幸福は人の数だけ在る

このところ、思うことがあって、ブログの中にweb無料解析ツールを何点か設置している。すると、サーバーに付いているのと、ブログソフトに付属しているのと、他の解析カウントが微妙に違っていて、多角的に見ると、浮かび上がって見えてくるものも違うので、当分、その違う部分を観察していこうと思う。

外国からのアクセスが多いと思っていたが、国内からのアクセスは一桁だったんだ~~。ナットク。

ジオターゲティングを見るとしみじみしてしまった。

でも、別の解析ツールだとあちこちから来ているはずの来訪者の県が表示されていないな。

各ツールごとに集計の基準が違うということかな。1時間とか一日とか。

楽しいからかまわないのだけど。

話を変えて

母があるとき、「あまりたくさんの願い事をすると、神様に叱られる」

なんてことを話していたが、そういう心理はどこから来るのか、考えてみた。

イイコトが続くと良くないことが続くということは世間一般によく言われることだが、本当にそうなんだろうか。

神様(あるいは宇宙)は自分から困っている人に手を差し伸べてはこない。と私は思っている。

近いところでは、「門外不出」の秘法 引き寄せの法則は昔から存在していたらしいが、それを表に出して、たくさんの人に使われては困るから、時の権力者は、「良いことが続くと良くないことが」や「願い事をたくさんすると云々」というマイナスの考えを広めたのではないか…とも思う。

神様、または宇宙エネルギーと呼ばれる人智を超えた存在、あるいは力からすると

まず、自分で「欲しいもの」を見極めないと、どうにも手を貸せないというのが、決まりなのではないか。

たとえば、なんにも欲しいものがなくて、棚からボタモチ的に幸運なことが起きる人間が、本当に幸せかと尋ねられれば、当人にとってそれは「なんの価値も」ないものという場合もある。

欲しい=与えられるもの が一致しないと幸福とは言えないのでは。

昔、テレビの特別番組の中で

世界有数の財閥の令嬢が「お金なんて無くなればいいのに」とインタビューに答えていたことがある。

お金があるからこそ、人の本心が見えない…、信じられないということか。

彼女の悩みはそこにあった。

 

以前見た映画で女主人公が女神から「美貌も富みも与えられるが、真実の愛だけが手に入らない」という運命を与えられるという物語を見て

心の汚れている(-_-;)私は

「い~じゃん。美貌と富があるなら。真実の愛ぐらい手に入らなくても」と突っ込んでみたが、それは

結局何も持っていない自分の僻みである。

この世で一番の幸せはなにかと考えると

他人が自分のために涙を流してくれることではないかと思う。

他人が、自分のために色々と気遣ってくれることが幸せなのではないかな。

 

私から見て、十分幸せだろうと思える人が、全然違う観点で悩んでいたりする。

願い事はどんどん具体的に願ってみよう。数が多いか少ないかは氣にしない。

必要なものがはっきりしていれば、いい。

光に満ちた部屋に居ると、光が光とわからないように。

影を知ることが、光の存在を示すことがある。

 

愛を知るためには、不実を知ることも必要なのかもしれないと思う。

ならば、どんなつまづきもあなたの幸運のためにある。

 

多生の縁

 

何度かブログの中で触れた話であるが 

20代の頃、私の夢は、宝くじを当てて、小島を買って、気ままな暮らしをすること。

もちろん一人で。

 そのためにお金持ちになりたいという夢があったが、勤務先の会長は

「お金を稼ぐには、人と人の縁が必要」と話していた。

 子供だった私は、才能があれば、他人と接しなくても、その才能でお金を稼げると思っていたが、それは誤りであったと思う。

才能があるとして、それを才能と認めてくれる他人が必要だ。

どんなに他人が煩わしくても、接するのが辛くても、働いてくれる人が居なければ、水道も出ないし、街にはゴミが溢れて、電気も灯らない。

 誰にも世話にはならないわ!と思っても都市で文化的な暮らしをするには、直接間接的にも他人様の働きがあったればこそである。

袖すり合うも多生の縁 (他生とも書く)

という言葉を、子供の頃は「多少の縁」と思っていたが

ちょっとしたかかわり合いも、
生まれる前からのめぐり合わせによるものだということで

縁と言うのはどこでどう繋がっているか、その不思議さは、手相見をしているとことあるごとに思い知る。特に私のように紹介で手相を見たり、ものを作っている人間は特に。

 

