夕陽にのびる一条の光

本日、2013年11月16日 15:52分に、西の空に落下物を目撃。

これは2009年10月28日以来、ほぼ4年ぶりのことで、わたしは興奮して、携帯電話で写真を撮影した。

機種変更して間もなくな携帯電話であったため、ズーム機能がわからず、手こずったのが悔しい。

写真では細い光の線で映ってはいるが、肉眼で見ると光り輝いている物体の落下の様は、見とれるくらい美しかった。

5枚ほど写真を撮影したが、思い通りに映らないので、あとの数分は、ただただ光が消えていく様を見つめていた。

流星にしては滞空時間が長すぎる。音もしない。

ただの落下物であっても、ようは目にするタイミングが意味する。

4年前は、買い物の帰りに、なにげに空を見上げたときに見た。

今回も、一日中市内を歩き回って買い物の帰りに、見上げた空に、光っていた。

前回も今回も、私はあることに迷っていた。その迷いに対する啓示(大げさであるが言ってしまおう!)のように目に飛び込んできたのだ。

その光の強さに、誰も気がついていない。

買い物帰りの客も、道路工事の作業員も、バスを待っている年配者も。

写真を見て、写真は写真だと思った。私が目にした輝きは、とてつもなく強く見えたから。

「見えた」のだ!!

ありふれた宇宙の出来事を目にしたことに意味がある。

いつも、愚痴を言ったりしたこと。不満をもっているけど仕方ない、と思っていたことを、できることから少しずつ、片付けてみよう、挑戦してみよう、試してみようと決めた。

今日はその記念日である。



今がそのとき

私の密かな楽しみは、Eテレ(教育テレビ)の「0655」と「2355」で「わたし猫」や「我輩は犬」などのコーナーを見ることに加え、月曜日恒例の携帯電話で撮影して楽しめる「たなくじ」。番組名がそのまま放送時間のこの番組。携帯電話が新しくなって初めてのたなくじ。「超吉」!自分史上最高運気だった。

シャッター速度が速くなって、便利。ピントも合わせやすい。

撮影した「たなくじ」は良い運の場合はそのまま保存して、お守りにしている。

さて、相談事の中に、「疎遠にしたい人」についてというのが増えてきた。疎遠にしたい人と疎遠にするタイミングは、

1位 転居を機会に住所を知らせず

2位 誘いを断り続けて、そのまま疎遠

5位 面と向かって絶縁宣言する

というのがあるらしい。

私は、上記のいずれも、された経験がある。自分自身を振り返ると思い当たる部分もあるが、どこか鈍い人間なのか、だいたい自分から絶縁など断言せずに、少し距離を置くというのが好み。

人によっては「はっきり言ってよ」と責められた時は「宣言」する場合もある。

今まで鈍感力でいるに越したことは無いと思っていたが、年齢も年齢なので周辺に上記のような行動を取られているのでは?とマメに考えるようにしている。

去るものは追わず、来るものは拒まずといるのが一番だが、そこらへんの加減が難しいのも事実だ。

携帯電話が壊れたのは、そういう見えない世界からのメッセージが来ているのかもしれないな、と思いあたる。

これを機に、携帯電話やパソコンのメールアドレスを整理し、周辺も整理することにした。

そうだ、今がその時だ!

電話帳にたくさん名前があるから、安心と言うわけでもない。

自分を必要にしてくれる人を見極める目が必要なのだ。

ひとつの縁を失うということは、新しい縁を結ぶ機会ができたということだ。

さびしがっている暇はない。