浄化の波

crystal rainbow

この数年、風邪らしい風邪をひいていなかった。以前はよくひいていたので、「珍しいこともあるな。この次風邪をひいたら、運気の切り替わりの時だろうな」となんとなく思っていた。

今度の風邪は喉からきた!バイト先の仕事が日程で決まっているので休めない。市販薬を飲みながら出勤した。熱も出たが、夜に出て、朝になると平熱に戻る。不思議な熱の出方で、今までの風邪とは勝手が違うと思っていた。1週間くらいで治るか、10日で治るか、二週間でも、どうも本調子にならない。幸い、手相見の依頼は月末に集中していたので、気楽に構えていたら、もう月末に突入。

こじらせてしまったか…少々焦る。と、今日夢を見た。…私は入院していた。明日は退院だ、と空になった注射器をぼんやり眺めている。

空になった注射器は、薬で満たされていたのを前日(夢の中での、だが)確認していた。退院は、現在の運気に対して浄化完了、という意味やね。

このところ、重たい内容の相談を続けて受けたから、相手の負のエネルギーを引き受けてしまったのではないか、と心配してくれた人もいた。当たらずとも遠からずかもしれない。

この一週間は不思議な夢を見ていたが、全て身体にかかわる内容だった。実際の体調云々というよりも、魂の治療完了ってことだろうなぁ。

そうしたら、私の作った天然石のアイテムを購入してくださった方から、連絡があった。別々の日に購入し、別々の方に贈ったアイテムが、同日に消えた、というではないか。私の作ったものは、消えるときは別々の方々の手元から、数日を前後して消えることが多い。たいてい不安です、という連絡がくるが、それは「運気の切り替わりの証」であると告げている。運を失ったわけではない。運を運ぶことを妨害している厄を持って離していくのだろうと思う。お金を払った石が手元から消えるのは悲しいことだろう。納得がいかないかもしれない。石は大地からの預かり物であるから、別の見方をすると、厄祓いが石で済んで良かったではないか!厄祓いではない場合は、石は石を呼んでくる。次の石と縁ができることが多い。「同じのを作ってください」と依頼されることも多いが、石との出会いは一期一会。石が消えたときから、必要なエネルギー(石)は変わっているのだ。新しい石が、出会いを待っている。

私も、手元から石が消える時期と集まってくる時期があると感じている。今は、集まってくる時期だと思う。それも意識的に見ているせいか、虹入りの石が多くなっている。虹を見るためには雨上がりでなければならない。

数日、石が消えたという連絡が続いたので、気になる依頼主に「調子はいかが」というメールを複数送ったのだが、不思議なことに皆「メールが届きません」とエラーで戻ってきている。

ブレスレットを依頼されて1年以上の方、ストラップを購入された方、念のため、金具など確認してくださいませ!!

そういう時期なんですね。

 

守備範囲外です!

予想以上に風邪からの快復に時間がかかっています。

本人は、あまり辛くないのですが、周辺の人間には「大変ですね」と言われます。これは、やはり運気の切り替わりに入っていると思われる。

すっかり回復したら直感も冴え冴えしているかもしれません。

手相を拝見する人数も大台に乗っているので、遭遇する事象も多岐にわたっています。

私はただの手相見ですが、拝見した数だけ言えばそれだけ多くの知識を得たと言えます。私は占い師ではないので、事象に見合った経験値のお話しかできない。

最近、相談内容が複雑で重たくなっているのを自覚しています。冷静に考えると、答えはシンプルなのに、自分で複雑にしている人のなんと多いことか。これもあれもと欲張っているうちに、解決へ向けての目標がブレて、よい方向に向かなかったりすることも多い。

手相を有料で見るようになって、得たものも多いが、失ったものも多いと思っている。

一番、失ったなと思うのは、友達だろう。

言葉に出さずとも友達だから、知り合いだから、時間と場所を問わず、些細な内容を質問してくる。こちらも友人だからと思って答えていると、次には、「自分のパートナーの手相を見て」「アドバイスもちょうだい!」

