石を失くされた方へ

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自慢にもならない話ですが、私の作ったものは、失われる方も少なくないのです。不思議なことに、「この石、たとえばローズクォーツが好き!ローズクォーツが良いの!!」といって求めてくださった方がいらしても、どういうわけかすぐ、ワイヤーが切れる、紛失する。

傍から消えちゃうという経験をされる方がいるのです。

石が手元から無くなるというのは、高価な石、気に入って手にした品なら落胆も大きいことでしょう。私にも経験があるのでわかります。

覚悟して購入したタイチンルチルで作ったストラップを、身に着けて数時間で紛失したときなんて、蒼くなりました。

でもまぁ、これは神様(天)に奉納したと思って、納得しました。皆さんにも、相談のメールを戴くたび、「心配要りません」と伝え、すぐに新しい品が欲しい、切れたストラップを直して欲しいというのが数度重なった場合は、必要な石が変わってきているのではないかと思うのです。

 

天然石がブームになったのはこの十数年のことです。宝石が女性の装飾品となった歴史は意外に浅く、いにしえより石は信仰の対象であり、タリズマン(守護符)でありました。自然界から生まれた、美しい石の輝きと強さ、不変さに人間を超えた存在として、パワーを感じてきたのです。

この世の全てが原子から成り立っていることはご存知でしょう。

宇宙を知っているなら、人間も星のかけらであると理解できるはず。

私の尊敬するスピリチュアル・ヒーラー 山村幸夫さん(故人 1962-2002)の著書

「神からのギフト」にも石の話があります。

部分抜粋すると

「石も神の分霊(わけみたま)として霊が宿り、彼らなりの修行をしているからです。(略)進化の段階の最初の石の中の霊にとっては、いま居る その場所が、最も居心地のいい修行の場なのです。会社員でもいきなり会社の命令で転勤になったら、新しい職場になじめず、ストレスを抱えて病気になっていきます。」

「もし、旅先で、好きな石を見つけ、どうしても持ち帰りたいときは、そこの土地の自然霊に向かって祈りを捧げてください。

『私は、この石にとても感動しました。大事にしますので、どうぞ、私の物にするお許しをください』

ショップで売っている石も同じように祈りを捧げてから買ってください」

以上、山村幸夫著「神からのギフト」より

私は、ネットで購入していますから、届いた石は浄化して、きちんとケースにしまって…と、お香で清めてなどしていますが、これからはきちんとお祈りを捧げてから購入し、皆様にお引渡しするときもお祈りします。

依頼される方も、高額の方が多くなりましたので、ぜひとも、石と仲良くするために

お祈りと言うか、語りかけとかお試しいただきたいと思います。

 そういうことをしていて、石が消えたり、ワイヤーが切れたとしても、それは神様のラッキーサインです。必要でしたら次の石をお手元に呼んでください。

 

このところ、購入されてすぐに、紛失したというお話が続いたので、思い切って書いてみました。スピリチュアルは、生きていくツールとして活用していますが、強制するものではありません。

 

許せない人がいますか

私は苦手なものは多いが、一番、苦手なのは人間かもしれない。苦手だから、もっと知りたくて、手相見をして探求しているのだ。

昔、手相を拝見した依頼主が苦しそうに言った。

「数年前に、恋人だった人に別れを告げられて、まだ相手を思うことがある」

相手は家庭のある人だった。依頼主は全てを捨ててもいい、と思ったのだが、相手は結局、自分の伴侶の元へ戻った。相手には今は子供も生まれて幸せに暮らしていると風の便りに聞くが、自分の心には傷が残っている、と。よくある珍しくない話だ。

人の念は強い。相手を思えば、大なり小なり相手に繋がる。許せない気持ちがあるのなら、じっくりそれを自分で自覚して、意識的に浄化するしかない。愛することと憎むことは、同じ思念のエネルギーだと、どこかの本で読んだことがある。憎むことは愛すると同じエネルギーを使うなら、良い思い出だけ残すようにする。意識的にするのだから、苦しいだろうし切ないだろう。でも、人間には「忘却」と言う神様のくれた贈り物があるのだ。どんな人も受け取れる。

だが、相手に対する最大の復讐は、あなたが幸せになることだ。

忘れられないならいいや~くらい開き直ってみるのもいい。

いつまでも思っているなんて、相手にエネルギーを与えているようなものだ。

天然石は無傷で美しいものは宝石となり、価値があるとされるが

傷の無い石は完璧のようでいて、ガラスのように味気ない。

石に入った傷は、光の加減で虹を写して見せる。

そのこころの傷が、あなたの人生の虹になる。

無理に押し込めていると、なにかの反動ではみ出てくる場合もあるし。

自分で自分を救って欲しい。

 

