今日は、2010年10月10日。天気は一日中雨。
日記に書くと10.10.10 という数が揃う日。
こんな、珍しい日に、なにも記さずにおくのはもったいないということで、ブログに残すことにしました。
手相見の依頼がまとめて来た、と思ったら、今度は天然石関連の依頼がまとめてきたので、ちょっと停滞気味で、申し訳ありません。
こういう波というか、流れというのはあるものです。ずっと続くものではないと思っています。
だから、縁のある人には、誠実に対応したいと思います。
波は、低いところ、高いところがあるから、運というものを「運ぶ」のだと思えるようになりました。
自分を不運だと思ったら、ツイテイル人に運を分けてもらえばいいのです。
方法は色々ありますが、高級な物を一点持ってみるとか、高級な場所に行ってみるとか
あるいは美味しい物を食べるとかです。できることから試してみる。
妬んだり、マイナスの言葉を紡ぐと、一瞬、気持ちは楽になりますが、類は友を呼ぶというか、引き寄せの法則に従い、不運が続くと思えます。
他人を責めてくる人は、自分が不幸だと表現しているのかもしれません。
本人から見たことがマイナスでも、他人から見ればプラスということも多々あることです。
例えで言うと、前を歩いている人が、道に落ちていたゴミを拾ってくれたおかげで、次に歩いている自分がゴミを踏んで嫌な思いをしなくて済んだとか、自分の小さなミスを、職場の同僚がそっと訂正しておいてくれた、あるいはそっと指摘してくれた、という場合も「お陰さま」です。
先日、スーパーの正面ドアから出ようとする私のすぐ後に、携帯電話に目線を落としたままの若い母親が子供の手を引いて、続いていました。
私はドアを押さえて、待ちました。母親は、携帯電話から眼を上げず、多分、誰がドアを押さえていることにも無関心で、ドアを通り抜け、駐車場へ歩いていきました。
私は気づいて欲しかったわけではありません。何も見えぬまま立ち去る彼女の姿に「お陰様」ということの意味を教えてもらった気がしたのです。
当たり前に歩いている道も、当たり前に過ごしている毎日の平穏さも、みんな誰かの働いている「お陰」です。
「人類が消えた世界」という本を読んだことがありましたが、ある日、突然、人類が地球上から消えたとして、まず、発電所が停止し、電気が流れなくなり、水道管が破裂して…。
日常の当たり前が、崩壊すると解説されていました。
続くといえば、手相見の相談内容も同じようなのが続くのが不思議です。
そういう流れが来ていると感じます。テーマが決まっているようです。
深い部分の話を、依頼者のお話の数を聞いてきた私が、その経験値で見ている気がします。
つまり、わたしが手相見でいられるのは、今まで手相を見せてくれた多くの依頼者のお陰。
そして、ブログを読んでくださる、あなたのおかげです。
今日、ブログを見てくださってありがとうございます。