怖い話?

年度末と言うことで、慌しい日々を送られている方も多いことでしょう。

手相見の問い合わせも複数いただいていますが、この冬は毎週末、爆弾低気圧に直撃され雪かきに追われておりました。

今は、手相見よりも先にすることがあるのか。手相見の本を読み返し、過去のデータを整理して過ごしております。

人間対人間で過ごしていると、心に黒さも抱えます。その黒さを浄化するアイテムとしてこのところ、役に立っているのが、ヘミシングの「箱」というイメージトレーニングです。

自分の中のいろいろな感情を、箱につめて、海にながしちゃう!というイメトレです。

怠け心や、妬み、嫉み、悲嘆、自己嫌悪等々、負の感情の嵐にもまれて生きて参りましたが、経験して、苦しんで、自分と言う存在のパーツが埋まってきたのだと思います。

年齢も年齢ですし、相手が世辞を言ってくれているのだと思いつつ、喜ばしいこともあります。裏の裏は表というように、裏を読む気力もなくなっているのでしょう。生きていることに疲れを感じることも、まま、あります。

最近、「しない善より、する偽善」という言葉を好きになりました。

情けは人の為ならず と似ているニュアンスを感じます。

心根が体調に影響を及ぼすなら、あらゆる心理ツールを駆使して暮らしていこうと思ってます。

心のお守り、って大切だと思います。

世の中には、愚痴をこぼして、それをエネルギーにして、運気を上げるというアイテムも存在するらしいです。

ポジティブ思考癖がついているので、私には必要ないのですがね。

招来、孤独になり、心に黒さが溜まって、どうしようもなくなったら、頼ろうかと思います。

頼れるものがあるって、それだけでも心が軽くなるもんですね。

近いうちに、新しいアイテムも試してみて、良い感じな手ごたえが得られましたら、ご紹介したいと思います。

最近、怖かったこと。

私のブログにバイト先からのアクセスが増えていること。

それは、まぁ、隠しているブログではないので良いとして、本日は定休なのに朝から、アクセスしている形跡があることです。

定休日なのに、だ、誰?…とある意味怖い話だと思いました。

雪に埋もれて3月


先日は自分の暗黒部分に懊悩している気持ちを記していたのだが、思いのほか皆様にご心配いただき、恐縮した。まだまだ修行が足りない手相見でお恥ずかしい限りである。春だから?でも地元はまだ雪に埋もれている。

そんな中、愛猫が膀胱炎を再発して、週末は病院へ。

飼い主に愛されている犬や猫がたくさん病院にやってきていた。

愛する対象が存在すると言うのは幸せだ。

愛猫は同じ病気で昨年は2月にお世話になっていた。

愛猫は早朝から猫トイレを出たり入ったりしていたので、病院が開くのも待ちきれず、朝早くでかけた。 春がそこまで?と暦で確認する今日も、道には雪山が多くある。

すっごい近距離であるが、寒さが大敵、猫のためにタクシーを呼ぶ。

開院を、同じ待つなら、病院で待つ。昨年の症状を踏まえて、膀胱炎と診断され、注射を打って治療は終了。落ち着かなかった猫も午後にはぐっすり眠りについた。

やれやれ。給料日前にイタイ出費であったが、注射で治る病気で良かったよ。

今まで、他人様に「幸せ」「開運」を目指して探査してきたが、少しその手法を検証し、アプローチを変えてみなくては、と思い立ち勉強中。

使えるものは何でも使う!!

自分の黒い部分から眼をそらさずに、それを糧として得たものは大きい(と思いたい)

亡父がよく好んで使っていた言葉「使えるものは親でも使え」ってな。

手相見の依頼者に必要だと思えば、蔵書(と言えば聞こえがいいが、古本)から本を貸し出しもしているのだが、これは続けていきたい。

備忘録で扱うブレスレットのデザインも、変わっていくことだろう。

いろいろと、視点も視界も、感覚も、雪に埋もれて変わってきている。

きれいごとでは済まない

この週末の私の気分を表しているよう。私はあることで、自分なりに頑張ってきたけど、「頑張る」という方向性が、どうやらズレテいたようで、報われていない!という現実を突きつけられた。

