今年を振り返って

写真は森永のお菓子「おっとっと」に入っていたレアな皇帝ペンギン。ラッキーなことが起きるでしょうか。
つい、この間、新年を迎えたと思ったら、今年もあと7日となっていました。

平日、土日、バイトをして、隙間の時間に手相見と天然石のアイテムを作っていたので、なにか、寛いだ気分にはなれず、光の速さで過ぎた印象の2014年です。

手相見のブログなので手相見についての印象を申し上げますと、市外の依頼主で始まり、市外の依頼主で終わった一年です。市外7割の地元3割。女性7割の男性3割です。既婚者7割の独身者3割(いずれも現段階での話し)。再度いらっしゃいませ、は4割でした。

今年も年賀状の準備をしなくてはならないのですが、まだ出来ていません。

毎年のことですが、年越しのときにあたふた宛名を書くことになるのでしょう。

最近、あまり夜更かしできないんですよ。

年末年始は、ちょっとのんびりできると思っています。

我が家はいつも、寝正月。

静かに年越しします。

今年一年を振り返って、思う言葉は

「獅子に腕を噛まれたら、引くな、押せ」ですかね。

みなさんはどんな一年だったでしょうか。



大雪備忘録


先週の、17日と18日、爆弾低気圧襲来で、猛吹雪となり、仕事を2日続けて休みました。「不要不急の外出は控えてください」ってテレビで言っていたし、吹雪の中乗り越えていく気力もなかったし。一晩で80センチくらい積もった雪。この地方らしからぬ、水分を含んでめちゃくちゃ重たい。一日目の初除雪にして腰を痛めたため、以後、1時間おきに除雪してなんとか、しのいだ。

写真は爆弾低気圧が去った、翌々日の20日に見かけた雲。一瞬「竜巻の襲来になるかも」と一瞬ドキリとした。

が、なにごともなく風に拡散したようだ。良かった良かった。中心に「天空の城」が隠されているような雲。

吹雪の暴風のため屋外の電話線が緩んで、お隣の玄関前に垂れてしまった。

クルマが入れば、屋根にひっかかり、人が通れば首に引っかかるくらい、垂れている。

NTT東日本の支店に電話するも、この大雪被害でどこもかしこも繋がらず。

外の配線が、電話線か電気の線かよくわからないので、確認のために電力会社に電話してみる。

すぐに電力会社のパトロール車が来てくださり、「垂れている線は電話線のようです」と教えてくださった。

そこで、NTT東日本の市の支店に電話するも「土日はお休みです」とのアナウンスが。

故障担当に電話するも、ほとんど繋がらない。

そこを粘りに粘って(2時間くらい待った)ようやく繋がるも「24日まで行けない」というお返事。

「はい、そうですか」とはいかず、「まぁ困ったわぁ。お隣さんになにかあったら困る」と念を押して電話は終了。

ところが、それから2時間あまり後、連絡をくださったのは、旭川から応援に来ているというNTT関係工事担当者さんであった。

故障担当の受付さんが、念のために連絡してくださり、たまたま近くにいた業者さんが応じてくださったらしい。

陽も落ちていたのに、現在地から30分かけて雪を越えてやってきてくれて、垂れた電話線を応急処置してくれた。

きちんと電話線を処理するのは、雪がなくなる春まで待たねばならないらしい。

同じ頃、我が家の前の道路で、クルマが雪にはまって立ち往生していたのだが、私も通りがかったのが縁で雪かきをしたり、押したりしたものの、車が動かなかった。

垂れた電話線の処置に来てくださったその足で、業者さんはクルマの車輪を除雪し、脱出に力を貸してくださった。

翌日の今日は朝早くから別の担当業者さんが、駆けつけてくださった。どうやら現場は混乱していて「処理済」の連絡がうまく伝わっていなかったらしいのだ。混乱ぶりがよくわかる。