「でも 私が会いたいときは友人として会って!」

… 要求だけが増えてくる。

自分の周辺の人の手相を見ていても、「私だけは特別扱いして」

言外にそういうのが滲んでくると、もう友人関係は続けられないと思う。

「私一人ぐらい、(いいでしょう。)」というニュアンスで言われたこともあるがそういう人は当人が思っているより多いのだ。

そこで、明確に線引きをすることにした。

どうしたことかと思っていたところ

自分のパートナー以外の人に、告白された。その人が連絡をしてくれる携帯電話のメールアドレスを、私に決めてほしい! という相談メールまでやってきて私は相手の手相を見たことを後悔してしまった。

「あなたの人生には、これ以上関与しません」とお断りした。

手相を見ている間は、見料という報酬を得ているが、こういう細かいメールの返信だって、時間はかかるし、手間もかかるのだ。無報酬だが、これはフォローに入っていると思われているのか。こだわる私が悪いのか。プロなんでしょ!と言われれば、プロだから、守備範囲外もあるのだと答える。

こんな悩みにもならないことを考えてしまうくらい、数多く人の人生と秘密を共有したのだとあらためて、自戒する。

今までは、自分なりに誠実に返信をしてきたのだが、もうそろそろ、考える時期に来ていると思う。

レムリアンシードがやってきた

レムリアンシード

先日、友人のAさんから、アメリカ旅行からのお土産が届いた。

ホワイトセージを束にして、使用するスマッジングスティックとレムリアンシード。

レムリアンシードというのは、1990年代から市場に出回っている特殊な水晶。ネットで検索すると、たくさんの情報が提供されている。

ややピンクかかった表面に、バーコードのような筋が特徴的。その採掘される状態が、母岩についているのではなくて、一本一本独立した状態で見つかることから、古代文明のレムリア人が、転生した姿とも、そのバーコードには、古代文明の叡知が記されているという伝説がある。

話には色々と聞いていたが、実際、氣になりだしたのは今年に入ってから。

この水晶は手元にやってくるべくして、やってくる、とも言われている。天然石オタクの私としては、氣になる存在であった。まさかこんなに早く、手元に来てくれるとは!

それも、友人の手を通してとは。ありがたい。

レムリアンシード

このバーコードの精緻さには見とれてしまう。ルーペであちこち見てしまうほど美しい。

採掘されていた鉱山が閉山してなかなか手に入らないと聞いていたので、ご縁に感謝する。

このレムリアンシードが届く前の日から、私は数年ぶりに風邪らしい風邪をひいた。体温がぐんぐん上がり、37.5度から38.2度。熱っぽいけれど、あまり辛くない。不思議な感覚だ。

スピリチュアルな観点から見ると、発熱は浄化を意味するというので、レムリアンが手元に来たことで、体内エネルギーが変換していると思う。

今年は、水晶原石 虹入りのポリッシュポイントを業者の方からも頂戴した。水晶に縁のある一年になりそうだ。

名刺をネットで作成して新調した。

発送はなんと風水の街、シンガポールから。めでたい。

浄化函にいれて、パワーチャージして、ご縁をいただいた方にお渡しする予定。

占い師ではなく手相見

手相を見る、と言うと、相手の反応は大概ふたつに分かれる。「手相を見て」という人と「あ、そういうのは嫌いなの。何か言われると怖いじゃない」という人だ。

昨今、テレビで話題の「占い師」であるが、私は自分のことを占い師と思ったことは無い。始まりが「手相の本に書いてある内容に、自分の手相が当てはまらない。みんなの手相はどうなっているんだろうか」だったので、色々と見ているうちに、相手が「当たる」と言ってくれたから、ずっと見てきた。そういうことから自称「手相研究家」「手相オタク」に分類されると思う。では、なぜ見料を頂戴しているかというと、依頼主が払っても良い、と言ってくださるからである。

イベントのある年齢も、流れも読み取ってはいるが、手相は本人の深層心理が表れていると思っているから、当たるも八卦、当たらぬも八卦。

ところが先日、「急を要する、ぜひとも」と依頼されて、2度目の手相見となったが、正直に申し上げて手相は見なかった。

私は手相は急激に変化しないと思っていたので、前回から半年経過しないと、手相は拝見できません、とお断りしてお会いした。

前回の手相見に対する意見なら、きちんと伺おうとも思っていたのだが、手相を見ながら伝えた内容が、

「当たっていたので、次の展開を読んで欲しい」と言われたのだった。

運の切り替わりのタイミングなどは、数字として、浮かんできたものを直接申し上げるのであるが、あとは私の脳裏のところに、現れる「ひらめきだけ」があればお答えする。

思うに、座って見るだけで、答えを導き出すことはできない。

私には手相を見ることが 占い師の水晶玉 のようなツールであり、手段といえる。

でも、私の答えが絶対であるわけではない。

依頼者の価値観と私の価値観が違えば誤差もでるし、私が「良いのでは」という解決方法が依頼者にとっては納得がいかないこともあるだろう。それを判断するのは、依頼主の自由だ。

