内なる神様に繋がりたい

世の中、ハロウィーンでにぎやかですな。

私も気持ちだけはハロウィーンしています。スマホゲームの「ポケモンGo」でハロウィーンピカチュウを(予想よりも)たくさん、捕まえることができたからです。この分じゃ、私のアバターが持ってるバッグが、ピカチュウでいっぱいになる日も夢ではないかも。

しかしながらイベントが終わると、ピカチュウの出現率も下がります。

とりあえず、目先の幸せに浸るのも開運には大切。

今まで、手相を拝見した方には「オラクルカード」を使うと良いよ!とおススメしてきた私。

オラクルカードを使って、「同じカード」が何回も出てくる体験をされた方もいらっしゃるでしょう。私も体感しました。

オラクルカードにはタロットカードにあるような、一見「怖い」カード…「死神」や「悪魔」「崩れる塔」がないのです。

自分で自分のことを読み取ろうとすると、思考が読み取りを邪魔することがあり、また、オラクルカードは天使とか妖精が出てくるので、馴染むまでは読み切れない、読みなれないという点が気になっていました。

他人にはススメておいて、なんだ!と思いますが。オラクルカードの不思議な力は、体感していたので、おススメしていたのは、本当です。

先日、ネットで「RKカード」というものを知り、興味を持ったので、購入しました。

詳しくはネットでたくさん出てきますので、ここで説明は省きます。

届いたばかりで、まだ使いこなせていないのですが。

文字霊(もじたま)を宿すという文字で具体的に表されているので、容赦がないというか、直球勝負な印象です。

これは、自分の内なる神に繋がって、具体的な「神託」を受けるアイテムになるかもしれません。

いつもの自分なら、オレンジのケースを選んだところですが、今回は、違う選択で黒いケースを選びました。

エネルギーを活性化したいところですが、人間的には魅力的になりたいのです…。

シャッフルして使うのではなくて、基本は「切って」使います。

最近、ブログにたどり着く、キーワードが固定されてきたような気がします。

良い機会ですので、リンクを貼っておきたいと思います。

1.運気の変わり目

2.季節の変わり目は運気の変わり目でもある

3.体調を崩す時

「すみません」と言わない

自分の思考癖。他人様からなにかされると、つい「すみません」と言ってしまう癖。これは、他人様に大切にされていない、という思いが根底にあるから出る言葉。

子供のころ、親せき宅を訪問して、なにかしてもらったとき、出た言葉が「すみません」で、親類の子供たちに失笑されたことがある。

家庭環境にもよるのだろうが、「負け犬根性」がデフォルトだった。、「負け犬根性」は楽なのだ。

努力しなくて良いから。

そして、自分を大事にしていないと、他人からも当然大事にされない。

今、自分がツイテいない、なんとなく不幸だと思っていたら、まず、他人から何かしてもらったら「すみません」とは言わず「ありがとう」と言うように、ちいさな行動を変えてみることから始める。

そう聞いて、実践しているが、なにぶん、長年「ラクに流れている」身なので、うっかり「すみません」と言ってしまう。

そこは、「ありがとう」だろう。

ありがとう、と言うのが本当だ。

私も仕事で「すみません」と言われるほうになるが、相手が悪いことをしているとは思わない場面で、「すみません」と言われるよりは

「ありがとう」と言われるほうが、気分は悪くない。

なんでも「すみません」で済ませない。

嘘でもいいから、まずは形から。

そう思っていたのだが、が!