実は私、NTTの故障担当電話が何回かけても繋がらないので、少々憤っていたのだが、現場で働いている人の「おかげさま」であることをつくづく思い知って、恥じ入った。

怒る前に、相手を思う、想像力がなくなっては、ダメだよなぁ。

自分ひとりではなくて、世界は誰かの「おかげさま」で動いている。NTT東日本さんやそれに携わる人々、電力会社の皆さんのおかげで、爆弾低気圧の襲来も乗り越えられた。ありがたい。

我が家は電話線だったが、お隣はテレビの線が切れたらしい。

お世話になった皆様、本当に

ありがとうございます。

泣きたくなったら笑ってしまおう

写真は、行きつけのお店で「見切り品」にて半額で売られていたお菓子「プッカ」を購入したところ、「レア(らしい)のプッカのたまご」が入っていたので記念に撮影。「どの箱にも入っているんでしょ~」と思っていたが、先日テレビのモーニングショーで「レアアイテムを探せ!」的な、入っている確率を調べるコーナーがあり、思っていたよりレアな出現率だった。ラッキー。

長く生きていると辛いことにたまに遭遇する。時々無性に落ち込むこともある。更年期のせいもあるだろうし、季節的なものもあるかもしれない。そんなとき自分が世界で一番ツイテナイとか、不幸とか。短絡的に思っちゃったりする。氣がついたら「最近笑っていないわ」と思いあたり、「漫才」を見たり「本を読んだり」するが、疲れていると、笑う気力もなくなっているのだ。

これは、危機的状況である。私はストレスがかかると持病に出てくる。人間、メンタルの健康は第一優先。

とりあえず、好きな本を読み、好きなことに没頭する時間が必要なのだ。土日も休み無く働くのも良い経験だったけど、何年もするものじゃないし、できないものだったとわかった。

落ち込んで倒れたら、目先に落ちている「何か」を掴んで起きる。

寄ってきた得体の知れない存在を祓うのは、とりあえず良い香り(お香)と光物(ヒカリモノ)そして快適な睡眠。

泣きたくなったら、嘘でもいいから笑ってしまえ。

 

そんな自分を笑って、どんな小さな幸運を見つけて、次に進むべし。

 



手相棒も復活

手相見を始めて、しばらく愛用していた手相棒、本当はガラスの爪楊枝だった。ふとしたことから折ってしまい、それから使いやすい手相棒を求めて試行錯誤していた。最近、レジンを使うようになったので、レジンランプを購入したのを機に、レジンを接着剤にしてつなぎ、やや曲がってくっついたが、そこはワイヤーで補強して、使ってみた。

このちょっとした曲がり具合がなんとも使いやすい、手相棒復活。

手相棒を復活させたところ、いいタイミングで依頼主があらわれた。世の中、うまくできている。

今年は去年よりも多く依頼していただいた。

掛け持ちのバイトでご不便をおかけした皆様、申しわけありません。

そして ご協力ありがとうございます。



やはり手相見

もう、12月となっていました。

今年に入ってから携わっていたアルバイトの仕事が終了しました。

このままずっと土日のアルバイトを掛け持ちで働くのは体にキツイかも、と思っていました。ところが、急転直下で、明日で終了となりました。

この数ヶ月の間に仕事にストレスを感じたのは久しぶりです。

不調は 胃に来ました。

やはりストレスを貯めて体を壊しては元も子もありませんね。

普段、皆様にウンチクを垂れているのに、この有様。

はっとしました。

そんなとき、仕事もひと段落しましたので、、バイト先から勤務時間を短くするという申し出がありましたが、これから寒いし、予定も詰まっているので延長はご辞退しました。

好きな仕事なら踏ん張れる。でもこの仕事の展開の激しさは、背後の方の「力技」が働いているとしか思えない。

このまま手相見をやめてもいいのかな なんてちょっと思った矢先ですよ。なのに降って湧いたような仕事の終了。

そんなわけで、この一年、土日の午前中は手相見をお断りしていましたが12月13日からは、お受けすることが可能となりました。

今年、依頼をしてください、ご意向に添えなかった皆様、大変もうしわけありませんでした。

今年は、本当に好きなことに没頭する暇もなくて、気ぜわしい年ではありましたが、「今のガイド」さんのお言葉通り、「少し時間を作って…云々」することが可能となり、安堵しています。