先日は、私の贈ったブレスレットを身に着けていたことがきっかけで、その方のお隣の方から依頼を受けてブレスレットをお作りする縁があった。

シンプルなブレスレットをご希望だった方ではあるが、華やかさを求めて、カット水晶を組み合わせて

お渡ししたところ、大変喜んでくださり、私も嬉しい。

お守りと言うことで、希望されたが、どんな縁であり手許に来た石を、「綺麗」「光がいいわ」と

富氣の気持ちで眺めていただくことが、幸運を呼ぶと思われる。

 女性が綺麗なもの美しいものに惹かれるのは、その富氣が運と繋がっていることを、魂の奥で知っているからであるに違いない。

今日、辛いこと、切ないことがあっても、その縁は、あなたの未来を輝かせる縁に繋がっている。

 

選んでいこう

 

節分に豆まき、方巻きも食して、無事に立春を迎えました。

毎年、節分の前あたりは守護霊が留守になるらしい、調子が落ちるらしい、という話を以前、どこかで見たことがあります。氣のせいかも…と思いつつ、昨年は運気の「底」と言われていましたので…。節分が過ぎてしまえば、占術の上でも新年ですから、私もホッとしています。

今年は少しは底から上向きたいです。

ここ数週間の、ブログへのアクセスは、こちらのブログに「パワーストーン」で来られている方も多いので、昨年作成したストラップの写真を貼っておきます。

ストラップ本体よりも、入り込む光の強さが私のお気に入りです。

私は、他人様への贈り物にも天然石、特に水晶や紅水晶を選ぶことが多いです。

以前、とても大切に思っていた方へ、大切な人から譲られた水晶の単結晶を贈った事があります。

少しでも、幸福でありますようにという願いをこめました。

後日、その方から送られたメールには

「お腹が痛いと夫が、いただいた水晶を握り締めて、お腹を殴っています(笑)」

とあってとても残念な印象だったのを今でも覚えています。

悪気は無くて、言葉のアヤ、ギャグだったのかもしれません。

病に使ってくださったことは嬉しいですが…。

「殴っている」という表現から水晶の扱いが悲しく思えたのです。

なにせ、自称水晶教ですから。複雑でした。…考えすぎ?

さすっています、押し当てています、とかだったらあまり気にならなかったのかも。

言葉って難しい。

言っていることは同じでも、選び方で受ける印象が違いますから。

 

文章も話し言葉も選ぶ感性というのを日々精進しなくてはと思います。



11.01.24の備忘録

気がついたら、もう1月も末で、一ヶ月前の今頃は、年末だ!と新年を迎える準備にワタワタしていたわけで。なんと一日の過ぎるのが早いことか。

今月は、睡眠時間を10時間弱も取っており、ほとんど「冬眠」に近い有様であった。おかげで流行のインフルエンザにも罹らず、風邪かなと思っても軽く済んだ。

毎年この時期には「筋肉痛」を伴う風邪を引いている気がする。風邪は「細菌」が原因で、インフルエンザは「ウィルス」が原因である。そんなことはここ数年で知りました。

さてさて、「手相見」と謳っているが、開運の技を共有するためにブログを解説しているが、自分から見ても「手相見プラス」も「備忘録」も怪しいサイトに見えないこともない。

1月24日の備忘録は前日比3倍のアクセスがあり、そのほとんどが外国からのものであった。

web解析ツールというのがあり、それで見た限りで

日本国内はもちろん、アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、ポーランド、スウェーデン、ポーランド、ブラジル、チェコ、モーリシャス、台湾、ギリシア、インドネシア、中国、コロンビア、インド、ロシア、バングラデシュ、ハンガリー、ウクライナ…

今まで見たことのある国名もあるけど、ほとんど来られているのを初めて見る国名ばかり。

外国旅行に縁のない私としては驚くばかり。

世界と繋がっているんだなと思う。

ますます書く内容や言葉遣いなどに氣を配りながら精進せねば、と思う。

検索キーワードは、チベット天珠ビーズ、アンティークメダイなどが多かった。

どこかのホームページで晒されている(ホムペアドレスを載せられている。たいてい批判されている場合が多い)のでは…と怯えたが、集中アクセスは、一日限りだったので、なにかのイベントだったのかもしれない。

こんなこともあるんだぁ。

数年前にはSNSに登録していたけど、なんというか閉鎖的な感じがして、サーバーを借りてブログを始めた。

こういうちょっと驚くけど、楽しい発見というかイベントがあるので、ブログをやっていて良かった…などどちょっとなんだかなぁという楽しみ方をしているので、ここに記しておくことにした。

