手相見後のメールの話

ハンドマーク

世の中お盆です。更新がないので、忙しいとお察しの方、いらっしゃいますか。

「まだ、手相を見ているんだぁ」と旧知の方に言われました。「まだ」とは、どういう意味?なんて深読みしません。私自身も「まだ」見ているんですよ、と答えます。趣味の延長線で見始めて、依頼があれば、「まだ」見ている。そんなところです。見料を頂戴して、手相を拝見したあと、お礼のメールをします。

少し前から、氣がついたのですが、メールの時にひとこと、ふたことアドバイスというか、追加の文面を記すことがあります。あれはいわゆる「降りてきた」言葉のような氣がします。

御礼のメールの後、ほとんど全ての方が、返信をくださいます。

今まで拝見した3桁の依頼主で、メールをさしあげて返信がなかったのは、お一人だけです。

その方は私の拝見結果にかなりの不満を、面と向かって告げられたので、相性が合わなかったんだなぁと思います。数年後、同じ方から手相見の依頼がありましたが、相性もあるので、とお断りしました。

手相後のメールでも、なにか感じることがあります。

メールのやりとりから、すでに運気を読み取る作用が働いているのかもしれません。

基本、紹介いただいた方はご縁があるので拝見しますが、二度目の依頼主は、選びます。

手相は、依頼主の内面を見るもので、その先に運気の展開を見ますから、今まで拝見した方の人生や考え方が、私に力を貸してくれると思っています。

事業をされる方、幸福を願われる方には、私の持てる限りの知恵を示して、良いほうへ向かっていただきたい。

何年にもわたって手相を拝見している方に、「言われたときは、”なんだ?違うんじゃない?”って思っていましたが、今なら、あのときのアドバイスの意味がわかります」と言っていただけたとき、「そういうこともあるんだなぁ」と他人事のように思いました。

誰もが幸せになりたい!と思っていて、うまくいかない、と思うなら、それは自分自身を省みる機会がやってきたのです。他人を変えることは難しい。自分自身を変えて、他人を変えることのほうが、少しは易しいのです。

長年見てきた中で、幸福を引き寄せる人は、謙虚な人、フットワークが軽い人。良いといわれたことを、すぐに試してみたり、自分の生活に取り入れる行動をする人です。

わたしが手相を見る人には、回りまわって、幸福が訪れますように。といつも願いをかけています。

縁をつないでくださった皆様、ありがとうございます。

怖い話?

年度末と言うことで、慌しい日々を送られている方も多いことでしょう。

手相見の問い合わせも複数いただいていますが、この冬は毎週末、爆弾低気圧に直撃され雪かきに追われておりました。

今は、手相見よりも先にすることがあるのか。手相見の本を読み返し、過去のデータを整理して過ごしております。

人間対人間で過ごしていると、心に黒さも抱えます。その黒さを浄化するアイテムとしてこのところ、役に立っているのが、ヘミシングの「箱」というイメージトレーニングです。

自分の中のいろいろな感情を、箱につめて、海にながしちゃう!というイメトレです。

怠け心や、妬み、嫉み、悲嘆、自己嫌悪等々、負の感情の嵐にもまれて生きて参りましたが、経験して、苦しんで、自分と言う存在のパーツが埋まってきたのだと思います。

年齢も年齢ですし、相手が世辞を言ってくれているのだと思いつつ、喜ばしいこともあります。裏の裏は表というように、裏を読む気力もなくなっているのでしょう。生きていることに疲れを感じることも、まま、あります。