バイト先がバイト先だけに私のことをご心配くださった、皆様、ありがとうございました。

これからも、よろしくお願いします。

紅乃 煉



現在の私のガイド

現在のガイドのお嬢さん

続く、としていていつの間にか時間が経ってしまいました。

どうもこのところ調子が良くないので、ヘミシンク本を多数著作されている「まるの日圭」さんがヘミシンクで「ガイド拝見」をしてくれるというので、依頼しました。

「ヒーリングサロン ネコオル」

今までいろんな方に、ガイド(守護霊)を見てもらった経験があります。

ガイドは、見る人によって見え方が違うのじゃないかと思っておりました。ある人は二列で後ろに多数いる。ある人は光の存在、ギリシャの哲学風な男性、前世からつながる男性…等々。

どれが正しくて、間違いだというワケではない。

ガイドはその時々で交代するものだし、ヘミシンクによると、「見えない世界」がF10-F21という階層で現されるがあるので、その次元によるのかもしれません。

あと、ここがポイント!まるの日圭さんは、見えたガイドのイラストを描いてくださいます。

この記事のイラストの写真がそうです。

そしてA4用紙2枚に及ぶメッセージを記してくれます。

ヘミシンク歴1年とちょっとの私。断片的な経験はしていますが、リアルな体験はまだ。そこでモチベーションを維持したいという理由でお願いしました。

最近の不調に対して「現れた」のは、金髪のボブカットの若い少女。

天使のような雰囲気もあり、小悪魔風にも見える。

胸には緑色の石のペンダントをしている。

メッセージはA4用紙にみっちり書いてくださったが、部分抜粋してみますと

彼女が私に伝えたのは「もっと好奇心をもって、興味の有る事に集中して」

「今から必要なことは、人の言葉に振り回されすぎないようにすることです」

「これから出会う人は、自分と同じバランスを持っている人か、自分のバランスを崩す人かの二種類です」

そうそう、最近忙しくて、ワクワクすることなくなったなぁ。どうしよう?と

思っていたのだ。

ワクワクするものが見つからない。視界に移る世界は色褪せて見えるなとも思っていた。

「人からの誘いも少し考える時間を作って、それから返事をするようにしましょう」

メッセージを読んでいくうちに、

これからの世の中は

一人ひとりが好きなことを集中してやっていれば、人の文句を言う暇もない、良い流れの世の中になるのじゃないかなぁと思うのだ。

それが本当の、アセンション。次元上昇ではないか。

働き方も今までとは違う、産業革命以来の流れがくるのかもしれない。

メッセージからは、今の前面にでているガイドは、私に必要なモノを表現している。

私だけにじゃなくて、世間の人たちに向かって語りかけているようにも思える。

年末年始は時間ができるから、ヘミシンクを聴きながら、自分の内面と向き合ってみよう。

出産の経験は無いが、産みの苦しみに似ている気分を体験中。

私はもういちど、私を生もうとしている。

まるの日圭さんは、「ヘミシンクのある暮らし」というブログも開設しています。

興味深い記事も多いので、興味のある方はいらしてください。

今さらながら氣がついた

忙しくて、ブログの更新もままならない。

しかし、それは言い訳である。

本当に更新する氣があるならば、どんなことがあっても、書くことがあるのだ。

ある人が言った「年齢を言い訳にして、覚えられない、できないと言う人がいるけれど、”覚えなければ命が無い”とかいう状況なら、覚えるでしょう。ようは、それほど真剣じゃないってことだよ。何回でも聞けば言いや、という甘えがあるから覚えない」

私は自分にも、それが当てはまると氣がついた。年齢を言い訳にして、他人様に何度も教えを請うのは、なんか違う。真剣さがあれば、メモるし、実践する。しないのは真剣さが無いからだ。