北枕にしてみたら、夢をたくさん見るようになった。今日見た夢は、我が家に新しい玄関ができる夢だ。一軒の家屋に二つの玄関。

私の仕事に対する夢告げかもと思う。

夢の中の新しい玄関は南東の方角にできた。

手相見の問い合わせも多く戴いているが、なかなかスケジュールが合わないことが多い。そんなわけで、作業は現在、石関係のほうが多い。

今年の誕生日までに、私は何者になりたいかを、決めたいと思っている。天然石がメインで、手相見がサブになるとか。もうすでになっている氣がするが…。そうすると、新しいブログタイトルにするかも。

ブログの内容はどうやって決めているのか、とたずねられたことがあるが、「アブナイ」と言われるのを承知で書くと、「降りてくる」ものがあるかどうか。画面に氣になる言葉を載せて、そこから派生してつなげていく。内容に統一感がないのは、そのため。

 

 

本当は怖い…×××

ゴールデンウィークも待てば恋しい、過ぎてしまえばあっけない。気がついたら、公園の桜は満開で、見ているとこちらも良い気分。

正直言うと、GW後半に入る寸前に、あることがあって、気分は少し下がり気味だった。

世の中はソーシャルネットワーク花盛り。ミクシィやツイッター、フェイスブックなど、なにかに所属している人も多いことでしょう。私もミクシィには数年前までお世話になっていたが、退会してしまった。

友達とのつながりは楽しいけれど、友達の友達と繋がっても、楽しくなかったから。知らなくても良いことを知ってしまうのは精神衛生上よろしくないから。人間は、見せないところもあるから、付き合いが成り立っている部分もある。

そこで、不特定多数の方と繋がるために、サーバーを借りて、ドメインを取得して、自分のブログを始めた。

でも、本名を載せていない。別名:紅乃 煉 を使っているのは、手相見に一番合った名前だからというのもあるが、人様の人生に踏み込むので、イロイロとあるからで、良い部分ばかりではない 飛んでくる念などを防御する意味もある。普通の人がソーシャルネットワークで繋がるのは安心かもしれないけど、私には無理無理~。

だって怪しくてナンボの手相見だし(爆笑)。

本名でつながる相手は日常だけで良い。

ブログで手一杯。

そのうえ、拝見する依頼主も増えることはあっても減ることがないからいろんな出来事に遭遇するし。

前の職場の方から

「○○(本名)さんをFBで見つけましたが、経歴が違うので同姓同名ですね」とメールが来たことがある。

その方とは、普通にメールのやり取りをしているが、ときどき思い出してメールを下さる。短い文面ではあるが、とてもありがたいと思っている。

日常でお付き合いする方は、合う合わないで選んでいると思う。

もう人生、先が長くないので、合わない相手と我慢してまで付き合いたいとも思わないし。 狭い街で、長い人生だから、どこでどうめぐり合うかもしれないし、縁があるかもしれない。それゆえ本当は疎遠を選びたいのだが、相手が疎遠をよしとしないこともある。

それまでは逡巡するが、そうなってしまうと、あっさりしたものかもしれない。縁を切るときは切る。

今は便利なことに、そういうお誘いメールを配信停止にできる機能もあるのを今回、知ったのは収穫だった。

ブログにモノを書くというのは、実はとても神経を使う。語るエピソードは人物が特定されないようにするし、誤解を与える表現(差別用語など)はしないよう気をつけている。

必要以上に個人情報も、載せない。友人が見ているとわかっても

「誰が誰に付きまとわれた」とか

「だれだれちゃんと××しました!」なんてのはありのまま書いて、相手に迷惑になる場合もある。

そうは行っても、まだまだ修行中なので、不快な思いをさせていることもあるだろう。

ドキドキしながらこのブログを続けている。

備忘録もあるし。

最近、始めた、霊符書きですが、

同じ和紙に、同じ筆で書いているのに、滲んだり、色がかすんだりすることがあるので、霊符の奥深さを感じている。

霊符を書いているおかげで、筆ペンが好きになった。

書いているときは、気分が高揚するもの。

どんな霊符を書いているかと言うと、それはむやみに言ってはいけないらしいので、秘密。

 

