浄化函

ren091210
ハコ、
フタと本体が離れているものを箱、
フタと本体がくっついているものを函
と書くのだそうです。
写真は、我が家にある函。
内側が、茶色の絹張りで、水晶のさざれ石を敷いています。

この函、何に使うかというと、人様に贈る、または修理にお預かりした、ストラップやブレスレットを、
一晩納めて浄化し、「氣」を充電するために使用しています。
大げさな儀式は不要ですが、「富氣(ふき)」を上げる存在ですから、その点は、こだわりました。
良いと言われたことで、できることは試してみます。

最近、手相見、天然石関連のご依頼をいただいて、自分が提供しているのは、「モノ」だけではなくて、「富氣」ではないかと思うのです。

手相を見せてくださるのは、迷ったり、不安がある自分の気持ちと向き合い、希望の種を見つけるため。
天然石を希望してくださるのは、石に頼り切るのではなくて、自分の気持ちを支えるため、そして癒されるため。
単にモノではないから、こういうちょっとした空間にも、自分にできることから、依頼主に対して「気持ち」をこめます。

話は変わりますが、家具の置いていない部屋に入ったことが、ありますか。
引越しを経験している人は、あるかと思います。
何も置いていない部屋は、人の声がよく響きます。
家具の置いている部屋で響かないのは、家具が音を吸収しているから。
物体と物体が干渉しているからですね。

つまり、持ち物一つで変わる「氣」があるということですね。
ブランド品に惹かれるという人間の心理ももともとはそれだろうし、
またブランド品に託された歴史、職人の技、に惹かれるのだと思います。

私の手を通して、相手に伝わるものには、「幸せになってほしい」という願いの氣が宿っていると
思います。
それは、石選びから始まって、説明書を記し、お手元に届くまでがそうです。

その氣を大きく育てるのはご本人次第ですから…効能には個人差があるかも…(^_^;)

‘10.10.10 おかげさまで

今日は、2010年10月10日。天気は一日中雨。

日記に書くと10.10.10 という数が揃う日。

こんな、珍しい日に、なにも記さずにおくのはもったいないということで、ブログに残すことにしました。

手相見の依頼がまとめて来た、と思ったら、今度は天然石関連の依頼がまとめてきたので、ちょっと停滞気味で、申し訳ありません。

 こういう波というか、流れというのはあるものです。ずっと続くものではないと思っています。

だから、縁のある人には、誠実に対応したいと思います。

波は、低いところ、高いところがあるから、運というものを「運ぶ」のだと思えるようになりました。

自分を不運だと思ったら、ツイテイル人に運を分けてもらえばいいのです。

方法は色々ありますが、高級な物を一点持ってみるとか、高級な場所に行ってみるとか

あるいは美味しい物を食べるとかです。できることから試してみる。

 

妬んだり、マイナスの言葉を紡ぐと、一瞬、気持ちは楽になりますが、類は友を呼ぶというか、引き寄せの法則に従い、不運が続くと思えます。

他人を責めてくる人は、自分が不幸だと表現しているのかもしれません。

 

 本人から見たことがマイナスでも、他人から見ればプラスということも多々あることです。

 例えで言うと、前を歩いている人が、道に落ちていたゴミを拾ってくれたおかげで、次に歩いている自分がゴミを踏んで嫌な思いをしなくて済んだとか、自分の小さなミスを、職場の同僚がそっと訂正しておいてくれた、あるいはそっと指摘してくれた、という場合も「お陰さま」です。

 先日、スーパーの正面ドアから出ようとする私のすぐ後に、携帯電話に目線を落としたままの若い母親が子供の手を引いて、続いていました。

私はドアを押さえて、待ちました。母親は、携帯電話から眼を上げず、多分、誰がドアを押さえていることにも無関心で、ドアを通り抜け、駐車場へ歩いていきました。

 私は気づいて欲しかったわけではありません。何も見えぬまま立ち去る彼女の姿に「お陰様」ということの意味を教えてもらった気がしたのです。

当たり前に歩いている道も、当たり前に過ごしている毎日の平穏さも、みんな誰かの働いている「お陰」です。

「人類が消えた世界」という本を読んだことがありましたが、ある日、突然、人類が地球上から消えたとして、まず、発電所が停止し、電気が流れなくなり、水道管が破裂して…。

