見方、見え方イロイロ

遅ればせながら、お盆のお墓参りへ。市民になって初めて、霊園の一番高いところに上ってみました。自宅から往復2時間半の道を歩いて出かけました。気分はプチ登山でした。往路や復路を違った道で歩いてみると、違う風景や街並みが新鮮で楽しかったです。

羽を思わせる雲や

龍の姿を思わせる雲にも出会いました.

 

物事について考えるとき、天からの声というかアドバイスは第三者の口を通して示されることが多いのです。

これは今まで出会った、スピリチュアル関連の方々が共通して口にします。

ようは、それを感知する、聞き分ける能力が必要だと言えます。

見料を戴いていましたが、私は手相見を自分で特別な才能だと思っていません。数を見ればある程度見えるものだと思っています。

私の場合それにプラスされるものがあるので、今まで依頼者とのご縁が続いたのでしょう。

数が多くなるということは、それなりに手相見として、厳しい場面にも遭遇します。狭い街なので、依頼者同士の関係も意外なところで繋がっていたりしますし。大げさに言えばいつどんな誤解を受けて、謗られてもしかたないとも言えます。

見料を初めて戴いたときから、たかが手相を見るだけで、他人様の人生をどうこうできるわけもありません。

答えは依頼主本人の中にすでに存在しているのですから。

と思う反面、誠実であらねば、身に危険が及ぶということも覚悟していました。

実を言いますと、今年になってから 手相も、天然石も、いつやめよう、いつかやめようとどこかで思っていたのです。

そんな迷いが出たところ、偶然、今回ご縁のあった方から

「もっと責任のある仕事として取り組む」

「手相をとおして、人の心理にアドバイスしていくようなことを、もっと仕事にしてゆかれては」ということを示されました。

もう、「趣味の延長で~~」という言い訳ができないところに来たんだなぁ。

いまさらですけど、再確認できた氣がします。

これが私にとっての啓示です。

先日の夢で、大火事、竜巻、に加え、口の中に毛が生えるという不思議な夢を見ました。

夢占いでは、浄化、環境の変化、運気の上昇を意味します。

毛=髪 カミ 神に通じる言葉を告げる口という意味もあります。

スピリチュアルでは、神は自分の内側に存在するといいます。

よく「~~~で良いのでしょうか」と尋ねられることがありますが、あなたが良いと思っていることは良い。

でも、それ以外の考えもあると知った上でもう一度、自分の内側を見つめてみる。見方、見え方のイロイロを示すために、手相を見ているのです。それがお役目だと受け入れます。

 

見えていたこと

これから話すことは、ある人に向けての呟きというかメッセージです。私が手相見を本格的に始める前のことですが、

自分自身への戒めの意味で記しておきます。もちろん内容は加工しています。

まだ、手相を一食御馳走になることで拝見していた頃です。

ある日、仕事の関係者に紹介されてお会いしたあなたは、とても素敵な方でしたが、悩み事が色々あったようですね。普通の暮らしの上ではなにも接点のない、あなたが、私という人間に興味を持ったのも、たぶん私が手相を見るからだったのでしょう。

お友達の延長で相談を伺っていました。

そのうちあなたは、パートナーが「占い」に懐疑的なので、ぜひ、私に見て欲しい、といいました。氣は進みませんでしたが、パートナーの方も拝見しました。そのうち、あなたは私と会うときに、私に断り無く、パートナーを同席させたりしましたね。事前に言ってくださったらよかったのですが、いきなりというのはいただけませんでした。しかし紹介者への義理もありましたので、むげにお断りもできずにお話を伺っていました。

そのうち、諸般の事情であなたとパートナーの関係が、危機→冷却→復活の過程で何度かお話を聞くことになり、やがてもとどおりの穏やかで平和な生活を取り戻されたとき、私は、自分の手相見としてのお役目が終わったと思いました。お二人の心の底、他人には見せられない苦悩を、垣間見てきたからです。

