あなたは全てを持っている

手相見を見料を頂戴し始めてから、丸8年経ちました。

趣味の延長線で、他人様の手相を拝見してから25年過ぎました。

普通に暮らしていたら、耳にはしても、立ち入らない”深い話”にも立会いました。

そこで、私なりに考えた、私個人で得た感覚でモノを言いわせていただくと

結婚したい!できない!!と言う方は、家庭という学びを得られないかわりに、独り身の自由を得ている。

子供が欲しい!授からない!と悩む人は、子育ての喜びの変わりにパートナーとの学びを得ている。

たとえばです。この世の「幸福」の基準が、結婚して子供が生まれて、孫に囲まれた幸せな老後というのに限定してしまうのは、もう違う時代に入っているのではないでしょうか。

今は、ネットも普及して、個人の呟きがあっという間に、世界中の多くの人に共有される時代です。

幸福には、いくつものゴールがある。

画一的じゃない時代なんだと思います。これだ!という正解はどこにもない。

 

自分で不幸だ!と思っていても傍から見ていたら「幸せじゃない」という、見方もできる。

私?私はアレだ。表の職もパートだし、内職しているし、結婚もしていないし、肩書きはずっと「明日をも知れぬ自由業者」。

公務員の多い親戚からは「完全に人生の落ちこぼれ」扱いで、病弱で、救いようのない存在と思われている。

哀れまれているでしょうね。

こういう表面の事例だけみて哀れまれても、良いんです。一般に流布している社会の”幸せコース”から見たら、確かにオチこぼれています。

昔、結婚していた友人に「だんなさんがいてうらやましいよ」と話したら

「だんなが居たら居たで、いろいろと面倒なことがあるのよ。独身には独身のよさがある。世の中上手く出来ているよ」と言われました。

これが、二昔前なら、親の決めた相手と、年頃になったら有無も言わされずに結婚してですよ、もしも相手が、粗暴で酒飲みで、厳しい姑、小姑が居たとしてですね、私は一年も辛抱できませんね。きっと。それくらい、結婚に向いていない性格だとつくづく思います。

親類に顔を合わせるたびに「結婚」とか「老後はひとりで寂しいよ」とお決まりの台詞を言われますが、もともと一人が長いので、失う心配も無いのです。

てか、私の人生には、学びに「結婚」は入っていないようです。

今の時代に生まれてよかったです。はい。

確かにお金はないけど、屋根つきの家に住んで、ひもじい思いもせず、眠たいときに眠れる、良い暮らしですね。日本に生まれたことが、幸運だとも思っています。

美貌があって、お金もあって、理想的なだんなが居て、なに不自由のない!!という人も存在するけれども、学びの「面」が違っていて、他人からは見えないというか。

お月様の裏側のような秘密や悩みがあるんです。

悩みがないってことは、もうそれこそ「解脱」した人くらいなのでは。

いろんな境遇で、いろんな悩みを持っている。

みんな違ってこそ当たり前で、この世界を構成して共有している。

もう、新聞やネットや、女性誌でお決まりの幸せ!を刷り込まれて、ないものねだりするのをやめてしまえば、あなたの「持っていないもの」は「これから手に入るもの」とも言えませんか。

「欲しい幸せ」の裏には「必要ない苦労」が隠れているのかもしれません。

得ていないことに、悩むなら、諦めてしまうか、得るために動くと、なにかが違って世界は変わるでしょうね。

悩むより、解決策を探すのが良い。

子供もいませんので、子供の将来への心配もない。

心配と希望は、裏表、同じところにあって、見えかたが個人によって違うんです。

自分の食い扶持だけを心配すればよい人生で、幸せだよ、と話しても「そんなはずない」と否定される始末。

そういう人は、自分の幸せを、絶対幸福ではなくて、相対幸福(他人と比較すること)でしか実感できないのかもしれません。

確かに。私は、野たれ死ぬ確率MAXでしょう。

世の中の女性が全て、結婚が幸せっていうのも、不自然な話で、孤独を学ぶため、という人生も有りだ、と思っていると自分の世界は平和です。

二人で居ても孤独を感じることがある、とある人が話していました。

逆に孤独で居ても、孤独を感じない場合もある。

結局、自分の人生は、他人様の人生になり代われないので、他人様のことを妬んだり、優越感に浸ったりしても、しかたないんです。

あなたはあなただから、価値がある。

あなたという存在は、この広い宇宙の時間の流れの中では唯一無二の存在なのだから。

不思議な力

手相見の見料についての記事を上げてから、アクセスが急増しているが、なぜでしょう。

基本、新渡戸さんが1人でリピーターさんが漱石さん4人でいこうと考えています。あまり変わらないと思います。

あ、漱石さん一人が前後するかもしれませんが。

今まで、通りすがりの手相見を自負していたのですが、最近はリピーターさんも増えてきましたので、考えを改めました。最初は時間をかけて拝見して、2回目からはポイントを押さえて流れを見るというスタイルが望ましいのでしょう。手相見を始めた頃は、リピーターさんがいらっしゃるとは考えていなかったのですが、数年やっていると、意外と需要がありましたね。

