イヤなら変える

暦の上では、ゴールデンウィークが近いのに、私の住んでいる街は雪がちらついたり、とにかく寒いです。

ブログを見ると、毎年この季節は「寒い」と記している氣がする。

私は手相見であるが、皆さんが手相を見てもらいたい!と思うのはどういうキッカケだろうか。

一昔前に比べると、書店には手相見の本の種類も多いし、その気になれば、本を読んで自分で調べることも可能なのに。なぜか。考えてみた。

複数の人から聞いたところによると「本を読んでもなんだかよくわからない」という。

思い返すと、私もそうだった。私が手相を見ることができるのは、過去にたくさんの実例というか、手相を比較、拝見する機会に恵まれたからだ。

手相は、自分の内面が現れたもの。自分の深層心理が感知しているものしか、表れない。

深層心理が感知していて、自分の表面では感知していないものを、読み取って提示するのが、手相見である自分の役割だと思っている。

「今、会社で人間関係がつらくて」

「夫とうまく行っていない」「嫁(息子、娘)と上手くいっていない」

 

アドバイスを求められて、私が言えるのは

「嫌なら変えるしかない」と言うことだけである。

今までのやり方を変えないと、現状は好転しない。

今まで自分がやってきたことが、なにも悩みを解決していないのだから。

 

どんなに頑張っても、自分は自分で他人にはなれない。

他人を変えるなんて、それはものすごいエネルギーがいる。

たとえば、自分が他人に意見されたとして、すぐ受け入れられるだろうか。

受け入れたとするならば、相手の悩みはすでに解決されているので

手相見するまでの悩みごとにはならない。

 

ならば、今までのやり方を「押していたこと」を「引いてみたり」して

別の行動をとって、変えてみるしかない。

自分のやり方 を変えるのは、違和感あるし、辛いだろうし、面倒くさいだろう。

それでも他人を変えよう、思い通りにしよう とするエネルギーよりも少なくて済む。

それは、自分のことは自分自身が一番わかっているから。

超能力者でないのだから、他人を思い通りになんてできない。

自分の行動を変えて、周りの状況を変容させないと、いつまでたっても

「ツイテイナイ」「周りがわかってくれない」と不満だけを周囲に呟いてしまうのが続く。

呟くだけ→なにも変わらない→さらに呟くだけ→周辺環境が悪くなる→呟くだけ

 

時間が経過するうちに事態が好転する場合があるかもしれないが、今以上の忍耐力も必要になる。

今までのやり方が通用しないとなると、変えてみるということを「鏡」となって示すために

手相を見ているのではないかと、今更ながら痛感している。

手相の上に、幸運が記されている場合は、それを確実なものにするために、タイミングを知るために「数年待つ」「行動をおこす年齢」というのを読みとるのだ。

希望を手にするために。

結局のところ、自分の運を選ぶのは自分自身。

ずっと不満だけ呟く人生というのもアリだし

それが嫌なら大なり小なり「変える」という意識が必要だ。

今に不満があるなら、変える。

相手に言っていた不満の切り口を変える。甘い言葉を厳しい言葉に、弱い押しを強い押しに

絶望を希望に。変えてみることだ。



たとえば

先日、読みたい、読みたいと思っていた古典SFを2作読んだ。

ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙 」と クラークの「幼年期の終わり

 

 どちらも人間対人間、人間対宇宙 との関わりを描いている。

人間と人間が存在する限り、対立もあるし、思いのままに動かない。だからこその人間だ。

もし世の中が自分の思い通りに、ことが運んだならば、悩みもない代わりに、どこか空虚なものだろう。

光の只中に存在すれば、光を光と感じられない。

光を光と認識するには闇が存在しないとならないのだ。

苦しみを経験しなければ、喜びも、喜ばしいと理解できない。

この世には全てOKという事象は存在しない。海があり空があるように、対極のものがあって初めて知ることができるものがあるのだ。

 私自身、扉が閉じられた感じというのを幾度も味わってきた。

扉は閉じ、ぶつかり、弾かれて、気がついたら、今は、他人様の手相を見て、天然石でブレスレットなんて作っている。

もしかして、悩んでいる悩みの種が、あなたという人生に配置された、天の使い、運命のキーワードかもしれない。

 ならば、嘆いてばかりいないで逆手に取ることを考えると、運気の流れも変わってくると思えてくる。

 