その頃はすでに見料をいただくようになっていた私に、あなたは、これからの展望を見料を払うので、見て欲しいとおっしゃった。見料を戴く以上は、依頼主と手相見の立場が明確になったと思いました。

私はあなたが、占いやスピリチュアルに必要以上に傾倒せず、家庭を中心に幸せになって欲しい。それが一番平穏で、良いのではと思い、あなたが落ち着くまで距離をおくことにしました。今思うと、正直に言えば良かったかもしれません。ずいぶん、理由を言ってほしいといわれましたが、願いをかけたので、理由は告げませんでした。

あなたと知人以上のお付き合いをすることに疲れていたのです。

説明する気力もありませんでした。

これからも友人として会って欲しい、捨てられたようで辛い あらゆる言葉を尽くしてくださったけれど、「あなたに尊敬されるに値しない人間ですから」とお断りしました。これは謙遜ではなくて、「あなたには軽蔑されても尊敬されても、もう関係ない」と思っていました。

あなたの考え方は知人や依頼主としては許容できましたが、友人としては”合わない”。これは仕方のないことだと思っています。

見料を頂戴せずに他人の人生に立ち入ることの距離感の加減や難しさを、痛感しました。

私には、見えていました。

もし、私があなたの傍に居続けていたら…

これからあなたはとても幸せな生活を送るだろうが、その幸せを維持する努力を怠れば 数年の後、その「平穏な幸せ」に満足ができなくなる。そうしているうちにまた、パートナーとの関係に悩み、または友人関係に悩んで その都度、「占い師」の私を必要とするだろう。人脈の広いあなたのことだから、私を友人知人に紹介することだろう。

一歩間違えれば、共依存です。

でも、もうあなたを通じての様々な悩み事に、立ち入ることはできないと思ったのです。

 

私が紹介制で手相を拝見しているのは、このブログを見て、判断してもらえればと思っているからです。

手相見もスピリチュアルの話も、相手を選びます。自分のブログになんでも綴れば良いってモノでもありませんよね。

こうして書こうと思ったのは、私にとってあなたとの距離感は、手相見として、とてもよい勉強になった反面、トラウマになっている、と思ったからです。

正直、道でバッタリ会うことがありませんように、と思う自分がいました。

生霊で来ている気配も感じました。

あなたにはいろいろとお世話になって、感謝しています。

あなたの幸せを願う気持ちに偽りはありません。

でももう、私のブログを読まなくともいいでしょう。

あなたの恵まれた環境を大切にしてください。

もうわが道を行っていいんです。すでに、私の願いは成就しました。

自分の傲慢さと非力さを反省しています。

非力ながら、それでも私は望まれる限り手相を見ていくのだろうと思います。

私が手相を拝見した依頼主の中には「とても元気になった。1週間に一度は見て欲しいですよ!」とリップサービスしてくださる方もいらっしゃるが、実際、一度拝見すると、数ヶ月前に拝見した依頼主から、細かいことまでメールで問い合わせがくることもあるし、ことあるごとに、見て欲しいという方もいらっしゃいます。

2回目の依頼には半年以上、期間をあけていただいているのには、ワケがあるのです。

そんな細かいことまで、手相見に聞きたくなる心理、私にもよくわかります。そんなに占い師に払うお金もない、もったいないので、そういうときは「オラクルカード」をお奨めします。

友人や知人から頼られると、ついつい答えたくなる自分もいる。でもそうすると、なにか違うような気がしたのです。

こういう記事を書くと、「わたしのことですか」とメールが来ることがありますが、個人を特定しているようでしていない場合もあります。

 

暑中お見舞い申し上げます

立秋を前にしてのギリギリで、申し訳ないですが、暑中お見舞い申し上げます。私の住んでいる街は暑いときは、日本で一番暑かったりするのですが、翌日には10度くらい急降下する、寒暖差の激しいところです。
 

