寒いのにサムい話

6月も下旬ですが、我が家ではストーブ点火してます。天気がパッとしないせいか、体の調子も良いとは言えない日です。これがプレ更年期、いや更年期真っ最中ってことでしょうか。 先日、母が入浴中に、声がして、浴室の方からドアが開く音とともに足音がし聞こえました。

母がなにか忘れたのかと思い、私が浴室へ向かうと、誰もいません。念のため浴室のドアを確認しましたが、母本人は湯船に浸かってました。空耳というには、明瞭な音、そして比較的長い時間に聞こえた音です。

なにか見えないものが来られたのでしょうか。

我が家の飼い猫たちが時々、耳をすませ、換気扇を凝視することがあります。以前、読んだ本に、霊は換気扇やドアからやってくると、ありました。壁をすり抜けるというのは、あまりしないようです。

今回は浴室のドアからおいでになったのでしょうか。

その翌日から、私は急に背中に痛みを感じています。お香を焚くと痛みは楽になりますが、すぐに痛みが戻ってきます。

夏至から世界の空気や波動が変わっていくというので、私の体にも影響が出ているのかもしれません。

 

ヒマラヤ水晶…氣になってます

ワイヤーワークの研究中で、新作を作ってません。更新もカメ更新です。私は今までたくさん、天然石で、ブレスレットやストラップを作ってきました。実際、個人で趣味の延長からスタートしたので、依頼に応じて、合う石を、予算とつきあわせながら、ネット上を回って時間を費やし、注文してという細かい作業も、全く苦にならなかったのです。喜んでくださる依頼主の、嬉しそうなお顔の前には。

でもそれは結局、自己満足だったようです。石は「物」であって物ではなくて「仲間」です。身に着けて「力を貸してもらうもの」協力してもらっているので、時たま、お礼に浄化します。石と意思の疎通が、願いを叶えるうえで不可欠だと思っています。そこが解っていないと、どんなに高価な石を身に着けても、満足は得られないだろうと思います。

さて、今まで皆様のおかげで個人では決して叶わないだろう数の石や種類の石に出会えて幸せだったのですが、そういう願いごとと石を組み合わせているうちに、ふと思ったのです。やはり「最強」なのは水晶だろうなぁと。一粒数千円の高価な石を身に着けるのももちろん、ありですが、基本に還ってパワーストーンを世に知らしめたのは水晶。それも大き目の水晶が、一番、パワフルなのではないかって!!

先日、依頼してくださった方が「丸玉の、シンプルなのが欲しいです」と言ってくださって、天からの啓示のように、私は氣が付いたのです。色のついた石のブレスレットはさりげなくくファッションとして身に着けている(が、願望成就あり)にいい。

でも、本当に、石の力を前面に借りたいのなら、水晶だよねぇ!!ブラジル産の水晶は透明度が高くて品質も良いけど、世界で一番高い場所で採掘される、ヒマラヤ産の水晶には、なにか不思議な力が宿っている。それは宇宙に近く、大地に近く、あらゆる氣を封じているのではないか??と思っている。

そんなわけで、ブラジル産の水晶よりも高額なヒマラヤ水晶の大粒10ミリ珠か12ミリ玉で銀のパーツをあしらって、パワフルな水晶ブレスレットを作ってみたいのだが、お高い水晶なので、まとめて仕入れたい。それには他に希望者がいらっしゃるとありがたいので、氣になる方、ぜひともお声をかけてください。

アゼツライトよりはお安く作れるのでは、と思いますが、賛同者の人数によります。

 

 

お断りします

先日、昨年手相を拝見した依頼主に、買い物の途中でお会いした。

依頼主は、悩み事があって、天然石のブレスレットも依頼してくださった。

お元気そうだったが、ブレスレットは身に着けていらっしゃらなかったので、「調子はいかがですか」とお尋ねしたところ、「今、私の周りに天然石はないんです。すべて他人に譲りました。そういうのに頼らないで生きていこうと決めたんです」というお言葉で、その人は次の段階に進んでいるのだろうと思われる。その方は手相を拝見したとき、聞いたところによると、それまで手にした天然石などは、不要になるとゴミ箱に捨てていたという、ワイルド(バチアタリ?)なお人だったのである。

