ちょっと忙しくて

このブログも、備忘録も更新が滞っています。

備忘録は、お直し中心なのですが、更新するには気ぜわしい。

手相見も、続いたので、話をまとめる余裕がない。

プライベートもちょっと忙しい。

そんなこんなで、お立ち寄りくださっている皆様、もう少ししたら落ち着くと思いますので、またよろしくお願いします。

在宅ワークでデータ入力もしているので、肩が凝るなぁと思っていましたら、ある人から「人間の首の後ろ部分は、霊が出入りするポイント」と聞きました。

太古から、ネックレスを身につけているのは、装飾のためだけではありません。首周りにあるチャクラを守るためなんだとか。

そんなわけで、磁気ネックレスを購入せねば!と思い立ち、水洗いも出来るという、マグネループを購入。磁気の力で、結界も作れて、肩こりも少し楽になりました。

気のせい?かも、と懐疑的な部分もあったのですが、磁力で、MRIも撮影できる時代ですから、信じました。このマグネループの良いところは、寝ている間も装着できるというところです。

私には効果ありました。



夏バテかも

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残暑お見舞い申し上げます。

台風が温帯低気圧に変わり、雨のちに虹がかかりました。今年、自分で虹を見るのは初めてです。

もともと、暑いのは苦手な北国育ちでしたが、更年期障害のホットフラッシュが加わり、バテております。食事はきちんと摂れているし、睡眠もヘミシンクのおかげでばっちりです。で、夏バテがどこに出ているかと言うと、気力ですかね。

手相見の依頼に臨機応変に応じるのは夏場は無理そうです。

夏はとにかく暑いと萎える。

メインのバイトのほかに土日のアルバイトがあり、それがお寺の事務補助です。

私はそのお寺の檀家ではなくて、自身では無宗教というか、自分教、水晶教(自称)です。

檀家さんのデータベース作り、行事案内作成、その他書類作りが主な仕事です。たまに納骨堂の掃除もします。

このバイトは知り合いから紹介されたのですが、不思議なご縁でつながりました。大げさに言うと時空を越えて、な感じです。こういうことがあるから、他人様とのご縁は良くも悪くも疎かにしないほうがいい。

例えは良く無いですが、会社に不満があっても、相手に不満があっても「円満退社」「円満離婚」(?)が後々よろしい。

よく「会社を辞めるとき、不満を指折り数えて、上司に言った」という類の話を聴きますが、それは避けるが賢明です。

その会社の元同僚がどこでどう、自分の人生にかかわってくるかわかりません。

どこで、別れた(元)夫、妻、親族と縁が繋がるかは、天のみぞ知るところです。

また、お寺にいるということは、忘れていた数十年前のご縁と繋がる機会があるということ。

そして、病院と同様、お寺も人間の生死と密接につながっている場所と言えます。

半年以上、お寺で(実質わずかな日数ですが)、働いてみて、垣間見えるものも増えました。

弔いは、「亡くなった人を想う」、「生きている人間の為」にあるのだということです。

そのために、(現世に残る人)は、お寺にお布施をし、志納するのですね。

私の年齢を考えると、今更感ですが、毎週接する、あの世とこの世の境界線上に、私も末端に足の小指程度に触れています。

祈る人の気持ちが、大切なんですね。

私自身は、うまく死後の世界に旅立っても、家族がいないので、祈る人は皆無でしょう。でもそれで良いんだと思っています。

一人でも手を合わせ、祈ってくれる人がいるってことは、幸せなことです。

この世に、当たり前にあるってことは、なにもない。

すべてが、有り難いこと。私もあなたも毎日、奇跡の中で暮らしているようなものですね。

苦しみも、悲しみも、更年期も。生きているからこそ。

お寺の事務所は大部分がガラス張りなんですが、一日、一度、ガラスが鳴ります。風でもなく、地震でもないのに、鳴動するのです。お寺に立ち寄る霊が挨拶してくれていると思っています。

でも、暑い。

これで秋になるともの寂しさを感じるのも毎年のことです。

いいんじゃないの

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このブログを始めた頃、精神的にも身体的にもキツかった。余裕がなかったとも言える。嘆くよりは、運を良くする方法を試してみて、その結果を記録しようとブログをつづった。ブログに来てくださる方のキーワードを見ると、「手相」「風水」「お茶碗に5円玉」「運気の変わり目」が多い。手相を「鑑定」ではなくて「見る」と言うのは、人の人生を鑑定する度量が私に無いからで、ただ見ているから。風水にこだわっていたのは、自分自身の運気が底の底だったので、言葉はよろしくないが「藁にもすがる」思いで始めた。もちろん「お茶碗に5円玉」もそうだ。