写真は飼い猫のぷりん(16歳、メス)の気絶しているような寝姿。

お気に入りの寝床で爆睡のときの写真はこちら。

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寝床は、食器棚の上にあるのですが、脚がはみ出て、寝場所を確認ということになります。

寝床に貼っているのは、使用済みのムーンカレンダー。蓄光で、暗闇で光ります。

8月、今年も今月を入れて残り5ヶ月です。早いものです。

早く感じるのは、時間の流れが加速しているからかも。

西洋占星術で、てんびん座宮から土星が立ち去るまで、あともう少し…。

最近、見つけた、無料の占いサイトがありまして、これがまたよくできているんです。占星術で、自分の金運を占ってみましたら、これからの半年間に金運のある期間が1週間!どれくらい無いんだよ!って感じでした。

時間と情報量

写真は、現在練習中というか手をつけている、ワイヤーのチェーンメイルで作ったチェーン。紐やワイヤーニッティングなど試してみるが挫折も早い私。

最近、テレビでは歴史の流れをワイドショー化で紹介する番組が増えている。私が中学生や高校生だった頃にこういう番組があれば、興味の持ち方も違って進路にも影響を受けただろうと思う。

江戸時代は300年近く続いたが、300年間、変わらない江戸時代だったろうと思う。どういうことかというと、現代から思うに明治時代は100年ちょっと前であるが、その頃に比べると人間が接する情報量が格段に違うのは、皆さん御存知のとおり。

数年前の昼ドラマを再放送で見るだけでも、このパソコンのディスプレイはブラウン管だから○年前、液晶だから古くないドラマ、携帯電話のデザインで、何年前のドラマ 等々、一画面で推察できてしまうのだ。

十数年前には携帯電話も普及していなかった、とか液晶がカラーじゃなかったとか。

パソコンが一般的ではなかったとか。

この十数年のIT関連の進歩の速さを考えると、江戸時代の100年と、現代の100年という時間の密度というか速さが違うのは明確だ。

いや~、20年前が舞台のドラマを作ろうと思うと、もう時代劇並みの時代考証が必要なんだ!!

大昔、人は自分の感知する世界が全て。自分の周りの情報だけが全てであったが、今は、テレビで書籍でインターネットで、多くの人の人生や情報を共有できる時代。ある意味何十人分の知識を得ることができる時代。

情報が多くて、助かる分、選択肢が多くて迷いも多い。

これから未来を想像するに、100年後の世界を読むことは難しい。

100年後、昨日の常識は今日の非常識、昔は○○だったけど、今は違う…。時間の速度が速くなっている。

 

整理しながら

先日、在庫の天然石の浄化が無事に終了しました。「宝石のエネルギー」という書籍の中で記されている方法を試していました。本当に石に気泡がつく場合とつかない場合があります。不思議です。

手相見の依頼は基本的にメールでやり取りしますが、戴いたメールは3ヶ月をメドに削除します。御礼のメールを整理していると、依頼主さんからいただいた感想には、あるキーワードがあることに、今更ながら気がつきました。

「すっきりしました」

このフレーズが一番多かったです。

依頼主が示した悩みや思いに、私は手相を拝見してタイミングなどを申し上げますが、一人でアレコレ考えていたことに、私が手相という導(しるべ)を見て答えると、なにかを感じてくださっているのではと思います。

「話す」ことは言霊として、自分に示すことですから、滞っていたエネルギーが流れ始めるのだと思います。

手相を拝見しているときの、私は「鏡」でありたいと思います。

手相は、あなたの内面を表したモノであり、私はそれを映し出すのです。それに対する試してみる様々なことがらを提示しますが、選択権は依頼主にあります。

どうしても、納得できない、行動に移せないという場合は、納得できる、移せるタイミングを読み取るようにします。

私自身は、傍から見て、恵まれてもいなくて、運もない、普通より下のような運気の人間ですが、関わった人すべてが運が上がりますように、そして幸福になった人の運気が巡りめぐって私の運を上げてくれますように!と欲深なことを考えているのです。