自分で試して良かった知識はお勧めするが、

昨今のワイドショーで有名な自称占い師のような「神様がああしろ、こうしろと言っている」なんていうお告げ系ではない。

神様は人間になにかを要求することはないと思っている。

人間がお供えする、努力するのを見守っていて、努力を認めて少し応援してくれる、そんな存在ではないだろうか。

目の前にある存在を、神と思うのも人間、悪魔と思うのも人間。

人間だけが自分の中に、神も悪魔も宿すことができるのだ。

 

 

先日見た夢の話

先日見た夢の話です。
私は人生の転機を夢で知らされることがあります。

先日見た夢は、自分の前に一本の大きな道が開けているというものでした。

今年は、「私の裏側」が動き出す年。

そして後半には、今までの結果が現れる、とも言われています。

私は自分自身が手相見ではありますが、客観的に自分の運を知りたくて、機会があれば、さまざまな方に見てもらいます。

複数の意見がすべて、今年の後半の転機を告げています。

後半になると、手相見の私、天然石オタクの私、今まで手がけてきた案件に対して、審判がなされるということかもしれません。

状況次第では、手相見や天然石関連から一切手をひいて、あらゆる環境を変えることも考えています。

それほど、最近の相談内容は重量級。

依頼主の背景にも不思議とテーマがあって

一昨年2010年はご新規さんが多く

昨年2011年はリピーターさんが今まで最多で

今年2012年は、新規さんもリピさんも半分くらい。

相談内容はどんどん、ヘビィになっている印象です。

そして、数年前に拝見した依頼主から、ポツッとメールをいただくようになりました。

今年の後半は、自分でもこれからのことを考えて行動しようと思っています。

まだ、運気が停滞している6月までは、周りのようすを見ながら

自分の本当にしたいことを、見つけていくということでしょうか。

後半に、これまでの答えが返ってくることを待っているのです。

 

2月には魔が潜む

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ずっと、ブログを更新していなくて、何をしていたかというと、そろそろブログを再構築したいなぁと思っていたところ、レンタルサーバーが、新しいソフトを自動インストールするサービスを開始したので、試していました。

なにせ素人なので、マニュアルもないまま、あれだこれだと触っていて、画面が表示されなかったり、てこずったり。

そういえば、私が初めて、ブログをはじめたのも2月だったし、ソフトのエラーで最初のブログをとりやめて、再開したのも2月だった。

そうだ、2月には私にとって、後先考えず、ブログをいじってしまうという「魔」が潜んでいるような氣がする。

備忘録も動きが重くなったので、別のブログに展開してもよいかも、と

思っています。

あちこち、リンクが途切れたりしていますが、しばらくお許しください。

写真は数年前に撮影した、雲です。龍を思わせるので撮影しました。

未来を観る代償

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昔、私が手相見を直感で見ていることについて、ある人に諭されたことがある。

