノ。ルビーは勝利者の石。光がよく合う。

現在、少々、立て込んでおりまして、しばらく心の旅に出ます。

文にするとカッコいいですが、あれです、読みたい本が溜まっているので…。

ブログの更新も滞りがちになるかもしれないが、思い出したように記す可能性も否めない。

今日は春分の日、西洋占星術のうえでの新年。運気の流れの切り替わる時期。

道が雪融け水で歩きづらいが、これを越えれば春を実感できることだろう。あっという間に夏が来るのか。

 



 

雑感いろいろ

先日、帰宅途中にちょっと目つきの怪しい男性とすれ違いそうになった。妄想力のたくましい私、昨今のニュースを見ていて「いきなり殴られたらどうしよう」と目線を合わせないように、そらしたのであるが。

はたして、彼は私の頭上を見て、ひどく驚いた(あるいは怯えた)表情となり、私の横を駆け去って行ったのだ。驚いた私は、すぐに振り返ったのだが…広い道路のどこにも、男の姿はなかった。

そういや、彼の顔色、悪かったな。そういや奇抜な配色のジャージ着ていたよな…。ま、昼間でも見える存在もあるしということで。

さて、この数日前、自宅でテレビを見ていたところ、壁に貼っていたポスターのテープが外れていたのに気がついた。

テープは数枚、空間に垂れていたのだが、その一部が激しく揺れていた。とっさに私は地震が来たのかと身構えたのだが、周りのテープは揺れず、一つのテープだけが左右に激しく揺れている。風もないのに。不思議なものだと思っていた。

日を違えずに、母が、台所に吊るしているカーテンが、風もないのに揺れるので不思議だった、と語る。猫たちも寝ているし、他の部分が揺れても良いのに、まるで誰かが触れているかのように一部だけが動いたので、氣になってずっと見ていたとか。

お彼岸も近いので、亡父が帰宅しているのかもしれないと話して終わった。注意深く見ていると、物理的な動きが違うと言うか、心のどこかで違うと思えるような動きをしている存在がある。これは気がつくかつかないかという感じ。猫が変な鳴き方をするとか、耳元で変な音がするとか、「あなた病気では?」と言われることを恐れずに記しておくが、世の中は案外、不思議なことがあるものだ。

先日、お会いした依頼主から、「未来を見る人はたいてい左目の視力があまりないんだそうです」と聞いた。

私は明確に未来を見る人間ではないが、左目は弱視だ。若い時は右目より左目のほうの視力が良かったのだが…。いつからか左目は視力矯正ができない弱視と診断されたのは、手相見を始めた頃だったかな。

不思議な話といえば、過去に一度だけ立ち寄った喫茶店のコーヒーは夢のように美味しかった。

いつでも飲めると思っていたが、そのうち、喫茶店は閉店してしまった。それから、あの心のそこから美味しいと思ったコーヒーの味にめぐり合えないままだ。

いつでも、なんてこの世には存在しない。今しかないものがある。

本当の理由は

若い頃、バイトしていた職場に持病がありながら、働いているA君という男性がいた。彼は言葉の端々に「自分は持病があるから不幸だ」、「持病があるから誰にも大事されない」と言う。その持病があると確かに不利で、健康な人と比べたら、就ける仕事も限定されるだろう。だが第三者の私から見て、彼が「不幸(と自分で思っている)なのは」 病を患っているからではなくて、本人の性格に難アリだったからである。とにかく他人の会話に割って入って、相手をバカにする。マイナス思考な言葉ばかり浴びせる。そのくせ自分が非難されると、「こんな病気を持っている俺の気持ちなんて誰もわからない」と嘆く。A君は自分で自分を不幸にしているような、負のスパイラルにはまっている若者だった。傍にいて、いい気持ちでいられないから、友人も少なく、職場でも孤立していたようだ。

自分で自分を哀れんでいるのは、ある意味、傲慢であると思う。他者に「そんなことないよ」と慰められることを暗に望んでいるからだ。

人に優しくされたいのなら、待っているだけでは、なかなか叶わない。優しい人に、いっとき、慰められることがあっても、続かない。 けれども、自分が周囲に優しく接する、とかなにかを与える存在になるのが、本当は一番手っ取り早いのだ。求めるならばまず与える。「情けは人のためならず」そう、優しさは自分のためだ。

気がつきそうで、まず相手に求めてしまう。人間はそういうモノなのかもしれない。だから苦しむ。

私は、自分が負のスパイラルに陥りそうになると、A君のことを思い出す。A君には不快な思いも残念な思いもたくさんしたが、今となれば、人生の教訓を示してくれた人である。

本当はギブandテイクが理想だけれど、「優しくしてクレ」「理解してクレ」「クレ、クレ」という黒い思考が脳内に満ちてくると、自分は「クレ」という前に「シタ」か?と問うてみる。