「年末のバイト」の面接で、「負け犬」な自分を出してしまった。

あ~あ。修行が足りない自分を感じる。反省。



あなたへ言いたいことがある

あなたへ、言いたいことがある。

手相を見始めて、幾多の年が過ぎ、あまたの人の手相を見て来た。チラ見から、代価をいただいた人、拝見した数だけの生き方があった。

迷いや悲しみ、苦しみを手相の向こうから、私は見て来た。

あなたは、私の見立てには満足できなかったかもしれない。

私も、もっと踏み込んで話をしたほうが良かったのかも、と思うこともある。

私は、前向きな言葉を選んできた。見たての時期、イベントの起こりそうな時期は、曖昧にしないように答えて来た。

さすがに、何月何日何時、出会って、〇〇します!なんてことは言わないけれど。

私の手相見は、抗いがたい運命を予言するものではなく、あなたの内面の奥底から浮かび上がる運気を読み取るもの。

手相見が見た運勢は、可能性の一片だと思う。

手相を見せた段階で、あなたの内面の奥底には、「選択済の決心」があるのだ。

私の言葉で、決心に確証を得て一歩進むか、退くか、それはもうあなたの心の奥底で決まっていたに違いない。

それでも、 私が手相を見ているのは、希望を見出したいからだ。

あなたは「見てもらって、すっきりした」と言ってくれた。

暗闇を歩いているような気持ちのとき、立ち止まるか、引き返すか、不安になったとき、「希望」という灯を掲げて少しでも進むために、私は手相を見ている。

今でも、あなたのことが、気になっています。

けれど、手相見であるかぎり、こちらからは連絡はできません。

ただ、祈っているだけです。

変わりなく元気でありますように。
幸せでありますように。
世界が平和でありますように。




プロバイダのメアドはそのまま

先のブログにメールアドレスを変更します、と記しましたが、来年の1月末から、携帯のアドレスが変わる予定です。パソコン宛てのアドレスは、プロバイダを変更しないので、使えます。よろしくお願いします。

この3連休は、家の紙ゴミを整理するのに費やしてしまいました。本来ならばマメにすれば良いのだろうが…。反省。

その中から、数十年前にエッセー賞に応募した原稿が出て来た。

もう雑誌は廃刊されている。エッセー賞に投稿したのは、文章を無料添削してくれる、ということだったから。

当時、私は本屋のパート店員だった。

今とは、書店の内情もかなり違う。1995年頃の書店の雰囲気を、備忘録なので、記しておこうと思う。

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「本屋な気持ち」

夏休みのワイドショーとかけて、盆過ぎの本屋と解く。そのココロは。

「すでにネタ切れ」

問屋が夏休みの間は、当然ながら本の入荷はない。背表紙が斜めに並ぶ本棚をつぶやいた。私の仕事は本屋の店員。身分はパートだ。

普通の小売業と違って商品のPRはほとんどしないし、サービスで特色も出しづらいうえ、バーゲンもできない。ついでに言うと利益も少ない。

ただ、品物を置く空間を提供する。

店の広さに比例する取扱品目の数が頼りな商売のように思える。パートの時給が最低線ギリギリというのも納得する。

一見、ラクそうに見える。この仕事に就く前は私もそう思っていた。が、本は数多く持つと重い。そして。「予約したのに本がこない」「注文して一ヶ月以上経っているぞ!どーなってんだ、バカヤロー」とお客様に詰め寄られたりする。

本は、二大問屋(日販、東販)いずれかを通して、店頭に並ぶ。納期は本屋の店員にはどうにもならない。

本屋で働くようになって、思い知った。

出版って、首都圏中心主義なんだなって。

発売日、発売日前に本を手にできるのは、首都圏在住者の特権のようにさえ思えるのだ。

北海道なんて最低3日は遅れる。「フライデー」が「マンデー」と化す。新刊で発行部数の少ない書籍になると、首都圏で売れまくっているうちは、なかなか地方には出荷されないらしい。

新刊の売れ線を見極め、発注する社員は、「株や投機をやっているものだ」という。

私はこの仕事が好きだ。それは本を買ってもらって、怒る子供は見たことがないからだ。本を買う。それは知識を得ると同時に、友を師を恋人を得ると同じなのかもしれない。

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講評論

「書店の特殊性、また北海道という地域性からくる問題、流通事情をなどについて、事情を知らない人にも十分説得力のある内容です。結論部であと、ひと工夫を」

内容の新鮮さ B

基本的な文章力 A

表現力 A

アピール度 B

総合評価 B

☆彡☆彡

原稿用紙の各部分に丁寧に赤を入れてもらっていた。

思い出深い。

最後の3行は、「きれいごとをまとめたという印象です」と記されていた。

文章力はあるが、ネタまとめ方に難ありというところかぁ。

手相見も、天然石も そこを乗り越えるのが大事ということか。

あの頃に比べると、欲しい本はAmazonで手に入るし、地元の図書館も充実しているし、ネットでも書評も読めるし、いい時代になりましたね。私の勤めた居たころに、「本屋大賞」があればな。

私の担当は、文庫でした。

地元を舞台にした書籍を企画して、それなりに売ったと思う。

天職だと思って働いていたけど、売り上げ減でリストラされて、気がついたら、手相見しているなんて。当時は売上グラフも手書きしていたんでございます。10色ボールペンを使いました。

 

ああ~あ。近所に書店もなくなって、立ち読みができずに寂しいです。立ち読みして、ズキューンとくる本に出会える醍醐味がなくなりましたね。

手書きの文字に昔の自分を見て、内容に進歩していない自分を感じて、ちょっと恥ずかしい気持ちでした。

 

10月を越えていく

早いもので、気がついたら10月で、連休に突入。

9月末日に、ポケモンGo、レベル34に到達しました。

運氣の流れをつかめ
1年間、こつこつゲットしましたよ!