 

それだけは避けて欲しい

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先日、ストラップを購入してくださったT男さんとお会いしました。

T男さんは、私の作ったものを、それはそれは気に入ってくださっているのですが、大切にするあまり、包装袋から取り出さずに、お守りとして仕事机の上に飾っていらっしゃるとか。

「それはダメです」 私は強く言いました。

石は、宝飾品として眺めるものですが、私の手がけたものは、俗に「パワーストーン」と呼ばれるので、人間が、触れて、使うことでしか、波動が、パワーがアップしません。

人が石に接触して初めて、「目覚める」のです。

飾っているだけでは、本当の力を発揮しません。

特に、水晶や黒水晶など、一番、魔除でパワフルだと言われている類の石はなおさらです。

 

それに、私の手がけた可愛い石を、袋に仕舞いっぱなしにしてるのは、可愛そうです。

触れてコミュニケーションした石が、たとえ割れたり、消えてしまっても、何らかのお役に立っていたのですから、石は本望です。

石は、遠い遠い昔、人と同じ、原子の一部を構成していたかもしれません。

だから、パワーストーンは身につけてこそ、値があるし、力を持つのです。

もっともっと石とコミュニケーションをとってくださいませ。

4月はアゼツライト注目月。備忘録でご案内していますので、氣になる方はよろしくお願いします。

直感に聴く

年度末も過ぎて、新年度の始まりです。

年度末といえば、数年前に登録していた派遣会社から、電話をいただきました。

急に人手が入用になったのでしょうか。

仕事が来るときは、続くものですね。

振り返るといつも、ないときは全く無いのに、来るときは2つも3つも呼ばれるのです。

 

今回は、心がすごく動きました。今のバイトより、時間が長くて、時給も良いし、福利厚生もある。

で、直感で「!」とくれば、即お受けしたかもしれませんが、なんというか、タイミングが合わなくてお断りしました。

こんな好条件、最後かもしれません。

今のバイトもわたしなりに色々工夫してこなしてきましたが、どうも仕事量に能力が追いつかなくなっているようです。データベースの動作を確認して自宅でも数時間…。

今度ばかりは自分がそれなりに年をとり、仕事量が減ったなぁと痛感しました。

数年続けていても、仕事内容に自信がもてません。

新年度なのに、気持ちは限りなく黒に近いブルー。

 

今回は新しい環境で適応してやっていけるかというところで、躊躇したのかな。

つまり「そのとき」ではなかったということ。

今の仕事も引き継ぎがいつでもできるように、書類を用意しておこうと思います。

自動化ができるところは、自動化しておこう。

転職云々より、いつなんどき、人生なにがあるかわからないから。

タイミングはとても大切で、必要なときは、扉が次から次へと開くようにうまく運ぶものです。

今年のキーワードは、「新しいことを始める」ということですので、この次、チャンスがきたら、うまく掴めますように。自分の背後霊さまに祈っておこうっと。

 

今年になって、霊感鑑定を依頼した先生からの鑑定結果がword文書23枚にもおよぶ長編で届いたのは2月のこと。

鑑定内容は、幸福への道筋をカバラ、タロット、霊感 と3つのツールを駆使して、多角的に分析してくれるというものです。ご紹介したいところですが、私が申し込んだ後、依頼が殺到して受付中止になってしまいました。そろそろ鑑定再開する予定と聴いています。。

この大容量の鑑定内容で、お値段も格安です。

先生は、映像関係の自営業の傍ら、副業として鑑定業務をされているようです。

ホームページに出会って、申し込んだ決め手は、私の尊敬するスピリチュアルヒーラー山村幸夫さん(故人)の本を読まれていたからです。

このブログで紹介することを快諾してくださいましたが、上記のとおり、申し込みが殺到していらした時期なので、控えました。

氣になる方は、私に直接、メールでお尋ねください。折り返しサイトのアドレスをお知らせします。

 