効能?ありましたとも。ありましたがブログでこんな良いことがあったよ~と具体的には申しません。私の「良いこと」は他人様から見たら「瑣末」なことかもしれないが、自分の「幸せ」は他人から認めてもらうことではなくて、自分で決めて良いと思うのだ。

今、自分を不幸だの、ツイテいないだの思っても、それは案外、意外なところにつながっていくかもしれない。言い古された言葉だが、「ピンチはチャンス」であるかもしれない。

私にはそういうことがあった。

自分自身の思考や行動が、実はテレビの影響だったり、周囲の人間の価値観から影響されていたりする。人間は学習したとおり動いている。

○○だから幸せ、○○だから不幸 という価値観はあなたの見ている世界だけかもしれない。常に決め付けしない、押し付けもしないようにして共存すれば良いのだ。

世間一般から見れば、私は老いていて、お金も無いし、持病があるし、独身。イコール 可哀相な存在だろうが、

若くないから、恋愛関連の心配も無いし、お金も無いから、失う心配も無いし、独身だから嫁姑の確執や夫への不満も無いし、いつ死んでも心残りは無い と言える。

他人の立ち位置を見て自分の幸不幸を判断しない。これからはそういう時代なのかもしれない。

私がヘミシンクを始めて1年経った。スピリチュアルな体験は明確にはないが、これは脳が慣れるまで2年はかかるというので、まぁ良い。

続けることがヘミシンクのコツだという。

良質の眠りを得られたので、体外離脱には興味は無いが、ゲートウェイの1,2巻に興味が出てきたところ。

2巻でCD6枚なのですが、一人だと挫折しそうなので、気長にヘミシンクの友(略してヘミ友)を探しています。

自分で幸せになること

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先日、年に一度の持病の定期検査で総合病院へ出向いたのですが。受付窓口でとても威圧的な不遜な態度をとる熟年男性を見かけました。受付窓口の女性が検査に出向く指示を忘れたようなんですが、それに対して、罵っているんです。文字にするのも嫌なくらいです。

声も大きいし。とっても不快だったのですが、受付の女性は謝罪していながら表情ひとつ曇らせない。プロだと思いましたね。不快では有りましたが、視点を変えると、病院だし、体の調子の悪い人もいるし、許容されるのかも。そう思わないと、こなせませんね。立場は違いますが、若い頃ビジネスホテルの受付をしていたことがありまして、女性だということで態度が不遜で尊大なお客もいらっしゃる。始めからケンカ腰なんですね。

重箱の隅をツツクようにです。でも社長が応対すると、態度を一変させるんです。紳士的になる。社長がいなくなると、また責めてくる。 自分より下のモノにしか強く出られないという。「自分は小物です」と自分で表明しているような印象です。昔、年配の男性が、車を降りて、抗議していたのは、若い女性だったのを見かけたこともあります。

車の運転に抗議していたようです。「よほど面白くないことがあったのかな」と思ったけど。

別の日には銀行の窓口の女性に声を荒げている男性を見たことがあります。事業者用の窓口でしたから、「なにか商売がうまくいっていないのかしら」と思ったりしました。 あれは相手が女性だからああいう態度を取るのでしょうか。

絶対自分に反撃してこない相手を選んでいるんですね。周りから見ても一目瞭然。 他人に対して攻撃的な人は、周りが「ああしてくれない」「こうしてくれない」だの「わたしばっかり」等々不満がくすぶっていて、ちょっとした刺激で弾けてしまうんだろうと思います。

不満な自分の態度が周りに影響していると考えもつかないのでしょう。 他人に優しくされないと、不満があったら、そこはこらえて、他人に少し優しく接してみると、いいんじゃないでしょうか。 わたしばっかり!と思いますか。相手に攻撃をして一時は扱いが変わるかもしれませんが、攻撃された相手の中で芽生えた不満の波動はめぐりめぐって、発したあなたに戻ってきます。