里帰り週間

表題は、私が里帰りするというわけではなくて、自分が作った物に関してです。(^^ゞ

毎日寒い日が続いています。私の住んでいる街ではまだそれほど積雪量がないのですが、今年は大雪に困っている地方も多いです。私の出生地も有数の豪雪地です。

お見舞い申し上げます。

昨年は猛暑で、毎日1.5リットルのペットボトルのスポーツドリンクを飲んでいましたが、冬になるととんと水分を摂らなくなりました。今年は暖冬とか長期予報が出ていたのに、予報は外れたのかな。

ラニーニャ現象の影響でしょうか。まだまだ人間には未知なことがあると思い知ります。

今週は手相見よりも天然石週間というか、私の手から人様に渡った石たちの里帰りが続きました。

不思議なくらい、毎日毎日です。週末はその石たちと会話するように眺めて、組みなおしました。依頼品も続きました。本日の「備忘録」にも載せています。

しばらくは宝箱にトルマリン、レモンクォーツ、アメジストが並びます。

届いた石たちを見ると、手渡しときと同じくらい輝いている石。

手渡したときとすっかり印象が変わっている石。

石たちが、頑張って力を出し切ったのがわかる姿です。

持ち主と同調してパワーアップしている石もあれば、力尽きてお役目を終えようとしている石。それは持ち主の氣にも関係していると言えます。

今回なによりも嬉しかったのは、ワイヤーや留め具が壊れたストラップを捨てたりせず、あきらめたりしないで、修復を依頼してくれたことです。

石は大地の魂のかけらです。気の遠くなる時間を遡れば、私たちと同様に星屑に連なるもの。

もし、あなたが天然石のアクセサリーなどをお持ちで、壊れてしまったら、捨てたりせずに、修復するか、石が割れたりして、叶わなければ土に埋める、海や川に還してあげてください。

どんな高価な宝石として存在しても、石は大地の魂、地球からの預かり物です。

ブレスからストラップなどに形を変えても、石は長い時代に存在する、長命な存在ですから。

 



嬉しいこと

手相見を見料をいただきはじめて、もうすぐ丸3年になる。

趣味で見ていたときより、見料をいただくことにより、より多くの方々とご縁がつなげるようになり、感謝している。

見料をいただくとき、「ありがとうございます」と御礼を言われると、私のほうで「ありがとうございます」×100くらいな気持ちになる。

拝見する人数が増えると、自分のボキャブラリーの貧困ぶり、知識の浅さを自覚することもあるので、このまま続けていてもいいのだろうか。とふと迷いの念が入ることがある。

そんなときに、天は実にタイムリーな出会いや出来事を、私に遣わしてくれる。

昨日の、手相見の依頼主も、新しい発見をさせてくれた。

そして、今日、嬉しいメールを受け取ったので記念に記しておく。

一昨年、手相を拝見した依頼主から、

「占いどおりに○○才で出産しました。今は子育て中です。ありがとうございました」というメールを頂戴した。

私は運気の流れを読んだだけである。告げた運気を活かすほうに行動したのは依頼主。

でも御礼を言ってくださるのはありがたい。

こういうお言葉をいただくと、落ち込んでいた気持ちも上向いて、あと数年は手相見を続けていけるかな、と思ってしまう。

人間は(わたし)は単純だが、その言葉がエネルギーとなることは事実なので、自分もいいもの、いいシーンに出会ったら、伝えることの手間を惜しまないようにしたい。

 

そして今日は

数年使っていた、パソコンのキーボードが故障してしまった(デリートキーが押せない、「D」キーが押しづらい)ので、新しいのを購入しなくてはならないようだ。

我が家では ディスプレイ、パソコン本体、キーボードの順に古かったのだから、しかたないか。

キーボードの文字マークも消えかけていたし。

 

手相見始め

今年に入って、初めての手相見。

依頼主は、東京から来られた方。

なにかのついでにお声をかけていただいたとはいえ、今までで一番遠方からのお越しなので、嬉しいです。

ありがとうございます。

先週一週間は、とても暇していたのだが、今回、依頼を受けたとたん、立て続けて、ブレスの依頼、手相見の問い合わせをいただき、見えない波の存在というものを再確認しました。