日常の当たり前が、崩壊すると解説されていました。

 続くといえば、手相見の相談内容も同じようなのが続くのが不思議です。

そういう流れが来ていると感じます。テーマが決まっているようです。

深い部分の話を、依頼者のお話の数を聞いてきた私が、その経験値で見ている気がします。

つまり、わたしが手相見でいられるのは、今まで手相を見せてくれた多くの依頼者のお陰。

そして、ブログを読んでくださる、あなたのおかげです。

 

今日、ブログを見てくださってありがとうございます。

 

 

10月、冬至を待つ月

ren091210

振り返ると、9月は慌しく過ぎていってしまいました。

気がついたら10月です。カレンダーの残りが少なくなり、去年の今頃はどうだっただろうかと振り返っても、あまりおぼえていません。

本当は、地元の雑貨屋さんにストラップを置いていただくつもりで購入したのですが、9月は忙しくて、雑貨屋さんに置いていただく分を作ることができませんでした。

写真のストラップは備忘録にも載せていますが、手相見のおまけ用に作ったものです。

以前は、依頼を受けてのんびり作っていたのですが、最近妙にバタバタしてしまって、直感の赴くまま作り、依頼を受けて選ぶという流れになっています。

石は、引き寄せの法則に基づいて、渡るべき人の手に渡ります。

不思議なもので、日ごと寒くなっていますが、逆に春に近づいているということですね。

運命もそんなものかもしれません。

今がつらくて大変であればあるほど、先に待っているのは、暖かい春だと思えます。

幸福を共有する

おかげさまで、この10日間は、手相見と天然石で、気分的には嬉しい悲鳴!状態でした。

札幌方面から、手相見の依頼者がお越しくださったり、九州からブログを通じて、天然石のチャームをご依頼いただき、初めてなことばかり。本当にありがたさを身にしみて感じました。

思えば、近隣の市町村からも依頼者がわざわざ居住街にお越しくださるなんて、恐縮です。

手相見の際は、もちろん運気上昇の知識も依頼主と共有します。

教えるとか大仰なものではなくて、「共有」です。

何人もの方にお話をしましたが、開運の道を開く人に共通しているのは、「行動力」。

良い、と言われたことを「とりあえず試してみる」という行動力が、幸福を引き寄せるのだと思います。

依頼主が幸せになると、それが巡り巡って、私にも幸運がやってくると信じています。

“欲深い悪人”の私は、自分のためにも、真剣に手相見もしますし、作ります。(*^_^*)

写真は、サンキャッチャー用のスワロフスキーシャンデリアパーツのゴールデンシャドー(右)

30ミリサイズです。大きいのでパワフルな感じです。

で、天然石関連の依頼で一番難しくて、緊張するのは「お任せします」というものです。

予算はあるけど、願望が一つに絞りきれないとかいう場合、石選びに数時間かかることもあります。

うまく良い石を選んでさしあげられないものか、と考えていましたら、見つけましたよ!

「パワーストーンオラクルカード」66枚のパワーストーンの写真にメッセージが書かれているもので、奥が深いです。

 

さっそく自分のこれからについて、カードをひいてみました。

4回とも出たカードは同じ、「ラピスラズリ」-創造性-でした。

「天職へ導かれる幸運が訪れるでしょう」

天職…。今が天職の只中ですか。

オラクルカードの良いところは、メッセージが前向きであるということ。マイナスな表現がありません。

石の写真も美しくて、見ているだけでも楽しいカードです。

お値段も、手ごろです。

今まで使っていた、「大天使ミカエル オラクルカード」は願望実現に的確なメッセージをくれるカードでしたが、願望実現だけではなくて、深いところの悩みを解決する方法、展開を知るために、「パワーストーンオラクルカード」を使っていきたいと思います。

 

 

 