今回は他人に譲ったと聞いて、安堵した。

その人にとって、石は願いを叶える「物」であって、「仲間」ではなかったのだ。遅かれ早かれ、手元から石は離れていったことだろう。

その人はこうも言った「私、手相は変わっていないと思うんだけど、また煉さんにみてもらおうかナ」

「あ、では、お断りします」と私。

手相が変わっていないのなら、見る必要ないではないか。だって私は「手相見」だから。その人は以前、困ったとき、迷ったとき、プチメールを何度か送ってきて、私もマメに返信した。

そのとき こうも言った「煉さん、お客さんを選んだほうが良いですよ」

そのとき、苦笑したのを覚えている。

私が良かれと思って選んだ石や、返信が、彼女の身にならなかったのは、私の力が及ばずで、非難されてもしかたない。

私は、私を必要としている人にだけ、縁が繋がると信じているので、依頼主とのご縁がずっと続くとは思っていないので、依頼主からのメールもアドレスも、3ヶ月過ぎると消去している。

見料を頂戴するようになってから、たまに「カンタンに見てよ」という方に会うが、お断りしている。「未来を見る代償」を覚悟しているのに、さくっとなんて見れない。「カンタンに見れないの?」「そんなに考えなくてもいいじゃん」などと言われることがあるけど、それは天との「お約束」だからしかたない。

金曜日の朝から、急に背中の肩甲骨下あたりが痛み出して、思わず「脱皮中…?」という言葉脳裏をよぎった。

そうだ、現在私は脱皮中。

 

記事タイトルをクリック願います

最近、アクセス分析をしていると、どなたかが集中的にブログを読んでくださっているのがわかって、驚いています。

このブログは、以前別のソフトでつづっていたの記事をインポートして新しいブログソフトに移しているので、過去記事2012年1月以前の記事をお読みくださる場合は、記事タイトルをクリックしてくださると、行間などができて、写真も表示されて読みやすくなります。お試しくださいませ。内容に一貫性がないのは、本人と同じ。でもたまに「ブログ内容を実践しています」と声をかけられると、嬉しいです。

自称、幸運探査人です。

最近、ニュースで「脱法ハーブ」関連の事件を見聞きします。

手軽にハイになりたい、今までで体感してない刺激が欲しい、興味本位で手を出す人が多いのでしょう。私は自分自身がそういう誘惑に弱い人間だと自覚しているので、そういうものには近づきません。お酒は好きだけど、酔うほど好きじゃない。ある刺激が脳に快楽として刻まれると、脳はそれ以上の刺激を求めますね。日常生活も、極端な話占いもそうなる可能性があるのではないでしょうか。

私が、短期間で同じ人の手相を拝見しないのも、そんな理由からです。

依存してしまうのは、自分自身の考えに自信が無いからでしょうか。そんな人間を責められません。だからこそ、人間の歴史の影に占いが存在したんですね。

私自身は手相は見ますが、未来予知ではないと思ってます。未来予測?いえ、あなたの望んでいる未来を読むだけです。

答えは自分の深いところで、もう出ているのだと思っています。

以前、本で、人間の脳内で作り出される物質、脳内麻薬以上にハイになれる物質は存在しないと聞いたことがあります。

自分の脳内で、作れるなら、作り放題!ま、そんな単純なものではないでしょうが…。

6月、世界の空気がクリアになった氣がしています。

ツイテいたもの、離れてくれたかな?やはりお香は効きますね。

気分転換には、気に入った香りを傍におくのが一番、お手軽です。

 


手相見は心配性

手相見とは、手相に刻まれた運勢を読むものである。他人様の人生に「点」でかかわる仕事なので、いろいろな事案に出会う。ブログで体験談を話すときも氣を配る。昔になるが「○月×日のブログの記事、あれって私のことですか」とかいうメールが来たこともある。個人を特定していなくても、氣になる人には氣になるのだ。そのときは、別の方を想定していたので、「違います」と返信したと思う。