落胆するということは、ある意味、期待していたということで、その期待していた自分に、ものすっごく腹が立つ。

自分なりに工夫して、処理してきたこと。上に対して何度か相談していたけれど、報われなかったのだという暗澹たる気持ち。

報われることのほうが珍しいのが、この世の常と知りながら。

この数年、自分なりにいろいろしてきたけど、それは「あたりまえ」であって、自分のしてきたことが、なんの役に立っていなかったのか?と反省。

正直、こんな扱いを受けるとは思っていなかった。甘いだろうか。

それから落胆。結局自分は、上の「お情け」で今の立ち位置にいるだけなのかもしれない。

こんなに自分の中に醜いもの、邪悪なものが渦巻くとは。

胸に渦巻く あらゆる暗黒部分と向き合うことになった。

何年ぶりだろうか。

スピリチュアルに救いを求め、あらゆる人の思想に教えを求めていたけど。

自分の器のちっさいことと言ったら。

写真の雲は下に延びてくると、竜巻になるような漏斗の形をしているが、写真と同様、竜巻にならずに済んだ。

私の心の暗黒な部分も、人間臭くていいじゃん。とあえて肯定してみる。

結局、この嵐は自分の中で勝手に渦巻いているものでしかない。

そんなとき、脳裏になにか閃いた。

「次があるから。あなたの立ち位置は”そこ”ではない」

それは、妄想か?それとも氣の迷いか。でもはっきり脳裏に降りてきた感覚があった。

人間だもの。

生きていれば、きれいごとで済まない事が多々ある。

それを把握した上で、それでも私は手相見を続けていくだろう。

それしか、できないから。

同姓同名

141019_サンキャッチャー

土日はお寺でバイト中、だれも居ない本堂から「お鈴(りん)」の音が…。

怖くはないけど不思議な感覚。

不思議なことが、当たり前に存在する空間におります。

秋です。冬至が待ち遠しい季節です。短くなる日照時間を、楽しませてくれるのは、サンキャッチャー!レインボーメーカーの出番です。

さきほど、めったに連絡がこない親戚から携帯電話に着信があり、ドキリとした。

この年齢になると、親戚からの久しぶりの電話→訃報がほとんど。

つい先日も、遠い親戚が逝ってしまったばかり。脳裏にはよからぬ想像が。折り返しなんどか電話をするが、出ない。ますます不安が。

夜、何度目かの電話にやっと出た。「着信がありましたが…」と言うと相手は「あぁ?」という反応。どうやらスマホを持っている故の誤動作だったらしい。

私の実名は従兄弟の奥様と同姓同名となる。それが相手方にも「どうして○○ちゃんの嫁から私宛に着信が…?」と訝しんでいたようだ。

私は出生時の名前を、通称に、裁判所に申し立てして戸籍を改名しているから、その親戚とってはずっと○○×という名前であった。

改名して15年以上になるが、親類にはあまり浸透していないようだ。

紅乃 煉という名前で手相を拝見して7年以上になるが、これもまた読みが難しいので浸透していないようだ。

先日もお得意様に「くれないのりゅう」と読まれて、

今までコツコツ積み上げてきた、薄っぺらい自信を一瞬に突き破り、日本海溝の底に行き着くかと思うほど落ち込んだ(笑)。

言霊は人を救いもするが傷つけもする。

人間は、温かい言葉で傷つくこともあるし、厳しい言葉に救われることもある。

言葉は言葉でしかないが、受け取る側次第で、どんな力でも持つ。

神様は、悪魔の姿で人間を試し

悪魔は、天使の姿で人間を堕落させる。

頭ではわかっている。

それでも

浮上するまで、時間も気力も要った。

それが人間。

それで人間。

完璧なわけない。

完璧なら、それは神様。

 

それから、このブログと備忘録がipad やiPhoneではサーバーエラーや、表示されない不具合があるようです。

可能でしたらパソコンからご覧くださいませ。

闇夜に足コケ

私は昔から、運気の変わり目には、足コケる。なんの変哲も無いところで。

高校生のときは校舎の階段を踏み外して捻挫した。それから捻挫が癖になって悩ましい。亡父の入院のときも何の変哲もない坂道で足を踏み外した。

足裏が内出血で真っ赤になったけど、病院にいかずに済んだ。

たぶん剥離骨折していただろうと後で、医療に携わっている友人は語った。

当時父も骨折で入院していたから、私まで入院するわけには行かない、というワケのわからない気概で、通勤を続けた職場の階段を踏み外してもう一方の足首を捻挫したという…笑い話のような展開が待っていた。

一時、両方の足に湿布をして通勤していた。なんとかなると思っていたから、なんとかなった。

人間最後は気力だと思う!