先日、念願の「ラッキー」も卵から孵りました。

8月に、愛猫ぐれこが逝ってから、私の睡眠は妨げられることもなくなり、毎朝、4時半に目が覚めます。

それから、1時間ほど、iPad mini でネットを見たり、メールの返信をします。

ぐれこは高齢猫でしたが、6月末に病が発覚してあれよあれよと病院通いし、7月中頃から寝たきりになって1ヶ月、意識を無くす前日は、私の喉に両手を置いて眠りました。

私の喉は十数年前、甲状腺の右葉の腫瘍を摘出しています。

その傷口にそっと手を添えて眠りました。

ぐれこが息を引き取る前日に見た夢は不思議な夢で、見知らぬ男の子との会話でした。ぐれこは人間でいうと90過ぎのおじいちゃん猫でしたが、あれはぐれこの守護霊(ガイド)みたいなものかもしれないと思っています。

なんとなく、覚悟をしていたつもりでしたが、この数か月は心の深いところに、空虚感とか、寂しさが残っていたんだと思います。

体調も今一つでした。でもそこは、抗わずに、不調に浸ってしまおうと思っていました。

今年の前半は、手相見の新規の依頼主がどっと増えて、慌ただしくなりました。

「手相見は天然石とセットにします」と見料+天然石代を頂戴することにしたのです。それはそれで問い合わせも多く戴いたのですが、思惑通り、多忙さからは遠のきました。

ようやく一区切りになりましたので、このブログからは手相見の見料について、つづった記事は削除しました。

セットではなく、手相見には手相見、天然石には天然石の依頼主が存在していたようです。セットだと、どちらも頼みづらいというお話でした。

ご興味がありましたら、まずは問い合わせていただく、というのが一番かもしれません。

それから、気の早い話ですが、来年の1月頃に、携帯電話会社を変更する予定です。キャリアのメールアドレスは使えなくなるので、Gmailアドレスや、紹介者の方から、ドメインのメールアドレスにてご連絡くださるようお願い申し上げます。

落ち込んでいるときは、ちょうどいい機会なので、スマホのアドレス帳などを整理しました。

今はもう繋がっていないご縁を大事にしているより、新しくつながるご縁を導く場の確保、とでもいいますか。

とりあえず、連絡の途絶えている方々のアドレスは整理いたしましたので、何年も間を開けていらっしゃる方、ご連絡くださるときは、お名前を忘れずにお知らせください。

私の手相見料

 

本人は「つい、この間」と思っていても、世間からすると、遠い昔の話っていうのがあります。

今回の話もそうです。10数年前に手相を見始めて数年目、まだ無料で興味本位で見ていたころ、バイト仲間にとても強烈な個性の持ち主の女性(以下、仮名子…かめこ-さんとします)が居ました。

私から見ると、よく言えば積極的でおおらか、悪く言えば傍若無人、自己中心的という性格で、バイト仲間からは遠巻きにされていました。

その積極的すぎる性格は、バイト先で今でも伝説になっています。

かめこさんは手相を見る私に興味津々で、一度さらっと拝見したのですが、そのうち仕事中にも、いきなり両手を顔面に差し出してきたりして、自分の運気を聞いてきます。他のバイト仲間や上司がいる前ででもです。

こういうのが続いて、困った私は「私は手相を無料で見ていますが、なぜ無料で見ているかというと、私が相手を選ぶからです」と言いました。

かめこさんは、「たいしたタマね。何様?」とお怒りになりましたが、それからも何度か、「手相見て」というアピールがありました。最後には「バイト先に文句を言ってやる」とも言われましたが、二度と拝見しませんでした。有期のバイトが終わってからは、かめこさんとは、もうお会いすることもありません。

あれから十数年!(綾小路き〇まろ風)。

手相見は 無料から、お菓子、食事…という流れになり。

いつの間にか、手相見に対してお代をいただくようになっていました。

もしも今、かめこさんに会い、「手相を見て」と迫られたら、見料をいただきます、と話しますが、かめこさんは、「お金をとるの?何様なの?無料で見てよ!!」と言うかもしれません。