氣は利かせるものとはいいながら

もう数年前の話である。

地元では大きな部類の店舗で、お中元とお歳暮シーズンのデータ入力の短期アルバイトを数年していた。特設の催事会場で仕事をする。主な仕事は、一般のお客様の注文データを入力するのだが、そのほかに外商営業担当から、お得意様から依頼される、大量受注のあて先リストが回ってくる。単純に入力するだけで済めばいいのだが、そのデータの原稿と言うのが、「ひどい」有様だった。郵便番号の抜け、住所の間違い、電話は市外局番の抜け、達筆すぎ(?)て読めない文字などなど。データ入力の間違いを誘っているような危険なシロモノである。お得意様のデータだから間違えると大変なので、そのつど、電話帳で住所を確認したり、意味不明な商品名は営業担当に付箋をつけて確認しつつ、作業は進む。

年を経るごとに、店の営業状態が悪くなるに従って、業務用の付箋も支給されなくなった。

付箋がなくては仕事にならないので自費で買って仕事したが、そのうち販売担当の社員が買ってきてくれるようになった。

外商部の営業担当から回ってくる書類は、本当に書類の体をなしていない。これが東京に本社がある会社なのか?と何度思ったことだろう。データ入力する人間のことはもちろん、考えていないだろう。データ入力するバイトのことは考えていなくても、まぁいい。同じ会社の人間だから。でも注文してくれるお客様のことを思えば、もうちょっときちんとした書類をまわそう、とか思わないか。

仕事に対する姿勢がそこから透けて見えるようだった。

営業不振でお中元シーズン後、閉店が決まった年もバイトをした。

私は思った。閉店を顧客が惜しむのであれば、最後は大忙しだろう。

そうでなければ…。

はたして、結果は後者であった。「お歳暮の時、閉店しているなら、話にならない」と多くの顧客がお中元の注文もしなかったとか。

そのため、私の稼動期間は例年の半分以下だった。

催事の時、使用するお客様の椅子はパイプ椅子。

裏手にあるのは、壊れかけたコピー機。

そのお店の開店当時もバイトをしたことがある私には、そのお店のエネルギーがどんどん下がっているのが、わかった。

社員の勤務態度も開店当時とはまったく違っていた。

それは、仕事で手にする書類の内容からもうかがい知れた。

いったい、どこでこんなになってしまったのだろうか。

今も、仕事で多くの会社の提出書類を見る機会があるが、たかが書類の提出であるが、そこには、書類=仕事に対する姿勢が透けて見えるような氣がする。

再提出の書類が相手にわかるように付箋で明記して添えてくれる人、ただ再提出の書類を置いていく人。

書類を読む第三者のことを考えているか、いないのか。書類のむこうに相手を見ているのか、いないのか。細かいことだろうが、この年齢になって、書類一枚にどれだけ、氣を利かせられるか。些細なことだが、これが案外、仕事の姿勢が透けて見える気がする。

書類一枚の中に仕事がデキル人、デキナイ人、仕事を愛しているのか、いないのか…がわかってしまう。それは手相を見ることに似ているなとも思った。

 

迷宮への誘い

先日、見た夢は、列車の切符を2枚持っているが使うか使うまいか迷っている夢であった。

二枚の切符が意味するのは、風水術と霊符術ではないかと思う。

今日見た夢は、お昼休みの残り時間が少ないのに気がついて、慌てておにぎりを食べているという内容だった。

2年ほど続いた運気の停滞は、今年のGW開けに動き出すと聞いていたので、そいうのも関係あるかな、とも思う。

霊符というものは、ただ書けばいいというものではなく、書く前は身を清める。書いた後は霊符に開眼術を施す。

他人様に差し上げるほどのものが書けるかどうか、研究中なので最初に書いたお札は自分で用いている。

「何者であるか、それが問題です」とある人に言われたのだが、

手相見、天然石、風水、霊符…神秘研究家?どこへ向かっているのか。

いやいやいや…幸運探査人(自称)だと思う。

太陽系を旅立った探査機ボイジャーのように、幸運を求めて漂流中。

先日、悩まされた生霊の気配は無事に消えてくれたので、もう大丈夫だろう。お風呂に入るときはヒマラヤ岩塩を入れているので、それも効いたかな。あとは日本酒を飲んで寝るとか。

生霊…で思いついた。身を守り周辺を浄化するために一本は水晶のブレスレットを持っていたほうが良いというので、水晶中心のブレスレットやストラップを作ります。

 

