占いは自分を客観視するために

6月中は、多忙のため、手相見のご依頼の受付は終了いたしました。
ご迷惑をおかけしますが、あしからずご了承ください。
よろしくお願いします。

最近、天気がすっきりしません。
太陽の光が差さないので、窓辺のサンキャッチャーも虹を映しません。

 毎年、この時期は「寒い」「天気が悪い」とブログに
記していたような気がします。

 私は、占い大好きな人間ですが
占いでも相性というのか、合う占い、合わない占いというのが
あるものです。

 私的に、西洋占星術(星占い)は、あまり当たった印象がありません。
気学(一白水星)とかもあまり・・・。

四柱推命は当たっている気がする。しかし出生時間が曖昧なので
微妙か。

 そこで、霊感占い、今風にいうとスピリチュアルを試してみても
これも霊能力者との相性が関係するので当たる、当たらないは微妙なとこです。

どうしてもリーディングしてくれる人の主観が入ったり、価値観が入ってしまう

からです。

でも、占いは当たる当たらないよりも
自分を客観視する道具として活用するのが一番です。

昔、手相を拝見した女性は、仕事には誠実な方でしたが
不満ばかり口にしていました。

物事のいいところを見ようとしないで、悪いところばかり拾ってくる感じです。
 結局、アドバイスしても、理由をつけて受け入れません。

 そのくせ、自分はツイテイナイ、とか悪いことが続くと言うのですが
自分が引き寄せていることに気づかない。

ちょっともったいないなと思った記憶があります。

 自分の行動を振り返らないと、運気上昇は遠のきます。

最近、周りの人に、”良い言葉”をかけていますか。
否定的な言葉を紡いでいませんか。

言葉は、人を傷つけて落ち込ませることも、また心の支えになることも
あるのです。

 

それから
どんな占いでも、最後は自分の直感が頼りになります。
どんな結果が出ても、自分にピンときたものは受け入れて、
違うのじゃないかな、と思えることは
スル~する。

自分の人生ですから。
占いは予言ではないので、悪いことを言われても
必要以上に怯える必要はないです。

手相もそうです。答えは自分の手のひらに。
自分の深層心理が
選択肢を示しているようなものです。
 考え方を改めれば、劇的に手相は変わるので。

ツイテイナイと言い訳しているうちは
まだ大丈夫。
 せっぱつまれば、どんなことでも試してみようという気になるものです。

 もっと意識的によき言葉、いい言葉を周囲にかけていくと
きっと運気は上昇します。

 おかげさまで、という言葉と気持ちを持つことが
自分の幸運につながると思います。

今日も、読んでくださってありがとうございました。

 

ワイヤー、切れています

最近、ブレス、ストラップ作りに追われて
こちらのブログもまとめる暇がない。
気が付いたら更新が滞っていた。
 

 ところで、作成したストラップが、立て続けに切れるという事象が
続いています。
 あなたのストラップは大丈夫でしょうか。

ナイロンコートワイヤーを使用していますが
切れる人も切れない人も居て、不思議。
やはり使い方によるのだろうか。

 ヘビイユーザーは切れやすいのか??
それとも、シンクロニシティ?

 

 夏至が近づいていますね。
冬至は、日が長くなる気持ちで待ち遠しいのに
夏至は、日が短くなっていくので
こころ寂しい感じです。



天気、転機、テンキ

今日も、住んでいる町の天気は雨。

最近は太陽の光を見ていない気がする。

このところ、私の周りでは、私の作ったストラップの

ワイヤーが切れるという事象が続いている。

同じ石、同じワイヤーで作っても、切れない人がいるのに

切れる人もいる。不思議な話。

修復は基本的に、無償でおこなっているが、こう続くと、その裏に

「もう、天然石の小物作りは終わりにしなさい」というメッセージが

こめられているのでは、と勘ぐってしまうのだ。

ブレスもおかげさまで、99本目までは作成して、#100までもう1本になり

これが、一区切りなのかもしれない、と思えてきた。

必死になって身につけたパソコンの技能もほとんど使わない、

使えない日常の業務を前に考えることがある。

 

昨年の今頃を記したブログは、ファイルが壊れて残っていないし

ストレスのためか、ほとんど記憶に残っていない。

 

なにがしたいの?と尋ねられて

生きるために働くこと。

したいか、ではなくてできることをしてきた。

できることをしていきたい。

最近、見つけた風水関係のホームページで

ドアベルで開運という記事を読んで、さっそくネットで注文しました。

ロータスのドアベル。700円也。良い音色です。

これもただ、飾ればいいというのではなくて、飾る時期や、玄関の方角とか

色々あるのですが

来年の2月4日までは、北向きの玄関にドアベル!!