昨年は、紹介されたアルバイトで土日も働いていた関係もあり、日にちと時間が合わず、お断りした依頼も複数ありました。正直申して、アルバイトで働いていたほうが、収入も安定していたのです。ただし暇がない。

もしもこのアルバイトが続いたら、手相見は辞めることになるかもなぁ と頭のどこかで考え初めていたのは正直なところです。

ところがですよ、そんなことを考えたとたん、バイト先の仕事は終了しました。当初の予定が全て終了したのです。ミッションクリアです。

次に希望された業務内容が、施設内某所の整理でしたが、責任者が「その場所には怖くて一人でいられない」と言いながら、私にそれをしろ、と言う内容でした。

最初はやんわり断りました。でもなかなか伝わりません。当初の仕事のゴールが見えてきてだんだんその話が本格的になってきます。

場所が場所だけに「ちょっと氣が進みません」とお話したところ、突然、責任者が「仕事は終了した」と言いました。

延長するならば「勤務時間が今までの半分」になり、またその日の忙しさによって延長がある、つまり時間ははっきり決まらない勤務という条件で、または平日の仕事を辞めて専任するかだ、とも言われました。
詳細は省きますが、その仕事に専任するには不安な材料が多々ありましたし、

勤務時間が当日にならないとはっきりしないというのは、正直厳しいので延長はお断りしました。

今までパソコンのスキルで望まれて是非に、というのでいただいた仕事を無事に完了できてほっとした反面、延長をお断りしたとたん「もともとパソコンなんて必要なかった」と責任者の方に言い捨てられたのは、残念な思いもあります。

単純な言葉の行き違いだったとも思うのですが、信頼している複数の人や夢見でも「もうその場所のバイトは辞めたほうがよい」と告げられていたので、渡りに船だ、と判断しました。

あまりの急展開に、見えない力が働いていると思わずにはいられません。

今から思うと、責任者の方の態度や言葉も普通ではなかったように感じます。

当初の予定を終了したところでしたから「もう後ろは振り返るな、走って逃げろ」と背後霊に促されて、新たな気持ちで新年を迎えよう。

でも、ほぼ一年、そのバイトを通して私は見えない世界を見て、得た知識も少なくありませんでした。貴重な体験です。こんな私を紹介してくださった方や、採用してくださった方には感謝の言葉しかありません。
本当にありがたいことです。

急な終わり方に見えない力を感じたのは、もう一つあります。

バイトを辞めたとたん、手相見の依頼と天然石の依頼が続いたことです。

依頼主からのお礼のメールや近況報告も多く届きました。

堰を切ったように、という表現が合っているかはわかりませんが、続くときは続くなぁと感じました。

ヘミシンクを始めて一年以上になりますが、2014年はこのバイト先に勤めることで、私は前世のカルマをひとつ解消したと思っています。

ヘミシンクの「Hemi-Syncによる過去世(別の人生)探究(日本語版)」で

強烈な過去世の夢を見たときに、このバイトが決まったのです。それも不思議な偶然がいくつも重なってです。

当初は断りに断ったのですが、あれよあれよと決まり、氣がついたら土日その他で95日ほどの短いバイトでしたが、始まりも終わりも、不思議な展開、不思議な力に導かれていたような氣がするのです。

己の直感を信じていいのかどうか、オラクルカードを引いて尋ねてみたら

「あなたは正しい道を歩いています」というメッセージでした。

おかげさまで

昨日は妙な日記を打ちましたため、多くの方にご心配をいただき、ありがとうございます。就寝前に少し高熱が出ましたが、朝起きたらすっきり、両腕に出ていたじんましんも跡形も無く消えました。

