石は石を呼ぶ

ただいまの手相見度は20パーセント、天然石度40パーセント、その他40パーセントというところ。

手相見のおまけにミニストラップを付けているのは、依頼主の幸福を願ってのことだ。

おかげさまで今週は、そのおまけのストラップがご縁で、天然石関連の依頼を、多くいただいた。

こんなに続いたのは初めてかもしれない。

週末は石選び、注文に楽しい時間を得た。来週は石まみれなパワーストーン週間になるだろう。

続けて依頼をいただくと、石をまとめて注文しやすくなり、それゆえ送料が安く済み、また宅配便を指定できるので、手元に届く日数も少なくて済む。

手間賃というか制作費は私のバイトの時給分が目安だが、受けたからには良い石を選んでさしあげたくて、ネットのお店を巡り何時間もかけて探し回る。

気がついたら、依頼主のご予算がほぼ石の代金で手間賃(制作費)は予定の半分になることも少なくない。

まぁ商いでしているのではないので、「嬉しい」、「ありがとう」と言ってくださる依頼主の言葉が活力源だから続いていると思う。

漫画家を夢見ていた頃は、「好きなものを好きな時間をかけて描けるのはアマチュアの時だけよ」と先輩から言われたものだが、そういう点では私はまだまだ限りなくアマチュアに近い存在と言えるだろう。

石とのご縁をいただいて、ちょっとした分け前をいただいているのが今の自分だ。

私は、人間と天然石の接点に位置する。

ここらへんのこだわりは、備忘録の

「出来上がり、が始まり」を読んでいただくとありがたい。

 最近、備忘録を見てくださった方から、「石の種類がたくさんで、選べません」というメールをいただいた。理由は様々だが、願望が多すぎてどの石を選んだらよいのかわからないというのであれば、まず自分の願う幸せの元はどこにあるのかを考えてみる。

仕事で乗り切りたいのか、恋愛で悩んでいるのか、体調が悩みなのか。

初めから完璧に幸せというのは叶わないので、まずは目の前のコレをちょっと上向かせたいと考えれば、「願い」はスッキリする。

なんとなく開運したい、守護を得たいというのも立派な願いである。

自分に足りないものを補うという視点から探り当てる。

一口で「仕事運」が欲しいと言われても、財運が上がれば幸せなのか、人間関係が良好になればいいのか、自分の才能を活かしたいのか、体調が心配なのか…悩みの元をたどってみよう。

恋愛運と言っても、出会いが無いのが悩みなのか、進展しないのが悩みなのか、様々な想いがあるだろうから、そういう時は、気軽にメールでお尋ねください。

願いに関して、私が思い出すのは、ギリシャ神話に登場するミダス王の話だ。

富豪でありながら、ミダス王は神に、「自分が触れるもの全て黄金に換える力」を望んで、その力を得たが、手にするもの全てが黄金に変わり、食べることもできなくなった。飢えに苦しんだ王は、神に許しを乞い、その力を失ったが、もう黄金に執着しなくなったという話。

得たいものが金運、だったらそれは仕事運につながっているのか、恋愛運につながっているのか。

一生に一度しか石との出会いが無いわけではないので、とりあえず、目先の願い、未来の願いに焦点を合せてみてもいい。

また、直感で、惹かれる石があったら、それはあなたの内面が欲している力を宿しているのだ。そのために備忘録には写真を載せている。

自分の内面から湧き出る直感にしたがって、石を選んでみるのも、石との出会いには必然だ。

どうしても、選べない!という場合は、相談してくだされば、私がオラクル・カードであなたの悩みの解決策をリーディングして、石を選ぶと言うことも。 お任せコース。

人が石を選ぶのではなくて、石が人を選んでいるのではないかと思うことがある。

どんな石とも縁ができたら、可愛がって欲しいと願う。石は石を呼ぶ。

ひとつの石を手にして、次の石を手にする財力や行動力を用意してくれることから、古くから

「石は石を呼ぶ」と言われている。

 

先日、夢を見た。私が天然石を購入しているお店の夢。

実際はネット通販で購入しているのだが、夢の中では、私の近所に お店が存在し、私は石を選んでいる。

お店には石の効能が綺麗に記されたカードがあった。そこでは私の作ったブレスに対しての寸評が載っている。

 

異次元にそのお店は存在しているとしたら、私のもとにやってくる石はあらかじめ決められているに違いない。そんなことを思った。

涙は

ものの本によると涙には、脳内ストレス物質が含まれているそうだ。

泣くことはストレス解消に良いということだ。

私の年齢も年齢だから、相手の気持ちを思うと涙腺が緩むということがある。

もらい泣きはよくする。

 

