
幸福を 占いとか直感とか、天然石にて探査中
写真はアクアマリンの原石です。地元の閉店セールのお店でお宝発見。購入しました。
気分的に忙しいため、更新が滞っております。
にもかかわらず、まめにブログに来てくださり、皆様には感謝の気持ちしかありません。
印象に残る夢を続けてみているので、備忘録代わりに記しておこうと思います。
■自分史上、最大に広い部屋に住む。室内にはスタイリッシュな机と椅子。椅子の後ろに大きな窓があり、立派な隣の家が見える。天候は晴れ。家の中のドアは開き、風通しがとても良い。
■別の日の夢。すごく大柄な男性が訪ねてきて、無言のまま文字の書かれたメモを見せる。私は声をあげて読みあげるが「眼が覚めたらきっと忘れてしまうなぁ」と思っている。起きて夢日記に記しておけば、よかった。起きたとたん、忘れた。これには今も後悔している。
■夢見ではないが、とにかく眠たい。生霊が飛んでいるのか、飛ばされているのか。よくビデオで赤ん坊が眠たいけれど食事もしなくちゃ、という映像があるが、あんな感じ。眠りの神に取り付かれているようで、ヘミシンクもお休み中です。
週末は、今使用中の携帯電話が古くなってきたので、スマホとタブレットの見積もりをしてもらうために、携帯電話のキャリアを周って、見積もりしてもらいました。
考えてみたら、そんなに忙しい身分でもないので、壊れるまでガラケーを使っていたらいいのかもね。
乗換に一番、太っ腹だったのは、キャッシュバック攻勢の「白いおとうさん」で有名な会社でした。でも一度、そこにして痛い目を見た私としてはどうしても、今すぐ乗りかえる勇気がありませんでした。
かと言って、今の会社も「家族割り」「U25」の恩恵も受けられない私としては、悩ましいところです。こんなことで悩んでいるなんて、自分の脳内どんだけ平和なんだ?と思います。


世の中お盆です。更新がないので、忙しいとお察しの方、いらっしゃいますか。
「まだ、手相を見ているんだぁ」と旧知の方に言われました。「まだ」とは、どういう意味?なんて深読みしません。私自身も「まだ」見ているんですよ、と答えます。趣味の延長線で見始めて、依頼があれば、「まだ」見ている。そんなところです。見料を頂戴して、手相を拝見したあと、お礼のメールをします。
少し前から、氣がついたのですが、メールの時にひとこと、ふたことアドバイスというか、追加の文面を記すことがあります。あれはいわゆる「降りてきた」言葉のような氣がします。
御礼のメールの後、ほとんど全ての方が、返信をくださいます。
今まで拝見した3桁の依頼主で、メールをさしあげて返信がなかったのは、お一人だけです。
その方は私の拝見結果にかなりの不満を、面と向かって告げられたので、相性が合わなかったんだなぁと思います。数年後、同じ方から手相見の依頼がありましたが、相性もあるので、とお断りしました。
手相後のメールでも、なにか感じることがあります。
メールのやりとりから、すでに運気を読み取る作用が働いているのかもしれません。
基本、紹介いただいた方はご縁があるので拝見しますが、二度目の依頼主は、選びます。
手相は、依頼主の内面を見るもので、その先に運気の展開を見ますから、今まで拝見した方の人生や考え方が、私に力を貸してくれると思っています。
事業をされる方、幸福を願われる方には、私の持てる限りの知恵を示して、良いほうへ向かっていただきたい。
何年にもわたって手相を拝見している方に、「言われたときは、”なんだ?違うんじゃない?”って思っていましたが、今なら、あのときのアドバイスの意味がわかります」と言っていただけたとき、「そういうこともあるんだなぁ」と他人事のように思いました。
誰もが幸せになりたい!と思っていて、うまくいかない、と思うなら、それは自分自身を省みる機会がやってきたのです。他人を変えることは難しい。自分自身を変えて、他人を変えることのほうが、少しは易しいのです。