最近、「しない善より、する偽善」という言葉を好きになりました。

情けは人の為ならず と似ているニュアンスを感じます。

心根が体調に影響を及ぼすなら、あらゆる心理ツールを駆使して暮らしていこうと思ってます。

心のお守り、って大切だと思います。

世の中には、愚痴をこぼして、それをエネルギーにして、運気を上げるというアイテムも存在するらしいです。

ポジティブ思考癖がついているので、私には必要ないのですがね。

招来、孤独になり、心に黒さが溜まって、どうしようもなくなったら、頼ろうかと思います。

頼れるものがあるって、それだけでも心が軽くなるもんですね。

近いうちに、新しいアイテムも試してみて、良い感じな手ごたえが得られましたら、ご紹介したいと思います。

最近、怖かったこと。

私のブログにバイト先からのアクセスが増えていること。

それは、まぁ、隠しているブログではないので良いとして、本日は定休なのに朝から、アクセスしている形跡があることです。

定休日なのに、だ、誰?…とある意味怖い話だと思いました。

不思議な力

手相見の見料についての記事を上げてから、アクセスが急増しているが、なぜでしょう。

基本、新渡戸さんが1人でリピーターさんが漱石さん4人でいこうと考えています。あまり変わらないと思います。

あ、漱石さん一人が前後するかもしれませんが。

今まで、通りすがりの手相見を自負していたのですが、最近はリピーターさんも増えてきましたので、考えを改めました。最初は時間をかけて拝見して、2回目からはポイントを押さえて流れを見るというスタイルが望ましいのでしょう。手相見を始めた頃は、リピーターさんがいらっしゃるとは考えていなかったのですが、数年やっていると、意外と需要がありましたね。

昨年は、紹介されたアルバイトで土日も働いていた関係もあり、日にちと時間が合わず、お断りした依頼も複数ありました。正直申して、アルバイトで働いていたほうが、収入も安定していたのです。ただし暇がない。

もしもこのアルバイトが続いたら、手相見は辞めることになるかもなぁ と頭のどこかで考え初めていたのは正直なところです。

ところがですよ、そんなことを考えたとたん、バイト先の仕事は終了しました。当初の予定が全て終了したのです。ミッションクリアです。

次に希望された業務内容が、施設内某所の整理でしたが、責任者が「その場所には怖くて一人でいられない」と言いながら、私にそれをしろ、と言う内容でした。

最初はやんわり断りました。でもなかなか伝わりません。当初の仕事のゴールが見えてきてだんだんその話が本格的になってきます。

場所が場所だけに「ちょっと氣が進みません」とお話したところ、突然、責任者が「仕事は終了した」と言いました。

延長するならば「勤務時間が今までの半分」になり、またその日の忙しさによって延長がある、つまり時間ははっきり決まらない勤務という条件で、または平日の仕事を辞めて専任するかだ、とも言われました。
詳細は省きますが、その仕事に専任するには不安な材料が多々ありましたし、

勤務時間が当日にならないとはっきりしないというのは、正直厳しいので延長はお断りしました。

今までパソコンのスキルで望まれて是非に、というのでいただいた仕事を無事に完了できてほっとした反面、延長をお断りしたとたん「もともとパソコンなんて必要なかった」と責任者の方に言い捨てられたのは、残念な思いもあります。

単純な言葉の行き違いだったとも思うのですが、信頼している複数の人や夢見でも「もうその場所のバイトは辞めたほうがよい」と告げられていたので、渡りに船だ、と判断しました。

あまりの急展開に、見えない力が働いていると思わずにはいられません。

今から思うと、責任者の方の態度や言葉も普通ではなかったように感じます。

当初の予定を終了したところでしたから「もう後ろは振り返るな、走って逃げろ」と背後霊に促されて、新たな気持ちで新年を迎えよう。

でも、ほぼ一年、そのバイトを通して私は見えない世界を見て、得た知識も少なくありませんでした。貴重な体験です。こんな私を紹介してくださった方や、採用してくださった方には感謝の言葉しかありません。
本当にありがたいことです。

急な終わり方に見えない力を感じたのは、もう一つあります。

バイトを辞めたとたん、手相見の依頼と天然石の依頼が続いたことです。

依頼主からのお礼のメールや近況報告も多く届きました。

堰を切ったように、という表現が合っているかはわかりませんが、続くときは続くなぁと感じました。

ヘミシンクを始めて一年以上になりますが、2014年はこのバイト先に勤めることで、私は前世のカルマをひとつ解消したと思っています。

ヘミシンクの「Hemi-Syncによる過去世(別の人生)探究(日本語版)」で

強烈な過去世の夢を見たときに、このバイトが決まったのです。それも不思議な偶然がいくつも重なってです。

当初は断りに断ったのですが、あれよあれよと決まり、氣がついたら土日その他で95日ほどの短いバイトでしたが、始まりも終わりも、不思議な展開、不思議な力に導かれていたような氣がするのです。