で、鑑定後、質問しました。

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私の場合、光や天使や高次元のスピリット達を、肉体の「耳」や「目」で聞こえたり、感じたり、見えたり。 といった経験の方が逆に少ないのです。

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返信は、

「高次元の存在達は、基本的に「耳元でささやくようなこと」の方がむしろ稀かもしれません。

反対に、低次元の動物霊や浮遊霊のような存在の方が、逆に、より人間にはリアルに感じるかもしれません。

それは「波動」や「周波数」の違いもあるからでしょう。
人間は肉体を持ち、この地上で生活をしている存在です。
ゆえに、波動(原子以下の周波数)は、高次元の肉体を持たない存在や、
高度に発達した宇宙人達よりも「荒く」「重い」ようです。

その為、地上に浮遊しているような「元人間」のエネルギーや、
「人間感覚」の動物霊たちの方が「見えたり」「聞こえたり」しやすい傾向もあります。

ですから、自殺者が自殺する前や、殺人者が殺人を犯す前に
「誰かが耳元で死ね」と言っている。とか
「誰かが耳元で殺せ」と命令する。
など、後から聞かされる実例もかなり多いのです。

光を目で見たことがなくても、実は煉さんは、ちゃんと光に導かれています。
それが「インスピレーション」でもあります。」

 

鑑定後のフォローもとても詳細で親切でした。

今回の鑑定では、「人生の転機が近づいている」というメッセージが寄せられ

「既に新たな人生の転機に入っています。
しかし、おびえる必要は全くありません。」

ということで、今までリーディングしてくださった 東ちわさんや銀:リオンさんの内容とリンクする部分があり、確信した次第です。

これからは、ますます自信を持って、自分の直感を信じ、石を選んで、皆さんにアドバイスできます。 

 

 

忘れるという幸福

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日中の風がとても温かく、春を感じた一日だった。

古いものを整理していて、ふと思ったことがあったので、記しておくことにする。

子供の頃、私を苛めた同級生、私を貶めて叱責した教師、石をぶつけてきた上級生、

嘲笑した同僚、仕事を妨害した同僚…書きだしてみるとしょうもないくらい、色んなことに遭遇してますな。

でも、人間なんて、されたと同じくらい、他人にもしているものだ。。。し(と思っておこう)

お互い様ということで。

若い頃は、覚えていたはずの、相手の名前が思い出せないことに気がついたのは、最近のこと。

顔さえ、いつの間にかボヤけていた。

…加齢による記憶障害かと思ったけれど、もう恨むことも、ないから、自然と忘れ去ったのだと思う。

悔しい、悲しいという感情がぼ~んやり、残っているだけ。

それももう胸に迫ってこないから、事実として、かけらが残っているだけ。

もうどうでもいいことになったワケだ。

 

と、いうことは、ここ数年の、不快なことは、やがてはぼやけて忘れてしまうだろう。

忘れるということは、神様がくれた幸福と思える。

今は辛くて、悲しくて、「一生忘れない」と思ったことも、すべては時が解決してくれる。

もし、「忘れる」ということが存在しなかったとしたら、便利だけど辛いことだろう。

残酷だけど優しい、それが忘れるということ。

忘れてしまおう。

あなたから言われたこと、いろいろあったこと。

忘れて、もう一度昔のようにはなれない。

忘れて、なにもなかったことにする。

あなたがいたから自分があるという、きれいな言葉では隠さない。

以前のような仲にしっくり戻るということでもない。

ただ、あなたがいたことも忘れて、自分は自分であるだけだ。

思い出す時間も、もう必要ない。

それが、忘れるということだ。

 

手帳には、嬉しいことしか書き記さない。

嬉しいことや、ありがたいことだけを、いつまでも覚えていることにした。

平穏が奇跡である

春分の日、急に背中に重みを感じて、ひどい肩こりを体感した。2日後に痛みは和らいだが、あの「ずしり」と感じた重みは印象深い。

毎日、仕事をして、3食いただいて、布団に眠ることができる。

当たり前だとおもっていたら、今は「当たり前」が奇跡であると思える。この平穏さは、自分の見えないところで、多くの人が尽力してくれているから。「おかげさま」があるから。 写真は18日に撮影した夕空の雲。写りが悪くてはっきり見えないけれど、肉眼で見たときは、細い雲が十字に重なって、不思議な印象を受けた。