私に手相見の依頼をする時は、そういう準備ができた人だから、今がその時だ~!という人が多いのだと、数を重ねるごとに実感します。

運というのは、「運ばれて」くるもの。

他人様との交流無しにはやってきません。

お金はお客様扱い

怪しい手相見のカメ更新のブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

手相を拝見していて、必ず聞かれること、それは恋愛関係と金銭関係の運気です。

私は自分の恋愛関係は、他人様に話せないくらい格好が悪いヤツですが、こういう手相見をしていると、自分の人生の何倍ものお話の数を知ることになります。それは映画や漫画で言うところの「俯瞰図(ふかんず)」、運気の流れを上から眺める感覚に似ているかもしれません。

貧しいどん底の時、自分には「お金持ちの思考」というものが欠落している、お金持ちの人にお話を伺ったらば、少しはなんとかなるかもしれない、と考えて色々と本を読み、お話を伺い、観察しました。

俗に言う、お金は金を呼ぶというのも、お金を貯めるばかりでは、いけないというのも、長い歴史で培われた知恵だということはわかりました。お金はエネルギーを表したもの、エネルギーの対価であるというので、手相見で見料を戴いているのですが、戴いたお金はお客様だと思って扱っています。

お客様だから、お香で清めて、少し暗いところ(専用の箱)で休んでいただいて、帰って(使わせて)いただきます。

帰っていただくときは、お願いをします。

「たくさんの仲間を連れて戻ってきてくださいませ~」

心の中で、ですよ。

請求書の支払いのときも、お菓子を買うときも、英世さん、稲造さん、諭吉さんに「使わせてもらいます。また仲間を連れて戻ってきてね」と心の中で呟きます。

私は、石持ちではあり、お金持ちではありませんが、かろうじて毎日暮らせるのは、このお願いのおかげだと思っています。

そうこうしているうちに、楽しくなってきましたし、お金を支払うときの切ない思い(苦笑)はなくなりました。

引き寄せの法則で、お金が少なくなることで残念な波動を出すより、仲間をそのうち連れて帰って来~い、と思うほうが楽しいと思うのです。

パチンコや宝くじを変われるときは、「負けちゃうかも」、「どうせ当たらない」などと思うよりは、ずっとずっと良いと思うのです。

万一、財布の中身がすっからかんになっていたとして、悲嘆にくれるよりも、いつか戻ってくる、と思うことが大切なのです。

自分は自分

この年齢なれば、もういい年なのであまり他人様に叱責をされることはないのですが、先日、車の通らない横断歩道を急いで渡ったらば、年配の男性に「赤信号だろう!…ったく!!」としかられてしまいました。