長年見てきた中で、幸福を引き寄せる人は、謙虚な人、フットワークが軽い人。良いといわれたことを、すぐに試してみたり、自分の生活に取り入れる行動をする人です。
わたしが手相を見る人には、回りまわって、幸福が訪れますように。といつも願いをかけています。
縁をつないでくださった皆様、ありがとうございます。
忙しい上に暑くて、更新も滞っております。
はやくも立秋となり、今年の年末も見えてきました。
今から10年ほど前ですが、まだ見料を頂戴せずに手相を拝見した知人がおります。その後、没交渉だったのですが、近況を意外な方からいただきました。「よろしく、と話してましたよ」とその方は近況を教えてくださったのです。
世間一般的な常識から察するに、年齢的には可能性は低かったでしょうが、その方の手相には「出会い」が刻まれていました。その出会いを目指して自分を磨いてください、と伝えておりました。
「自分磨きをがんばります」というメールを頂いたので、覚えていました。
運命の人と出会い、幸せを築く機会を得られたこと、とても嬉しく思います。
新しい人生の展開には、山もあり谷もあることでしょう。でももう一人ではなく苦楽を共にするパートナーが傍にいること、うらやましいです。
幸せにしてもらう、のではなくて、幸せになる、日々を紡いで過ごされますように。ご健康とご多幸をお祈りしています!
今度、お会いすることがあれば、見料…じゃなくて、お茶を一杯ご馳走してね(笑)。
本日、午前零時をもってお借りしているサーバーでsql4のサーバーが停止のため、見よう見まねでデータをエクスポートしたり、インポートしたりしてドキドキしましたが、とりあえず、sql5のサーバーへデータが無事に移行できたようです。で、ブログは見られるようです。良かった良かった。最悪、ブログをまた一から始めるのもしんどいので、ほっとしています。
長く生きていると、つらいときや面白くない場面に遭遇するときがあるわけですが、そんなとき、私はもうずいぶん昔に、つかの間、同じ職場で働いていたMさんを思い出します。
その職場で任用期間が満了した後、Mさんと再会したのは、ハローワークででした。その職場で私は「臨時事務主事」という短期の臨時職で働いており、Mさんは上位職の秘書というお仕事をされていました。その仕事ぶりや落ち着いた物腰に、同年代だった私は、密かに憧れを抱いていました。
ハローワークでお会いしたとき、Mさんが上位職の方々の「私設秘書」の立場で(上位職の方々がお金を出し合って、私設に雇っていた。職場の直接雇用ではなかった)ということを知りました。
私設ゆえに、お給料は私がいただいたいた臨時職のお給料よりは少なく、仕事内容は多岐にわたり、多忙だったことを聞きました。当時、普及し始めていたパソコン技能を習得しないなら辞めてほしい、と言われて、職を辞してハローワークに来ていたのです。私には雇用保険がありましたが、Mさんは私設雇用だったため、雇用保険には入っていなかったようです。
直接お話したのはその時がはじめててでした。
帰り道、立ち寄った花屋で、Mさんは薔薇の花を買いました。
正直、ハッとしました。失業中の身の私は正直、花を愛でる心の余裕がなかったからです。
Mさんの、育ちの良さというか、粗雑な私とは感性の元が違うのだなぁと思ったのです。
うまく表現できませんが、苦境に立ったときに、自分に優しくできる余裕があるかないか、で人生の質が変わってくるのだろうと知りました。
仕事がうまくいかないとき、つらいことがあったとき、自分を責めるより、ちょっと優しくして、明日への鋭気を養うことって大事。それは贅沢ではありません。
そして、傍目から見て、わからない仕事のつらいことや、逆に喜びもたくさんあるのだということ、そしてそれは、見ようと思わないと、見えないことなのだと、Mさんを時々思い出します。
Mさんとはその後、短期のアルバイトで一緒に働く機会に恵まれましたが今はお付き合いしていません。お元気でいらっしゃることを祈っています。