己の直感を信じていいのかどうか、オラクルカードを引いて尋ねてみたら

「あなたは正しい道を歩いています」というメッセージでした。

現在の私のガイド

現在のガイドのお嬢さん

続く、としていていつの間にか時間が経ってしまいました。

どうもこのところ調子が良くないので、ヘミシンク本を多数著作されている「まるの日圭」さんがヘミシンクで「ガイド拝見」をしてくれるというので、依頼しました。

「ヒーリングサロン ネコオル」

今までいろんな方に、ガイド(守護霊)を見てもらった経験があります。

ガイドは、見る人によって見え方が違うのじゃないかと思っておりました。ある人は二列で後ろに多数いる。ある人は光の存在、ギリシャの哲学風な男性、前世からつながる男性…等々。

どれが正しくて、間違いだというワケではない。

ガイドはその時々で交代するものだし、ヘミシンクによると、「見えない世界」がF10-F21という階層で現されるがあるので、その次元によるのかもしれません。

あと、ここがポイント!まるの日圭さんは、見えたガイドのイラストを描いてくださいます。

この記事のイラストの写真がそうです。

そしてA4用紙2枚に及ぶメッセージを記してくれます。

ヘミシンク歴1年とちょっとの私。断片的な経験はしていますが、リアルな体験はまだ。そこでモチベーションを維持したいという理由でお願いしました。

最近の不調に対して「現れた」のは、金髪のボブカットの若い少女。

天使のような雰囲気もあり、小悪魔風にも見える。

胸には緑色の石のペンダントをしている。

メッセージはA4用紙にみっちり書いてくださったが、部分抜粋してみますと

彼女が私に伝えたのは「もっと好奇心をもって、興味の有る事に集中して」

「今から必要なことは、人の言葉に振り回されすぎないようにすることです」

「これから出会う人は、自分と同じバランスを持っている人か、自分のバランスを崩す人かの二種類です」

そうそう、最近忙しくて、ワクワクすることなくなったなぁ。どうしよう?と

思っていたのだ。

ワクワクするものが見つからない。視界に移る世界は色褪せて見えるなとも思っていた。

「人からの誘いも少し考える時間を作って、それから返事をするようにしましょう」

メッセージを読んでいくうちに、

これからの世の中は

一人ひとりが好きなことを集中してやっていれば、人の文句を言う暇もない、良い流れの世の中になるのじゃないかなぁと思うのだ。

それが本当の、アセンション。次元上昇ではないか。

働き方も今までとは違う、産業革命以来の流れがくるのかもしれない。

メッセージからは、今の前面にでているガイドは、私に必要なモノを表現している。

私だけにじゃなくて、世間の人たちに向かって語りかけているようにも思える。

年末年始は時間ができるから、ヘミシンクを聴きながら、自分の内面と向き合ってみよう。

出産の経験は無いが、産みの苦しみに似ている気分を体験中。

私はもういちど、私を生もうとしている。

まるの日圭さんは、「ヘミシンクのある暮らし」というブログも開設しています。

興味深い記事も多いので、興味のある方はいらしてください。

師走、始まる

写真は、11月12日午後に友人が撮影した、「縦にかかる虹」です。お許しを得たので、載せておきます。クリックすると大きな画面になります。ほぼ中央にうっすらと虹の塔が見えます。

私には神さまが立っている姿にも見えます。

アブナイ?ですか。

今年は私、虹を直接見ることはできませんでした。お知らせを受けるのみです。それも不思議な虹が多かった印象。これは、宇宙から地球へ降りてくるエネルギーが違うからなのかも、なんて考えています。