この1週間は、時間的に余裕があったので、色々と考えていることもありました。

なにも、無いと言うことが、大事だと思っていました。

お芝居でも、役者が一番難しいところは、台詞のない場面だと聞いたことがあります。

台詞で感情を表現することは容易いが、話していない時、立っているとき、その人物を表現できるかどうかで、お芝居が違ってくるんだそうです。

で、手相見などが無いときは、知識を吸収することにしています。

…と、カッコよく言っていても読書だったりして。ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

昨年の仕事始めは1月20日過ぎだったので、今年は少し早く、手相見の仕事開始となりました。

この数日、眠たくて眠たくてしかたないので、眠気に逆らわず、とっとと寝ていたりしました。

明け方に見た夢は、携帯電話を受け取る夢であった。はっきり相手と会話したのに、夢から覚めるとすっかり内容を忘れてしまい 残念。

今日の夕方の空。天高く月が出ていたが、空の微妙な色合いが美しいので、携帯で撮影しました。ラベンダー色の空。

右下に写っている、黒い四角いのは金床、スチールブロックです。

今年はワイヤーで色々と作ろうと思っていたので、あちこち探して買いました。

ワイヤーで作ったパーツを、ハンマーで叩いて整形するのに使います。

写真に写っているのはソフトワイヤーで渦を作ったりした習作。

チェーンを作ったりする練習中です。

人様に見せられるものにするにはまだまだ精進が必要だと思います…。

紐ストラップには挫折しましたが、ワイヤーは続けられるといいなぁと思います。

 



お茶したいけど…

気がついたら、2011年が始まって一週間も過ぎていました。バイトも無事始まったものの、正月休みの分、実働日数が少なくて、仕事量が圧縮されて慌しいまま、三連休に突入。まだお休みモードから完全離脱できていません。

写真は我が家の最大猫、こたろう 7.5キログラム です。

 今年のお正月は、寝正月でした。おまけにこの数日すごく寒い。灯油代を節約しようと思っても、半端じゃない寒さなので、動きが鈍くなり、布団の中で本を読んだりして…。

まるで冬眠中のようです。

今年、この数年で一番多く年賀状を頂戴しました。いつもの顔ぶれに加えて、手相見関連の方から多く頂戴したのです。ありがとうございます。

社交辞令も多いと思いますが、「今度お茶しましょう」と自筆で添えられた文もありました。あと、街でお会いしたときも「今度お茶でも…」と声をかけてくださるので、本当にありがたいです。

 実際、「手相見無し」でお茶して世間話をするには、暇も余裕もないところで、ご希望に添えなくてもうしわけないです。

このブログでも何度も同じコトを話していると思いますが

正直な話、友人と手相見の線をひくのはとても難しいのです。

手相見として客観視できることが、友人という立場で見ると私情が入ってしまい、見所がちがって来る場合が無いとも言えないので、友人の手相を見るのは一度きり。

また、手相見の依頼主と友人関係になって馴れ合いになるのも避けたい。

先日

「自分のことをよく知っている人に、手相は見てもらいたくないよね」と友人は笑いました。

見えすぎて、見なくても良いとこまで見てしまうからでしょうか。

私も、それはつらいところです。

 「私の手相を見て。パートナーの手相を見て」という方は少なくありません。

でも、その後も「たまに会って、お友達としてお茶してください」という方も中にはいらっしゃいましたが、お断りしました。

手相見として問題に向き合うことができても、友人として問題に向き合うのはご遠慮したい気持がもありました。

相手のこれからの幸せに願かけたということもあります。

願をかけたことは、話していませんから、相手には「理由がわからない」とメールで責められて

疲れたことが、小さいトラウマになっているかもしれません。

 婚約者を紹介したい、と言ってきた知人には、お断りしました。

きっと手相見の立場で見てしまうだろうなぁと思ったので。

修行が足りないと言われればそうです。

気がついたら、拝見した人数が こんなに?というくらいの数になっていて、もっとしっかり拝見できるよう、精進しようと思います。

数人なら、お友達のまま、対応できたと思うのですが、数が多くなるにつれ、それは叶いません。

 

 きちんと一線をひかないと、境界線の無いまま、手相を見て、なし崩し的に友人になって、困りごとがあったら相談を受けてというのは、なにかが違う。

 そんな便利な友人がいたら、頼ってしまうものでしょう。

わたしも例外ではないと思えるから。

 

  昔と違って、手相の本は、多数書店に並んでいます。見ようと思えば、本片手に自分の手相を読み解ける時代です。私も最初はそうでした。

本と私の違いはどこにあるのか、と問われれば、実際見てきた数の経験値が、本を読み始めた人と違うところです。

それくらい。

 ご縁がありましたら、天然石でも、手相見でも。

 

 今年はどんな手相と出会えるか、楽しみにしています。

2011 謹賀新年

新年おめでとうございます。

あけましておめでとうございます。無事に年越しできました。一昨日の除雪で筋肉痛が出ている、印象的な2011年の始まりです。写真は、愛用している携帯電話の時計画面。イベントの日には、画面のサンキャッチャーが、適宜変更されるので、今日の画面はこんな感じ。めでたいです。