不思議なもので、速攻反応がないから厄介なのです。 遠大なドミノ倒しのように、小さな波紋は大きくなって、戻ってくるのです。

今のままでは、ずっと今のままか悪くなりこそすれ、良くはなりません。相手が一歩譲って、あなたがすっきりしても、深いところが満たされていないからです。 同じ、波紋でも、良いことなら、もっと大きな恵を得ることができます。それは本人が忘れた頃にもたらされます。 わたしばかりが譲っている!私ばかりが我慢している!そう思っても 私から!となにか良いことを始めてみるのが、開運の近道でしょう。

人生の終焉が見えてきた私には、そう見えます。 良いことをしても、すぐに好転が見られないかもしれません。悪いことのほうがインパクトが強くて、目立たないでしょう。目立たないけど、無駄にはなっていないものなのです。 私は手相見であるけれど、愚痴を聴くのも、つらいことを聴くのも御代を頂いているので、仕事と割り切っています。

が、友人に延々と愚痴られるのを耐えられるほど、人間ができていないようです。 私の友人たちは皆、前向きでパワフルで、尊敬できる人ばかり。 どう励ましても私の言葉が届いていないと思われる人には、力が及ばず申し訳ないと思います。 でも!愚痴や不安は癖になる。自分で意識的にプラスに考えないと、自分で決めないと、負のスパイラルからは抜けられないのよ。 自分では自覚が無いかもしれませんが、愚痴っているのが楽になっている場合もあるのです。

愚痴を言う唇から、今ある幸せ、今得ているものに感謝して、最初はつらくても、少しずつ良いものを見ていくようにしたほうがずっと人生は暮らしやすいのよ。 体は不調かもしれない。つらい事もあるでしょうが、それは、「生きているから」です。あなたを支えてくれる人が傍にいるのだから、氣が付いてほしい。あなたはきっと私よりも何倍も頑張っているし、恵まれている。今気づかないともったいない。

老いる自分について

私にとっての大きなイベントである夏至が過ぎて、冬至が待ち遠しい季節となった。

年に一度の定期検査では、甲状腺の良性腫瘍が、数は減っていないけれど、大きさが小さくなっていたので、ひとまず来年までは安心となった。ヘミシンクのCD「T細胞を巡る旅」を聴きながらイメージトレーニングをしていたので、効いているのかも。薬じゃないので「効いた」と書ききれないところですけど。

自分で自分の健康はイメージトレーニングで補っていこうかね。

年齢を重ねると眼は老眼になるし、耳も聞こえづらくなる。

年を重ねると、経験から見えないものが見えてくるから、実際の視力が落ちても良いんじゃないかな。

耳の調子が良くない場合も聴かなくていいことを聴かなくても済むと割り切ってしまおう。

ま、言うのは易いけど、一歩進んで二歩下がる状態だけど、そう思うことにした。

体の不調は、年齢的に あって当たり前だと思っているから、多少の検査結果の悪い数値はあまり氣にしない。

もちろん、健康なのに越したことは無いけどね。

今まで生きてきたんだから、不調な自分も受け入れる。

老いるという言葉にはマイナスのイメージがあるが、意味は違うだろうがアンティークとか熟成とか良い意味にとらえていこう。

老練していると思って、そうやって自分自身を納得させていくのだ。

若さと引き換えに得たものがある?

それは、限りあることが救いだと知ったことだ。

苦しみも辛さも永遠に続かない。この世で唯一平等なものは

時間であり、そして死である。

自分の体を労わり、ほどほどに暮らしていこうと思う。



天然石+(Plus)への道

氣がついたら、夏至が過ぎていました。冬至が待ち遠しい季節が始まりました。

闇夜でコケた傷、まだ完治していません。今は怪我がかさぶたにならないような絆創膏の時代なんですな。今回の怪我で、膝の擦り傷は全治1週間以上ってことがわかりました。

でも、バンド●エイドは、お高いのでそろそろお安いのに変えようと思ってます。

手相見を休んで、天然石のあれやこれやを作っているうちに、夏至が…(以下略)。

自分としては、手相見に天然石が付いているという感覚だったのだが、これでは天然石のおまけに手相見が付いてくる!というのが実情。そのうち、天然石+(Plus)というブログ名に変わるかもしれないなぁ。という思いが脳裏によぎる。でも面倒だからもう変えない。