他人様になにかをしていないのなら、自分がしてもらえなくてもしかたない。人生に、灯りをともされたいなら、灯しに行かねば。

そのとき、自分はこれだけしたのに!という速攻な見返りを要求しないこと。大きな運は放たれた後、大きな放物線を描いて戻ってくる。目に見える手ごたえになるのには、時間がかかるのだ。

私の年になると、戻ってくるのは来世になるかもであるが、しないよりは、シタほうが良い と思う。

私の現世は病ばかりの、危機一髪ばかりだが、最悪の状態を免れているのは、前世に積んだ「徳」が効いているんだそうで。

「徳」 貯金、使い果たしそうで少し不安ではある。



気持ちを少しだけ

3月だというのに、今日も天気は大荒れ。

雪降り。先日までしていた仕事は無事に終了。本当に終わったのか?疑問は少なくないが、納品の後、先様からなんの反応もいただけないので、どうなっているのかは不明。

「どうですか」と尋ねてもいいのだろうけど、反応がないのが、「答え」だと思うことにする。

実質  魂込めて作業したのは3日間ぐらい。でも、報酬をはじめ細かい打ち合わせもなにもないまま始めた作業。「好きだから」、長時間できた作業だと思っている。

好きなことができて、相手が喜んでくれるのが、一番良いのだろうが、反応がないので、好きなことができただけで良しとしよう。

生きていると、仕事で扱うモノや作業の過程に、「気持ち」がこもっているかどうかが見えて、それに気づくか気づかないかで、結果が違ってくるというのが、解ってくる。

私の主な作業は提出書類の確認。重要作業の入り口で、本作業の前に必要な項目が、記入されているかを確認する。

細かい作業の苦手な私には、何年していても苦行のように感じる。

そのうち、書類のチェックだけでも、見えてくるものがある。

印刷の不備をそのまま提出してくる会社や、細かいところに配慮して提出してくる会社など、書類の向こう側が見えてくるようだ。

仕事に、人生に、今悩み事がある人、閉塞感がある人、少しだけで良い、周りに気持ちを込めてみてはいかがだろうか。

はじめは誰も気がつかないかもしれない。でも続けていると気がつく人は出てくる。それは、小さなことだろう。その小さな「気持ち」がやがて誰かの支えになり、時間はかかるが、めぐりめぐって自分のもとへ還ってくる。

目先の損得、現状の損得を考えていると、なかなかできないだろうが、忘れた頃に戻ってくる、運気貯金だと割り切ってしまえば、続くのではないか。

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見えないけれど、確かに存在するのは「気持ち」であるから、そこに「他者への愛」がほんの少し存在すればいい。

以前、バイトしていたリサイクル品の販売を扱うお店では、発送資材にも使用済みの資材をリサイクルしていた。当然、梱包の見た目は美しくない。

「どうせ、すぐに破って捨てちゃうものだから」と担当者は話していた。事実はそうだろうが、受け取ったお客には、リサイクル品でもお金を払ったという気持ちがある。リサイクル品を安く手に入れたとして、古びたダンボールで梱包されているのと、美しく梱包されているのとでは気分が違うのではないか。

そのバイトを辞めた後、店の売り上げが年々落ちていると風の便りに聞いたけれど、

お客を大切にする気持ちをほんの少し現していけば、もっと違う展開になったのではと思うことがある。

お客様に対するありがたい気持ちを、見える形で示す。気持ちをほんの少しだけこめる。難しいことだけども、どう現すのか、を思案するのが大切だと思っている。

誰の中にも虹がある

私は、石の中に虹を見つけるのが得意である。他人様が気づかなくても、どんな小さい石の中にも虹を見つける。

手相見と通じる部分があると思う。

宝石の世界では無傷が高品質の証であるが、天然石はその中に虹が見えると、ぐっと価値があるような氣がするのは不思議なものだ。

私は今回、久しぶりにパソコンに一日中向かい、作っていたモノがある。それは簡単なデータベース関連のファイル。

プログラマではないが、土日はそれにかかりっきりであった。でも、不思議と疲れない。眠くならない。手が痛むほど、PCの前に座り、マウスをクリックしていても、自分の実力のなさを痛感しても、結局、好きだからなのだと思う。好きなことをしているから、苦にならないし、悲しくもならないのだろう。この作っているものは、役に立たないかもしれない。しかし、私の身には経験として残る。

データベース関連のファイルを作るとき、一番重要なのは、作り手の知識ではない。必要なのは使う人間との意思疎通だと思っている。

意思が通じなければ、使い勝手の悪い出来上がりとなるのだ。

何も知らない人が簡単に使えるものこそ、一番優れていて、一番価値があるのだ。そういう意味では私の作ったのは、C級、いやD級もいい所だろう。

たとえ不採用になっても、役に立たなくてももう、良い。

この、寝食を忘れて、作り、考えることに集中した土日は、本当に楽しかった。私はオンラインゲームはしないが、ゲームをしている人もこんな高揚感を味わっているのだろうと想像する。

今年一年分の作業をしてしまったようだ。これも作り続けていないと脳みそに回路が通じないので、困った。作り続けるか、すっぱりやめるか、どうしようかなぁ。

仕事に関わらず、「あなたの話を聞く」となってもらうには、自分の中の引き出しを増やして、力をつけないとならない。どんな力をつけるかは、個人によるが…。私ももっと引き出しを増やしていかねば…。

そんなわけで もう、今回の仕事に悔いはない。今の自分に作れる知識は出し切ったから。

好きな事を仕事ですると、人間って疲れないんですね!