それとも、皆、空を見る機会が増えたし、携帯電話にカメラが装備されているからでしょうか。

今年の、手相見のテーマは、「夫婦」だったような氣がします。

以前、ブログでも書いたような氣がしますが、今年を振り返って、もう一度記しておくことにします。

夢で見たのは

ある夫婦がいて、夫を変身させて妻も変身する という内容。

これから、相手を変えよう!と思ったら自分も変わらなければならない。

相手NG、自分はOKではくて

相手NG は 自分もNG なので

相手OK=自分OK なことを考える。

相手を変えられないのならば、今の立場から退くか、先に自分を変えてみることが必要なのだろう。

夫婦とは、人生の高度な修行だと聴く。

どこまで譲歩できるか、どこまで相手を思いやられるか、が日々試されているのだ。

夫も妻も、究極のサービス業と言えるのだろう。

自分や相手の要求が大きくなれば、どちらかが我慢を強いられたのなら、そこに「愛」はあるのかと

問う。「愛」は維持するのに、お互いの労力が必要だ。育てて、維持し、守るのにはテクニックが必要なのだ。

究極の愛は見返りを求めないことだ。

どんな目にあっても自分が相手の幸せを考えられるかどうか、だろう。

打算が働いてしまうのもしかたない。でも、精神的に病んでしまいそうなら、逃げてもいい。

夫婦というのは、一つの修行をクリアしたとして、縁が切れることもある。

【愛】から【情】に意識が移っても、修行仲間であることを意識すれば、相手もOK、自分もOKな方法を考えてみる。

迷っているときは、離婚という選択肢は選ばないこと。回避策をすべてやって見たけど、ダメだった。

全てやって見たけど徒労に終わった。やるだけやってダメだった!

と思ったときに次のステージが用意されていると私は思う。

しかし、今年のテーマを振り返ると、「大人な」内容が多かったが

自分で道を切り開く方も多かった。

少しでもお役に立てたのなら、手相見していて良かった。

あと、近所のスーパーで売られている たこ焼き屋さんで、初めて「ネギマヨネーズ たこ焼き」を購入して食したところ、激ウマでした。そのお店は老舗で普通のたこ焼きも美味しいのです。そのたこ焼きの上に刻み長ネギとマヨネーズがたっぷりトッピングされていて、これがとても香りよくて美味。普通のたこ焼きよりも50円ほどお高いのですが、しばらくやみつきになりそうです。

ネギは健康に良いし、風除けにも効果有り。

美味しいものが食べられて幸せ。

怖い夢

手相見として、人の念がとびかう話を多く聞いています。

今日は、先日あったお話を多少加工して記しておこうと思います。

私は、手相見以外に、天然石オタクが高じて、天然石アクセサリーというようなモノも作ってます。最近は男性の方からも依頼を受けることが増えました。

数年前は男性の願い事は、仕事運、金運がメインでしたが、この1,2年は恋愛、結婚の願いも増えました。天然石のブレスレットひとつで、石が彼女(または彼氏)を連れてくるなんてことは、まずありません。工具をただ持っているだけでは、家が建てられないように、使わないと始まらない。使う、つまりブレスレットを目にすることで、意識を向けて行動するということが必要です。

背中を押してもらう、天然石自体には力はなくても、働きかけるパワーが宿っているのです。

さて、数年前に、H田君という男性が、「煉さん、恋愛に聞くアイテムを作ってよ」と言ってきました。

恋愛運を希望するのは圧倒的に女性が多いのです。女性向けならローズクォーツやモルガナイト、クンツァイトにピンクトルマリンという、ピンク系の石を使いますが、男性にローズクォーツを用いると、願い事が周囲に一目瞭然。