風邪ならば、長引くかも、と憂鬱になりましたが、本当にあっという間に来て、ナニかが過ぎ去ったようです。

耳の不調と言うのは、劇的な不調ではないですが、何かが違う…という妙な感じでした。

ネットで検索すると、【突発性難聴】の前触れと言う記事もありました。

早々に回復して良かったです。

ほぼ休みなしで働いているので、ご心配頂きましたが、精神的にも肉体的にも己の限界点には到達していないと思っています。

自分の知りたいことが学べ、時給以外は好条件のバイトだと思いますから、これはもう「引き寄せた」ようなものですかね。

ヘミシンクCDの効果が出たのかもしれません。

多少の不調は、おまけだと思っています。

後ろの存在や、皆様のお気遣いに感謝しています。



運気の変わり目到来

昨日撮影した夕焼け。太陽から放たれる光の美しさに感動した。

朝、起きると耳の調子が悪い。聞こえないとか、痛いとかそんな感じではなくて、なんというか「調子が悪い」まるで耳を手で塞がれているような感覚。

運気の変わり目、到来か?

「手相見をやめようと思った私が悪かったです。許してください」背後の方にお願いしたところ、昼過ぎに不調は解消された。

「天然石を扱うのもやめようかな」と思っていた矢先、昼間に職場で不思議な存在を見かけた。一見、普通の人に見えたのに。私の目の前を駆けた女性(と思われる影)が飛び込んだ、エレベーターの中には、誰もいなかった…。珍しく、2基あるエレベータの扉が同時にふたつとも開いていた。

ときおり、わたしが前を通ると、誰も乗り降りしないのに、2基同時にドアが開くときがある。

偶然も、重なると不思議な感覚である。

「煉さんは、いつも辞める辞める、言っているけど(見るのも、作るのも)やめないでしょう(笑)」と人様から言われる。

そうだよ。

手相見で個人的には重たい案件や、難しい天然石の依頼を受けるたびに「やめたほうがいいのかな」とはいつも問うている。私の後ろの存在に、自分の内面に。

昔、他人の運命を見る人は、身体のどこかが不調になる、とも言われた。

本来は、未来を見る眼は閉じていなければならない、と。

それを承知で、他人様の運勢を手のひらから読み取ってきた。

私が読んできたのは、運勢であって、運命ではない。

けれども、人間なので迷いもある。

とくに今は、履いているワラジが増えているから、「やめてもいいのかな」と思った。

 

私は、運の流れは変えられると思っているが、私が直接変えられるわけではない。本当に変えるには当人の思いにかかっている。

自分の非力さを感じるたびに「もう、やめようか、明日やめようか」と思っていたのだ。

けれど、そのたびに、励ましてくれたり、必要と切望してくれる人が存在して続けてこられた。

作ったものに、力があるのなら、それはきっと、依頼主の後ろの存在が力を貸してくれているのだ。

私はその橋渡しをしているにすぎない。

オラクルカードで問いかけてみた。

答えは「あなたは正しい道を進んでいます」。

今、運気が変わりめに突入したようだ。

おっと、両手に今、蕁麻疹が出てきた。

明日までに治るといいけど。

オラクルカードに問いかけてみよう。



山場越えました

トンネルを抜けると、雪国だった…。なんて文学的な表現をしてしまいたくなる。今日は2月の上旬。ワラジを何足か履いている私ですが、どうやら山場を抜けたと思います。

第1のバイト先のデータベース関連と月初めの作業が。第2のバイト先のイベント受付関連、第3の手相見関連、第4の天然石関連が、集中して来ていたのですが、過ぎたようです。この感覚は昔の原稿を書いていて終わった、「脱稿した~」という感覚に似ています。

本日以降、平日の手相拝見も午後5時以降可能となり、土日は午後4時以降で、よろしくお願いします。

毎月10日を過ぎると、余裕も出てきますので、どうしても午後2時から、なんて場合があれば、まずはご相談ください。

拝見数が増えていると、意外なところから意外なつながりで、拝見している方々がつながっていると知らされ、私自身驚くこともあります。もちろん顧客情報は守秘義務ですので、ご安心を。

先日は、節分でした。皆さん、恵方巻きに豆まき、されたでしょうか。

私の最近増えたバイトは、某所での節分祈祷の受付だったのですが、申込書を見ると、我子や孫、親兄弟の無病息災、交通安全などの願いを目にすると、案じてくださる人の存在するありがたさを感じました。

自分がこうして生きていられるのも、知らないところで祈ってくださる方があればこそ。

本当に「おかげさま」だと思います。

孤独を感じたとき、辛いとき、周りに味方がいないと思えたときも、きっと誰かが遠くで、あなたの無事と安全と平和を祈ってくれているに違いないと、確信しました。