2011年を振り返って

2011年を振り返って…。

氣がついたら年末です。ブログの更新は今月ほとんどしてません。((-_-;))
そのせいでしょうか、知り合いから「忙しそうですね」というメールやお言葉をいただきました。
恐縮です…。
単なる、話題不足です。

今年を振り返るに、手相見では新規の依頼主よりも、リピされる方の数が多い年でした。
つぎのステップを必要とされているのだと感じます。
私の手相見は数年後の流れを大雑把に見るもので、即「答え」が出るものではないからかもしれません。
自分では、見ているときは他の「なにか」につながっている感覚なので
良く言えば、霊感で、悪く言えば「いきあたりばったり」な感じでしょうか。
そのため、話したことは覚えていません。
意識的に覚えていないようにしてもいます。

拝見するときはいつでも、依頼主の運勢とは「初対面」であります。

○○才でお子様が…と話して

「○○才で、結婚しました。子供も生まれました」

とお知らせいただくのが数年後です。
今年も、実は○○才で子供ができると言われていたのですが
私、先日○○才の誕生日だったんですよね…。そしたら子供ができていたんです!」
と言われて、私が驚きました。(・_・)

ギリギリセーフ?…いやいや。

自分で言ったことに自分で驚いて、なんとも怪しげさ満載です。
親、ご兄弟、親戚 お友達…ご紹介のご縁の広がりも感じた一年です。

悲しい別れもありましたが、それがきっかけで
長い間、念願であったメンターとも出会えました。

クリスマスから年末にかけて予想外にたくさんの贈り物をいただきました。
皆さん、本当にありがとうございます。
私の為に作ってくださった時間、選んでくださった時間など
かけていただいたすべての時間のありがたさ、お気持ちに
心から感謝と御礼を申し上げます。

写真は、クリスマスプレゼントにいただいた、アクセサリートレーです。

薔薇のモチーフが豪華です。

自分では、絶対縁がなかったと思うほど、素敵です。

ご縁をいただいて嬉しいです、それというのも

2012年は、風水的にも占星術的にも、薔薇のモチーフがラッキーアイテムだそうです。

女性には薔薇モチーフ、写真でも良いので、力強くオススメシマスよ。

 

そして、2012年は、今までの私のしてきたことに対する答えが得られる年だと
いうことです。

私にとっての審判の年。正直ドキドキしています。

今年は、正直、手相見よりも、天然石関係の依頼件数が多かったです。
ブログタイトルは、天然石+(plus)が正しいです。
でも、鶏が先か卵が先か?と言われると、手相を見ることがあって
次に天然石だったので、ブログタイトルはこのままで、2012年もいこうと思います。
ブログ開設のときは、2012年まで続けられるかなぁと思って
最初のご挨拶を未来日付の2012年にしてましたが
2013年まで延長します。

それから、パワーストーンオラクルカードに予想以上のご依頼をいただき
感謝します。
1月1日以降に、メールに添付して送信します。
今しばらくお時間をいただきます。

今年一年、ブログにお立ち寄りくださった方々

手相見、天然石関連のご依頼をくださった方々

皆さんのおかげで一年生きてこられました。

本当にお世話になりました。

深く感謝し、厚く御礼申し上げます。

まだまだ未熟者ですが、来年もよろしくお願いします。

 

 

見えざる”もの”も扱っている


最近、天然石や八角形鏡を紹介して思うもの。

取り扱っているのは、モノ(物質そのもの)だけではないのだということです。

天然石も、美しいから欲しいという場合と

開運したいから欲しいという場合とは、気持ちが違うが、結局は豊かな気持ち、「富氣(ふき)」が必要ということに帰結する。

つまり、取り扱い品はただ単なる、天然石のブレスレット、やストラップ、ではなくて、作り手の気持ち「幸せになって欲しい」「開運してほしい」というプライスレスなものもあるのだということを、今一度、感じた次第です。

開運をイメージングするときは、その場を想像(イメージ)するだけではなくて、気持ちも「嬉しい」「楽しい」を感じないと、難しいという。

その、「富氣(ふき)」をサポートするために。

石の保存方法にもこだわっているし、浄化もかかさない。

傍から見ていると、なんでもない、つまらないことかもしれない。

しかし、こだわっている私の気持ちも、お届けしていることを、片隅に覚えていてくれたら

嬉しいデス。

 

 