 

 

北枕と私

すみません。更新が止まっていました…ね。

ブログを記すときと言うのは、俗に言うと「神が降りてくる」ようなものなんですが、このところ「神が降りてこない」というか、忙しかったです。

昨日の夜、いきなりブレーカーが落ちてパソコンに保存しているデータを一部失った。アンペアを増設してから初めて。

節電が叫ばれている昨今なので、アンペア増設には躊躇する。

数日前から調子が悪かったパソコンのキーボード。メールを打っていると、今日、とうとうキーボードの「C」が押せなくなり、無反応に。キーボードが壊れたので、近くの家電量販店へ走った。コンパクトなキーボードが欲しいと思っていたので、「ま、いっか」。お安いキーボード(1600円)は1年ちょっとしか持たなかった。そこで ちょっとお高め(それでも2500円)のキーボードを購入。

風水の本を読んでいて、布団で寝る私の頭がドアの延長線上に来ることを知り、慌てて布団の向きを変えた。しかし狭い部屋なので、枕の位置を変えて「北枕」となった。

一説によると北枕は体に良いといわれるが、初日、眠っていると、耳元でささやく声が…。聞き取れず。寝ぼけていたのかもしれない、と氣にもせず。

北枕にしてから、毎日、夢を見るようになった。

意味ありげな、無いような。不可思議で印象深い内容の夢である。

列車の切符を手にしている。…とか

旅行に誘われて承諾する。…とか

夢占いでは いずれも、運気の切り替わりを意味しているらしい。

現在、小物を置いてという風水ではなくて、風を読み、地を読むという本格風水を勉強中。

実践してみて、なにかがありましたら、ご報告しますね。

 

己を知っている

備忘録を作ったきっかけは、口コミで数を作るようになったため、依頼主に画像を見てイメージをまとめてもらうのを目的としているから。

石の名前はわからないけど、○○番のブレスレットのようなもの、とか言っていただくと

私も助かるので。

それから、「特定商取引法に基づく表記」を付け足したのは贈られた方が、自分のご家族やお友達にも贈りたい、とご連絡をいただくことが増えたからです。

携帯電話番号も載せているので、先日、「ネットテレビ番組で紹介しませんか?」なんて電話をいただいたりもした。

着信電話番号でネット検索すると、該当する会社がヒットしたので基本情報をゲット。

注文ではなくて、広告しませんか?っていう営業内容だとわかった。

翌日、かかってきた電話では…

 

“己を知っている” の続きを読む

4月のテーマは

気がついたら、4月です。人事異動の季節、旅立ちの季節です。今年はエイプリルフールに面白い記事を載せようかとも思ったけど、本気にされても困るし、普通どおりとしました。私が今まで一番、素直にだまされたエイプリルフールの嘘は、某国民的グループが解散した、という知人からのネタでした。4月1日ということを忘れて「ホント!?」と絶叫してしまい、言った本人が「今日、4月1日だから…」と慌てて口にしました。

私は昨年、今年一年のエネルギーを見通してもらったりしたのですが、4月のテーマは「再生と意識の変容」です。あと、GWを過ぎたら、停滞していた運勢も好転し始める、と言われていたので、とにかく辛くしんどいことがあっても、5月のGWを目標にすごして参りました!もう少しだ!!がんばれ煉!!とかなんとか。

最近、携帯電話に知らない方からの着信番号が増えました。

応募したバイト先からかも?と出ると手相見や、天然石関連の問い合わせです。とうとう、天然石関連は、広告の営業らしいのもかかってくるようになりました。ネットで「商取引のなんとか」を掲載して、携帯番号も載せているからですね。

そんな中、困難を乗り越えて、新しい出発のきっかけを掴んだという連絡も受け、私はとても嬉しいです。

一時は、話を聞いているだけの自分の非力さ、無力さも痛感しましたが、私がいくら氣をもんでも、その人の人生は当人の選択しだい。私には祈ることしかできません。

その人は、苦しい中でも、私の言葉に向き合い、真剣に考えてくれて、新しい道を選択した。

人は、優しい言葉で傷つくこともあるし、厳しい言葉で救われることもある。

これから、あなたが遭遇する困難は、困難ではない。

好きなことをして、出会う困難には喜びが隠れているから。

新しい生活を始める人に、幸運がやってきますように。

 

 