もっと後に霊感のある知人に「私、足をよく怪我するんですよね」と話したところ、「煉さんは、歩きながら霊道(別の次元の空間)に足を踏み入れているので、あちら側から蹴り帰されるんですよね」と言われたことがある。

高校生のときは保健室の先生に「足が地に着いていない」と言われた。別の言葉では離魂病(りこんびょう)と言うらしい。

私は歩いていても、足に注意を向けていることが多い。それは住んでいる街が、冬に道路が凍りつき転倒の危険があるからで、事実、友人の中には転倒して、背骨を圧迫骨折したり、別の友人は後頭部を打って生死の境まで行った人もいるし、大腿骨を粉砕骨折した人もいる。

前置きが長くなったが、昨日の夜、近くのスーパーに買い物に行って、帰宅するとき、歩きなれたなんの変哲も無い道でコケた。

コケだけで、こんなに前置きの長いのはどうよ。

右足に違和感があり、ぐらりと来たとき「ヤバイ、また捻挫するかも!!」ととっさに反対側に膝をついてコケたのだ。

不注意だと、嘆くのは簡単だが、幸福を探査中のワタクシにはもっと深い(こじつけ)な考えをすると。

帰宅して見ると、ジーパンの膝が横一直線に裂けていた。そりゃもう、見事なくらい。裂けた部分だけみると、「カマイタチ」を連想する。

幸いにも、今回右足は捻挫にならなかった。

左ひざに擦り傷を作り、少々出血したが骨は無事。傷口を洗ってオロナインを塗布して寝た。痛みも少ないし、今朝手当てをしたら出血もとまっていたし腫れてもいない。痛みはこの世に自分をとどめる手段かもしれない。そうでないと意識があらぬところに飛んでいくから。

今月は、思い切って手相見をお休みして良かったかも。怪我もしたけどそういう時期なんだと考えることにした。転んでもそれを力技でも良い方向に考える。そのほうが、悪い方向へ考えるよりずっと良い。悪く考えると悪い考えにずっと引っ張られてループする場合がある。

私の父は、「病弱な自分」が大切な人だった。自覚していたかは知らないが、病弱でいることが、周囲の人に大切にされ、家族に愛される手段だと考えていた節がある。

病弱な自分でいるより、病弱でも自分の体を労わっている姿勢のほうが周囲から愛されるだろうに。

病弱でいるためには医師に止められているお酒もタバコも自分でやめられないようだった。

人間、自分の健康に神経質になっても、死ぬときは死ぬ。それは運命だから。

なにごとも極端はよろしくないが、健康に神経質になってしまうよりは、ちょっと緩く考えてもいいと思う。病気の自分を怖れるより、受け入れる。少しの体調不良も受け入れるっていうのが、年齢を重ねた人間だからこそできるのかもしれません。

病気じゃないけど、今回の怪我も自分をツイテイナイと言い切るよりも「この程度で済んでよかったわ」と思うことにしている。

え、やせ我慢?いいえ!!運が良かったんです!!

いいんです。私自身がそう思っているから。

 



黒水晶 == モリオン ==

モリオン 黒水晶

チベット産の黒水晶(モリオン)を仕入れました。守護する石は黒系が多いのです。天眼石の黒やオニキスが有名です。

魔を祓う力があるそうです。巷には、煙水晶に処理を施して、黒水晶として販売しているお店もあるそうですが、今回は、社団法人宝石貴金属協会会員の卸さんから鑑別済みというお品を仕入れました。

困ったこともすみやかに解決に導いてくれるとも言われる黒水晶。

モリオンは強力な魔除の力があり、安定を導く石です。(写真は10ミリ玉)

冬至までは、気持ちが落ち込んだり、ちょっと体調が悪いという人が多いと思います。

黒水晶は今までの不運や落ち込みを逆転させると言われています。ストラップにしてもその力を感じることができるのでは。

もうそろそろ来年の準備しなくては…。