氣がついたら冬景色



すっかり、冬景色になった。

太陽の沈む時間が早くなり、冬至が待ち遠しい季節。

なかなか更新できず、氣になっていたけど…。

あっという間に12月。

年末です。

誰も彼もが忙しい季節。

忙しいからこそ、

書く内容を考えるというか。

先日、手相を拝見した依頼主さまたちから嬉しい報告が続いた。

新しい人生に向かって天の思し召しがあったという。

どうか新しい道、新しい運命、新しい生命を、受け入れて欲しい。

私は、今年、念願かなって、メンター(指導者)の方々にめぐり合うことができた。

すべてが、つながっていないようで、実は見えないところで、きっちりつながっていたと思う。

ある人は、宇宙的視点から

ある人は天然石の小宇宙へ。

運気の流れを読み取って、貴重なご指導、ご鞭撻いたただけて、本当に幸せな自分を感じている。

手相見も、天然石も、自分自身の力というより、見えないものに導かれて、今ここにいる。

 

年末に向けて、来年こそ、良い家庭、夫婦、恋人に恵まれたいと願っている方には

ぜひとも、マザーオブパールのブレスレットやストラップをお勧め。

効力は私の想像以上にあるらしい。

鉱石ではないけれど、真珠を育む、命を宿すマザーオブパールの力を、感じてみませんか。

 

見えるもの、見えないもの

目の前にある、ひとつの物体。あるものは「良いものだ」と言い、あるものは「悪いものだ」と思う。

目の前に見えている存在が、あなたにとっては「腹の立つ」ものだとしても、別の人にとっては「大切な」ものだったりする。

 私から見て、「いいこと」があなたの眼から見て「とってもよくないこと」だったり。

手相見をしていてもそれは、ことあることに感じる。

ある一場面を見て、個人が抱く感情が別々なことを考えると、ある神秘家が語った「この世は幻である」という言葉を思い出す。

 私は宗教家でもないし、信者でもないが、聖書からの言葉で好きな言葉がふたつある。

それは、

「求めよ、されば与えられん」

 「復讐するは我にあり」

「求めよ…」というのは欲しいものは、欲しい!!と思わなければ、受け入れることはできない。

(別の意味があるかもしれないが、文面だけで好きな言葉だと言える)

復讐するは …は、なにも自分で復讐しなさい、ではなくて、

「復讐をするのは我(神)であるから、あなたがすることはない」という意味だと聞いてから好きになった言葉だ。

もしこの世が、同じ感性、同じ価値観の人間だけ存在したならば、どうだろう。

想像するに、平和は平和かもしれないが、発展も刺激も無い、調和の世界が地平線の彼方まで続いている…。

やがては、静かな終焉を迎えるのではないか。

 同じ存在を見て、違う思考を抱く。

人間は、だからこそ、互いに妥協し、許しあい、切磋琢磨して、発展してきたのだ。

あなたの考えは、私とは合わない。

でもあなたの存在は否定しない。

ちょっと接し方を工夫しよう。とか思ったり。

 

そう思えば、職場の人間関係も、困った人との関係も「許せないわ」「ムカつく」ということも

ちょっと緩~く、許せるのではないか。

自分の視界(世界)からフレームアウトさせる。

 

…とまぁ、言うだけ(書くだけ?)言ってみるものの

自分でできるか、と言えば、一歩進んで二歩下がるわけで。

開運グッズも試してみるわけです。

開運したい、幸せになりたい!!と思うのは、不運が続いた時が多いのではないだろうか。

思いたったときが吉日。

 

 

満月の夜

満月

2011年11月11日は満月。

その横には木星が輝いていますが、フレームに納まりませんでした。

満月のお財布の儀式も済ませました。

今日は、窓辺に水晶を置いて、月の光で浄化、エネルギーチャージができます。

コンパクトデジカメで、思いのほか美しく写真が撮影できました。

最近、職場の同僚が気になるというご相談が増えました。

 

「○○さんは、あんなことして…ブツブツ」

他人のことが不満で氣になるのは、暇だからですかね。

忙しかったら他人にはかまっていられません。

自分も忙しいけど、氣になるの!!ってな場合は、その感情の奥になにがあるのか、自分でじっくり向き合ってみるいい機会です。

 

彼女が職場の男性からちやほやされているから?

彼がまったく氣が利かないから。

ああもう、なんてあの人はずるいのかしら!!