女性から見て、恋愛運があがるかも、な石を身につけている男性が魅力的に映るとは思えない。

万万が一、魅力的に見えて女性が寄ってきても、確率は低いと思えます。

願い事は、ひと目で周囲に知られないように、組むのが私の基本。

一口に恋愛に効くというのも切り口は多いのです。

好きな女性を振り向かせたいのか、誰でもいいから彼女が欲しい?のか、今つきあっている女性と結婚までいきたい?のか。

などなど…それによって使う石を選びます。

H田くんは、好きなコがいるんだけど… というので、今一歩関係が進む石がご希望というので、私は石を探し始めました。

その夜、不思議な夢を見ました。

夢の中で私は、怖い夢を見るのです。髪の長い女性に襲われるというのか、詰め寄られるというのか、相手は幽霊…生霊と思い当たります。

夢の中で「眠ると怖い夢を見るのでなんとか、祓わないとならない」と私は思案しています。

夢の中で夢を見ていた、という夢オチのような話でしたが、気になりました。

後日、H田くんに会って、石の話をしたとき、ついでに聞きました。「今、付き合っている人いないよね。前の彼女とはきれいに別れたの。次、行ってもいいの? 」と。

H田くんは、すごく驚いた表情をしました。H田くんは別れたつもりでも、彼女のほうが未練アリで復縁を望んでいるようだという話です。

死霊より、生霊はとてもやっかいです。念を飛ばしている本人には自覚がないからです。

祓うのも大変だと聞いています。

H田くんには、地元の神社に行ってお参りするようにと言い、ブレスレットには水晶単品のものをしばらく身につけてもらって、その後に「次行こう~」の恋愛運を引き寄せる石で作りました。

仕事ができて魅力があれば、女性は惹かれると思うのですが。

仕事ができる、コミュニケーション能力が高ければ、女性にはモテます。

女性にモテる男性は、仕事でもマメですね。

マメで気配りができれば、男女問わず、モテます

 

手相見のつぶやき

私は手相見。手相鑑定や占いとは違うと自分では思っている。

手相は自分自身の内面を表すものであり、予言ではないからだ。

手相を見始めて、代価を頂戴するようになって、5年め。その数は先日3桁になった。

専業の方には及ばない数だが、こんな小さな街で、この数まで見ているとは思っていなかったな。

手相見で代価を得ると決めたとき、心の師匠から言われたことは、「他人の未来を読むことは、野たれ死ぬ覚悟をすること。嫌なら今までどおり趣味で見なさい」。当時、失業中の私は思いがけず、手相見で代価を得ても、まだ迷っていた。未来を見ればみるほど、その代償は体にくる。見れば見るほど、視力は落ちるし。

けれど、口コミで依頼は途切れずにやってくる。忙しすぎず、暇すぎず。絶妙なタイミングだ。

自分ではたいしたことないと思っている手相見を必要とされている。

そこで私は守護霊に願いをかけた。「これから、運の良くなる人と縁をおつなぎください」と。

たかが手相見、自分の開運も及ばないのに、他人様を幸福に導くことはできないが、探すお手伝いはできるかもしれない。そう、探すだけは。

口コミで、紹介されても、連絡がつかないままの縁がつながらない、日程が合わない場合がある。私と会って手相を拝見させてくれた依頼主は、私の背後霊が「OK」と判断したと信じている。

手相を見て欲しいというのは、どんなときだろう。

未来の楽しみを自分に見つけるため。苦しい今をなんとかしたいから?

今が苦しいのは、「今のすごし方のままではダメだ」と自分でわかっているからだ。

手相をたどりながら、可能性を探す。

アレはできない。コレはしたくない。ワカッテいるけど、やりたくない。というのであれば、今の苦しみが楽なのだろう。変わりたいけど、変わりたくないのだ。

助けて欲しい、何とかして欲しい。でも自分ではしたくない。というのであればとことん、苦しみや悩みに浸ってみる。

本当に苦しいならば、そんなことは言っていられないから、やるしかなくなるのだ。

自分が変われないのに、周りに変われ、なんていうのは無理。

どんなに辛くても、隣の人がうらやましくても、その人にはなり代われない。

昔、趣味で見ていた頃、「どうして無料で見てくれるの」「どうして良いことばかり教えてくれるの」と訪ねられたが、責任がなかったからだ。

見料をいただけば、もっと深い部分も見なければならない。責任も出てくる。

見立ての結果が不本意の場合は、罵倒され、恨まれる場合もある。最悪刺されてしまうかもしれないのだ!