父を亡くしたとき、あわただしくて泣く暇も無かったが、父の長兄、-私には伯父に当たる- に

電話したとき「我侭なヤツによく尽くしてくれた」と労いの言葉をかけてもらって、やっと泣けたことを思い出す。

 

 嬉しくても、悲しくても涙は出てくる。脳内に蓄積された物質を流すために。

手相を見ていて、話をしていると、依頼者が泣かれたことがあった。

その涙は、自分を取り巻く環境が良い方向へ行くだろうという安堵の涙。

周りにいる人たちへの感謝の涙。

それは、悲しい涙ではなくて、安堵の涙、スピリチュアルな言葉でいうと浄化の涙だと思える。

 

涙は、どんな涙でも、次の段階へ導いてくれると思う。

泣くことは、恥ずかしいことではない。

 

新しい手相見道具

140111 ren2先日、愛用していた手相見棒が折れてしまったので、新しい道具を購入しました。

木製かんざしに、シトリンとブルートパーズを飾ってみる。

フランス製エルバンのガラスペン。色はアンバー。

両方手にして使ってみたら、木製のかんざしは軽くて使いやすいが、手相の線を示すとき見づらいかも。

ガラスペンは、手相の線は示しやすいがガラス製なので、ちょっと重く感じます。

しばらくはガラスペンを使ってみて、かんざしは予備にしておこうと思います。使っていくうちに手に馴染むと思うので、

新しい道具で手相を拝見できるのを楽しみにしています。

次の段階に

今日、長年愛用してきた、手相見棒が、折れてしまった。

それは突然だったが、必然だったと思う。先日某占いで

「大切にしていたものが壊れるかもしれません。でもそれは、ワンランク上のものが合うようになったということです」

という文面があったから。

思うに、今年に入ってから毎月、手相見の依頼がある。昨年までは「隔月手相見」だったが、今年からは「毎月手相見」状態。見料を値上げしたので、手相見の依頼は減るかも…なんて思っていたのだがこれは予想外だった。

すでに、昨年一年間の拝見人数を越えている。

合わせて、天然石関連の依頼もほどほどにある。気をよくして天然石ビーズを私としては多めに購入してしまったほどだ。

次の段階に来たというのか。手相見のとき、口で説明しても、依頼主は目で追えないので用いるようにした手相見棒、いつか壊れると思っていたけど。

次の手相見棒はかんざしにしようか、と考えていたが、簪(かんざし)お高いので、自分でパーツを買って作ってみることにした。

このところは、手相見の前に依頼主の悩みについての、ご神託を、「オラクルカード」シリーズの「大天使ミカエルカード」でリーディングする。

3度カードを選ぶが、だいたい同じカードが出るので、手相見のときにそのカードの内容の話もする。

多くの依頼者が、驚かれて、思い当たるところがあると言う。

私はただの手相見であり、わたしの言う言葉に、依頼主は自分の深い心を見るのだと思う。

多くの、「運気の変わり目に入りつつある人」が、私に手相を見せてくださるのは、必然であると思う。私は、依頼主の深層心理、または背後にある見えない存在の言葉を語っているのかもしれないと思う。次の段階に来ている。そんな気がする今日この頃。

 

意味ある偶然

気がついたら6月です。天気もよくなりました。2日ほど前の晩の話ですが、携帯電話のメール着信がひっきりなしになった時間帯があります。

同じ人からのメール、返信ではなくて、複数の人から数分おきにメールがあるのです。着信音がひっきりなしに鳴るので、最後のほうはサイレント(無音)にしていました。携帯電話のメールが1通も来なくて、「千年の孤独」の気分を味わう時もあるのですが、反して今回のように複数の人から数分おきにやってくるようなこともあります。

これは不思議なことに思えます。まるで見えない世界にとあるタイマーがあって、ある時間になると、「煉あてにメールしてみよう」というスイッチが入っているようなイメージ。そしてそういう時は長らく連絡が途絶えていた人からが多かったりする。

長く生きていると、そういうのを複数回経験しています。

ブログを読んでくださっている人にも似たような経験があるでしょうか。気になるところです。

この「見えないタイマー」をタイミングというか、運というか、見えざる力を感じます。洒落た言葉を選ぶと「シンクロニシティ」 意味ある偶然の一致 なのかなとも思います。

以前も記事に書いたかもしれませんが、運という言葉は「運ぶ」ということで、誰かが運んでくれるものという意味があると聴いたことがあります。

ただ運ばれることをじっと待っているという意味ではなくて、運を掴む、得るためには、事前に自分が人と接して、相手に運んだ「運」がめぐって自分の元に戻ってくる。それは1日先かもしれないし、1週間後、1ヶ月、1年、10年…あるいは来世かもしれません。忘れた頃にやってくる。

どんなことにも、意味を見つけて過ごすと人生は、運がついてくる。

 



 