石に呼ばれる

いつもの通勤道、通勤時間、いつも通る横断歩道の上で、石が光り輝いていた。雪融け水に光り輝いていた石を、私は拾って出勤した。勤務先で取り出して見ると、石は普通の石ではなくて、メノウのようだ。パッと見て写真ではジャガイモのようでもあるが、光に翳してみると、わずかに光が透けた。

メノウとは石の正式な名前ではなくて、アゲート、オニキスなど模様や色見で様々な呼ばれ方をするというのを今回初めて知った。メノウは身近な石だと思っていた。勉強不足だった。硬度7ある。私は、今回の石の他にも、自宅周辺の普通の道で埋まっていた、

紅縞メノウの原石を掘り出したことがある。

今回の石は、自然の中で時間をかけて、丸くなり、手のひらにしっくりとなじんだ。誰も気にもとめない道端の石。私は呼び止められた氣がする。横断歩道の真ん中で、石は黄金に輝いて見えた。

「磨いてみたい」と思ったので、サンドペーパーでコツコツ磨いてみようと思案中。 ある意味、幸運というのもこんなものかもしれない。一人一人が求める幸運は違う。意識的に注意深く見ていないと、気がつかない。石好きの私のアンテナが石を見つけたように。

今月は、私の作った天然石アイテムが「消えた」というお話をいつもより多くいただいた。あなたに必要な石=パワーは変わった という合図だろうから、自分の欲しい運というのはなにか、もう一度考えて見て欲しい。

仕事運と言っても健康があれば、バリバリ働いてあげる金運。

好きなことさえできれば良い、という延長線上にある仕事運。

恋愛で求めるのは、相手の愛か?それとも自分の気持ちの安定か?

あれも、これも欲がありすぎて、決められない!!という場合は、とりあえず好きな色で、石と接点を持ってみることをおすすめする。

 

今がそのとき

最近は、贈り物を依頼されることが多いので、リボンとワイヤーで、ギフト用のリボンをコツコツ作ってます。買ったほうが見栄えも良いし、早いかもしれませんが、コスト削減と願いをこめるという細かい作業ははずせません。

私は、幸い、職場で苛められたことはありませんが、小学校では苛めで不登校、中学校では空気が読めず、仲間はずれという経験があります。学生時代の良い思い出というのは案外少ないので、こういっては何ですが、卒業アルバムを懐かしく見返すということは、ありません。もう年齢も年齢で身辺を身軽にしなくてはならないので、先日は学生関係のアルバムを全て整理しました。同級生の名前もほとんど忘れていて、自分の学生時代の希薄さを思い知りました。

苛めの不登校を乗り越えたきっかけは、自分の好きなものを心の支えにしたからです。当時はアニメでした。好きなアニメを見るために、歯をくいしばって、殴られたり、無視されたりしても学校に通いました。

中学生のときは、周りと話が合わなくて、孤立していました。好きなものや関心が周囲とは違っていたんですね。

担任の先生が理解のある方でしたから、なんとか中学校は乗り切りました。一応、学習能力があるので(苦笑)高校に入ってからは「人付き合いのマナー」関係の本をたくさん読みました。

人間関係はある意味、テクニックです。好かれる人にはポイントがあるのです。一人っ子で人付き合いの距離感がつかめなかった私は社会人になってからも、転職するたび、ドキドキ、ビクビクしていました。

今でもそれは変わりません。

職場で、苛めにあっている、という相談もあります。

誤解を恐れずに言えば、苛められるほうにも原因がある場合が多いのですが、苛めていいと言うものではありません。

苛められているという人間が気づかないように、苛めている人間も自分が苛めていると氣がつかない場合もあるのです。だから苛めに黙って耐えていれば、嵐が過ぎる、ということもなく、エスカレートすることもあります。心理学の本でも、よく取り上げられています。

苛められている?と思ったら、なんらかの行動をとるか、耐える期間を決めてやり過ごす。

私の場合は、小学校卒業、中学校卒業 という切り替わりがあったから耐えられたのかもしれません。

職場なら、次の仕事を探す、上司に相談する、いろいろなアクションのとり方があります。やるだけやってダメだったら、次の道が見えてくるし、あきらめも覚悟もできてくるでしょう。

きっかけで、転職して、意外な展開が待っていることも多いのです。

あなたを次へ導くための、見えない世界からのアプローチである場合もあるからです。

一番大切なのは、耐えることで耐性がつくことではありません。耐え続けて 体や心を壊してしまうよりは、走って逃げることが何倍も勇気がいるけど。

今がそのときだ!という体からのサインを見逃さないでほしいのです。