私の周辺の人たちについても思いをめぐらせた。

「何度説明してくれても覚えなくて、ごめんなさい」と言われる。私はそのつど、方法を伝えて、情報の集め方も伝えるが、「煉さんが居てくれないと、○○できないのよ」と言われる。

今までは、それでもいいかなと思っていた。

ある日、氣がついた。私がいないとできないなら、それはその人にとって必要なことではなないのではないかと。

本当に逼迫しているなら、印象深くて覚えるはずなのだ。

記憶は感情に直結している。

またある人は 困ったことがあると、思い出したようにメールをくれる。いつも真摯に考えて返信をする。けれど相変わらず、その人からは「あれがダメ、これがウマクいかない」とのメールが来る。私の答えた内容は役に立っていないらしい。役に立つと言う考え自体が傲慢だろうか。

傲慢と、そしられてもいい。

なんだか疲れてきた。

友情も、恋愛も、我慢して続けるには、私は年をとってしまったことに氣がついた。

別の人は、「こうするといいんじゃない?」と伝えると、すぐに実践する。

そして、以前は「無理」と言っていたことも、自分で試してみて、どんどんクリアしていく。私が手を貸すこともなくなり、私以上に先に行ってしまったようだ。

更年期もあるのかな?いやいや考え方も変わってきたのだ。

背後霊(ガイド)も変わっているかも。

思い立って私は、ヘミシンク本を何冊も出版している「まるの日圭」さんの「ガイド拝見」に申し込むことにした。

前置きが長かったかな?続きは次回。



それは自己責任

141018_berybery私の住んでいる街は、街路樹の葉もほぼ落ちてしまい、すっかり晩秋の風景が広がっています。その街中の道路脇の植木というか、枯れ草の中に、ぽつんと在ったのが。

写真の赤い実。

これは、カフェで食したことがある、ベリーの実では?思わず、手にして帰宅。これひとつだけですよ。可愛いというか、枯れた色合いの中に存在する赤に惚れて、洗って食べてしまいました。

まさしく、カフェで食べたベリーパフェに乗っていた味でした。

それが10日以上前のことで、現在も無事でおります。

数年前、仕事帰りに、全然知らないおじさんから、オレンジを一つ、通り過ぎついでに「はい」と手渡されたことがありました。

 

怪しく思って、食するのをためらった後、食しましたよ。美味しいオレンジでした。

世の中には、こういうことがあるんです。

私の場合は道端に木苺、おじさんからオレンジ だったけれど、チャンスが突然目の前に来るってことがある。そのとき、怪しんで食べないという選択肢もあるし、思い切って食べて(乗って)みることも有りですね。その時は、もちろん自己責任で。自分の直感を信じることです。

