準備ができた時に見える

 

先日、ヒマラヤ山脈の水晶がたくさん、手元に来て、ひとつずつ、丁寧に見て、浄化した。

すべてきちんと見た、と思っていたのだけど、今日、あらためて見たところ、一点、両剣水晶が在るのに氣がつきました。あんなに一点ずつ確認していたのに、なぜ見落としていたのだろう。注意深く見ないと氣がつかない形状だったとはいえ、必要な存在は準備ができないと、視界に捉えられないものなのかもしれないと思いあたった。と同じくして、虹が今まで見えなかった水晶の中に映えるようになったのも、不思議な話である。

目に映るもののメッセージとして捉えるか否かは、その当人に受け入れる準備ができているか、にかかっている。私と手相見の縁が繋がった人、縁の切れた人にも意味があると言える。

話は変わるが、行きつけのドラッグストアで、「新発売のハンドクリームがあるんですよ」と奨められて、テスターを試させてもらった。化粧品メーカーの薬用ハンドクリーム。美白効果有りとか。

いったん、帰宅したが、数時間を経て確かに保湿力もあり、手の感触も良かったので、再度店に足を運んで購入した。

私は今までハンドクリームは市販の薬メーカーの薬用品を好んで使っていたが、深く考えずとも、手相を拝見するに当たり、手を添える。手は商売道具のひとつである。今まで他人様に褒められたのは手しかないと思いあたった。

他人様に「運は手から入って、手から出るので、お手入れしてくださいね~~」なんて伝えているのだが、「自分はどうなの」って。

最近、あまり手に氣を配っていなかったかも。これは、天からのメッセージに違いない!ということで買いました。床に着く前に塗って、マッサージし、絹の手袋をしてから寝ると…。

すると、今までになかった良い感触だ。お値段だけはある。お値段1575円。購入したお店ではポイントサービスがついて、おまけもいただいた。

これからの手相を拝見する方のため、天然石に触れる手を大切にするために、さらに一歩進んだお手入れすることにする。

お手入れは、自分自身のため、依頼主のため。

 

選ぶということ

 

ヒマラヤ水晶

私は「手相見」であり、手相を「鑑定」するなんてことは、とてもできない人間です。

紹介制で拝見しているのも、生業ではなくて、まだまだ勉強中、発展途上、修行中だからというのもありますが、紹介者様の「目」を通して、縁をつないでいただいているからです。手相を有料で拝見してから本当に多くの方とご縁を頂戴して、私自身の知識や経験も得がたいものを、得ることができました。御紹介者の皆様のおかげで、今まで続けてこられたと深く感謝しています。

手相は、「相」であり、現在の立ち位置を確認するものなので、開運や悩み事の解決に的を絞って見る場合、その後の依頼主の心構え次第で、「読み」と違って展開することがあります。「当たる」「当たらない」と視点で見られると微妙かもしれません。最初拝見したときに、自分でも簡単に運気を読む方法をお伝えしています。

最初の拝見から半年以上経過しないと二度目の拝見をしないのも、最初の情報より、読み取れる情報が限られてくるという理由もあります。劇的な変化というのは、よほどのことがないと現れません。「半年前に見てもらったけど、そろそろなにか変化あるかなぁ」という場合、御本人に何か「思うところ」が特にない場合は、拝見しておりません。「実は、環境の変化、心境の変化があって」という場合は、半年待たずに拝見しています。

多くの依頼主とご縁をいただきましたが、中には御希望に添えず、失望させてしまった方もいらっしゃるでしょう。

また、拝見後、数ヶ月経ってから、「私の手相で健康運はどうでしたか」等の問い合わせを戴いたこともあります。詳しい履歴などは残していないので、お答えできませんでした。

私の手相見と依頼主の手相見の思うところが著しく齟齬((そご)=不一致、くいちがうこと))があると判断した場合は、二回目以降の拝見はお断りすることにいたしました。

今まで、ご縁を戴いた方とは、できるだけ縁をつなげていたいと思っていましたが、無理に拝見しても、伝えられないことがあれば、双方にとってお金も時間も無駄です。

昔、無料で拝見していたときは、「見る人はこちらで選ぶ」という意識がありました。無料だから、「いつでも見てもらって当然」という態度や「軽く見て」などの言葉もかけられましたが、無料だからこそ、選ぶという立場が長く続いていました。