十字架という形には、パワーが宿っているらしいとモノの本で読んだことがある。

世界中から震災に遭った日本へ、祈りの光が降り注いでいる。祈ってくれる他者がいるというのは素晴らしいことだ。この世で、あなたの平穏を祈ってくれている他人がいる。これも奇跡である。

世の中には奇跡が満ち溢れている。それを感じる感性があなたに宿っていたら、それも奇跡だ。

私は中学生から高校生の時はSF小説を色々読んだが、読んでみたいと思って、今まで読んでいない一作に巨匠エドモンド・ハミルトンの短編フェッセンデンの宇宙
がある。

今、それをを無性に読んでみたいと思う。

この世界、この日常の存在が奇跡かもしれないから。

 

このところ、お店の経営者や統括責任者から、相談を受ける。

上に立つものは孤独だ。トップであると言うだけで、部下から色々と言われる。

人より上に立つということは、悪く言われるのも標準装備と思える場合もある。

よく言われるほうが難しい。

だから、上に立つ人間には、下のものを思う思いやり、想像力が、必要以上に求められる。必要以上にして、やっと普通。俗に言う、徳のあるトップになるには、腐心することが必要だ。

求められるのは、繊細な感性。

鈍感な人間がトップでいることは難しい。

それは、さりげない気配りであったり、声かけもある。

私の深いところでは、その人が上に立つ人間かどうかも、判断しているようだと思う。

 

 



 

幸福な人

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空を眺めていると、時々、天空の橋に見える美しく長い雲を見かけることがある。

先日、友人の贈り物にと私にストラップを依頼してくださった女性から御礼の手紙をいただいた。

「煉さんの作ってくれたストラップを友人に手渡したところ、大変喜んでくれました。彼女の笑顔が嬉しかったです。ありがとうございます」

短い文面だけど、こういうのを頂戴すると、私も嬉しい。

贈った相手にも、作った私にも心くばりできる人は、心に余裕があって、幸せの種をたくさん持っている幸せな人だと思う。

私自身、そういう心くばりができる人間ではないと思うから、意識して

「ありがとう」「嬉しい」「良かった」と伝えるようにしている。

伝えないと、伝わらないことも多いから。

こういう、他人とのコミュニケーションはひとつの技術であり、能力だ。

勉強ができて、難しい数式がいくら解けても、他人に「ありがとう」と言えない人間は、寂しいと思う。

人間関係がうまくいかない、陰口を言われて辛い、という相談をよく受けるが、そういう時は、わが身を振り返ってみる良い機会ではないだろうか。

悪気は無いけど、他人を傷つけることを話していないか。態度をとっていないか。

嬉しいことやありがたいことを、相手にきちんと伝えているか。

自分が変わらないで、相手に変えて欲しいというのは、どんなものか。

自分が世界の中心になっていないか。

悪いことばかりを考える想像力より、良い事を考える想像力が必要だ。

今までのやり方で、上手くいかないから、自分の考え方などを変えるのだ。

相手を変えるなんてことはできない。

 

「天然石のパワーを信じていませんから」と言われることもある。

もちろん、石は魔法使いではないので、石は石だ。

けれど、美しい石を見て、その石の存在した時間を感じ、美しさに心を癒されると

持つ人に力を与えてくれる。

石はさりげなく、心を励ましてくれる。

石を手にすることで、人は今までと違う心を持てる。

石を手にして、変われる、それは幸福な人だ。

 

 



 

 

祈ることもできる

このたびの大地震、被災された地域、方々、その他多くの命に心からお見舞い申し上げます。

当日、震源地から遠く離れた私の街も、今までにない揺れ方でした。時間も長かった。

もともと、地震の震度があまり感じない土地です。地盤が固い土地だと言われていたので、驚きました。

日本列島は複数の大陸プレートに浮かんでいる島で、地震が多い位置にあり、不安定な存在と聞いたことがあります。それを、たくさん人々の祈りがあらゆることから防御してきたとも聞きました。