 

雇用主は宇宙(エネルギー)

ren091210

本日、秋分の日。これから冬至までは待ち遠しい。

最近、ブログの更新も滞りがちで、閲覧に来てくださる方々に申し訳ないです。でも体調不良とかではなくて、忙しいからです。

傍から見ると忙しいというよりは、手際が悪いと見えるかもしれません。不器用なヤツですから。

忙しいといいつつも睡眠時間は削っていないしね。起床が早い分、夜は午後10時前後には床に入ってます。入りながら本を読んだり、グダグダしていますけども。

熟睡できるかといえば、飼っている猫たちが夜中に布団の上で小競り合いをするので、それを止めたり、毛玉を吐くそぶりの猫を、新聞紙の前に寄せたりするので、時間が長いわりには充実した睡眠とは言えませんね。

先日、手相見として覚悟を決めよう、と名刺入れを購入したのですが、おかげさまで、依頼が続いています。私を大切な友人に紹介してくださるお客様には本当に感謝の言葉しかありません。

こういうことには波があると常々ブログにも記していましたが、まさに今が人生最大の大波か?と(大げさですが)思えるほど、手相見、天然石のご依頼が続いています。

もう手帳ではなくて「ご依頼受付ノート」をきちんと作らないと、どこかで凡ミスしそうです。

ひところ、きちんとお給料をもらえる仕事というのに就きたくて、ハローワーク主催の再就職セミナーで講義を受けたりもしました。履歴書や経歴書を数え切れないだけ書いたり、履歴書用の写真も(高いヤツ)を何回も撮影したりしました。

でも、数え切れないだけ「ご縁が無く…」「残念ながら…」の言葉や文面をいただきました。

その頃は、自分が人様に喜んでいただけるモノは持っていない、社会から脱落していて、なんの価値もない人間だと思っていました。まさか今頃、意外なところで、他人様から「ありがとう」という言葉とともに、お金というエネルギーをいただけるようになるとは。

すべては、自分で自分を受け入れるための、宇宙の取り計らい。

そこには何一つ、無駄なことがなくて、私に今まで手相を見せてくれた一人一人、多くの方のおかげです。ありがたいことです。

私を雇ってくれているのは、依頼主であり、依頼主の向こうにいる宇宙エネルギーだと思えます。

手相見では、依頼主に、天然石のストラップをおまけとして、渡しています。

先日、手相見をした方にもお渡ししましたが、その方から「手相見を決めたとき、今まで使用していたストラップが切れてしまったんですよ」というお話を伺いました。

それから数日後、友人にお財布の根付を贈ったところ、前回差し上げた根付が目の前で、壊れてしまいました。

何かを得るときには、何かが手元から去っていく。

それは悲しみであったり、苦しみであるかもしれないし、一見して喜び、実は不幸せ。

でも決して、あなたの為にならないことはない。そう思えます。

 

お問い合わせの多かった、私が名刺入れを購入したサイトはこちら

■Magic Wands

http://magicwands.jp/goodsp/e0115.html

 

点が集まると

今週は忙しいのと、気分的に忙しかったのですが。

古い手帳を整理してみました。

手相見の記録を数えてみたら、見料を頂戴して、数十人。

無料だった頃、お菓子、食事代で見ていた頃を含めると、その数は思っていたよりずっと多かったので、我ながら驚きました。今年は見料をいただくようになって3年目ですが、イメージ的には

一昨年、点々、昨年、点と点 、今年は直線 という印象です。

さすがに手相見の依頼はあらゆる方向から来ているので、「とおりすがりの手相見です」とばかりもいられない。それなり他人様の運気を読む以上は、それなりの覚悟を決めなくては。

突然、それは、頭に浮かんだ言葉でした。

「望まれているならば、見るように」

自分ではなくて、自分を通じた人の縁が繋がって、声がかかるなら、見る。

以前、リーディングをしていただいたときに「天の声を伝えることができる」と言われたことがあったが。。

天とはなにか。

天とは自分自身。

自分の深いところに内在している自分自身こそが、神の分け御魂とするならば、自分自身の能力の高低よりも、その縁に従って、導き出されることを相手に伝えるだけだ。

私は天の道具にすぎない。

ひとしきり難しく考えたが、ようは依頼主をもっともっと大事にしようということで、道具もそれなりに用意しました!