見料をいただいている以上は、求められれば拝見すると、なんとなく思っていました。

でも違うと気がついたのです。拝見料をいただいても、言葉や思いが伝わらないと、見る意味がないということに。

もう、年齢も年齢ですし、これからあと何人拝見することになるのかわかりませんが、無理をしないことにしました。

伝わっているか、伝わっていないかは、二度目の依頼メールの内容でだいたいわかるようになりました。

初回の拝見で、不満を申された方が。2度目の依頼をされたことがありましたが、もともとの視点が、見者と依頼者で違う場合は、どうしようもないと思うのです。

この考え方は傲慢かもしれません。合う合わないで依頼主を選ぶということは、間違っているかもしれませんが、これが数年、手相を拝見してきた私の見つけた答えです。



 

時来る時会うという話

2012年も残すところあと2ヶ月切ってしまい、そろそろ年末の準備もしなくてはならない。今年も、手相見と天然石と、皆様からお声をかけていただいて、感謝しかない。おかげさまで、一日3食、きちんと食べられて、夜は布団で眠ることができる。なんとありがたいことか。手相を拝見するときは、ご紹介者がいらっしゃるが、初対面の方と会うので緊張する。いつも「後ろ」の方には、これから、幸運が待っている人に縁がつきますように、とお願いをしている。よって私の依頼主は、上昇運の方が多い。97%は上昇運。3%は不明。(当方の直感比)。

このところ、依頼主の方にお会いすると、皆さん、同じことをおっしゃるので、記しておくことにした。

「煉さんのことを、知り合いから教えてもらったのは、ずっと前になります。でもそのときは全然、見てもらおうなんて思っていなかった。ところが最近、ずーっと氣になって、氣になって、思い切ってメールしたんです」

これ、今年に入ってほとんどの方に言われて、私のほうが驚いている。これが波長が合うタイミングというものか。

実は、今年、9月以降、私は精神的な引きこもりを決めていた。それはタイミングを計るというか、ずっとメール等の返信の来ない知人、友人に対して、「こちらからは連絡をとらない」ということを決めていた。なぜかとたずねられたら、この波長の合うタイミングを計る為、としか答えようがないのだが。

それは、見えない世界のお告げのような感じであった。いつもなら「元気」と短文のメールを入れる相手にも、「なにかと忙しい」事情があると思えたからだ。

その、引きこもりというか、波長が合う、タイミングに入ったのは、多分、10月の末である。なぜなら、10月の末に、一斉にご無沙汰の人達からメールが到着し始めたからである。それは今まで静かな水面に小石が投げ込まれたような、波で四方八方からやってきた。

現在、返信が追いついていないので、お許しを。

手相見のタイミングも合い始めて、これも不思議である。

今まで手相を見るとき、言葉を選ぼうとか、こういうところを見ようとかいうのは考えていたが、基本「鏡」になることに徹している。たずねたいことがたくさんある人にはそれなりに答えるし、漠然と「良い事ないですかね?」という人には漠然とした答えしか出てこない。

個人の事情を深く聞き取り、手相から答えを導くのだが、普段は他人に言えない事情や事象、思いなども聞く事になる。

相手の黒い感情、黒い立場も目にすることも少なくない。

依頼主は話された後、口々に「すっきりしました」と話してくださるのは、話すことで自分自身を癒しているのではないかと思ったのだ。

今まで、自分が読み取れることに責任を感じていたが、私は手相見であり、「鏡」である。

「よく当たる」と、ご紹介してくださるのは、当たる、当てるではなくて、自分自身の内面に光を当てて、浄化するのだと思える。

私がお会いして見ているのだが、それは依頼主に準備ができたから繋がった縁だと、思うに至った。

それは、石と人の出会いにも言える。

金縛りは転機

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昨晩、何年ぶりかで、金縛りに遭った。

夜中に目が覚めて、「来るな…」という予感とともに。

両耳の奥で割れんばかりの大きな音が鳴り響き、体に圧迫感が。

なにか、見えないかな、五感をすましたが、映像は浮かばずに、胸の部分にピンポイントの圧力がグイグイかかってくる。息が詰まる!と一時、焦ったものの…そのまま眠ってしまったようで(苦笑)。体が疲れているのかも、と思ったのだが、触れる電気機器がことごとく動作不安定になるということに。自宅のパソコンが不調。職場のパソコンが、なんともないところで不調。携帯電話や自宅の電話も急に鳴り出したりして。

私、昔から静電気帯電体質で、真冬は静電気除去のアイテムが必需。

パソコンの前を歩くだけで、画面が揺れたりした。

電気製品だけでなく、昔から「不良品」を手にする機会が多い。

誰かが、じっくり選んでくれたお土産でさえ、私が受け取ったときは、欠けがあったり、不良品になっていたりする。

昔、プリンターを買ったら、新品なのに内部が壊れていたことも。

以前、夜中に目がさめると、真夏なのにひどく寒かったということがあり、寒くて、頭の天辺から、なにかをすぃっと引っ張られる感覚があった。

アレも金縛りに分類されると最近知った。

金縛りに関する科学的考察は、よけておいて

(都合よく)思うに金縛りは、転機を知らせにやってくる。

抜かれた後は、押し込まれた感覚。

背後霊、交代したかな??