万一、毒入りだったら、こうしてブログを書いていないだろうが、木苺も、オレンジも、食べたらなにかあるかもしれない。

思っているより試してしまえ!という直感が働いたのは本当の話。

あの、木苺、私の運を試すために、そこに在ったんじゃないかなぁと都合よく考えております。

運がいいとか悪いとかは、自分で思っている限りで、自己責任。



同姓同名

141019_サンキャッチャー

土日はお寺でバイト中、だれも居ない本堂から「お鈴(りん)」の音が…。

怖くはないけど不思議な感覚。

不思議なことが、当たり前に存在する空間におります。

秋です。冬至が待ち遠しい季節です。短くなる日照時間を、楽しませてくれるのは、サンキャッチャー!レインボーメーカーの出番です。

さきほど、めったに連絡がこない親戚から携帯電話に着信があり、ドキリとした。

この年齢になると、親戚からの久しぶりの電話→訃報がほとんど。

つい先日も、遠い親戚が逝ってしまったばかり。脳裏にはよからぬ想像が。折り返しなんどか電話をするが、出ない。ますます不安が。

夜、何度目かの電話にやっと出た。「着信がありましたが…」と言うと相手は「あぁ?」という反応。どうやらスマホを持っている故の誤動作だったらしい。

私の実名は従兄弟の奥様と同姓同名となる。それが相手方にも「どうして○○ちゃんの嫁から私宛に着信が…?」と訝しんでいたようだ。

私は出生時の名前を、通称に、裁判所に申し立てして戸籍を改名しているから、その親戚とってはずっと○○×という名前であった。

改名して15年以上になるが、親類にはあまり浸透していないようだ。

紅乃 煉という名前で手相を拝見して7年以上になるが、これもまた読みが難しいので浸透していないようだ。

先日もお得意様に「くれないのりゅう」と読まれて、

今までコツコツ積み上げてきた、薄っぺらい自信を一瞬に突き破り、日本海溝の底に行き着くかと思うほど落ち込んだ(笑)。

言霊は人を救いもするが傷つけもする。

人間は、温かい言葉で傷つくこともあるし、厳しい言葉に救われることもある。

言葉は言葉でしかないが、受け取る側次第で、どんな力でも持つ。

神様は、悪魔の姿で人間を試し

悪魔は、天使の姿で人間を堕落させる。

頭ではわかっている。

それでも

浮上するまで、時間も気力も要った。

それが人間。

それで人間。

完璧なわけない。

完璧なら、それは神様。

 

それから、このブログと備忘録がipad やiPhoneではサーバーエラーや、表示されない不具合があるようです。

可能でしたらパソコンからご覧くださいませ。

ぷりんと突然のお別れ

我が家の三代目猫女王、ぷりん(愛称ぷりこ)が本日朝の、6時過ぎに虹の橋を渡りました。

本当に突然のお別れでした。

本日朝、5時過ぎにはお気に入りの缶詰を一パック丸々とたいらげていました。元気そうでしたし、その後横になって眠っているのかと思っていたら、息をひきとっていたのです。

心臓麻痺か脳出血ではないかと予想します。

ぷりんは、先日、8月の22日に満で18歳となりました。猫の18歳は人間年齢に換算すると88歳。高齢です。

生後2ヶ月(出会ったのは1996年10月の22日)で拾ってきて、以来、頑なにドライフードを口にせず、まぐろの缶詰、鳥のささみに加えそれもベビーラーメンやえびっぷり!などの塩系のおやつを振り掛けないと食さない徹底ぶりでした。我が家の猫エンゲル係数を一匹(ひとり)で上げていたのは、このぷりんです。

亡父が生前、「好きなものを、好きなだけ食べて死ねば、本望だろう」とよく言っていましたので、短命でもしょうがないかも、と思いながら世話をしてきました。食事には他の猫たちより、手間も氣もかけてきました。

でも、予想に反して、定期検査でも異常なく、毛艶もいいね!と獣医さんにほめられました。

本当に長生きしたと思います。

12歳でみみこ、14歳(予想)でななこ、13歳で こたろう、と先立った猫たちに比べると、闘病もせず、ほんとうにあっけなくあっさり旅発ちました。それも敬老の日に。出来すぎ!!さすがだぷりん。

まさに大往生。私もあやかりたいくらいです。闘病もしていなかったので、体重はへらず肉付きもがしりしています。毛並みも美しい。寝ているような姿です。一晩置いたら、起き上がってくるかも!と思うほどです。

子猫のときから世話をしていたけど、甘え上手ではなかった ぷりん。

孤高の女王様。

頑固で、氣が強い。男装の麗人のような面構え。18年間、傍にいてくれてありがとう。ぷりん。

私的には、突然のお別れというのは、幼少時、叔父が事故で他界という形で経験していますが、成人してからは身近な存在では初めてです。

亡父も今までの猫たちも、闘病の果てに見送っていますので、ある程度覚悟と言うのがあったんです。

でも、ぷりんは本当に突然だったので、つくづく、今日は明日に続いているっていうわけではないのだと、改めて氣がつきました。

その分、思ってしまうんです。しかたないですね。

もうちょっと優しくできたんじゃないかってね。

突然のことで、悲しみを感じる余裕はまだないです。きっとあとからジワジワくるのだろうと思います。