私の手相見は、お代を頂戴している以上、私の経験に依頼者の経験も加わっている、価値のあるものだと信じています。

信じていないと、他人様の悩みに通りすがりの手相見が、色々言えるわけもない。それなりのお代をいただいているのには、理由があります。

無料で見ていた頃も、今と変わらぬ内容の相談が多くあり、真剣に見て、アドバイスしても「無料だ」ということで、すぐ忘れる、何度も同じ相談を繰り返す、何人か集まると、手をさし示されて、気が休まらない…こともありました。

無料だと、真剣に話を聞いてもらえなかったほうが多かったように思います。

お代を払っている以上は、「もと」をとりたいと思うわけで、私はそれに応じて、依頼主の運気の流れを読んでいるのです。

無料は、エネルギーの循環の関係で、応じることもないとは言い切りませんが、初見の依頼主には、まず、いたしません。

何回か拝見している、お世話になっている方には、サービスすることもあります。

「ちょっと見てよ~」とか「余興で見てよ」という軽い話もありますが、今まで私に手相見を依頼してくださった数百人の方々の、気持ちと合わせても、それはもう「それなり」です。

さて、仮にかめこさんが「見料をきちんと払うから見て」と話されたとしても、きっと私はお断りすると思います。オラクルカードをお勧めするかもしれません。

今までも一度見料をお支払いいただいた後は、その後もいろいろと(無料で)見て!と迫られることもあります。

相談内容次第では見料をいただくまでもない、という場合はメールでお返事をすることもございます。

その後を見て!という方は今まで数人いらっしゃいました。真夜中の長文メールや、電話などで、対応して当然、という態度もとられたことがあります。

仮に、紹介者から「半額で見てほしいという方がいるんだけど」と相談されたとして、最初から半額で見てほしい、と言うのは、ちょっと違うんじゃないかなと思います。

拝見させていただいた方の中には「煉に相談して損した~。金返せ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

相性というのもありますしね。

誹りも非難も、お代をいただく以上は、しかたのないことだと思っています。私と時間を共有したお代だと諦めてください。

依頼があるかぎりは、精進したいと思いますが、これからもご縁は選びます。


 

函には秘密がある


空の雲の流れ方が、すっかり秋だと知らせているようです。

最近の流れで、ブレスレットの修理のほかに、ブレスレットの浄化を依頼されることが多くなりました。

私の作成したブレスレットは、ゴムの交換も承っているので、受け取った時は、浄化函で石を浄化します。そんなことをしているとは、特に宣伝もしていなかったのですが、ゴム交換をした石が「つやつやになっている」「エネルギーがピリピリ感じる」と不思議がられることが多いので、口コミで「浄化だけしてください」というのも、手元に届くようになりました。

以前もブログで記していますが、浄化函には秘密があるのです…。

(蓋が本体とつながっているものは、「函」。別々になるのは、「箱」)

この函の中は絹張りです。

そして、石にこもった負のエネルギーを浄化するための、ダブルポイントクリスタルと、チャージするためのカテドラル水晶が納められ、運気上昇の「護符」。(どちらも本体はお見せできませんけど)

そして金運招福の詠唱を封じたオイルの香りで、満たしています。

ゴムを交換する前、交換したあと、石たちはこの中でエネルギーをチャージし、プログラミングされて、持ち主のもとへ帰るのであります。

この函自体を、小さなパワースポットにしているというわけです。

最初は、私自身も、石に対する思いやりから始めていたことですが、その石の輝きの戻りを体感してくださった依頼主の方が、口コミで私の周りに浸透してゆき、いつの間にか、浄化のみご依頼、という方も増えて来たようです。

手元に届いて見てみて、持ち主が気づかなかった、ゴムのゆるみや劣化、石の欠けなどがわかる場合もあり、その時はゴム交換や、パーツの交換に至ることもあります。

普通に、お香や太陽の光、月の光で浄化する以外に、もっと強力な浄化を希望される場合は、お手持ちのブレスレットのメンテナンスを兼ねて、お声をかけていただけたらと存じます。

あいかわらず、ポケモンGo!しています。レイドバトルは仲間がいなくて伝説のポケモンは、スクリーンショットでゲットしています。てか、スイクンって誰?って感じぃ。

 

 

魔法は自分自身にかける

早いもので、9月になりました。

風はもう秋めいています。暦の上では秋だから、当然ですが、今年の夏は、いつもの夏にへたばった感覚がなかったように感じます。

今年は、手相見としてこの数年の中で、ご新規さんが多かった年でした。いや、初年度は当然、ご新規さんばかりでしたがね。

この数年はリピーターさんが多かったので、なおさらそう感じるのかもしれません。

私は、手相見の依頼主に手相の簡単な見方をお知らせした後、「オラクルカード」をお勧めしています。自分自身の内面を自分の前に示せる、「気づき」を与えてくれるのは、オラクルカードだと思うからです。