 

変わっていくお題

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手相見をしていると、不思議なことに似たような相談内容が、集中することがある。

恋愛、家族関係、仕事、その他。続くときは続くので、世の中の「悩み」のサイクルがそうなのか、自分に向かってくる「お題」がそうなっているのか。

手相見を名乗って5年目。

ようやく最近、「お題」が「そのとき」を待って私の元へやってくるような氣がした。それは、天然石関連の依頼にも同じことが言える。願い事の、満ちる時が、同調しているのを感じている。それは、依頼のメールが集中する時期や問い合わせが集中する時があるのだ。これを、「流れ」と見ると、意外なものが見えてきたりする。

手相見をしていて、普通に暮らしていては出会うことのないような方々から様々なお話を聞き、様々な悩みを見てきた。

私は他人様に偉そうに語れる学歴も、職歴も持ち合わせていない。人間性もそれほど高くない。あるのは手相見の経験と天然石愛好家歴だけ。

けれど、いつも心のお師匠さま(故)山村幸夫さんが、著書「神からのギフト」で語られているような、人間性に少しでも近づきたいと思っている。昨日よりは今日、今日よりは明日、良くなっていく。

これからの「お題」は「良くなっていく」ということだ。

信じる信じないは

天然石愛好家20年以上の私。天然石で色々作るようになってはまだ10年も経っていません。10年以上前に失業したとき、市役所経由の紹介で、水引の内職をしたことがあります。そのときに買い揃えた工具があって、それを使って作ってみよう、となったのが、始まりといえば始まりのような。

ワイヤーを使って作ってみようと思ったのは、作ったブレスレットのゴムが切れる、というのでワイヤーを使おう、ということで。

ゴムを使ってもワイヤーを使っても、切れるものは切れるし、作ったものは消えてしまうことが続いたりする。

ある時、私を鑑定してくれた霊能力者の方が、私の作った品と、持ち主の波動が合わないと、ゴムが切れたり、消えたりする、と話してくれました。

言われてみて、注意深く見てみると、たしかに、石が持ち主と合う合わないというよりは、私が作ったものが相手に対して作用しているかのように、消えたり、現れたり、ワイヤー切れたりするらしいということが見えてきました。

「絶対、なくならない場所にしまっていたのに」「きちんと持っていたのに…」 皆さん、口々におっしゃいます。

石好きな私、依頼主の予算目いっぱいで石代にして、手間賃度外視して作った品も、すぐに持ち主の手許から消えてしまいます。

願い事に見合った報酬を、私が得ていないから、波動のバランスがとれていないからでしょうか。

私の作ったものには、見えない付加価値があると認めなさい、といわれているような氣がしました。

私の独断で、良かれと思って選んだ石が、相手の波動に合っていないのでしょうか。自問する日が続いています。

「決断した日に、消えていた」というお話も多く聞きます。

一度、手にしたものが消えるのは悲しいことです。

私は、悲しい思いを依頼主にさせているのでしょうか。

ただ、アイテムを失くされた多くの依頼主さまが、「石は手許から消えましたが、願い事は叶いました」と言って下さるのがありがたいです。

石は、天への奉納品と考えています。

石がすぐに手許から消えてしまうのなら、窓辺に吊るすサンキャッチャーを傍において、石となじむのも、良いのでは。

でも、やはり、見えない世界から告げられているような氣がするのです。私の石選びに対する姿勢というか、視点を変えることを求められているのかも。

見えないが必要なもの

 読んだ書籍に書かれていた一文。「好きなことを仕事にすると、働くことは苦にならないが、好きではない仕事をしていると働くストレスを他で解消するために、お金を使ってしまう。結果いつまでも豊かになれない」(意訳)

