すべては自分のタメだから

人生、なにが起こるかわからない。

私は甲状腺の病で、6年前に手術を受けている。

甲状腺の機能に異常はないので、ただ腫瘍ごと、

甲状腺の右半分(右葉)を摘出するだけの手術だった。

腫瘍は、良性のもので悪性ではなかった。

 

左側(左葉)にも数個小さい腫瘍が残っていたので、これは経過観察となった。

 

身体経過も良く、検査は年に一度でよかったが、ここに来て腫瘍が大きくなり

半年に一度の経過観察となった。

 甲状腺は目立たないけれど、大切な臓器であるので、今後腫瘍が大きくなっても

「すぐに摘出手術はできない」と医師に言われた。

 

幸い、血液検査では異常がないので、とくに今すぐどうなるというものではない。

人間、生まれたからは、死は遅かれ早かれ、隣りにあるものだ。

 

 先に受けたアカシックレコードリーディングでも

「今は過去世のヒーリングの過程で、色々と体に出てくることがある」

と、あらかじめ言われていたのでとくに驚きもしなかった。

 

 甲状腺の位置は、7つあると言われるチャクラでいうと第5チャクラ。

スロート・チャクラと呼ばれ色々と意味を司るところであるが

 

前方では一般的なコミュニケーション

後方では自分の独自のメッセージを世界に発する、

発達すると創造性を(好きでたまらないこと)発見し実現させてくれます。

(部分 抜粋・ チャクラ・ヒーリング ブレンダ・デーヴィス 著 徳間書店 刊)

 

とあるので、良いほうに解釈することにした。

腫瘍の成長に怯えるよりも

今のうちに、書きたいものを書き、好きなことをしておこう。

 

とりあえず、元気なうちになにかしておこう、という区切りというか

目標ができたワケだ。

人生の締め切りのようなものだ。

 

先日、ツライと相談を受けた知人を、励ますと、

「あなたは立派よ。私なんて…」と嘆いていた。

 

そうだよねぇ。

「私なんて…」と言っているのはツライけどラクでもあるのだ。

でもね、不幸話に寄って来るのは同じような感情を持つ人間だけだ。

 

他人様に対しては、批判的な見方をするのは自分の運気も下げるし

やめておこう。

明るい人、話に寄って来る運気があるのだ。

だったら、

愚痴ったり嘆いたりするのは2回までにしておこう。

それは誰でもない、自分の開運のためだから。

どんな不幸なできごともつらい感情も、自分の血となり肉とするために。

 

新しいブログタイトル、

「なかなかイイ」とお褒めのお言葉チラホラいただいています。

マイナスよりもプラスがお得感アリですかね?

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

これも、必然ならば

今日の夕方、玄関のチャイムが鳴り

「ご挨拶に来ました」という若い声に釣られてドアを開けたら

某大手新聞の勧誘員だった。

20代そこそこ、茶髪の若者。胸には研修中のバッジ。

私の息子のような年代だ。

 最初はご挨拶だけというので、「お疲れさまです」と言って断った。

「来年でも再来年でもいいから1ヶ月新聞をとってください。当日になったら

断っても構いません」と粗品を押し付けられた。

「確約はできませんので…寒い中ご苦労様です」と品物を返して頭を下げたところ、

若者は言った。

「俺、インフルエンザなんだよね」

たぶん、彼なりの捨て台詞だったのだろう。

私は無言のまま、ドアを閉めた。

 

若者は営業としては失格だ。

営業は、断られたときからが勝負なのだ。

今はダメでも次の機会に顧客になるかもしれないのだ。

捨て台詞や脅しはなにも次にはつなげない。

 

君と契約する気はなかったが

君の一言は、これからなにがあっても、その新聞社の新聞を購読しないという

私に堅く決意させた。

 

 また、ご縁があったらよろしくお願いしますね、ぐらい言われたら

きっと心のどこかに残るいい印象が、君の運気をを照らしたかもしれないのに。

 

君は、人間を相手に仕事をしてしまったのだな。

仕事に対して誠実であれと、私は君から学ばせてもらった。

 

 これも必然ならば、やはり君に感謝をしよう。

君は神がつかわした使者だ。

君は私の中に、教訓を明確にしてくれたからだ。

 