予報されいて心配していた暴風雪にもならなくて、良かったです。筋肉痛が出ていることだし。

今日は思い切り寝正月を決め込んでいます。

さて、先日、購入したこの本

 

私には「今まで知っている内容の復習編」という印象の本でした。

自分にぴったりくるものがあれば実践して、そうでないものはスルーして、と試してみて楽しいと思います。なにしろ、年収が5倍になった人が書いているので、運が良いものだと思います。

この本に書かれていたことで、「壱万円札大の黄金の紙を入れて、お財布の中を金色で満たす」という技を、試してみました。

本に書かれていたとおり、折り紙ではサイズが少し足りないので、文房具やさんにでかけA4判の金色の紙を買ってきて、壱万円札大に切った紙を貼りあわせて、お財布に入れてみました。

年末の忙しいときになにをしているんだ~~!という家人の冷たい視線を感じながら、せっせと作りましたよ。友人知人の分も。紙自体は、厚手で一枚92円。両面金色にするために4枚切って2組作りました。

一番良いのは、純金コインを入れておくことなんですが、今のわたしにはまだまだ無理な話。

それでも、年末の荒波を乗り越えて、昨年よりはお財布の中にお札が長く居てくれるようになりましたと実感しています。

一番、大切なのはメンタル面ではないでしょうか。

お金を引き寄せるということは、自分の中にあるお金に対する気持ちと向き合い、前向きな捉え方をすること、イコール豊かになること。

毎日、私は「お金を引き寄せる磁石である」と思い、引き寄せたものを周辺の人、社会に還元できるのがいい状態ではないかと思うのです。

以前、勤めていた職場では、自分の利益確保のために他の従業員に対してすごく冷徹な(よく言えば合理的)オーナーがいました。

思いやりの気持ちが感じられず、富氣を萎えさせる考え方をする方でしたね。

ちょっとした気配りがあれば、もっと開運しただろうに…と今では思います。

別の職場のオーナーは、従業員になにかと振舞う、富氣を渡す方でしたが、会社そのものも隆盛な印象でした。本当に仕事でうまく行っている事業のオーナーは、「見えない力」を知っていて、うまく付き合っているなと思います。

お金のことはお金持ちに聞くのが一番ですが、そこは黙っていても教えてもらえるものではないので自分で学びに行くという気持ちが大切で、その手段の一つとして風水があり、占い、天然石があります。

それらをまず取り入れてみて、昨年はなんとか暮らしてこられたような気がします。ありがたいことです。

お金を引き寄せることを考えられるってことが、まず幸運な人間だと思えます。

あ、やはり私は幸運な人間なんだ~~(*^_^*)ってことで。

ありがとう 2010年 

2010年が去っていきます。

今年も、ブログをご覧の方々、手相見の依頼主、天然石関連、職場、家族、道ですれ違った方々、丸ごと皆様、ありがとうございます。

おかげさまで、一年、しんどいことも乗り切って無事に過ごせました。これはもう、本当におかげさまで、としか言いようがありません。

工事中の道を誘導してくださった工事関係者にもありがとう!を連呼してしまうほど、他人様のご厚意に感謝した一年でした。

運気的には今年は仕事運、金運を含めて一番底と言われていましたが、そのしんどさを信じられないほどになんとか過ごせました。本当にありがとうございます。

今年は虹をたくさん見ることができました。

手相見の依頼主数も最多!(前年比5倍)天然石関連は新規の依頼主が最多となりました。

もともと、プロ歴が浅く、うさんくさいと思われてもしょうがない私に、大切な知人の方を紹介してくださり、また「見てもらう」と決意して、手を差し出してくださったことはありがたいことです。

今年は、手相見としてプロ意識を欠かさないのを目標にしてきました。これは達成されたと思います。

 

ご縁をいただいた皆様、心から感謝申し上げます。

思えば、不思議なご縁に導かれて、多くの方とお会いして、色々なお話をさせていただきました。

その中で、幸せとは、人から与えられるものではなくて、自分で引き寄せるものだということを、再認識させていただきました。私のしていることは、全て天の、そして依頼主の背後霊の導きだと思います。

会うべき人に会ってきたと思います。

昨年の今頃の自分の心理状態を思い起こすに、薄暗い闇の中に、細い光が見えたような感じです。

今年は、光の点が大きく見えて、ちょっと安堵したような、ほっとした気持ちでいます。

来年は明るいところに出て行けるよう精進します。

まだまだ未熟な人間ですが、来たる2011年もよろしくお願いします。