「たまに会ってください」というメールもよく頂戴する。手相見やその他、天然石の相談事であればお会いするが、そうでない場合はお断りする場合もある。その逆もあるけど。

今は便利な時代なので、検索で、このブログにたどり着いて下さる方も増えた。たまに私も検索の元になったページを訪問する。

このブログでも以前に書いたと思うが「子育てブログ」に自分の子供の写真を載せている方を見かけると、すごく心配になる。

どうしてかというと、ここで話すと長くなるので、「ブログに子供の顔写真」というワードで検索すると、「警視庁が注意を喚起」やら「老婆心ながらブログに子供の顔写真」について危険だと注意しているページがたくさんあるのに気づくだろう。

自分のブログに子供の顔写真を載せるときは、SNS内だけにするとか、パスワード付きにするとか、まずは親がイロイロと考えて防犯する必要があるのでは。

「自分の子供の顔をたくさんの人に見てもらいたい」という人もいるだろうが、親の顔写真も載せていないのに、子供はいいのか。そのうえその写真に、他人のお子様の顔まではっきり映っている。

世の中には、ネット上で子供の写真を採取している「その趣味」の人も多いと聞いている。

「だいたい、私の子供の顔なんて、見に来る人が限られているでしょう。心配しすぎ!」と言うかもしれない。

写真の情報量はあなどれない。子供の顔写真ひとつから、親のプライバシーまで特定される場合も多いと聞いている。

昔、メールで注意したら、当初は写真の撮影方法も配慮が見られたが最近また顔出し写真が…。もう何も言えない。

モヤモヤするので 自分のブログでつぶやいてみた。

心配しすぎかなぁ。でも右クリックひとつで写真がパソコンに保存される時代だよ。かわいい子供の写真が、「趣味の人」のパソコンに保存されて言葉はお下品だけど「オカズ」にされていたり、媒体にコピーされて…広がるのを止められないんだよ。怖いよね。

数年後に子供が大きくなって意外なところでその写真が使われていたら?考えすぎと笑うかもしれないが、実際そういう事件がないわけでもない。どうしてもブログに使いたいときは、目の部分を目隠しするとか、処理して使用しているブログも多い。

可愛い、自分の子供の写真は、友人、知人にメールに添付して送信したほうが安全である。

人の人生を読むのはいつも緊張する。私の手相見は必要とされている間は続けるだろうけど、いつも自問自答している。

そういう配慮というものも、占いやリーディングする人間にはとくに必要だと思うのだ。

ま、こういう心配性なヤツってことだ。

 

霊符の話

ひさしぶりに良い天気です。でもまだ風が冷たいですね。本日は、なにかとお尋ねが多いので、私が手にした本のリンクを貼っておこうと思います。この本の良いところは、切って使える仕様になっているところです。欲の深い私は、切って使うより、見て書くほうに使用しています。練習を兼ねてまだまだ修行中。お値段もそんなにお高くないし、お札一枚買うよりは、「試してみよう」という人には良い本ではないでしょうか。ひとつ注意があれば、霊符ですから、ゆめゆめ軽んじて扱ったりしませんように。それからお札は「開眼の法」を要します。

自分で試してみよう!と思われたなら、一度は試すのもアリです。自分で書けば(買えば)お安いですし。

私は入浴後に、手を洗い、口をすすいで、一気に書きますが、それでも5枚がいいところ。5枚書いて「使える」と思えるのは一枚くらい。

同じ用紙に同じ筆ペンで書きますが、不思議と滲んだり、筆が止まったりして「会心の一枚」までの道のりは遠い。切って使えば、いいのでしょうか、欲深い私としては、身に着けたい。専用の道具として、筆ペンを使用しています。最近の筆ペンって書き味が予想以上に良くて、使っていてもストレスをあまり感じません。習うより慣れろって感じかなぁ。

氣のせい、って生活では大事です。この数ヶ月 腰周りが重く感じていたのですが、軽く感じます。ダイエットに成功したのか?とも思ったのですが、「重苦しい氣」が無くなったと言う感じです。

生霊が離れて行ってくれたから?