役者は、台詞を語らないときに、その実力を試されるという。

つまり、語らずに佇んでいるときに、どれだけ役を表現できるかということだ。

 

ならば、仕事や人生は、失敗したときやもうだめだ、と

思ったときからが勝負なのかもしれない。

不幸なこと、嫌なことがあったとき、どう反応するか。

そこが大事なのだ。

 

 

受け入れる

最近、とみに日の暮れるのが早いです。

午後4時前には薄暗い。冬至が待ち遠しい。

 先日、自分のアカシックレコードをリーディングしていただいたとき

私のテーマは「受け入れる」「心の平安」と指摘された。

 私は私であることを受け入れる。

たいした人間でもないし、善人でもないし

若くもないし、負け犬だし。

あれ、暗くなるよりすっきりした。

自分以上であろうとすると、葛藤が生まれるのであって

自分は、これ以上でも以下でもないので、いいじゃん、これで。

人を癒す力もあるって、手相を通じて天の声を告げる能力もあると、

第三者に肯定されて、やっと良い意味で開き直れたようである。

自分で自分を癒すのがいい、と言われて

週末は映画のDVDを鑑賞して、自分を癒しました。

美しいエネルギー補給。

特典映像のメイキングを見て華やかに見える俳優さんも

業界の人も、やはり大変だ。生半可な覚悟ではモノは作れないんだなと

しみじみ思いました。作品を作るのって、共同作業だ。

以前、高名な占い師が語っていた

「人間を相手に仕事をしない。」

 これは、深い言葉だ。

自分が仕事をする相手は、人間ではなくて、人ならぬもの。

それは、神様であったり、自分自身の良心であるのだ。

ごまかしや嘘偽りは通じない。

そこには、ものごとに対する誠実さを求められる。

最近、手相見よりも、サンキャッチャーやブレスなどを作る仕事が

忙しいので、更新も滞りがちです。

サイトに来てくださってありがとうございます。

なにかありましたら、気軽にメールください。

即返は確約できませんが、返信させていただきます。

選択する

私は、二足も三足もわらじを履いて、日々暮らしている人間であるが

夢の中でも、片方ずつ違う履物を履いている夢をよく見る。

 今にして思うと、これは「今の状態」を単に暗示しているのではなくて

私の歩く道、人生を暗示していたのかもしれない。

 つらいことや、苦しいことがあって立ち往生してしまっている自分に気付いたとき

スピリチュアルリーディングをしてもらうことにしている。

 手相見の私は他人の人生を読むが、自分の顔は自分の目で見ることが

できないように、自分の立ち位置もよくわからなくなることがある。

そんなときは第3者に客観的に見てもらうのがいいと思っているから。

 ネットの海をさすらって、偶然立ち寄ったホームページで知った

アメリカ在住の日本人ヒーラーさんにリーディングをしていただく機会を得て

じっくりとこれから自分の歩く道を見てもらった。

まるでロールプレイングゲームのように、進む道は枝分かれしていて

無限の可能性がある。

 どれを選択するのかは、自分次第である。

こんなに明快に、こんなにきっぱりと示されると、ヘロヘロだった自分の気持ちも

すっきり固まってきて、生きていく気力が湧いてくるから、不思議。

リーディングの内容は、テープに録音されてアメリカの空気とともに

私の手元にやってきたのが、10月28日。

録音用のMDディスクを買いにでかけて、流れ星というか、隕石の落下を

目撃した。

 これは、吉兆だと思った。

私は、今まで、自分が手がけてきたことに、今ひとつ実感が湧いていなかった。

手相見もブレス作りも、人から望まれてしてきたけど。

本当にこのままでいいのかな、なんて思っていたけど。

このままで良い、と肯定されたから。

私は、自分のもとにやってくる機会をそのまま受け入れることを選択した。

どんな能力のあるヒーラーに将来はこうなる、ああなると言われても

その道を選ぶのは自分自身である。

私は選択した。

手相から未来を読み取って、依頼主の背中を押せる、

そんな手相見でありたいと願います。

手相見 ボー

手相見専用の品ではありません。

十数年前に購入したものです。

地元の百貨店の長崎物産展に、ガラス細工屋さんが出店されていましてね。

ガラス工芸 南蛮船

どれも美しくすばらしい高価な品ばかりでした。

いや、一点ものの芸術品として考えれば、お高くないと思うのですが、

社会人になりたての身には高額に思えたものです。

そんな私が唯一購入できた品がコレ。

 商品名は、つまようじでした。(^_^;)