信号無視したのは事実なので、恥ずかしいのですが、昨今のニュースから、背筋が冷たい気持ちも体験しました。ひとまず殴られたりしなくて良かったかも。

怒鳴った男性の心理も想像してみました。

心配してくださってありがとう、なのか

自分に面白くないことがあったので八つ当たりだったのかは、当人にしかわかりません。

ならば都合の良い理由で自分は納得しました。

こんな感じ。

守護霊様が男性の口を借りて、警告してくださった。→ありがたい。

ということにしておくと、背筋の冷たさも、忘れました。

例として

ある時、ある人に通り過ぎがてらに「笑われた」として、それが

「あいつ、かっこ悪い」 か

「あの子可愛い」 とか思って笑ったのかは、当人にしかわかりません。

それに対して

「あの人は~~と思っているに違いない」とか

「あの人は私をバカにしている」というのは、相手ではなくて、自分自身が思っていることです。

「○○は嫌みったらしい」

「××は人をバカにしている」というのはその人ではなくて、結局自分の内なる声だったりするのです。

本当に深いところにいる自分自身が、相手の行動に見える「投影」という心理が働いているのだと思います。

この世には社交辞令が存在します。

いちいち裏を読んでもしかたありませんね。

悪口を言われてる、嫌われているのも氣にしたってしかたない。

あなたはあなたであり、他人にはなりえません。

他人の思考まで操作することはできないのですから。

深読みをしない鈍感力というのも、必要な時代なのです。

鈍感だけでも嫌われますけどね。

ほんの数十年前に、個人が接した情報量と、現在接する情報量は違います。

余計な情報は、排除することも自由な時代です。

あなたはあなた。自分は自分。

 

お断りします

先日、昨年手相を拝見した依頼主に、買い物の途中でお会いした。

依頼主は、悩み事があって、天然石のブレスレットも依頼してくださった。

お元気そうだったが、ブレスレットは身に着けていらっしゃらなかったので、「調子はいかがですか」とお尋ねしたところ、「今、私の周りに天然石はないんです。すべて他人に譲りました。そういうのに頼らないで生きていこうと決めたんです」というお言葉で、その人は次の段階に進んでいるのだろうと思われる。その方は手相を拝見したとき、聞いたところによると、それまで手にした天然石などは、不要になるとゴミ箱に捨てていたという、ワイルド(バチアタリ?)なお人だったのである。

今回は他人に譲ったと聞いて、安堵した。

その人にとって、石は願いを叶える「物」であって、「仲間」ではなかったのだ。遅かれ早かれ、手元から石は離れていったことだろう。

その人はこうも言った「私、手相は変わっていないと思うんだけど、また煉さんにみてもらおうかナ」

「あ、では、お断りします」と私。

手相が変わっていないのなら、見る必要ないではないか。だって私は「手相見」だから。その人は以前、困ったとき、迷ったとき、プチメールを何度か送ってきて、私もマメに返信した。

そのとき こうも言った「煉さん、お客さんを選んだほうが良いですよ」

そのとき、苦笑したのを覚えている。

私が良かれと思って選んだ石や、返信が、彼女の身にならなかったのは、私の力が及ばずで、非難されてもしかたない。

私は、私を必要としている人にだけ、縁が繋がると信じているので、依頼主とのご縁がずっと続くとは思っていないので、依頼主からのメールもアドレスも、3ヶ月過ぎると消去している。

見料を頂戴するようになってから、たまに「カンタンに見てよ」という方に会うが、お断りしている。「未来を見る代償」を覚悟しているのに、さくっとなんて見れない。「カンタンに見れないの?」「そんなに考えなくてもいいじゃん」などと言われることがあるけど、それは天との「お約束」だからしかたない。

金曜日の朝から、急に背中の肩甲骨下あたりが痛み出して、思わず「脱皮中…?」という言葉脳裏をよぎった。

そうだ、現在私は脱皮中。

 

記事タイトルをクリック願います

最近、アクセス分析をしていると、どなたかが集中的にブログを読んでくださっているのがわかって、驚いています。

このブログは、以前別のソフトでつづっていたの記事をインポートして新しいブログソフトに移しているので、過去記事2012年1月以前の記事をお読みくださる場合は、記事タイトルをクリックしてくださると、行間などができて、写真も表示されて読みやすくなります。お試しくださいませ。内容に一貫性がないのは、本人と同じ。でもたまに「ブログ内容を実践しています」と声をかけられると、嬉しいです。

自称、幸運探査人です。

最近、ニュースで「脱法ハーブ」関連の事件を見聞きします。

手軽にハイになりたい、今までで体感してない刺激が欲しい、興味本位で手を出す人が多いのでしょう。私は自分自身がそういう誘惑に弱い人間だと自覚しているので、そういうものには近づきません。お酒は好きだけど、酔うほど好きじゃない。ある刺激が脳に快楽として刻まれると、脳はそれ以上の刺激を求めますね。日常生活も、極端な話占いもそうなる可能性があるのではないでしょうか。