 別の日、某番組のドキュメンタリーで、好きなことをしている、「人形作家」の方を特集していた。その人は朝から晩まで人形を作っていて、家には寝に帰るだけ、でも楽しいです、と語っているのが印象深かった。好きなことを生業にしているかたは、脳内物質の関係だろうか、あまり老化していないような印象を受ける。年齢を重ねても若々しい人は、好きなこと、つまり気分のイイコトをしているのだろう。

 現代では、「目に見えないもの」を否定するむきもあるが、目に見えない心のありようが、体の調子を左右することがあるのは事実だ。人間は、「イヤだ」「辛い」と仕事に対して思うと、朝、起きられないとか、涙が出てくるとか、いろいろと体調に表れる。見えないけれど、「想い」の力は強い。

 私も年を重ねると、自分の嫌なことは避ける思考術が身についてきたと思っている。もう、残り少ない余命を考えると、自分の欠点を正している時間はないのだ。

 手相見も天然石で作ることも、好きだからしている。

 その中でも一番苦手なことがある。それは石の説明書をまとめる時だ。天然石愛好家が長いと、「書くまでもないのでは」と思ってしまう。パワーストーンブームになって久しいけれど「石のことよくわからない」という方も少なくない。

 また、身に着けてくださっているが石の名前を忘れられていたりすることもあるので、説明書は必要なのかもしれない、不必要なのかもしれない。

 依頼主の希望をたずねて、石を選び、探し、発注し、受け取り、浄化し作成、要約、発送という流れである。

 完成してからの作業が、微細だが負担になっているのは自覚している。

作ることは楽しいが、発送作業は一仕事なので、週に一度まとめて行っている。

けれども、そんな気持ちを、吹き飛ばすのは、作ったものに対する感想をいただいたときだ。

作成代を戴いているが、作ったモノ、選んだ石が、相手にどんな受け取られ方をしているかは気になる。

 先日、依頼者の方が受け取ってすぐに「備忘録で見るより、石の色がとてもきれいで、気分がよくなりました」と感想を送ってくださった。その喜びのお言葉をいただけて、私の作業はひとつ終了となり、次への作業の意欲へつながる。

 その「ありがとう」という言葉をひとつ戴くたびに、手相見や天然石の作業が続けていける氣になる。

 自分も、良いサービス、良い品に出会ったときは、「ありがとう」の意志を相手に伝えることを忘れないようにしよう。

 先日、購入した自費出版書籍の梱包や手書きの宛名、差出人名のひとつひとつにも、作者の方の購入者に対する「愛」を感じた。

発送の資材全てに愛がこめられている。

私も、依頼主への「愛」をきちんと伝えていられるよう努めたい。

年齢相応…が難しい

先週、誕生日を迎えて、またひとつ年を重ねました。減ることはないのが年齢というもの。気がついたら、よくもまぁ、生きてきたな自分。 誰にも褒められないので、自分を褒めてみました。年齢を重ねると、賞味期限が過ぎた食品の扱いになるのは世の常。今、世間では年齢を重ね、若さが衰えることに怯えて、「美魔女」をめざす熟年女性の間に整形手術が流行しているという話です。

私も整形手術、したいと思っていました。でも30代までだったかな。どうせするなら、若いうちにして後々の人生を謳歌したほうがいいでしょうね。一時、美しくなっても「若い美」は衰えるものですから、自分がしちゃうと、延々とそれに依存してしまいそうな氣がします。

高校の頃、整形したい、私が語ると 同級生が呟きました。「見た目が綺麗になって別人になっても、行動で煉ちゃんとわかると思う」

その言葉がずっと頭の隅にあり、行動を変えることに氣がそれてしまいました。若さは失うのは当たり前。だんだんと価値を失うだけになるのか、熟成されてアンティーク(?)な価値を付加していくかを意識するのがいいのか。

それに前世が美人だった~と言われたので、今世は諦めて来世に望みをつなごうと思って。(・_・)

私は病で手術を大小経験しました。美容整形ではないけど、顎の骨も削ったし、ホクロも臓器も切除しました。

仮に、見た目が20代、30代になっても、中身(精神状態)が実年齢なので、意味がないと、自分自身に関しては思ってます。よく人生相談で「見た目は30代って言われます」という言葉を目にするけれど、浅い付き合いならともかく、見た目が若くても内面はどうだ?と考えたのです。

私は相応の年齢どころか、20代の頃から5歳から10歳年は上に見られる老け顔です。実年齢より若く見られたことありません。

きっと今なら還暦前くらいに見られているかもしれない。。。。(汗

手相見をしていて、経験値だけで見ているような、私に対して、皆さん、熱心に話に耳を傾けてくださるのは、現在の年齢だからあるいは老け顔だからこそと思ってます。

若い人と話が合う、合わないというのはなくて、若くても話の合う人はいるし、年が同じでも合わない人もいる。ようは人間対人間が最後に残るのです。男の人が若いお姉さんが好きなのは、本能だからかしかたないか。DNAの仕業。

