もう、半歩前へ

ゴールドルチル

本日、手相見有り。今まで手相を拝見するのは、紹介されてということにこだわっていた。

それは、きっと自分の手相見について懐疑的な部分があったからだと思う。

私は手相を見て、他人の運気を見ているが、そのことに対して自分にそういう資格があるのか。見ていいのか。心のどこかでずっと問い続ける聲を聴いていた。

このままのスタイルでいこうか、それとも。そんなことをつらつら考えていたときに、ブログを読んでくださっている方から依頼のメールが届いた。

今までも、数度、依頼者が遠方在住の場合があったりして、実現は難しかった。

また、男性の方からの依頼も、紹介者がいない場合はお断りしていた。

今回は同じ街に住まわれている女性の方で、「ダメもとで」問い合わせてくださったその行動力に感じることがあり、思い切ってお受けした。

紹介で見ている手相見に、メールをすることに勇気も必要だっただろうと想像する。

私も、そろそろ自分なりに制限していた枠から、外れてみることにした。外れてみて、見えたものが依頼者の希望と違うのなら、そのときは、手相見を続けるかどうかを考えれば良いと考えたからだ。

これは、背後霊に聴いたというか「やってみれば」というお膳立てがされたと解釈している。

必要な「お告げ」は、他人の口からやってくるのだ。

自分の行動や思考に限界を設けているのは、自分自身なのだ。

そういう意味では、自分の世界を作っているのは自分の心だと言える。

私のブログを読んで、どこかしら共鳴してくださっているのなら、紹介者はなくともご依頼を受けて拝見しても良いのではないか。もう、一歩前に踏み出す日が来ているのではと判断した。

今日、依頼者にお会いするとき、私は緊張していた。なんとも小心者な神経である。

結果、ブログを読んで、受け入れてくださった方の手相は拝見していけると思うに至った。

でも、男性の場合は紹介者が必要だというのは変わりない。

とりあえず、半歩ながら前に行動してみた。

ダメもと、これが開運のキーワード。

ダメでもともと。断られることを恐れない。

私も、ダメでもともと、相手に受け入れられなくても、なんら変わりない。ただの手相見である。

今日は、そう自覚した記念日。

 



思案中

毎年購入している、ペイジェムのリバティプリント柄のダイアリーA6判を今年も購入した。

来年は年齢に反比例して、ピンクな柄を人目にふれず使用しようと思っている。

最近、思案中なのは、手相見を続けるかどうかということ。

手相見をしたときのおまけとして、天然石の小物を差し上げていたのだが、最近は、手相見よりも天然石関係の依頼が増えていて、天然石の購入額も多くなっている。

このままでは、趣味の延長線でしています…というワケにはいかないかもなと思っている。

申告義務のことを考えると、今年は手相見も天然石関連もお休みしたほうがいいのではないかとか、数年前に手相見を始めた頃には想像もつかなかったのだが。

ブログは備忘録として使用していて、依頼は口コミで受けている。

たとえて言うなら、昔の着物を仕立てる内職のような気持ちだった。

あれ、いつの間に、というのが正直なところだ。

内職として、きちんと腰をすえて青色申告するか。

このまま内職で白色申告で済ませようか。

悩ましいところである。

どちらにしても、書類手続きもある。

 

私のように、中途半端な働き方をしていると、どんなもんだろう。

 

来年から私の運気はちょっと波乱万丈らしい。

ゆっくり考えられるのは、今年ならではだろうか。

ダイアリーには、良いことしか書かないと決めているけど。

今年もあと2ヵ月半。

それから、ひとつ不思議?なことが。

私は、昔からなにもない道でコケて捻挫したりする人間で、高校の養護教師から

「地に足が着いていない」と評されたことがある。

当時はよく意味がわからなかったが、スピリチュアルを少しかじった今なら

「グラウンディング」 「地に足をつける」という力が足りなかったのだと思っていた。

数年経って、霊感のある人に上記のエピソードを話したところ

「煉さんは、歩きながら霊道に足を踏み込んでいるので、あちら側の人から足を蹴り返されているんですね」と言われて、妙に納得した。

以来、氣をつけていたつもりだったが、先週、2回も通勤途中で足をくじいた。

本当になんでもないところで、カックンと足首をひねったのだ。

瞬間の痛みに

「通勤途中だから、これは労災扱いになる?」とか思ったが。

 

くじいた瞬間は痛かったが、痛んだだけ。

腫れたりすることはなかった。

以前なら、足の裏側まで内出血するくらい痛んだこともあったが。

今回は無事!!

これは、少しは足が地に着いて来たってことだね! と一人納得したのである。