気圧の関係?どちらにしても良かった良かった。

5/25日追記

Firefox12でこの記事を読むと、「呪術・霊符の秘儀秘伝(実践講座)」大宮司朗 著 のリンクが表示されない…という不具合を確認しました。IEで確認すると、見える。Firefoxのブラウザの更新ボタンで再表示されました…。けども 本の内容が内容なだけに、氣になります。

 

石を失くされた方へ

091210_石

自慢にもならない話ですが、私の作ったものは、失われる方も少なくないのです。不思議なことに、「この石、たとえばローズクォーツが好き!ローズクォーツが良いの!!」といって求めてくださった方がいらしても、どういうわけかすぐ、ワイヤーが切れる、紛失する。

傍から消えちゃうという経験をされる方がいるのです。

石が手元から無くなるというのは、高価な石、気に入って手にした品なら落胆も大きいことでしょう。私にも経験があるのでわかります。

覚悟して購入したタイチンルチルで作ったストラップを、身に着けて数時間で紛失したときなんて、蒼くなりました。

でもまぁ、これは神様(天)に奉納したと思って、納得しました。皆さんにも、相談のメールを戴くたび、「心配要りません」と伝え、すぐに新しい品が欲しい、切れたストラップを直して欲しいというのが数度重なった場合は、必要な石が変わってきているのではないかと思うのです。

 

天然石がブームになったのはこの十数年のことです。宝石が女性の装飾品となった歴史は意外に浅く、いにしえより石は信仰の対象であり、タリズマン(守護符)でありました。自然界から生まれた、美しい石の輝きと強さ、不変さに人間を超えた存在として、パワーを感じてきたのです。

この世の全てが原子から成り立っていることはご存知でしょう。

宇宙を知っているなら、人間も星のかけらであると理解できるはず。

私の尊敬するスピリチュアル・ヒーラー 山村幸夫さん(故人 1962-2002)の著書

「神からのギフト」にも石の話があります。

部分抜粋すると

「石も神の分霊(わけみたま)として霊が宿り、彼らなりの修行をしているからです。(略)進化の段階の最初の石の中の霊にとっては、いま居る その場所が、最も居心地のいい修行の場なのです。会社員でもいきなり会社の命令で転勤になったら、新しい職場になじめず、ストレスを抱えて病気になっていきます。」

「もし、旅先で、好きな石を見つけ、どうしても持ち帰りたいときは、そこの土地の自然霊に向かって祈りを捧げてください。

『私は、この石にとても感動しました。大事にしますので、どうぞ、私の物にするお許しをください』

ショップで売っている石も同じように祈りを捧げてから買ってください」

以上、山村幸夫著「神からのギフト」より

私は、ネットで購入していますから、届いた石は浄化して、きちんとケースにしまって…と、お香で清めてなどしていますが、これからはきちんとお祈りを捧げてから購入し、皆様にお引渡しするときもお祈りします。

依頼される方も、高額の方が多くなりましたので、ぜひとも、石と仲良くするために

お祈りと言うか、語りかけとかお試しいただきたいと思います。

 そういうことをしていて、石が消えたり、ワイヤーが切れたとしても、それは神様のラッキーサインです。必要でしたら次の石をお手元に呼んでください。

 

このところ、購入されてすぐに、紛失したというお話が続いたので、思い切って書いてみました。スピリチュアルは、生きていくツールとして活用していますが、強制するものではありません。

 

許せない人がいますか

私は苦手なものは多いが、一番、苦手なのは人間かもしれない。苦手だから、もっと知りたくて、手相見をして探求しているのだ。

昔、手相を拝見した依頼主が苦しそうに言った。

「数年前に、恋人だった人に別れを告げられて、まだ相手を思うことがある」

相手は家庭のある人だった。依頼主は全てを捨ててもいい、と思ったのだが、相手は結局、自分の伴侶の元へ戻った。相手には今は子供も生まれて幸せに暮らしていると風の便りに聞くが、自分の心には傷が残っている、と。よくある珍しくない話だ。