私が、短期間で同じ人の手相を拝見しないのも、そんな理由からです。

依存してしまうのは、自分自身の考えに自信が無いからでしょうか。そんな人間を責められません。だからこそ、人間の歴史の影に占いが存在したんですね。

私自身は手相は見ますが、未来予知ではないと思ってます。未来予測?いえ、あなたの望んでいる未来を読むだけです。

答えは自分の深いところで、もう出ているのだと思っています。

以前、本で、人間の脳内で作り出される物質、脳内麻薬以上にハイになれる物質は存在しないと聞いたことがあります。

自分の脳内で、作れるなら、作り放題!ま、そんな単純なものではないでしょうが…。

6月、世界の空気がクリアになった氣がしています。

ツイテいたもの、離れてくれたかな?やはりお香は効きますね。

気分転換には、気に入った香りを傍におくのが一番、お手軽です。

 


手相見は心配性

手相見とは、手相に刻まれた運勢を読むものである。他人様の人生に「点」でかかわる仕事なので、いろいろな事案に出会う。ブログで体験談を話すときも氣を配る。昔になるが「○月×日のブログの記事、あれって私のことですか」とかいうメールが来たこともある。個人を特定していなくても、氣になる人には氣になるのだ。そのときは、別の方を想定していたので、「違います」と返信したと思う。

「たまに会ってください」というメールもよく頂戴する。手相見やその他、天然石の相談事であればお会いするが、そうでない場合はお断りする場合もある。その逆もあるけど。

今は便利な時代なので、検索で、このブログにたどり着いて下さる方も増えた。たまに私も検索の元になったページを訪問する。

このブログでも以前に書いたと思うが「子育てブログ」に自分の子供の写真を載せている方を見かけると、すごく心配になる。

どうしてかというと、ここで話すと長くなるので、「ブログに子供の顔写真」というワードで検索すると、「警視庁が注意を喚起」やら「老婆心ながらブログに子供の顔写真」について危険だと注意しているページがたくさんあるのに気づくだろう。

自分のブログに子供の顔写真を載せるときは、SNS内だけにするとか、パスワード付きにするとか、まずは親がイロイロと考えて防犯する必要があるのでは。

「自分の子供の顔をたくさんの人に見てもらいたい」という人もいるだろうが、親の顔写真も載せていないのに、子供はいいのか。そのうえその写真に、他人のお子様の顔まではっきり映っている。

世の中には、ネット上で子供の写真を採取している「その趣味」の人も多いと聞いている。

「だいたい、私の子供の顔なんて、見に来る人が限られているでしょう。心配しすぎ!」と言うかもしれない。

写真の情報量はあなどれない。子供の顔写真ひとつから、親のプライバシーまで特定される場合も多いと聞いている。

昔、メールで注意したら、当初は写真の撮影方法も配慮が見られたが最近また顔出し写真が…。もう何も言えない。

モヤモヤするので 自分のブログでつぶやいてみた。

心配しすぎかなぁ。でも右クリックひとつで写真がパソコンに保存される時代だよ。かわいい子供の写真が、「趣味の人」のパソコンに保存されて言葉はお下品だけど「オカズ」にされていたり、媒体にコピーされて…広がるのを止められないんだよ。怖いよね。

数年後に子供が大きくなって意外なところでその写真が使われていたら?考えすぎと笑うかもしれないが、実際そういう事件がないわけでもない。どうしてもブログに使いたいときは、目の部分を目隠しするとか、処理して使用しているブログも多い。

可愛い、自分の子供の写真は、友人、知人にメールに添付して送信したほうが安全である。

人の人生を読むのはいつも緊張する。私の手相見は必要とされている間は続けるだろうけど、いつも自問自答している。

そういう配慮というものも、占いやリーディングする人間にはとくに必要だと思うのだ。

ま、こういう心配性なヤツってことだ。