体感し、良い経験だった。私が今回の仕事の中に見つけた虹。虹は見ようとしている人に見えるものもある。

 



 

箱の中にあった

最近、記事も更新しておらず、タイトルに偽り有りの状態です。忙しい、というか気ぜわしいというのが正確なところです。

写真は、20年位前に購入した水晶です。購入したときはあまり、感慨もなく、水晶は六角柱が美しい!と思い込んでいた私には、奇異に映った品です。

なぜ、購入したかといえば、ネットが普及する前の話で、業者さんに予算内で、良い水晶を送ってください、というやりとりがあり、何点かの水晶とともに手元に届いたからです。

その当時、水晶好きの入り口に立った私には、この水晶の価値がわからなかったんですね。水晶と言えば六角柱で、透明で、虹が入っていれば良い、という意識しかなかったので。

で、この水晶は長いこと、宝箱に眠っていたのです。

先日、あるご縁をいただいて、「パワーストーンヒーリング」を受けました。石がなにを伝えたがっているか、教えてくれるという内容で、私はヒマラヤ水晶の写真を見ていただきました。

そのあと、色々と水晶のサイトを渡って見て、「そういえば」と箱に眠っていた写真の水晶を思い出したのです。

この水晶とても薄くて、サイズは40ミリ×40ミリ、厚さは6ミリです。一本の細い水晶から両端結晶化して先端を持つ、ダブルターミネーター(以下DT)で、結晶の形はタビーという、マイナスドライバーのように平べったいもの。そして折れた面が再結晶化して、群生しているセルフヒールドと言われる、水晶のあらゆる形態を体現しているような、石でした。

まさに、マスタークリスタル。

水晶の中でも特別な力を宿すと言われている石です。

「あなた、私の価値にやっと気がついたのね」と水晶に言われているような氣がしました。

ルーペで鑑賞すると、その時、その時で気づかされる部分があります。

その時期が来たら、見えるものがある。

同じ風景なのに、昨日、私が見ていた風景と、今見ている風景は意味が違う。そんな感じです。

備忘録にも記しましたが、一部の方からの御希望もあり、天然水晶のポリッシュ(研磨したもの)をキロ買いしました。現物が届くのは週明けですが、100グラム前後1000円から1500円。庭園水晶やファントム(幻影水晶)ならちょっと、お高くなりますが、御希望の方に領布させていただきたいと思います。ピンときたかたは御連絡ください。ペーパウェイトにしたり、オブジェとして机の上に飾ったり、目の保養とリラックスのためにいかがでしょうか。

 

こんな年なんだわ

今年は、元旦にプリンターが昇天した。先週は、玄関ドアを交換した。そして昨日、玄関チャイムが逝ってしまったので、本日は早々に近所の電気店で、ワイヤレスのチャイムを購入してきた。

実は、洗濯機も調子よくないし、掃除機も壊れかけている。FAXも送信はできるけど、受信は難しい。

そして、今使用しているパソコンも春に三年目を迎える。ハードディスクがいつ壊れてもおかしくない時期に入る。時々、パソコン内部から異音がするので、ドキドキする。

2012年に話題になった「アセンション=昇天」は緩やかに周辺の電化製品に進行中だ。ついでにいうなら携帯電話も何年目かだ。周りはスマホに機種変更しているが、私はメールと受信専門なので、ガラケーで不便を感じていない。

10年前は私自身の手術等が続いたけれども、今回は、私の電化製品に影響が出ているようだ。

今年は、お財布も交換予定の年だった。

ああ、悪く考えるとキリが無い。

良いことに考えると新しいモノとの出会いが待っている。

今年は「出て行くお金よりも多くのお金が手元にやってくる」というお告げなのだ!

お金が手元にやってくるというのは、働くこともだが、さらに、多くの人との出会いがあるということ。

お金を払うことは、そのお金が回って、多くの人の豊かさにつながるということ。

豊かになった人が増えれば、私も豊かになる。

豊かさは信じること。

先日、ご縁があってリーディングしてくださった方から、

「上のお方(守護霊?)から”そろそろ進みなさい」とメッセージがありました」

というお言葉が。

進む方向、そろそろ見えてくるだろうか。

それから、私の作ったアゼツライトのチャームには「天使」が宿っているらしいです。

天使さまが「任せて」と言ってくださっているらしいので、金運はお任せしたいと思います。(^。^)