人の念は強い。相手を思えば、大なり小なり相手に繋がる。許せない気持ちがあるのなら、じっくりそれを自分で自覚して、意識的に浄化するしかない。愛することと憎むことは、同じ思念のエネルギーだと、どこかの本で読んだことがある。憎むことは愛すると同じエネルギーを使うなら、良い思い出だけ残すようにする。意識的にするのだから、苦しいだろうし切ないだろう。でも、人間には「忘却」と言う神様のくれた贈り物があるのだ。どんな人も受け取れる。

だが、相手に対する最大の復讐は、あなたが幸せになることだ。

忘れられないならいいや~くらい開き直ってみるのもいい。

いつまでも思っているなんて、相手にエネルギーを与えているようなものだ。

天然石は無傷で美しいものは宝石となり、価値があるとされるが

傷の無い石は完璧のようでいて、ガラスのように味気ない。

石に入った傷は、光の加減で虹を写して見せる。

そのこころの傷が、あなたの人生の虹になる。

無理に押し込めていると、なにかの反動ではみ出てくる場合もあるし。

自分で自分を救って欲しい。

 

北枕にしてみたら、夢をたくさん見るようになった。今日見た夢は、我が家に新しい玄関ができる夢だ。一軒の家屋に二つの玄関。

私の仕事に対する夢告げかもと思う。

夢の中の新しい玄関は南東の方角にできた。

手相見の問い合わせも多く戴いているが、なかなかスケジュールが合わないことが多い。そんなわけで、作業は現在、石関係のほうが多い。

今年の誕生日までに、私は何者になりたいかを、決めたいと思っている。天然石がメインで、手相見がサブになるとか。もうすでになっている氣がするが…。そうすると、新しいブログタイトルにするかも。

ブログの内容はどうやって決めているのか、とたずねられたことがあるが、「アブナイ」と言われるのを承知で書くと、「降りてくる」ものがあるかどうか。画面に氣になる言葉を載せて、そこから派生してつなげていく。内容に統一感がないのは、そのため。

 

 

本当は怖い…×××

ゴールデンウィークも待てば恋しい、過ぎてしまえばあっけない。気がついたら、公園の桜は満開で、見ているとこちらも良い気分。

正直言うと、GW後半に入る寸前に、あることがあって、気分は少し下がり気味だった。

世の中はソーシャルネットワーク花盛り。ミクシィやツイッター、フェイスブックなど、なにかに所属している人も多いことでしょう。私もミクシィには数年前までお世話になっていたが、退会してしまった。

友達とのつながりは楽しいけれど、友達の友達と繋がっても、楽しくなかったから。知らなくても良いことを知ってしまうのは精神衛生上よろしくないから。人間は、見せないところもあるから、付き合いが成り立っている部分もある。

そこで、不特定多数の方と繋がるために、サーバーを借りて、ドメインを取得して、自分のブログを始めた。

でも、本名を載せていない。別名:紅乃 煉 を使っているのは、手相見に一番合った名前だからというのもあるが、人様の人生に踏み込むので、イロイロとあるからで、良い部分ばかりではない 飛んでくる念などを防御する意味もある。普通の人がソーシャルネットワークで繋がるのは安心かもしれないけど、私には無理無理~。

だって怪しくてナンボの手相見だし(爆笑)。

本名でつながる相手は日常だけで良い。

ブログで手一杯。

そのうえ、拝見する依頼主も増えることはあっても減ることがないからいろんな出来事に遭遇するし。

前の職場の方から

「○○(本名)さんをFBで見つけましたが、経歴が違うので同姓同名ですね」とメールが来たことがある。

その方とは、普通にメールのやり取りをしているが、ときどき思い出してメールを下さる。短い文面ではあるが、とてもありがたいと思っている。

日常でお付き合いする方は、合う合わないで選んでいると思う。

もう人生、先が長くないので、合わない相手と我慢してまで付き合いたいとも思わないし。 狭い街で、長い人生だから、どこでどうめぐり合うかもしれないし、縁があるかもしれない。それゆえ本当は疎遠を選びたいのだが、相手が疎遠をよしとしないこともある。