つまようじなのに、私の当時の時給くらいしたと思う。

つまようじにしては、太くてとても使えそうもありません。

当初、漫画の絵の具を練るのに使用していましたが

そのうち机の引き出しのなかにしまわれてしまいました。

手相を拝見するときに

「運命線が~こうなっていて~~」と口で言うと

依頼主は「え、どれどれ?」となり、指先で説明すると細かい線が見えにくい。

それで、このガラス棒の出番となりました。

思い立って、このガラス棒を扱っていたお店をネットで検索すると

作家さんは有名なガラス彫刻家となられていて

お店では1点数万円の品を扱っていらっしゃるそうです。

あのとき、2本買っておけばよかったな…なんて思ってもしかたない。

最近、手相占い師さんの手元を注意深く見ていると

カンザシなどを使用されているのを見かけます。

  わたしも、これからはカンザシなど気にかけてみようかな。

南の空に一条の光が

天空の光
天空の光

西暦2009年10月28日 16時18分、ふと見上げた

夕暮れ迫る南の空に

一条の閃光が西の空に向かって伸びていた。

ちょうど、買い物を済ませ帰宅途中だったが、バッグの中をかきまわし

携帯のカメラを起動して撮影した。ズームを使って見たかったが

慌てていたので叶わず。コントラストの調整は、パソコンで少々してみた。

滞空時間は2分以上あったと思う。

撮影を終えて、閃光が消え、光の珠となって西の空に消えるまで

30秒はあったと思うから。

飛行機音がなかったし、滞空時間を考えると

隕石または人工衛星の落下と思われるが

その美しさといったら、なかった。

今日ほど携帯にカメラがあって良かったと思ったことはない。

20年以上前に

東の空にレンズ雲が何層にも重なっているのを見たことがある。

この世のものとは思えない、まるで天空の神殿を思わせる雲を

当時カメラを持っていなかった私は記憶に焼き付けた。

今は、こうしてカメラで記録することができる。

たとえ、この光の実体が

飛行機でもロケットでも人工衛星でも未確認飛行物体でも!

一生に一度、見られるかどうかという

それはそれは見事な光景で、これは幸運だと思う。

 

アニメやドラマでは、なにかの始まりさえ予感させるシーンではないか。

 

いいものを見させていただきました。

神さま、ありがとう。

 

 

なんちゃって手相見

なんちゃって手相見、手相見度は25パーセントです。

これは、口約束がほとんどで、具体的に拝見するに至っていない割合です。

だから、なんちゃって手相見。

手相見とブログタイトルにつけてはみたけれど

実際、依頼主の話を書くわけにもいかないことが多々あります。

 今まで書いてきたのは個人的見解とか、時効というか10年以上前の

体験談がほとんどです。

 見料をいただくということは、プロとして誠実に拝見しています。

無料で見ていたときは個人的に「ちょっと違う」「そういう考え方はちょっと」と

スルーしていたことも、プロであるなら依頼主の立場を考えて運気を読みます。

真剣です。

 ときには罵声をあびたり、批判されることも覚悟しておかねばなりません。

依頼主のために、と思って述べた意見もすんなり受け入れられる場合ばかりでも

ない。

なんちゃって~~だったころが懐かしい気がしますが

わたしの見立てにお代を支払ってくださった方がいる以上は、辛くても苦しくても

自分の見立てを述べていくしかありませんね。

さて、

占星術で、土星が私の星座にやってきました。

30年に一度の変革期。

これから2年半は、自分が築き上げてきたものが評価される、

あるいは方向転換するによい時期だそうです。

 

 