まずは、名刺入れ。

風水のパワーにこだわった、とても素敵な名刺入れを買いました。

パワフルな獅子のモチーフにエネルギーアップされた名刺を依頼主に渡すことができます。

実際、手にとってみるとものすごくイイカンジです。このイイカンジが「富氣」という、エネルギーを呼ぶのだと思えます。

手相見のさい、「メモをされるならどうぞ」と依頼主に手渡していた筆記具も、書きやすさ重視のものから、どっしりした少々お高いものにしました。

筆記具は、自分の名前を書いたりするものは特に、安物、陳腐なものを使わないようにすると開運するとか。

それで、ネットで調べてみたら、ボールペン、1本100円が普通の私にとっては

まさに、カルチャーショックでした。

数万円…いや数十万円のボールペンも存在したんです。

万年筆は数万円というのはよく聞きますけども。

それで、周囲の出世している人を注意深く観察すると…。

やはり手帳や筆記具はお高いのを、お使いでした。

運は育てるもの

本日、ビルマ翡翠(右)と、ゴールデンオーラ(左)が届きました。

ゴールデンオーラは、水晶に金を蒸着させた、金色に輝く水晶です。豪華な見た目ですがお値段が手ごろなのがイイところです。  金運上昇に、翡翠とゴールデンオーラの組み合わせはいいのではないかと思いまして…。

翡翠は古代では金よりも価値が上とされていたくらい、パワフルな石ですが、単体で用いるよりも組み合わせて用いると、良いと聴きました。

翡翠は何世紀もの間、単一の宝石と考えられていましたが、ジェダイト(硬玉)とネフライト(軟玉)の2種類に分類できることがわかったそうです。ジェダイトの主な産地のひとつがミャンマー(1989年までの国名はビルマ)です。

おかげさまで、天然石関連のご依頼をいただいているので、近いうちに、ストラップ用にスーパーセブンを手にしたいと思っています。

本業のかたわら、依頼されるまま拝見している身ですが、今年はまるまる手相見度が25パーセント

天然石関連25パーセント、バイト40パーセントその他10パーセントのような気がします。

おかげさまで手相見を続けていると、多くの人と接点をたくさんいただきます。

数的には本業の方には及びませんので、そんなに困った人とは遭遇していません。

残念な人、はいましたけど。

残念な人、それは、腰が重い人というか、手相に「反抗線」というのがある人には言葉も選びます。反抗線とは、手のひらの小指の下、手のひらのほぼ中央に、手首に平行して横に伸びる線です。

反抗線がある人は、人から言われたことをあまり信用しません。

自分の考えに固執する性格と判断します。

昔、「出会いはいつですか?」「どんな人と出会いますか?」「どこで出会いますか?」と尋ねる依頼主の手にもありました。

手相は拝見した時点で、本人の意識が変われば、変わります。そこに記されているのは、揺るぎのない運命ではなくて、いくらでも変えようのある運勢だからだと、私は思います。