ムシャクシャしたとき、落ち込んだ時、悲しいとき、タロットカードで比較的悪いカードが出ると、がっくりきますね。オラクルカードは基本、前向きなメッセージですので、落ち込みすぎずに冷静に見ることができるからです。

今年の相談事のテーマは恋愛と対人関係が多かったです。

家族を含めた対人関係は、普遍のテーマですが、「上手くいきません」とおっしゃる方々は、相手をどうこうすることを考えている場合が多いのです。自分を振り返って考えるに、他人にどうこう変えられるというよりは、自分の中の自覚がなければ、人間そう簡単には変わらないもんですよね?

相手がいるのに、相手をどうこうする(=変える)には、それはそれはエネルギーを要するんですよ。

私自身、一人っ子育ちで、兄弟もおらず、両親ともコミュニケーション不全者だったから、対人スキルは全くなく。

私が小中高生の時、友人関係で躓いた時には、アドバイスが全く役に立たなかったです。

小学生に「苛められたら、知らんふりしていろ」なんて。相手が図に乗るだけですよね?この対処は大人同士にはまだ、使えるかもしれないが。

さすがに、高校生になった時に、「違うな」と察して、そういう「人との付き合い方」に関する本を読みました。もう知らないことばっかりでしたよ。

社会人になってからは、同僚や周辺の人の素敵な方々のスキルを真似することもしました。

でも、結局は、自分の中の心理というか、心の持ち方に原因があるのではないか?と思うに至り、心理学の本を雑学として読みました。

今は、「イライラした時に読む本」や「成功への心理学」などいろんな本が出ていて良いですね。

結局のところ、上手くっていないのは、相手にも原因はあるだろうが、自分自身にも原因があると、思って、自分の心理をうまく、良い方に向けるほうが、ずっとずっと楽なワケですよ。

どう頑張ったって、自分自身は、相手になれない。相手を羨んだって、嫌ったとしても。変えることなんて無理無理無理無理。

そうしたら、自分の考え方を違うように変えていく方が、格段にたやすいです。

嫌な同僚、腹立つ上司、思い通りにならない恋人。

言っても、押しても引いても、聞かない相手は、ブログで観察日記でもつけていて、ネタにしてしまえばいい、ぐらいの気持ちでいたほうがいいとか思うんですが。私自身、実親とは仲が決してよろしくないですが、母とのやり取りは、ネタですよ。ネタ。

アルフレッド・アドラーの「嫌われる勇気」

今年の1月に、テレビの刑事ドラマの原作。

非営利社団法人 日本アドラー心理学会から、使われ方が不本意だという抗議(注意?)受けて話題になりました。

職場でどうしても相性の合わない相手と1対1となるとき、自分が退くか相手を退かせるかという、場面もあるかと思います。私自身、20代に経験しました。

相手を変えることが無理だったので、自分比、総力戦で当たりまし、心理戦です。

今思えば、よく無事で済んだと思う。若かったんですね。

これはいよいよ最終手段です。

 

そうなると鈍感力が、必要かもしれません。

本当に強い人は、相手に何を言われても気にしないでいられる人。

自分のしたいこと、やりたいことが見えていれば、目先の対人関係に耐えられると言えます。

小学生の時いじめられっ子で、登校拒否児で、引きこもり一歩手前だった私の経験値も入っています。

周りに味方がいなかった時、親や先生も敵に思えた時、私を支えてくれたのは、アニメを見ることであり、漫画を描くことだった。

留年寸前まで行ったけど無事に小学校を卒業できたのは、そのおかげだと信じている。

同級生に侮られても、苛められても、生きていれば、好きなアニメが見られる。当時はビデオも普及していなかったので、再放送を楽しみにするしかなかったから。

なにか一つ、好きなこと、やりたいことを手にして、乗り切ってほしい。

必要なら、護符やパワーストーンだって使っていい。

ただし、相手に攻撃するのは、自分への「返し」が面倒なので、どちらもwin-win になるようにするのが良いんでしょうけど。

だれかが、言っていた。

「人生は壮大な実験場」「人生は死ぬまでの暇つぶし」同じ暇つぶしなら、色々試してみても良い。

 