お遊び、趣味の延長でいるならば、言うほうも聞くほうも責任がない。

ずっとコミュニケーションツールとして、手相見をしていくつもりだったのだ。

…ずっとそう思っていたのだが。

病になって、職を失って、氣がついたら、私は手相見をしていた。

手相見をやめて、暮らしていこうとジタバタ、セカセカあがいたけれど、ものの見事に世間様の「普通」から弾かれて、現在に至る。

見えない力を感じるなぁ。

依頼主の方へ

今がつらいのなら、耐えるか、動くしかない。

私にはなにもしてあげられない。依頼主が自分で動かないと、変わらない。

確実に言えるのは、他人を変えるのは難しいということだ。

リピーターさんも増えてきたけれど、先に拝見したときと、状況が変わっていない場合は、拝見するのをお断りする場合もある。

その人の未来に必要な苦しみがある。苦しみを自分が欲している場合がある。次の扉を開けるための苦しみだ。

苦しみを経て、見えるものがある。

私が、手相見へと導かれたように。
 

 

雑感いろいろ

先日、帰宅途中にちょっと目つきの怪しい男性とすれ違いそうになった。妄想力のたくましい私、昨今のニュースを見ていて「いきなり殴られたらどうしよう」と目線を合わせないように、そらしたのであるが。

はたして、彼は私の頭上を見て、ひどく驚いた(あるいは怯えた)表情となり、私の横を駆け去って行ったのだ。驚いた私は、すぐに振り返ったのだが…広い道路のどこにも、男の姿はなかった。

そういや、彼の顔色、悪かったな。そういや奇抜な配色のジャージ着ていたよな…。ま、昼間でも見える存在もあるしということで。

さて、この数日前、自宅でテレビを見ていたところ、壁に貼っていたポスターのテープが外れていたのに気がついた。

テープは数枚、空間に垂れていたのだが、その一部が激しく揺れていた。とっさに私は地震が来たのかと身構えたのだが、周りのテープは揺れず、一つのテープだけが左右に激しく揺れている。風もないのに。不思議なものだと思っていた。

日を違えずに、母が、台所に吊るしているカーテンが、風もないのに揺れるので不思議だった、と語る。猫たちも寝ているし、他の部分が揺れても良いのに、まるで誰かが触れているかのように一部だけが動いたので、氣になってずっと見ていたとか。

お彼岸も近いので、亡父が帰宅しているのかもしれないと話して終わった。注意深く見ていると、物理的な動きが違うと言うか、心のどこかで違うと思えるような動きをしている存在がある。これは気がつくかつかないかという感じ。猫が変な鳴き方をするとか、耳元で変な音がするとか、「あなた病気では?」と言われることを恐れずに記しておくが、世の中は案外、不思議なことがあるものだ。

先日、お会いした依頼主から、「未来を見る人はたいてい左目の視力があまりないんだそうです」と聞いた。

私は明確に未来を見る人間ではないが、左目は弱視だ。若い時は右目より左目のほうの視力が良かったのだが…。いつからか左目は視力矯正ができない弱視と診断されたのは、手相見を始めた頃だったかな。

不思議な話といえば、過去に一度だけ立ち寄った喫茶店のコーヒーは夢のように美味しかった。

いつでも飲めると思っていたが、そのうち、喫茶店は閉店してしまった。それから、あの心のそこから美味しいと思ったコーヒーの味にめぐり合えないままだ。

いつでも、なんてこの世には存在しない。今しかないものがある。

不思議の出会いは蟲(むし)


「蟲師(むしし)」という漫画作品を御存知だろうか。アニメ化と実写映画化もされた名作である。当初、私は背表紙のタイトルから「虫がいっぱい出る作品ではないか」と長い間、横目で通り過ぎていた。

昆虫の虫ではなくて子供の夜泣きに使用する宇津救命丸で例えられる「カンのムシ」を御存知だろうか。

他にも「腹のムシが治まらない」、とか「あいつはムシが好かない」、「ムシの居所が悪い」などと使われる、目には見えないけれど、人間に作用する不思議な存在のことだ。

私の母の祖母、私から見ると曾祖母が、この「カンのムシ」を子供から追い出す呪(まじな)いができたらしい。墨に塩を加えて、手のひらに呪文を書き、気合一喝、「えいっ」っと声をかければ、手の指の爪の間からニョロニョロと細く白い糸が出てくるという。そしてたくさん出た子供の夜泣きは治まると言う。