手相見の悩み

140111 ren2

今年は桜は咲くのも遅かった。通勤道が華やかになったと思ったら散るのも早かった気がする。散った花びらでできた桜の絨毯を見ていると、祭りの後のわびしさに似たようなものを感じる。

このブログでも何度か書いたことがあるが、私は通りすがりの手相見である。尋ねられればアドバイスをするが、どうするかは依頼主の行動にかかっている。

先日、「自分は正しいと周りから観られているか」との質問に「正しい、正しくないというのは個人の主観ですね。他人がどう思っているかは、自分の考えの次にくるかもしれませんが、どうしようもありません」と答えた。この答えも正しいか、正しくないかは読み手によっても違うだろう。

「自分が正しいと思ったらそのまま進む」でも進んだら進んだで、問題が生じたら、そのつど考えることも大切だろう。「引く」と記されたドアをいくら押しても動かないように、無駄な力を注いで疲弊するよりは、「引く」という文字(運気)を読む努力をすると労力を少なくできる、占いはそんな感じだ。

自分の考えを変えるというのは、思想を変えるというのではなくて、取り組み方を変えるということだ。直球勝負をする前に、ワンクッション置く。それは思いやり。想像力が必要なのだ。

人間関係がウマく行かないと嘆いている人が、実は言葉がストレートだったり、自分のことしか考えていなかったりするのも、手相を見ていると透けて見える。

「いらない」と放り投げるように言わないで、「ありがとう、でも必要ないわ」という、言葉の付け足しが、人間関係の潤滑油になり得る。これは一種の技術である。

最近は 真夜中に携帯にメールが届くこともある。

数日前に手相を拝見した依頼主からだ。

「~ですか?~ですよね??」という確認というのもあれば、まったく関係のない人生相談のような内容もある。

3度までは答えたが、それ以上の質問には答えなかった。

「私はメール相談は受け付けていません」と返信した。

私に質問するというのは、答えを求めているからだとはわかるが、一度手相を見た後に、メールでフォローできても2~3度までが限度だ。無制限にするほど時間も記憶力も体力もない。

手相は劇的に変わることもあるが、だいたい3ヶ月で変化する。それは考え方や行動が変わったのが

反映されるからだろう。

友人という立場なら忌憚のないアドバイスはできても、依頼主と手相見の立場では言葉を選ぶ。

お金というエネルギーを間に置いた以上は、一線を引くところは引く。

なんとかそれをわかってもらいたいと思うのは、勝手だろうか。

依頼主は私と一対一で向き合っていると思うだろうが、私からすると一対多数。

名前も文章の中に入れてくれると助かるのだが…。無いこともあるので文面から推察するまで時間がかかったりして。

やはりメール相談は私には無理だと実感した。

これから依頼主と向き合う場合、上手に伝えることができるだろうか。

こんな悩みが出てくるって、それだけ数を見てきたということか。

癒される物

 

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私がよく購入するのは、フランス製のスティックタイプのお香です。

水晶や部屋の浄化に愛用しています。香りは気分転換に一番即効力があると思っています。

水晶のほかに、たまにお財布も煙にくぐらせます。

金運をクリアにして、よい運気を呼びこむため。

先日、とてもおしゃれな糸切はさみを見つけました。

こんなにおしゃれなのに値段もお手ごろ。

アンティークものの復刻版というお話です。

これで、ブレスレット用のシリコンゴムや、メルヘンコードを切ったりして

気分が優雅になれそう。

 

こういう、「ちょっといい気分」を大事にしておくと、モノのデキが違ってくると思う。

普段から見る目を養って(目の保養とも言う)自分にとっての「これだ」という品を手にできたときは嬉しいです。ちょっとした現実逃避、癒しの場所、モノ、って大事ですね。

 

 



 

 

 

未知の領域へ

昨年も、一昨年も、「今年は5月なのに寒い」とブログには記していた記憶があるが

今年の寒さは格別である。おまけに灯油の値段も下がらない。(^_^;)

 

 以前、ブログに、今やっていることは波がある、集中して見る月もあれば

まったく見ない月もある なんてことを記していたが

今年になってから今までのところ、毎月毎月、手相見の依頼がコツコツとあるのだ。

これは、5ヶ月連続で手相見も、天然石関連の仕事もそれなりに入るとは。

本人が一番驚いています。

制作期間が先になりますが、サンキャッチャーの予約もいただいているんです!