「本来、未来を観る目は閉ざされているべきなのですが、それに反して、観るということは、それなりの代償を払わなくてはならない場合があります」

言われた直後はよくわからなかった。私は頼まれて見ているのだし、必要とされているから観ている。それ以外なにものでもなかったからだ。

手相を有料で見るということは、他人様の人生を自分の目で見るということだ。秘密や苦しみを共有しないと、見通すことができない。

誰にも言えない事情と、苦しみ。それを糧として、人生の一部を切り取って読むのだ。

その流れが、禁を犯すことになるのなら、贖わなければならない。

私の場合は、それは自らの病であると思っている。

周りを見るに、他人の人生を見ている人間に、健康で、人生が順調で、幸福百点満点 という存在はいないのではないかと思っている。

私のような、健康体ではなくて、家庭もなくて、それしか他人に役にたてないのであれば、手相見をツールにして、受け入れるのは、ある程度覚悟の上だ。

そうでない場合は、気軽に足を踏み入れる領域ではないとも考えている。

断っておくが、あくまでも これは私の個人的な考えである。

ただひとつ確実に言えるのは

他人の人生を観る代償は、あらゆる形で求められる。

それは自分の体、家族の健康、あるいは経済的な損失なのかもしれない。

他人様の人生を観ることは、ある意味、恐ろしいが

その先に喜びが待っているのであれば、嬉しい。

正直、私は覚悟を決めている、とは言い切れないかもしれない。

今でも深刻な相談を受けて、その行方を読んで伝えるとき、怖い。

私の告げる言葉で、依頼主は、行動する。

行動した先には何人もの人生が関わっている。

その先に存在する人に、恨みを買うこともあるだろうし、責められることもないとも言えない。

私は、いつも「運のいい人とご縁ができますように」と背後霊にお願いしている。

そのおかげか今まで、深刻なトラブルに巻き込まれたことがない。

けれど、その代償は自分の病という形で払っていると思っている。

「お客様は神様である」という有名な文言があるが

客が神様で何をしても良い、という意味ではなくて、

お客を神様だと(大切に)思って という意味だと聞いたことがある。

もし、私が健康体で、金銭的に恵まれていて、順風満帆であったなら

手相見をしていたか、と問われれば、多分していないだろう。

私にとって、他人の人生を観るということは、これはもう「不思議な世界から」の縁(えにし)以外

なにものでもないから。

もし、自分もヒーラーになりたい、占い師になりたい、と思う方がいらっしゃったら

今はたくさん、養成講座もあり、本も出ているし、もちろん私のように独学で

氣がついたら手相を見ていた、って場合もあるだろうが、

趣味で見ているほうがどんなに気楽かは、推して知るべし。

私も趣味で見ているときは、楽しかった。

無料だと責任もないと言えないが、良い事だけ言っておいても許される。

 

他人の未来を観るって言うのは、それなりに覚悟も必要だと。

まだまだ未熟な私はそう思う。

 

選んでいるのは人間とは限らない

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せっかくの休日であるが、新しいブログサイトを立ち上げようと、ソフトをインストールしたり、設定したりしていて、一日が終わってしまった。

このサイトソフトは商用には使えないので、試作品の販売や、良いものの紹介に、別のサイトを構築しようと思案中である。本格稼動までには数ヶ月かかると思いますが、無事、開設に至った場合はよろしくお願いします。

1月は逃げるというが、本当に年末からタイムワープしたような印象の日時の速さである。私自身、光速に近づきつつあるのか?写真は昨年末に撮影した空の写真であるが、左側が頭、右側が体で、龍を思わせたので撮影した。年始にアップしようと思ったのに、今頃になった。

さてさて、表題の話になるが、私は、天然石と人間の接点として、石を取り扱って、数年になるが

数年を経て数をこなすと、人間と石の間には、「お約束」というか「相性」というのが存在しているということを感じずにはいられない。

何度、同じ石を手にしても、失ってしまう人。

落とした(失った)石に数日、数ヶ月を経て、もう一度手にすることができる人。

大金はたいて手に入れた石が、海の藻屑となってしまった人。

落とさなくても、何度もストラップコードが切れてしまう人。

私も、経験がある。経済的に切羽詰ったとき、タイチンルチルという太い金線の入った天然石を数粒購入して、お財布のチャームを作った。すぐに近郊の神社に、お参りに足を運んだところ、

いつの間にか、タイチンルチルのチャームはお財布から消えていた。

大ショック!!1粒いくらしたと思っている!さっきまでは確かにあった。今来た数メートルの道を戻ったけれど、チャームは見つからなかった。

人気(ひとけ)の無い神社の境内に、まるで神様が引き換えに受け取ったかのように。

その後、切羽詰った状態は回避された。

落とした石の行方は誰も知らない。

 