幸運のイメトレ

今日、届いたハガキ。

以前、手相を拝見した方からであった。

「見ていただいた年に出会いがあり、言われた年齢に結婚しました」と

書かれていた。

 私は、見た相手のことは、言ったそばからおぼえていないが

こういうお葉書をいただくと、素直に嬉しい。

私は、タイミングを読んだだけで、その縁を掴む掴まないのは

本人の自由だと思っている。

実際、手相を見た瞬間から「先を読む目」は開いているので

本人に、楽しいことを掴む気力があれば、幸運は目の前に現れる。

幸運は、一見不幸の姿をまとってやってくることもある。

人は、未来を知りたいと思ったときから、未来を作る力も宿している。

未来を考えたときから、生きる力が宿っているはずだ。

 だから、結婚したのは本人の力であり

「想定内」なのだ。

 どうせなら、嬉しいこと、楽しいことをどんどん考えてもいい。

考えるだけなら、お金も手間もかからない。

その波動が、周りを幸運に巻き込んでいくと思う。

磨かれて丸くなる

私の誕生日はとうに過ぎているが

友人から、お祝いのケーキが届いた。

 年齢も重ねると、誕生日なんて無感動というか

また年をとってしまったなぁなんて考えることが多くなってきたが

友人に「忘れていた~!!お祝い!」と言われると、やはり嬉しい。

 また、友人は自分も大変なことを抱えているのに、ケーキに贈り物まで

用意してくれた。

 感謝、感謝しか言葉がでない。

 

私には長い付き合いの友人が多いが、それはきっと相手が

私の気持ちを察して対応してくれるからだと思っている。

 つらいとき、苦しいときには、黙って佇んでいてくれる。

決して無理にこちら側に立ち入ってこないし

口をこじ開けることもしない。

だけど、困ったときは手を差し伸べてくれる。

 ありがたいと思う。

 

それに比べて自分はどうだろう。

友人に対しては誠実でありたいと思っているが

その想いが汲んでもらえない、察してもらえないこともある。

そんなときは その場を立ち去ることにしている。

 無理をして友人でいることもない。

もしかしたら、友人ではなくて知人だったから立ち去ろうと思えたのか。

 

行き違った思いは仕方ない。

同じ立ち居地に立っても見えないこともある。

 

あなたの言葉で傷ついたのは、わたしの勝手。

でも、あなたの言葉があったから、今の自分がある。

あなたという存在に磨かれて

私はここにいる。

 明日には、ちょっとだけでも進歩しているはず。

 ありがとう。

そうやって数年前に疎遠になった数人の友人の顔を思い出し

今も幸福であるようにと願い、祈る。

 

昔ほど、つらい気持ちにならないのは、きっと心が傷ついて

磨かれて、やや丸くなったから?

うう~ん、耐性がついたからかもしれない。

年を重ねるってそういうことかも。

 

探し物を見つけて

ブログもそうだけど、ネットは世界とつながっていて

とても便利になりました。

 昔、耳にして、タイトルがわからないけど気になる曲を、ひとつふたつは

皆さん、お持ちではないでしょうか。

 パソコンが普及していなかったときは、レンタルCDで目当ての歌手のCDを

片端から探して見つけたり。

 

 杉山清貴さんの「奪われた倦怠(アンニュイ)」

 バブル景気の只中に発売された名曲。

 杉山さんの透明な歌声で、大人の恋を都会の夜景を思わせる詩が

漫画のようにコマワリで脳裏に浮かぶ、いい歌です。

 

あるいは、新録版で発売されたCDを買ったりして探していました。

 宇崎竜童さんの「欲望の街」

 大昔の映画、「白昼の死角」というピカレスク映画の主題歌でした。

 愛と裏切りがテーマのせつないバラードです。

 都会って怖い…子供ながらそう思ったもんです。

 5年ほど前に新録で再発売されたとき購入しました。

 

今は、ネットで数少ない手がかりをもとに検索すると、見つかるんですねぇ!

 そして、有名な作曲家

久石譲さんが作曲して歌っていた昼帯ドラマの主題歌「冬の旅人」も

見つけてフルで聞けました!!

 

感激したのはこの一曲

数年前…10年くらい前?

国営放送の「夢用絵の具」?という番組のテーマ曲。

虹の地球(ほし)

辛島美登里さんの透明な歌声と、スピリチュアルな詩に癒される

名曲です。

まるで、探し続けた想い人を見つけたような、そんな嬉しい一日でした。

探していた曲に、こんなに早くめぐり合えるなんて

10年前には考えられなかったですね。

歌は不思議。

聴いていると、そのときの思い出が浮かんできて

癒されます。

 歌のある星に生まれて感謝します。