さまざまな感情がありますが、その元々はどこから発生しているか。

黒い感情に気づいたら、人間くさい自分を素直に認めてしまい、好きなことをして忘れてみては。

 

この10年で、普及した携帯電話。道を歩きながら、携帯画面を見ている人も少なくありません。

子供づれなのに、小さい子供に目もくれず、見ているのは携帯電話の画面。

まだ、携帯が普及していなかったころは、そういう

道を歩きながら、バスを待っている少しの時間に、自分のこと、他人のことを考える隙間時間があった氣がします。

今はその隙間を携帯電話、メール、ゲームで埋めてしまう。とりあえず何かしている。

ゲームは息抜きになるならいいけど、面白いから、ハマっちゃう人が少なからずいる。

ゲームは面白いですよ。

私は携帯ではなく、PSでもDSでもなくて、本当に初期のころのゲームウォッチ世代なのですが、

3Dガンダム…今の立体の3Dではなくて、液晶画面が3面連なっていて、画面を移動して戦うというヤツをバイト先で買ってやっていました。

PCゲームもやり始めるとコンプリート目指してやり続けます。

そんな性分なので、ネットゲームも携帯ゲームもやりません。ハマるのわかっているから。

自分にこらえ性がないのを自覚しているからです。

危険な場所には近寄りません。

おっと、脱線、ゲームじゃなくて。

…もっと、隙間時間にぼんやりしたり、考え事しても良いんじゃないかなって。

お月様を見てそう思いました。

 

 

天空の橋

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今年も、天空に橋がかかりました。

私は現在、バイト先であるこだわりというか、神経症的にこだわっているモノがあります。

これは、マイルールとして、自分のモチベーションを上げるために密かに行っているのですが。

この妙なこだわりは、こっそりひっそり続けたいと思っています。

こういう、

「自分だけがこだわっている」という仕事の上での「こだわり」を持つのはいいのではないですかね。

お茶だしを率先したり、これだけは手を抜かずにする!というこだわりというのは、ある意味「内なる神様とのお約束」であります。

神社のお百度参りや、「○○断ちで願いをかける」ようなものです。

昔、バイトしていた書店では、店員さんが、コミックスの平積みの仕方に、独特の「こだわり」を持っていました。

ただし、自分でこだわるだけ。

迷惑をかける行為はもとより他人に強制してはいけません。

 

秋の空

 
もう10月も終わりである。

昨年の今頃は、何をしていただろうか。

来年の今頃は、何をしているだろうか。

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先日、秋晴れの空に、不思議に見える雲がかかっていたので撮影してみた。

空から降り注ぐエネルギー…スピリチュアル的にいうと、天使が舞い降りているようにも見える。

よ~く見ていると、写真上部に人影らしいのも…。

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季節だからだろうか、昨日には天空の橋もかかっていた。

今年は、今までの「結果」が現われる年だと言われた。

私は、今その結果を待っている身である。

昨年、私は自分史上、最多の人数の手相を拝見した。

今年、私は自分史上、最多の天然石アイテムを作成した。

手相見は昨年の3分の1くらい。

手相見の結果はいつも、数年後に現われる。

今年は、残りの日々は、これからどうするかゆっくりと思案中。

最近多いのが、天然石関連の問い合わせ。

今まで多かったのは、「石のことは、よくわからないので、お任せします」

な内容だったが

最近は「いろいろお聞きしたいので、会ってお話してください」といわれることも多くなった。

マンツーマンで会って、石の説明をして…というのは、案外、手間も時間も必要なので

あまりお受けできないのが正直なところだ。

 好きな石で、好きなように作るのとは、ちょっと違う。

天然石関連も対面して、カウンセリングして作成するとか。

必要なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

思案中

毎年購入している、ペイジェムのリバティプリント柄のダイアリーA6判を今年も購入した。

来年は年齢に反比例して、ピンクな柄を人目にふれず使用しようと思っている。

最近、思案中なのは、手相見を続けるかどうかということ。

手相見をしたときのおまけとして、天然石の小物を差し上げていたのだが、最近は、手相見よりも天然石関係の依頼が増えていて、天然石の購入額も多くなっている。

このままでは、趣味の延長線でしています…というワケにはいかないかもなと思っている。

申告義務のことを考えると、今年は手相見も天然石関連もお休みしたほうがいいのではないかとか、数年前に手相見を始めた頃には想像もつかなかったのだが。

ブログは備忘録として使用していて、依頼は口コミで受けている。

たとえて言うなら、昔の着物を仕立てる内職のような気持ちだった。

あれ、いつの間に、というのが正直なところだ。

内職として、きちんと腰をすえて青色申告するか。

このまま内職で白色申告で済ませようか。

悩ましいところである。

どちらにしても、書類手続きもある。

 

私のように、中途半端な働き方をしていると、どんなもんだろう。

 