…すでに未知の領域です。

 この春はバイトの話が消えたりして、気持ち的には落ちこんだりしたけれど

これも、天の計らいということで。

 

 就業中のオラクルカードは何度引いても質問に対する答えのカードは同じものなので

最近は手相見の前にはカードをひいて、あらかじめ運気の流れを読み取るようにしています。

ブログの、閲覧者も更新していないときのほうが、多いというのも不思議です。

このまま順調に閲覧者数が推移してくれるとありがたく思います。

 

天然石関係の備忘録でも紹介しましたが

3月にご依頼いただきました作品について

銀:リオンさんが2010年5月14日付けのブログで

「紅乃 煉さんのコレクション」というタイトルで紹介してくださっています。

http://www2.hp-ez.com/hp/neco36/page12/blog/200906

 

褒められすぎて、恐縮ですが、ブループリントリーディングで

「受け入れる」のが課題と言われたので、ありがたく受け取らせていただきました。

 銀さん、ありがとうございます。

 

 これも、このブログを読みに立ち寄ってくださる方や、依頼をしてくださる方々の

おかげです。依頼のひとつひとつが、私に運を運び、上げてくださると信じています。

 ありがとうございます。

 

意味があるって

この道を選んで良かったのでしょうか、と手相見の時にたずねられることがあります。

「良かったんです」と答えます。

時間は巻き戻らないし、「あのときの選択は…云々」と考えて前に進めないのも困ります。

迷いも、失敗も色々あるから人間だと言えます。

それに失敗は成功のもとと言われるくらいですから、失敗を重ねて得るものもあると

思います。自分の全ての失敗が重なって、今の自分があるのですから。

なにひとつ欠けても、今の自分を構成し得ないと思います。

 

 昔、友人Aに誤解されたことがあります。

「あなたにしか話していないのに、あんまりじゃない?」

私相談を受けたAの話を、別の友人Bから聞いたというのです。

 Bに話した覚えが無いので、後日Bにたずねてみました。

「Aさんは、私が聞いてもいないのに、自分のことを話していたよ。

私の言葉の一部分から煉さんが、わたし(B)に話していると思い違いしたのではないかな」

責める前に、「どうなの?」確認する余裕がAには無かったのだと思います。

でも、ちょうどその頃はAの考え方や感性が合わないなと思いはじめていました。

友人としての糸の細い部分は残しておきたいとも考えましたが、白黒をはっきりつけたがるAにはそれも不満だったようです。

 私は一方的に思い違いしているAに「Bから聞いたいきさつ」は語りませんでした。

誤解を解く気力が無いことを自覚しました。それだけの関係だったということです。

そのときの判断が正しいかと自問することもありました。

 私とAの接点はもうありません。ときどき、思い出すときには今の幸せを願うばかりです。

 

Aは今も私を「不誠実な人間」だと思っているかもしれません。

それはそれで仕方の無いことだと思っています。

そういうめぐり合わせだったと、意味があるってことですね。

 そして、それはお互い様なのだと思います。

私にも、欠けている(見えない)部分があり、相手にもあった。

 

手相を見ていると人と人との出会いと別れには、タイミングがあり、

意味があると感じずにはいられません。

 どんな依頼主とも、絶好のタイミングで出会えていると確信しています。

 

とりあえず、掴んでみることも

ゴールデンウィーク真っ只中である。

昨年の今頃は桜が咲いていたのだが、3日現在、お隣の庭の桜は葉も開いていない。

桜が咲くのは当分先になりそうだ。

寒いですね、なんて挨拶をしていたのに、今日は夏日を記録!

そんな中

在宅で、文書作成の内職をしていた。

この時期はだいたい、文書作成の内職をしていることが多い。

 

仕事でも、モノでも、自分の前に突然やってきたとき、

「この仕事を受けたら、今の仕事は急にやめられないし…」とか

「これを××したら、○○するのが面倒だからいらない」とか

色々と考えてしまって、チャンスを逃していることって意外に多いのではないだろうか。

目の前に来たチャンスは、とりあえず、掴んでおくというのが大事なのに!と

横で見ていて思うことがある。

 

 不思議なことに、チャンスは試すように、目前に舞い降りる。

どちらかを得て、どちらかを手放すことを、迫る場合がある。

どちらも手放さず、丸く納まるのが一番いいのだが、そうもいかない場合がある。

時として自分の優先するものを把握しておくのは大切だ。

また、黙っていて、必要なものは、すべてむこうから、やってくることはない。

 自分に必要なものを、つねにはっきりしておかなくては。

 

聖書にある言葉「求めよ、されば与えられん」の一節が頭に浮かぶ。

 求めなければ、与えられない。

 

私も、昔は「困った~」と言っている同僚に、「どうしたの?」などと声を

かけ、ウンチクを披露していたが

今は直接「煉さん、どうしよう」と声をかけられない限りは

でしゃばらないことにした。

 

これは「運」にも通じるのではないか、と最近思うようになった。

 神さま(運)は求められないと、手を差し伸べられないのではないか。

 

後々のことを考えるのは、大事かもしれないが、

求めているモノが目の前にきたら、とにかく掴んでみることを

オススメする。