せっかく、良い運気の波が来ていると、手相が告げているのに、本人は、「やってくる運」を

待っているだけ。待っている時点で、「出会う時期」「出会う相手」はポイントとして掴めますが

予言ではないので「○年○月○日に××で、出会います」と予言めいたことを話したとして、

カレンダーに印をつけて、ただ待っているつもりなんでしょうか。

本人の行動が伴っていなければ、どんどん出会いのタイミングは不明瞭になっていくだけです。

「もっと正確に言ってくれると思った。どこどこの占い師の所へ行けばよかった」と言われましたが

しかたありませんね。私は手相から読み取れる分しかお話しませんから。

ただ、全ては連鎖しているので、本人がその気で動けば、いくらでも良い運勢になれるのに…と残念でした。

そうです、見料をいただいているというのは、責任あることなので、対峙した相手には幸せになって欲しいと、全直感を総動員して、良い方法を提案します。

でも、本人に受け入れてみようという意志があって、はじめて、それは活かされると思っているのです。

昔、無料で友人を見ていたときは、

「結婚が決まったけど、他に好きな人ができて…」なんて相談も、私なりに親身にアドバイスをしたのですが、受け入れられなかったことがありました。

その脱力感は今でも覚えています。

見料をいただくようになって、目の前の時間だけ、相手に親身になれるようになった、その差は大きいと思います。

最近、思うのは

神様だって、都合の良いときばかり、願い事をするより、こまめに報告をしてくれる人間(頼りにしてくれる人間)を、可愛いと思うのではないか。

また、神様にもルールがあって、明確な願いを提示しないと、助けの手を差し伸べることができないのではないか。

そう感じます。

欲しいものは明確に願い、金額や環境など 目の前に来たら、迷わず掴む。

その覚悟を得るために、他人の目を通して自分の運勢、立ち位置と向き合う人のために、手相を見ているような気がしてきました。



空の答え

昨年から私の運気の波動は切り替わっているのだそうだ。

一昨年まで、悪い波動だったらしい。運勢で言えば「毒出し」状態だったのか。

昨年中に「結婚」または「人生の伴侶」を見つけなければ、私のこれからの人生は、「手相見」まっしぐらという話だった。

人の運命の先を見るということと引き換えに、喜ばれると同時に非難される立場にもなることを覚悟しなければならない。野垂れ死にする覚悟も必要だと言われた。

 

そんな中、

今年は1月から、手相見の依頼が続いて、毎月依頼があり、今月の目標…目標というのは、毎月手相見が1件以上あるということを、ひそかにノルマというか、目安というか…手相見を続ける覚悟の足し、にしていたのだが、それは今日で達成した。

もしかして、もう一生分の手相見をしてしまったのはないだろうか?

 

今日、空には大きな虹がかかって、「OK」を告げているように思えた。

虹を見て、不機嫌になる人がいるだろうか。

虹は空からのメッセージであり、私にとっては吉兆だ。

手相を見た人が幸せになると、その幸せの波動が、宇宙の全ての存在を通り、私の元へやってくると思っている。

 

一昨日、見た夢は、私の持っている腕時計の電池は、とうに切れていて、時間は進んでいたという

内容だった。時計の時刻は11時11分。

時計の針は動き出した。

以前、見た夢の中の時計が示していた時間は10時。少し進んでいる。

これを12時まで、あと少し、と見て、

人生の終わりまであと少し、と読むか

ピークまで、あと少しと読むかだ。

どちらにしても、あと少し。もうひと頑張りすることになりそうである。

あなたがいてくれるから

ワイヤーで、ひねって色々作ってます。

一粒では所在無げな控えめな石もワイヤーに巻かれるとそれなりに楽しげに見えます。

なにかに熱中するというのは楽しいです。熱中しすぎるのも困るけども。

今は、このワイヤーで作ったパーツをつなげてサンキャッチャーを作る思案中。あたらしい展開です。

丸カンも自分で作るのに燃えているのですが、使っている道具が安物で細かい作業ができなくなり、工具を買い足しました。

このブログには手相見で感じたことを色々と綴ってきましたが、当然、ネット上なので個人を特定できる情報は明記しませんし、事例も多少設定を変えて語っています。

依頼が多いから書くことがたくさんあるかといえば、多いからこそ、書けないこともあるわけです。

ブログだから、誰が見ているかわからないという自戒を常に持つよう意識しています。

差別的な表現をしないように、他人様の特定の病気や行動に独断的な表現をしないように。

ブログは誰でも気軽に始められるけど、なんでも素直に書けばいいというものでもありません。

でも、人間だもの-(C)相田みつを-

色んなことで、様々なことで行き違いが生じることもあります。

悩ましいこと、それは人間関係。相談内容も増えました。

 