天気が悪くて晴れない気持ちも、ドアベルを飾れば

その音色に開運の運気を感じる。

お金をかけず、手間は少々必要ですが。

 

ただいまの手相見度10パーセント。

とりあえず、動く

ある情報を、提供したとして

「そのうちにやってみる」という人は多いだろう。

そのうち、というのはどんなとき。

もっと必要に迫られたとき、暇なとき?まぁ、そのうち…だろうか。

 

そのうちって考えているうちに、タイミングを逃すこともあるだろう。

このタイミングがなかなか難しいが

世の中は案外絶妙なタイミングで動いていたりするから不思議である。

だから、あなたは自分の、そのうち…という感覚を大事にして欲しい。

 

 

我が家は長いこと借家住まいではあるが

大家さんの好意で猫も飼っているし、不便を感じたことはなかったのだが

風水を取り入れている私を見て、トイレを改装してくださった。

便器も新しくなったし、壁も明るい白い壁紙に・・・。

金運を上げる、綺麗なトイレに近づきました。

大家さま、神様、ありがとう!!

玄関に金属製のドアベルが良い、と聴いて

注文したドアベルが今日届いたので、さっそく飾ってみた。

格安なドアベルだったが音は良い音色。

 

 

夢見の話

…ただいまの手相見度15パーセント也。

最近は、「手相を見ていただきたいです」と言ってくださる方が周辺に多いのです。

ありがたいことです。

 ですが、日程がなかなか合いません。

口だけの約束ならば、数人待ちですが、人気があるから待ちがあるわけでもなく

ただ、単に日程が合わないだけ。

 そんなわけで手相見度15パーセントだったりします。

ここからは夢の話

 さて、昨日、私は手術を受ける夢を見ました。

それも、あちこちからスタッフが来て、「緊急手術」って感じの夢です。

夢占いの本を読むと、手術の夢は悪い夢ではないというので

安心しました。

 霊関係の話の本を読んでも、夢の中の手術は、いい展開のようです。

 大小あわせて7回の手術を経験しましたが

 できれば、もう手術は受けたくありません。

私がお酒をあまり飲まないのは、いざというとき麻酔の効きが悪い体質になると、

亡父の経験を見て思っているからかもしれません。

 夢からさめて、「なんだ~、夢か~」とがっくりくるのは、たいがい逆夢。

さめても「なんか、いい夢だった」と浸れるのは、魂が癒されている夢。

 逆説的な見方をすれば、夢でいい夢だぁと思っているのは

現実の不満を充足させている場合があるとか。

いい夢だけを、現実にするならば、ドリームキャッチャーというアイテムが

あります。

 最近、見かけることも多くなりました。

くもの巣のようなネットに、鳥の羽が付けられているアイテムです。

 悪夢が続いているときは、眠るときに枕元には水晶を置くのもオススメです。

ひとりアセンション

アセンション、巷では次元上昇と言われている。

 1999年のノストラダムスの大予言のあとのイベントは

2012年だという、記事がネットのあちこちをにぎわせている。

2012年になったら、世界はどうなっているのか。

人類滅亡と言われるより、次元上昇と言われるほうが

気持ちがラクなのはなぜだろう。

 先日、私は永年愛用していた日傘兼用雨傘を紛失した!

どこで紛失したのかわからないから、紛失である。

 

愛用のものを失った喪失感・・・・・・。

失ったと思うとせつないので、

「傘は次元上昇して私の視界から消えたのだわ」と

思いなおすことにして

 新しい日傘を探しにいくことにした。

失ったものは、どう考えても戻らない。

ならば、それを糧にして楽しいことを考えてみようと思う。

 

私をおばさんと呼んで、不遜な態度をとる輩にも

「若さが次元上昇したので、今の私がベストである」と

開き直ってみせる。

 

 しかし、最近、不思議と私の手元からモノが消えるのだった。

 

 落としたとか、忘れたとかそういうのではなくて、

きちんと引き出しに仕舞っていたものが、煙のように消えていたりするのだ。

今まで、天然石におおかった事象だが

 最近、物体も次元上昇しているのかもしれない。

 

 