私の周辺では、石をなくした人が少なからずいるが、それを考えると、もっと道端に石やブレスレットが落ちていても良さそうなのに、どういうわけか拾ったことはない。

たまにハートのローズクォーツを拾ったり、道路に埋もれていた、赤メノウの原石を拾うことがあるくらい。

石はどこへ行っているのか。

石は、時空を越えてあるべきところにあるのだと思う。

人間が石を選んでいるだけではない、石が人を選ぶこともある。私はそう信じている。

その人に合わない石は姿を消す。

働いてくれて、ツヤが消え、割れる石もあるし

さらに輝きも増す場合ももちろんある。

だから、手元から消えたことは、人ならぬ存在が願いを聞き届けてくれた

あるいは、災厄とともに代価として、連れ去ってくれたと思えてしかたない。

石を亡くした、コードが切れた それだけで済んで、良かったのだ。

石はそういう存在だ。

 

人生は短い

人生は短い。自分の短所を治しているより、長所を伸ばすほうに時間を費やしたほうが、いい。

飛行機雲

 昔読んだ本にそう書いてあった。

その人の生き方は、その人自身の歴史であり、作品だから、他人が「変えよう」なんて、おこがましい。無理! たとえ変えられたとしても、莫大な労力を要する。

一方で、「感動」が、価値観を変え、生き方を変えることがある。

私の価値観はあなたの価値観と同じ。世界が同じ価値観しかないとして、そこに何が見えるのか。

想像してみよう。

いろんな人がいて、いろんな考えがあり、それを受けるも、流すもあなたの自由。

自分が持っている考えも、好みも、あるものから刺激を受けて、感動を受けて受け継いできたもの。

皆、他人に影響されて存在する。

他人に、貶められてしまったまま、なんてもったいない。

どんなことをされても、それを自分の糧として取り入れていこう。

 

仕事関係に悩んだら、ビジネスマナー本を読めばいいし、

恋愛に悩んだら、周囲に相談するのもいい。

きっとさまざまな方法はあるけど、自分で変えようと思わなければ

変わらない。

周囲に変わって欲しい!と思うのは、手抜きな考え方だと思う。

変えようと考えてみる。

それは、ちょっとした諦めでも、抵抗でもいいので

動いてみるのが一番ではないか。

 

恥ずかしくても、格好が悪くてもいい。

せっかく 人間に生まれてきたのだから。

 

 

2012年 あけおめ

謹賀新年。

今年でブログ開設5年目に突入です。

途中、ブログソフトの不具合で数ヶ月中断しました。

再スタートしたものの、飽きっぽい私が、こんなに長くブログを続けてこられたのも、立ち寄ってくださる方々がいらっしゃるからです。ありがとうございます。

それなのに、12月はほぼ放置、1月は5日から記事を書くとは…。

なにをしていたのかというと、一年のまとめ、内職の収支計算と、天然石関係の内職です。

なにを作っていたかは、備忘録を見てくださいませ~。

 

虹入りの水晶タンブルをワイヤーで巻いてみました。

 

今年も、手相見は細々続けて行きます。

新年早々、届いた携帯電話のメールに

「おみくじをいつも大吉をひいていたのに、今年は小吉だった。どういう意味ですか?」なんていうのがありまして

私は神様ではないので、お答えいたしかねます…(苦笑(-_-))

今まで、依頼主=お客様と思っていましたが、拝見する人数が増えてくると、なにからなにまで、聞かないと気がすまない!!という依頼主もいらっしゃいます。

でも、でもですよ!

手相を拝見して、2年以上経ってから、上記の文面でメールがあっても

「マジ?それとも冗談??どういう意味??」なんてオタオタしました。

まだまだ修行が足りない自分です。

あと、何年も前に拝見したから、年賀状を頂戴したりして、これはとても嬉しいです。

皆さん、優しい方ですから、私の見立てを、黙って聞いてくださっていることでしょう。

ハズレテイルコトモあるんだろうな…と遠い目をしたりしましたが、私が手相から読み取っているのは

「可能性」なのかもしれませんね。

こんな私ですが、2012年のテーマでは

前半は

「受容と人間関係」の流れ。

後半は

「変化と自由」「自己表現」「コミュニケーション」がテーマとなるそうです。

自分の本当にやりたいこと、本当はやりたくないこと の叫びを聞く。

インスピレーションが更に発達する年!!

ということで、枕元に夢日記を置いて、精進します!

とはいえ、新年早々、奥歯を抜きました。

抜歯は手術。安静にして、私のお正月休みは最終日となりました。

てか、休んでいるようで、休んでいなかったかも(・_・)