来年から私の運気はちょっと波乱万丈らしい。

ゆっくり考えられるのは、今年ならではだろうか。

ダイアリーには、良いことしか書かないと決めているけど。

今年もあと2ヵ月半。

それから、ひとつ不思議?なことが。

私は、昔からなにもない道でコケて捻挫したりする人間で、高校の養護教師から

「地に足が着いていない」と評されたことがある。

当時はよく意味がわからなかったが、スピリチュアルを少しかじった今なら

「グラウンディング」 「地に足をつける」という力が足りなかったのだと思っていた。

数年経って、霊感のある人に上記のエピソードを話したところ

「煉さんは、歩きながら霊道に足を踏み込んでいるので、あちら側の人から足を蹴り返されているんですね」と言われて、妙に納得した。

以来、氣をつけていたつもりだったが、先週、2回も通勤途中で足をくじいた。

本当になんでもないところで、カックンと足首をひねったのだ。

瞬間の痛みに

「通勤途中だから、これは労災扱いになる?」とか思ったが。

 

くじいた瞬間は痛かったが、痛んだだけ。

腫れたりすることはなかった。

以前なら、足の裏側まで内出血するくらい痛んだこともあったが。

今回は無事!!

これは、少しは足が地に着いて来たってことだね! と一人納得したのである。

ヒーリング + (プラス)

私は、「手相」を見ることで相手をある意味癒しているのか?

「ヒーリング」というのは

「癒すこと」

ネットで検索するとたくさん探し当てられる情報である。

現在では「氣功」や「ヨガ」、「レイキ」などをいくばくかのお代を払って身につけられる。

占い師の延長にあるようなヒーラー養成講座もある。どれも数万円からの受講料が必要である。

とてもじゃないが今の私には支払えない。

(注)お金が無いという言葉は、自己暗示にかかるので、「手持ちが無い」と言い換えると運気の流れが変わってくるらしい。

師匠を見つけなさい。

昔、リーディングしてくれた人が言ってくれたけど、師匠も見つけられないまま。

ヒーラーの術に興味はあるけれど、他人を癒す前に自分を癒すことも叶わないまま現在に至る。

ところが

ある時、あることがご縁で知り合った方から、「ヒーラーになりませんか」と声をかけられて、

「欲の深い悪人」である私は、ヒーリングのテクニックを勉強させていただくことにした。

私にはヒーラーの素質がある?

とにかく長年の夢だったので、目の前に来たチャンスは逃すまい。

もちろん、こんな私であるから、巷にあるような養成講座で数万円もお支払いできるわけがない。

 

お支払いは、先様のご好意で天然石アイテムで良い、ということだったので、

ありがたいお話と受けさせてもらったのだった。

備忘録に載せている「ペンジュラム」がその代金だ。

 

まずは、疲れている自分をヒーリング。

その後は飼い猫、そのうち、手許に来た石たちにヒーリングして、パワフルになってもらいたい。

石がパワフルになれば、手にしてくださった方も、エネルギーに満ちて、幸せになるだろう。

 

世の中には、眼に見えることしか信じないという人がいるが、「氣」というものは存在することを否定する人は少ないだろう。

最近は、人間の脳波を感知して動作する電気製品も開発されている。

「氣」というのは、大切なのだ。

そのうち、ブログのタイトルが「ヒーリング+(プラス)」になっているかもしれない。

 

 

人生に+(プラス)

気がついたら10月になっており、天然石のほうが忙しくて、手相見は開店休業中です。

ブログの更新も滞りがちで、お立ち寄りくださる方には申しわけありません。

今日でほとんど、依頼品を消化しましたので、残るのは少しです。

写真はその素材です。

ヒーラーの方がダウジングに使用するペンデュラムを、作ります。

ブレスレットやストラップと違って、実践で用いられるものなので緊張しますね。

 

今はデザインをあれこれ考えています。

あまりこだわらずにシンプルなのがいいのかな。

天然石や宝石は、生きていくうえでは一見必要の無い存在のように見えます。

でも、美しいものを目にして、自分自身のエネルギーを高めるために、いにしえの太古の昔から、宝石はタリズマンであり、象徴だったのですね。

平和な人生に、ちょっとした希望の光、癒しの波動をもたらすもの、その一つが「石」だったのだと思います。

石と人間は、悠久の昔、同じ宇宙のチリ、星屑だったもの。

人間も宝石も、ともに星の生まれ変わりです。

今日、マッキントッシュというパソコンを世に送り出したスティーブ・ジョブズ氏の訃報を受けました。

パソコンが、味気ないデザインだった頃、パソコンを「使ってみたい」と思わせたiMacの登場がなければ、今、こうしてネットを使っていないまま、「パソコン苦手」な暮らしをしていたと思います。

そう思うと、恩人を亡くしたような寂寥感を味わっています。

天然石もパソコンも私の人生に+(プラス)をもたらしてくれたありがたい存在です。