昔、ある学者が調べたけれど、詳しいことは解らなかったと言う話を、「ふしぎふしぎ雑学事典」(毎日新聞社刊行 1978年 絶版) で読んだことがある。

このカンのムシの呪文は、曾祖母から引き継いで、母が18歳の頃、自分や弟の手に施し、カンのムシをたくさん出した、という話を聞いて私は育った。思えば不思議との出会いはそれが最初だった。

母は、数十年前に身に着けた呪(まじな)いをすっかり忘れてしまって、今はできないというので、私は施されたことがない。「蟲師」の映画化のさい、この話を友人にしたところ、友人の祖母が同じように、まじないをかけ、歯痛のとき、ムシを耳から出したことがある、と語ってくれた。

ムシはその絵が、現在に伝わるほど、たくさん存在したらしいが、今はどうなのだろう。灯りが街に満ちるようになって、闇が消えてから「不思議な存在は」目に映らなくなった。

次に、早世した叔父が、怪談の名手であったことが、私を不思議な話に対する道しるべとなった氣がしている。

怖い話が好きなのは、心の闇を見ることができるからなのか。

なぜ、今頃になってまた「蟲」の話を思い出したかというと、昨晩、パソコンの前にいると、左耳に人の吐息の音を聞いたからだ。

左側は、壁しかないのだが。脳の誤作動かもしれない。

昔の人はそういう、「割り切れないもの」「不思議なこと」を「蟲」とたとえて表現していたのではないか、と思い当たったからだ。

蟲とは人の感情であり、念かもしれない。

しかし、母は実際、まじないで「カンのムシ」を出してみせた。

今は科学万能だ、と声高に話す人は少なくなったと思う。

科学の解明できていないものが存在する。

その最たるものは、人間の心だ。

10年前に、液晶は白黒で、現在はカラーである。科学の進歩は目覚しいが、人の心は数千年の間に進化したとは思えない。心理学で理解はできても、制御は難しい。

理屈でわかっていても、職場の人間関係、嫌な仕事を続けているとストレスで体を壊してしまう。

不思議は、人の心の中にも多くある。

準備ができた時に見える

 

先日、ヒマラヤ山脈の水晶がたくさん、手元に来て、ひとつずつ、丁寧に見て、浄化した。

すべてきちんと見た、と思っていたのだけど、今日、あらためて見たところ、一点、両剣水晶が在るのに氣がつきました。あんなに一点ずつ確認していたのに、なぜ見落としていたのだろう。注意深く見ないと氣がつかない形状だったとはいえ、必要な存在は準備ができないと、視界に捉えられないものなのかもしれないと思いあたった。と同じくして、虹が今まで見えなかった水晶の中に映えるようになったのも、不思議な話である。

目に映るもののメッセージとして捉えるか否かは、その当人に受け入れる準備ができているか、にかかっている。私と手相見の縁が繋がった人、縁の切れた人にも意味があると言える。

話は変わるが、行きつけのドラッグストアで、「新発売のハンドクリームがあるんですよ」と奨められて、テスターを試させてもらった。化粧品メーカーの薬用ハンドクリーム。美白効果有りとか。

いったん、帰宅したが、数時間を経て確かに保湿力もあり、手の感触も良かったので、再度店に足を運んで購入した。

私は今までハンドクリームは市販の薬メーカーの薬用品を好んで使っていたが、深く考えずとも、手相を拝見するに当たり、手を添える。手は商売道具のひとつである。今まで他人様に褒められたのは手しかないと思いあたった。

他人様に「運は手から入って、手から出るので、お手入れしてくださいね~~」なんて伝えているのだが、「自分はどうなの」って。

最近、あまり手に氣を配っていなかったかも。これは、天からのメッセージに違いない!ということで買いました。床に着く前に塗って、マッサージし、絹の手袋をしてから寝ると…。

すると、今までになかった良い感触だ。お値段だけはある。お値段1575円。購入したお店ではポイントサービスがついて、おまけもいただいた。

これからの手相を拝見する方のため、天然石に触れる手を大切にするために、さらに一歩進んだお手入れすることにする。

お手入れは、自分自身のため、依頼主のため。