手相を拝見の際に、ブレスレットの依頼も承ることが多くなっているのは事実である。

天然石は魔法の杖ではない。言うなれば、自分自身への約束の証である。

手相見は、これからの生き方の地図のようなものだから、目的までの標として活用していくのが良い。

それから、最近、自営業の方からの依頼が多くて、受けた印象をざっと記しておく。

良き言葉に良き運氣は導かれる。

「無理」「ダメ」「面倒くさい」「殺す」(←冗談だけど実際に言われた。笑)等、マイナスなエネルギーを宿す言葉は、避けるが得策。

口癖のように使っていると、言霊がその運気を呼び寄せる。

お金が無い は「手持ちが無い」と言い換え、力技でも良いので、良い言葉を選ぶこと。

商売をしているなら、ことさらで、運気が悪いと思っているなら、なおのことである。

自分自身が、その状態を招いているというのなら、良い方に考えたほうがお得。

自分もうっかりマイナスの言葉を口にしてしまう。

そういう時は「キャンセル、キャンセル」と言うと良いらしい。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛 著 より。

気をつけねば。

自営業は、自分が王様なのだから、自分の王国をもっと幸福にしてほしい。無理はしない。自分を大切にして欲しい。

好きなことを、好きなときに、好きなだけやれる。

頑張った分だけ自分の力になるのだ。

うらやましいぞ。



闇夜に足コケ

私は昔から、運気の変わり目には、足コケる。なんの変哲も無いところで。

高校生のときは校舎の階段を踏み外して捻挫した。それから捻挫が癖になって悩ましい。亡父の入院のときも何の変哲もない坂道で足を踏み外した。

足裏が内出血で真っ赤になったけど、病院にいかずに済んだ。

たぶん剥離骨折していただろうと後で、医療に携わっている友人は語った。

当時父も骨折で入院していたから、私まで入院するわけには行かない、というワケのわからない気概で、通勤を続けた職場の階段を踏み外してもう一方の足首を捻挫したという…笑い話のような展開が待っていた。

一時、両方の足に湿布をして通勤していた。なんとかなると思っていたから、なんとかなった。

人間最後は気力だと思う!

もっと後に霊感のある知人に「私、足をよく怪我するんですよね」と話したところ、「煉さんは、歩きながら霊道(別の次元の空間)に足を踏み入れているので、あちら側から蹴り帰されるんですよね」と言われたことがある。

高校生のときは保健室の先生に「足が地に着いていない」と言われた。別の言葉では離魂病(りこんびょう)と言うらしい。

私は歩いていても、足に注意を向けていることが多い。それは住んでいる街が、冬に道路が凍りつき転倒の危険があるからで、事実、友人の中には転倒して、背骨を圧迫骨折したり、別の友人は後頭部を打って生死の境まで行った人もいるし、大腿骨を粉砕骨折した人もいる。

前置きが長くなったが、昨日の夜、近くのスーパーに買い物に行って、帰宅するとき、歩きなれたなんの変哲も無い道でコケた。

コケだけで、こんなに前置きの長いのはどうよ。

右足に違和感があり、ぐらりと来たとき「ヤバイ、また捻挫するかも!!」ととっさに反対側に膝をついてコケたのだ。

不注意だと、嘆くのは簡単だが、幸福を探査中のワタクシにはもっと深い(こじつけ)な考えをすると。

帰宅して見ると、ジーパンの膝が横一直線に裂けていた。そりゃもう、見事なくらい。裂けた部分だけみると、「カマイタチ」を連想する。

幸いにも、今回右足は捻挫にならなかった。

左ひざに擦り傷を作り、少々出血したが骨は無事。傷口を洗ってオロナインを塗布して寝た。痛みも少ないし、今朝手当てをしたら出血もとまっていたし腫れてもいない。痛みはこの世に自分をとどめる手段かもしれない。そうでないと意識があらぬところに飛んでいくから。

今月は、思い切って手相見をお休みして良かったかも。怪我もしたけどそういう時期なんだと考えることにした。転んでもそれを力技でも良い方向に考える。そのほうが、悪い方向へ考えるよりずっと良い。悪く考えると悪い考えにずっと引っ張られてループする場合がある。