私の場合は、対人関係で悩んだら、相手と距離を置くことにしています。

人間が未熟ですから、痛いことを言われると、くじけますし、相手に言いたいことを言ってしまったら

覆水盆にかえらずという例えのとおり、後悔して苦い思いを抱えることになるので。

グイグイ理由を求められるのが一番、苦手です。

 

なぜなら、直感(霊感)が働いている場合があるから。

相手の幸せを願って、その願掛けの手段の一つとして、疎遠になる場合もあります。

この場合、「私と天」のお約束なので、決して相手に真の理由を語りません。

自己満足と言われても、それが最善だと思うから。

この天とのお約束は破ったことがありません。

 

相手が引くときには私も引いて、ちょっと時間と距離をおいて。

相手の幸せを願えばこそ、と言う場合もあるのです。

想像力がないと、人間関係は悩ましいままかもしれません。

ワイヤーワークが楽しいのは、直線ではタダのワイヤーが、ひねったり巻いたりすると

あら、不思議。形になっている。

人間対人間もこんなものかも…。

そして、個人的には友人は数が多ければ良いというものではなくて、唄の

you raise me up のように語らずとも傍に寄り添っていてくれる人が一人居ればいいと

思っています。



ありがとう、ごめんなさい

暑い日が続いています。

皆様、体調など崩されていませんか。

写真は13日の夕刻に撮影した空の雲。ピンボケしていますが、肉眼で見たときは、「空に手が差し伸べられている」ように見えました。五本の指もちゃんとくっきり見えたんですよ。

朝方、見た夢は、青空にとても綺麗な形の雲が数個浮いている…というものでした。正夢だったかもしれません。

私は人生の変わり目を、いつも空、天候の夢で暗示されます。

竜巻の夢、嵐の夢、雲間の虹の夢、雲海の夢、輪になった雲、空から吊るされたサンキャッチャーなど。明晰夢という形で見ます。

今回は、時を同じくして、縁を切ったり、繋いだりということが立て続けに起こったから、この夢を見たような気がします。私の内面は今、急速に変化しつつあるようです。

年齢を重ね、ある程度耐性がついた面もありますが、私自身の人生も残り少なくなると、無理、我慢などができなくなりますね。

今年に入って急速に手相見の依頼が増えるに比例して、知人=手相見=もう友人だ=相談相手になってもらおう! と思われる方が増えて来ました。

私もご縁を大切にしたいと思って、応じてきた部分もありますが、数が増えると時間にも限りがあり、専業でもないので、なかなかご希望に添えないこともあります。

多い展開は、「少々知人だった方」の手相を拝見した後の、相談が多くなっています。

手相見ではなくて、相談です。メールであったり、手紙であったり。

こんな私に相談してくださるなんて、本当にありがたいことですが、一人の手相見にできることは

限られています。またカウンセラーの勉強もしていません。

なにごとも繋がっていて偶然はない、ということを考えれば、今までの私が曖昧な態度を取っていたからかもしれません。ごめんなさい。

私の言うことに真剣に耳を傾けてくださることはありがたいのです。

立ち位置を確認した後は自分でなんとかしないと、どうしようもしてさしあげられません。

「煉さんて、冷たい!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。仕方ありません。

極論を言えば、手相見を通じて、私が欲しいのは友人ではありません。

関係はフィフティ・フィフティ。お互いに無理をしない。これが基本です。

「見料を払っているんだから、無理を聞いてくれても当たり前」などと思われても

時間外のサポートは見料として設定していません。

拝見後のサポートって必要ですか?

ご意見をいただければ、考えてみます。

最近の手相見の依頼者は、聞きたいことをメモに箇条書きにして持ってきてくださる方も

増えました。

とても、効率よくお話できて助かります。

手相は劇的に変化することは、稀ですが、相談ごとには、オラクルカードを使って答えられるようにしたいと勉強中です。

 

ご縁をいただいて、ありがとう。

あなたの希望に添えられずに、ごめんなさい。

そんなことを考えた一週間でした。

今年、4月末まで手相見をご依頼くださった方の情報は、削除済みです。

またご連絡くださるときは、お名前を明記してくださいますようお願いします。