若い美しさは、神様が与えてくださった大切な時間。年を重ねたとき、「この年齢でもいいか」と思えるような毎日を重ねることが理想だろう。それができないから、悩みは尽きない。

若い時は世間を知らない傲慢な態度をとっても、周りの人は許してくれる。昔、公共の場でイチャつく若い恋人同士を遠くに見て、「若いって、(知らないことが多くて)恥ずかしいことじゃないか」と思ったりしてました。

年齢相応に見られることが一番ありがたいことだろうと思ってます。

以前、霊感のある人とお話したとき、「煉さんの顔、たくさんの顔と重なっている」とか別の方に「顔の表情が次々と変わって別人に見える」などと言われたことがありました。

そう言われれば 昔から記念写真に写りにくいヤツでした。集合写真や生徒手帳用の写真も何度か撮りなおししたことがあります。

理由は「顔の部分が写っていない」という。。。

まぁ、一番厄介なのは、精神面の成長が実年齢以下、ということです。

仕事に落ち込んだとき、疲れたとき、子供の頃のアニメソングや特撮の主題歌で癒されているのです。

今はyoutubeでたくさん聞けるので。

ああ、趣味趣向も年齢相応になりたいのだが、それにはもうすこし時間が必要かな。



輪をつなぐ

この数ヶ月、チェーンメイル(チェインメイル)というものにハマっている。ワイヤーをアルミ棒に巻いて、丸カンを作り、環を開いて閉じて組んでいくというもの。

入門書は洋書なので、写真を見て、辞書をひきながら読んでいる。

編み物は苦手で、不器用な私。なのに、なぜこんな面倒なことをしているのか。

ナイロンワイヤーは切れやすい。アーティスティックワイヤーで組んでも、持ち主から石は消える。なんとかならないものかなぁと考えていてたどり着いたのが、チェーンメイルという技法だった。日本は鎖帷子(くさりかたびら)と呼ばれるのがある。クサリカタビラ、という名称は、子供の頃見たアニメ「忍法 カムイ外伝」の中で主人公が、敵の刃を防ぐために身に着けていたシロモノという印象でしかなかった。

正直言うと不器用な私。大雑把な私にとっては面倒だけど、組んでいると我を忘れる。集中することが気に入っている。集中すると念がこもる、チェーンを組んでいるときにその念が石に宿り、持ち主をサポートできると思ったから。

輪は和、輪は縁=円につながる。

ある意味、手相を拝見しているときと同じ集中力が必要になる。そこで、天然石とチェーンメイルを合わせると、もっと良いのではないかと現在練習中である。

天然石に、宝石に近いパワーを託すのに、良いかもしれないと試行錯誤している。丸カンが組み合わさっているので、カンのひとつ二つ外れてもすぐには手元から消えないのでは?と思っているのだが。

チェーンでつなぐことで、質の良い石を使うことに意識を向けていくことにしている。



さようなら 土星

今年の10月6日には、およそ3年弱、てんびん座に滞在した試練と成長の星、土星がさそり座に移動しました。心機一転、やる気がでるかと思ったら、猛烈な睡魔に襲われて、寝てばかりいます。星の動きが、人間の運勢に影響を与えていると思うのは懐疑的ですか。でも遠く離れた太陽の重力の影響を受けて地球があるように、各星の重力が、なんらかの影響を与えているのでは と思うようになったのは、人間の体を構成する原子も、遠い昔は星のかけらだったと知ってからです。

今度、土星がてんびん座に廻ってくるのは30年後。それまでは生きていないだろうから、やれやれという気分です。

これからの未来をイメージする時期に入りましたが、正直、なにをイメージするかは、まだ良くわかってません。でも私はひとつに集中するということは、不得手な人間らしいです。

占星術でも、労働の室に星が集中していて、そのわりに金運の室には星が一個もない、ということから明白でした。

今までどおり、あちこち手をかけながら、やっていくのが一番、合っているのだそう。

これって、器用貧乏(器用じゃないけど)、貧乏暇なし、な人生は変わらないってことですか。

さそり座の皆様、これから2年半、土星の影響を受けるという星周りですが、土星は試練と成長を意味する星です。

迎え撃って成長してください。