私の父は、「病弱な自分」が大切な人だった。自覚していたかは知らないが、病弱でいることが、周囲の人に大切にされ、家族に愛される手段だと考えていた節がある。

病弱な自分でいるより、病弱でも自分の体を労わっている姿勢のほうが周囲から愛されるだろうに。

病弱でいるためには医師に止められているお酒もタバコも自分でやめられないようだった。

人間、自分の健康に神経質になっても、死ぬときは死ぬ。それは運命だから。

なにごとも極端はよろしくないが、健康に神経質になってしまうよりは、ちょっと緩く考えてもいいと思う。病気の自分を怖れるより、受け入れる。少しの体調不良も受け入れるっていうのが、年齢を重ねた人間だからこそできるのかもしれません。

病気じゃないけど、今回の怪我も自分をツイテイナイと言い切るよりも「この程度で済んでよかったわ」と思うことにしている。

え、やせ我慢?いいえ!!運が良かったんです!!

いいんです。私自身がそう思っているから。

 



出た!バイト先で

土日もアルバイトに出かけていましたが、出ました。

出たと言っても「霊」ではなくて、スズメバチ。ある意味、「霊」より怖い。体長4センチくらい。気持ち的には5センチに見えた。羽音が聞こえたとき、思わず携帯のマナーモードのバイブレーションの音かと思った。

狭い室内で、ハチはパニックになり、欄間に体当たりしたりして、飛び回る。

進入したと思われる窓は低い位置にあるので全然、出て行けない。

スズメバチは怖いけど、下手に動いて攻撃されたら困るので、霊と同じ対応をした。

それは「見ないふり」。

でもなかなか出て行けないんだわぁ。ハチは疲れて、窓枠や、電灯の傘に止まって少し休む。

また出口を探して飛び回る、を1時間ほどしていた。膠着状態。

その日はデータ入力業務が多くて、事務室を出て行くわけにも行かず、聞こえる羽音に怯えながら、ついに意を決して、天井近くにある排煙用の非常窓を開くレバーを引いた!が、なんと古すぎてレバーが引けない。なんだぁ!? 役に立たん!!

再び、打開策を求めて、窓を開けて、お引取りを願ったが、ハチは全然、氣がつかない。

その姿を見ていて、ふと思った。

困ったとき、視野が狭くなっていて、ちょっと余裕を持って周りを見れば、いくらでも出口(解決策)はあるのに、眼に入らない。そんな人間の姿がハチとダブって見えた。

そうこうしているうちに、強攻策を施した。それは箒でハチを出口まで誘導するということだ。

自力で何とかできない場合、そういう大きな力が働く。それが箒(のようなモノ)。

逆襲されるかも、と怯えたが、大きな箒で、無事にハチを出口まで誘導して、ハチの悩み(?)は解決。

5分後、壊れた欄間から、再びハチが迷い入って来た。近くに巣でもあるのかも。

しかし今度は、解決のコツがつかめたので、ハチを祓う(意味ちがうけど)のに成功。

事務室はほぼ密室であったから、その中でスズメバチと1時間もいたけど。

ハチはやたら攻撃的ではなかったので、良かったです。

これは、「霊」も同じような感じ。そこらにいるけど、そんなに攻撃的な存在は少ないと思う。

ハチはあんなにカロリーを消費するような飛び方しているので、たまに窓枠に止まったりして。

「少し休むんだぁ~」と遠くから見てました。

あまり、下界(私の座っているところ)には関心がなかったよう。それも助かった。

箒=手相見として、依頼者に示すことができれば。

手相を見るって事は、出口は導く箒のようなものだろうと再認識した次第です。

5月は、2件だけの更新となりました。

忙しかったのもあるけれど、今回、占星術で自分の過去を振り返った上で、将来を考える機会があり、自分の人生の棚卸しをしていました。

若いときは、星占いって全然当たってない!と思っていましたが、それは、平均的な一般の星占いですね。

自分の体が突き詰めると、星のかけらで出来ていると知ってからは、星の波動が影響しているのではないかと思って、一度きちんと自分の出生時の星の位置を鑑定してもらいたい~と思っていました。過去のことは過ぎたことなので、変えようはありませんが、私の人生はどう考えたって、残り少ないわけです。