紅乃煉の成分表

8月も、もうすぐ終わり。

あまり暑いという印象の無かったこの夏。

愛猫を見送ってから、頭ではわかっているのに、体調が今一つで、栄養ドリンクを飲んだりしたが、心の深いところが悲しんでいるというのが実感だ。悲しいというより、寂しい。というのかな。

そんななか、ポケモンGoはあいかわらず、しています。今年中にはレベル35に到達したい。(現在33の半ば)

手相見の拝見数が3桁を越えて久しい。

以前から、わかっていたことだが、手相見初期の「紅乃煉」と2017年8月現在の「紅乃煉」は成分(なかみ)が違う。

最初の頃の私には蓄えた知識が少しだったが、今の私には相談者に方々から得た知識も加わっている。

思うに、こんな私に、手相を拝見させてくださった方々には、感謝の言葉しかない。誰にも言えない深い部分を、提示してくださるのだ。こちらとしても真摯に受けねばならないだろう。

私は、鏡。示された情報が真摯であれば、それに応じ、読みも変わってくるだろうと思う。

そこが私の能力の限界なのかもしれない。

今までは、依存されると、よろしくない、という考えがあったが、依存するのも個人の勝手じゃない?などと思えるようなった。

時間をおかずに見て。それも無料で、見てみて~!というのは、さすがに困るが。それはお友達にしてもらうことをおすすめする。

ただ、劇的に手相が変化していなくても、お茶しながら、手相を拝見して、お話をするというスタイルも有りだと思うようになった。

手相が変わったから、運気の流れが変わっていくわけではない。「変えていこう。がんばろう」という意志が、手相を変化させていくのだ。私はその力に、ちょいと力を貸すだけだ。

昨日、iPhoneを砂利道に落ちてしまい、画面にヒビが入った!と思って大慌てして、キャリアショップに足を運んだら。

割れていたのは、ガラスの保護フィルムだけでした。ああよかった。

新しい保護フィルムを買い、貼ってもらって帰宅。

保護フィルム、貼ってて良かった。

ちょっとお高いガラスの保護フィルムだったけど、役に立ってくれました。

ついでに自分のスマホの契約内容等その他、わからない部分を質問攻めにして、答えをいただいてきました。

2年縛りが終わるのは、2018年の1月末、iPadは現在 miniなので、大きなのにして、スマホは格安会社にしたいと思っています。

今だと、スマホとタブレットふたつに解約料がかかるんですよ。

色々と計算していると、ここまできたら、更新月を待っても、金額がさほど変わらないかな~、って。

そのときは、携帯電話のメアドは使えなくなりますが、PCのはそのままですんで、よろしくお願いします。

愚者のつぶやき


私には好きな言葉が多くある。あなたにもあるだろう。
その中のひとつで好きな言葉は「しない善より、する偽善」。
善人ぶる自分を私は自覚している。

店頭の募金箱に小銭を寄付するのも。

神社でお賽銭を奉じるのも。

世界平和を祈るのも。すべての延長線上には「自分の世界」平和のため。

決して真の善人ではない。

でも善人に近づきたいが、その道は遠く険しい。ほんの、1ナノメートルでもいい。

近づきたい気持ちはあるので、形から入りたいと願っている。
まさしく偽善者だろう。
文章にしてみると、本当にちっさい人間だ。

かなり昔になるが、些細なことから、依頼相手から非難めいた言葉で、責められた時も「私はあなたに応えられる人間ではありません」と返答した。相手は「そんな、煉さん、自分を卑下しすぎです」とあわてて慰めてくれた。相手はとても素直な方だったようだ。
だが、実際、私の心の内は「”あなた”にはなんと思われようとかまわない。それは、わたしにとって、たいしたことではない」という意味だったのだ。

他人の心の中を、正確に読み取ることは、難しいのかもしれない。
ならば、想像でしか答えを得られないのであれば、自分の都合の良いとらえかたをしても良いだろうと思う。

自分にとってはそれが、「真実」であれば良い。
万人に好かれるのは、無理な話だ。
自分が無理をせずに、過ごせるのが正解。
恋愛も友情も、片思いで終わることもある。相手が自分の想うエネルギーと同じくらい、自分を想ってくれていなくてもいい、と腹をくくることだ。
見返りを必要としないことで、不満も、不安も持たずに済む。
尽くしたいから、尽くす。してあげたいから、してあげる。
その純粋なエネルギーは、きっと自分の力となる。
損得で測っていても、結局、自分のためだと思っていれば、いいんじゃないの。