 ひとりアセンション。


答えは簡単

おかげさまで、バイトも掛け持ちしているし

天然石の小物もコツコツ作って売れているのでなんとか暮らしています。

ゴールデンウィークの連休も日給月給の身には素直に喜べなかったけれど

これなら、なんとか5月も暮らせそうです。

6月はどうなる?神ならぬ身の知る由もナシ。

今日はいきなり、春らしくなった風景が雪景色になり驚きました。

さて、この4月は、仕事に恵まれて、あっという間に月末となりました。

仕事(バイト先の雑用)はてんこ盛りです。暇よりははるかにイイコトです。

さて、運転免許も持たない私が、人様にちょこっとだけ自慢できるのは

表計算1級というパソコンの資格ですが、実質、活用していません。

すっかり自分がそういう資格を持っているのを忘れてしまいそうでした。

ある日、ある人にある関数式を問われて、色々試してみたけど

やはり納得のいく答えが導き出せず、パソコンの師匠にも尋ねてみたら

「あ~ら、まぁ」というくらい簡単な式で解決したのです。

師匠、ありがとうございます。

これだ!!という決め手を決断することができない己の不勉強さを痛感しました。

日々鍛錬していないとだめですね。

ファイリングやインデックス貼りが中心の毎日ですっかり、表計算から遠ざかっていた自分を

思い知りました。

目の前の困難にさえぎられて、答えがすんなり出せなかった。

これって、人生の悩みもそうなのかも。

目の前の困難を深く考えすぎて、一番、簡単なことを見失っていたりすること

あるんだな、と再実感したわけです。

今、ちょっとウマく行っていないとか、どうもしっくり来ない「流れ」を感じている方、それは

運気の転機到来の合図です。

感じたからには、今までどおりの生活を見直し、ちょっと我慢していた好きなことを

してみるとか、自分でダメだと思っていたことを改めるとか

色々、試してみる良い機会でもあります。

不満をつぶやいて何もしなければ、しっくり来ないまま日々過ごすことになります。

色々試して、それでも、なにか足りないと思ったら

占い、たとえば私のような手相見に声をかけてください。

本当の答えはあなたの手のひら、つまり内面に既に出ているのですから。

幸運には前髪しかない

気がついたら、ブログの更新がまったく滞っており

いくらなんでも、サイトをのぞいて下さる方に近況を報告しておかねば。

 

 おかげさまでバイトの波がやってきて、連休前の書き入れ時かと思って

残業もしています。

 仕事は、あるときはドカ!!っとくるもので、まんべんなくやってこないという

 つまり、やれるときにやっておかねばならないという波が、必ずあるものです。

ふんばりどころというのが。

 

今、私はかけもちでバイト生活をしていて、

気分的にはネットカフェ難民寸前の、綱渡りというか、

しがない個人事業主・・・漢字で表すと格好がいいですが

日銭稼ぎな身分なので、来たる仕事はつかんでおかねばなりません。

 

 こういうときに思うことは、仕事というのは、どこからどうつながっていくか

わからないものだと実感しています。

 

 目の前の仕事がつらいと思っていたら、さらにつらい仕事が引き寄せられてしまう

仕事の無いこの時代に、今やるべき仕事があることに感謝をしてすごしなさい、と

 ある人に言われて、力技ではありますが、強引にそう思うようにして

過ごしていたら、他人様から引き立てられて、お金をいただけるようになりました。

忙しいのも、もうすぐ、終わりです。

 とりあえず、掴んでおく。これがなければ、始まらない。

幸運、不運は自分で決める

 

天空の道

昨日、小学校時代のいじめられっこだった時の話をしたが
なんという偶然か、今日、そのときの担任に、会ってしまった。
直接会うのは何十年ぶりかであったが、
これも天のはからいだろうか。

あの頃、苦しくてしかたなかった。つらかった自分を覚えているが
当人を前にして、すこぶる穏やかな心情であったことに驚いた。

「嫌な感覚」がなくなっていたのだ。
きちんと挨拶をして「お元気で」と声をかけ、念じることができた自分に
まったくもって時の流れを感じたし、驚いた。

あなたは、今、自分が不運だと思っているだろうか。

それとも 幸運だと思っているだろうか。

かたわらから見ればそれは逆かもしれない。

世界を見る視点をちょっとズラシテみれば、自分世界は平和になる。

道でつまづいたことでさえ、立ち上がるときに、学びとすれば

力技でも、ご都合主義でも、自分の世界は平和になる。

たとえ、心の底からでなくてもいい、最初は口先だけでもいい。

幸運だと言ってしまえば、あなたから出る波動は

幸運な人になる。

あなたのおかげ

小学生の頃、わたしは、クラスで孤立していた。

担任教師に嫌われていたので、そうなったきっかけは担任教師の言動、行動が大きいと今なら言える。

 

両親仲はいつも不和だったし、親はまったく頼りにならなかった。

登校拒否児であり、周辺から後ろ指をさされ、友だちもいない小学生時代であった。

自殺も考えたし、逃げることばかり考えていたが

漫画を描くことが好きだったので、なんとか生きていた。

人付き合いはある意味、技術である。

技術であるという言い方は、味気ないであろうか。

でも、ワンクッションは必要だと思う。

ストレートは正直でいいかもしれない。

でも、ストレートすぎると誤解のもとだ。

天真爛漫 が無神経であったり

気配りが慇懃無礼と紙一重だったり、なかなか人付き合いとは難しい。

人間関係は、相手の行動を深読みしないことが一番の得策である。

たとえば、ある日友情に亀裂が入ったとしても

自分が悪いわけでもないし相手が悪いわけでもない。

ただ、波長が違ってしまっただけ。

 

私は、小学生の頃に

私に関わった同級生、担任教師、両親、親類に感謝する。

もまれて、気付いて、何かを得た。

それは、死を夢想するほど、つらい現実ではあったが、自分なりの

逃げ場所を得て生き延びてきた。

だから今の自分があると実感したから。

人間、年を重ねるごとに、人から直接意見を言われることが少なくなって

気が付かないうちに道がそれていたりするから…。

 

耳の痛いことを言ってくれる友人が傍にいたほうが、本当はありがたいのである。

仲良しこよしでいることだけが、友情でもない。

 

音信不通になった友人へ

「あなたのおかげで今のわたしがあります」と

感謝できるような人間になりたい。

 

やっと、コメント受付できるように設定しました。

承認制ですが、なにかありましたら、いただけると嬉しいです。