で、残り少ないので反省というか、自分の人生を棚下ろしてみようかと。

手相見とは違う、霊感とは違う視点から摺り合せてみようと思ったのです。

過去の運勢リズムを振り返って、これからの自分の運勢リズムをいかに生かすかをじっくりと考える月となりました。

すると、やはり手法は違っても、運気の流れは示されていることに感動しました。

示されているものは、良いタイミングで来ている。

求める自分の直感に、確信を得た5月でした。

ご連絡とか近況報告

桜が咲いて喜んだのはついこの間だったのに、この数日、私の住んでいる市はえらく寒くなりました。ストーブ点火!しています。周囲も寒暖差のせいか、アレルギー鼻炎か風邪なのか、よくわからない方々が続出です。

私のほうは、働き方の効率が悪いのでしょうか、忙しくしておりまして、土日もバイト。祝日は手相拝見、隙間時間に家族を病院へ連れて行って、天然石を探して廻るという生活です。

それから、最近、前日や当日に「拝見していただけますか」というのも増えています。

大変ありがたいのですが、心の準備と言うか事前の準備も色々としていないようで、実は見えない部分で用意がございます。基本、応じることは難しいことをご了承ください。ウマく時間が合えば、応じることも有りますが…。

なにをしているかというと、それは企業秘密(企業じゃないけど)。

もうひとつ、コメント欄で問い合わせや申し込みをいただくことがありますがブログのソフトの関係で、私のパソコン宛にメールが届かないことがあります。

こちらから氣がついて、返信を差し上げても、最近はスマホが普及しており迷惑メールブロックをされているようで、ドメインで迷惑メールに振り分けられたり、エラーで戻ってきてしまうことが少なくありません。

「返信が来ない!プンプン!」となる方とはご縁がないと思っておりますけども。

どうしてもエラー等でメールが送信できない場合は、ご紹介者にご連絡を差し上げます。が、2日経ってもこちらからの返信が無い場合は、もう一度、ご連絡くださいますようお願いします。

 

桜が咲いた

ipod shuffle

私の住んでいる街でも、桜が咲いて、見ごろです。桜の花の色は多様で、見ている人間の心をウキウキさせます。

先日、ヘミシンクの「オープニング・ザ・ハート」を購入して聞いています。4枚組みで、1枚目のCDがすごく、調子が悪いのです。音飛びしてしまうので、CDを拭きプレーヤーのレンズをクリーニングし、複数のCDプレーヤーで試しましたが、開始8分以降の音が聞き取れず、CDの動作が止まってしまうというものです。

念のため、バックアップをとってあったので、そのCDを聴くときちんと聴けます。

何らかの理由で、購入したCDのデータになんらかの原因で傷がついたようです。

こういうことがあるので、バックアップは欠かせません。…というか、購入したCDのデータが不良になったのは初めてです。いつもの習慣に助けられました。1枚目はヘミシンクの基本で、無くても良いかと思ったのですが、基本は大事ですよね。

ポータブルCDプレーヤーの調子もよろしくなかったので、思い切って

ヘミシンクCDを集中して聴くために、ipod shuffleを購入しました。

クリップが着いていて、邪魔にならず、操作も簡単。shuffleという名前が付いていますが、順番に聴くことも可能です。

容量は2GBですが、インポート設定を「Appleロスレス・エンコーダ」に設定すると、高音質で取り込めます。10枚ほどのヘミシンクCDを取り込んで寝る前にパジャマのポケットにクリップして使用しています。

ipodは10年以上前に、液晶が白黒の初期の品、Mac専用の10GBのを購入していましたが、対応ソフトが進化しすぎて、新しいのを取り込んでいませんでした。当時、3万6千円くらいしたはず。

今回のshuffleは色も豊富で、4500円(税別)。一つのことに特化して聴くならお値段以上だと思います。プレイリストを読み上げてくれる機能も付いてます。ロボットの声でちゃんと読み上げてくれるんですよ。感動しました。

あ、今回「オープニング・ザ・ハート」を購入したのは、ヘミシンクのCDの中ではメインの「ゲートウェイ・エクスペリエンス」の次に人気があった品というので興味が湧きました。で、お安く、販売されていたのが見つかったからです。

幽体離脱はしなくてもいいけど、なにか変化を求めたいというか、「愛」を感じられるかも~という興味が勝りました。

これで、「何か」を体験したら、次は「エクスペリメンス」に行くかも。

まだ、実感は湧かないですが、さまざまなツールを使う楽しみがあります。

ストレス解消、疲労回復にはいいと思ってます。