それまでは逡巡するが、そうなってしまうと、あっさりしたものかもしれない。縁を切るときは切る。

今は便利なことに、そういうお誘いメールを配信停止にできる機能もあるのを今回、知ったのは収穫だった。

ブログにモノを書くというのは、実はとても神経を使う。語るエピソードは人物が特定されないようにするし、誤解を与える表現(差別用語など)はしないよう気をつけている。

必要以上に個人情報も、載せない。友人が見ているとわかっても

「誰が誰に付きまとわれた」とか

「だれだれちゃんと××しました!」なんてのはありのまま書いて、相手に迷惑になる場合もある。

そうは行っても、まだまだ修行中なので、不快な思いをさせていることもあるだろう。

ドキドキしながらこのブログを続けている。

備忘録もあるし。

最近、始めた、霊符書きですが、

同じ和紙に、同じ筆で書いているのに、滲んだり、色がかすんだりすることがあるので、霊符の奥深さを感じている。

霊符を書いているおかげで、筆ペンが好きになった。

書いているときは、気分が高揚するもの。

どんな霊符を書いているかと言うと、それはむやみに言ってはいけないらしいので、秘密。

 

氣は利かせるものとはいいながら

もう数年前の話である。

地元では大きな部類の店舗で、お中元とお歳暮シーズンのデータ入力の短期アルバイトを数年していた。特設の催事会場で仕事をする。主な仕事は、一般のお客様の注文データを入力するのだが、そのほかに外商営業担当から、お得意様から依頼される、大量受注のあて先リストが回ってくる。単純に入力するだけで済めばいいのだが、そのデータの原稿と言うのが、「ひどい」有様だった。郵便番号の抜け、住所の間違い、電話は市外局番の抜け、達筆すぎ(?)て読めない文字などなど。データ入力の間違いを誘っているような危険なシロモノである。お得意様のデータだから間違えると大変なので、そのつど、電話帳で住所を確認したり、意味不明な商品名は営業担当に付箋をつけて確認しつつ、作業は進む。

年を経るごとに、店の営業状態が悪くなるに従って、業務用の付箋も支給されなくなった。

付箋がなくては仕事にならないので自費で買って仕事したが、そのうち販売担当の社員が買ってきてくれるようになった。

外商部の営業担当から回ってくる書類は、本当に書類の体をなしていない。これが東京に本社がある会社なのか?と何度思ったことだろう。データ入力する人間のことはもちろん、考えていないだろう。データ入力するバイトのことは考えていなくても、まぁいい。同じ会社の人間だから。でも注文してくれるお客様のことを思えば、もうちょっときちんとした書類をまわそう、とか思わないか。

仕事に対する姿勢がそこから透けて見えるようだった。

営業不振でお中元シーズン後、閉店が決まった年もバイトをした。

私は思った。閉店を顧客が惜しむのであれば、最後は大忙しだろう。

そうでなければ…。

はたして、結果は後者であった。「お歳暮の時、閉店しているなら、話にならない」と多くの顧客がお中元の注文もしなかったとか。

そのため、私の稼動期間は例年の半分以下だった。

催事の時、使用するお客様の椅子はパイプ椅子。

裏手にあるのは、壊れかけたコピー機。

そのお店の開店当時もバイトをしたことがある私には、そのお店のエネルギーがどんどん下がっているのが、わかった。

社員の勤務態度も開店当時とはまったく違っていた。

それは、仕事で手にする書類の内容からもうかがい知れた。

いったい、どこでこんなになってしまったのだろうか。

今も、仕事で多くの会社の提出書類を見る機会があるが、たかが書類の提出であるが、そこには、書類=仕事に対する姿勢が透けて見えるような氣がする。

再提出の書類が相手にわかるように付箋で明記して添えてくれる人、ただ再提出の書類を置いていく人。

書類を読む第三者のことを考えているか、いないのか。書類のむこうに相手を見ているのか、いないのか。細かいことだろうが、この年齢になって、書類一枚にどれだけ、氣を利かせられるか。些細なことだが、これが案外、仕事の姿勢が透けて見える気がする。

書類一枚の中に仕事がデキル人、デキナイ人、仕事を愛しているのか、いないのか…がわかってしまう。それは手相を見ることに似ているなとも思った。