今までの歴史から地震に対しあらゆる方策を施してきたでしょうに、予想を超える地震になすすべもありませんでした。自然の力の前に、人間の作ったもののなんとも脆く儚いものか。

目の前の日常が一変して、まるで悪夢の中にいるような感覚だとお察しします。

それでも、報道で、津波でずぶ濡れになった人に寄り添って暖める。小さな子供に寄り添って暖めるという被災者の方々の助け合いいたわりあう姿に人間の強さを感じました。

遠く離れた私には今すぐ飛んで行ってなにもして差し上げられない。

募金のほかにできること、それは祈ることです。

 

先日、バイト先で任された仕事に煮詰まっていました。

数年前のバイト先でお世話になった方の顔をふと思い出して「どうしているかな」と

思った矢先に数年ぶりに、お世話になった方からメールを頂戴しました。

シンプルに「元気ですか」と尋ねてくれるメール内容。

どうしてメールをくれたのですか? と尋ねたら

「なんとなく…」というお返事。

 

思う気持ちは通じる。それは念力と呼べるかもしれません。

被災地の方々の無事を祈り、亡くなられた多くの方の冥福をお祈りする。

たくさんの光が届くように、祈りの中で願うばかりです。

 



 

答えはそこにある

3月は、旅立ちの季節。 そのせいか、進路や転職の相談が多くなってきた。

私は、バイト先の仕事で新しいのが回ってきた。そのソフトを扱うのは3年振りである。

ほとんど忘れていた。人間とは忘れる生き物である。

 今までの仕事も忙しくて、ギブアップしそうだったのに。

 

結局ソフトの使い方や機能のアレコレを思い出すのに、自宅でもそのソフトと向き合っている。

何故に引き受けてしまったのか。忙しい思いをするだけなのに?

それは、そのソフトが好きだったから。使えることが楽しかったからだ。

自分だけで使うなら、ある程度、こんなもんでいいや~~と省略して作れるが、自分以外の人が使うならば手を加えてしまう。

 好きな仕事をしよう!と言うのは、自分のこの体験からきている。

それは、目先のお給料やお金に換えがたいもの、自分の能力向上のため。

子供のころ、若い頃、好きなことをしていたら、疲れを感じなかった経験があるだろう。

私は徹夜でマンガを描いていたことがある。

今はとてもそんな情熱も体力もないが。

パソコンが好きなので、手が痛くなってもキーボードを叩いている。

 

お金が好き!お金のために働く!!という人や

人の笑顔が好き! 

人のために働く自分が好き!

 自分の「好き」の種を見つけて、それを育てよう。

私はワラジを片足ずつ履いているような人間であるが、安定した収入のために、履いている靴(仕事)と他人様の幸せのために履いているもの(手相見、天然石関連)がある。

他人様に「ありがとう」と言われれば、私の運気もその分上がると信じているから。

ああ、やはり私は欲深な悪人かもしれない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

勘?感、観

「肩、凝っているね」 と優しく揉んでくれる手。

癒してくれる言葉。

目が覚めたら、それは夢だった。夢じゃないような夢。私はよく見る。

疲れていたり、悲しかったりしたとき、夢の中で、励まされたり、慰められたりする。

 考えてみると、そのとき傍に居るのは、背後霊かもしれない。

 

続くときは、回りの環境がそうなっているからなのか、続くことがらがある。

長いこと、ご無沙汰していた人からの、短いメール、慌てて返信したので短すぎるメールも

続いた。

 私は、霊感のある人から「たくさんいろんなメッセージを受け取っていますね」と言われるけれど

私の目前に「現れる」こともないし「囁かれる」こともない。

入眠時幻聴は一度経験がある。眠りに落ちる寸前に、笑い声や話し声を聴くというものだ。

金縛りも一度だけある。

布団の周りに無数の人の気配を感じて、耳元でシンバルを鳴らされたような騒がしさがあった。

あるとすれば、「脳内妄想スクリーン」だけ。

 依頼者の手相を見ているとき、私の脳内は、静かで空白である。その中から言葉が浮かんでくるわけではなくて、湧いてくるのは数字。

依頼者に訪れる転機を示す数字だ。

そして言葉は、私の脳内からではなくて、私の前から出てくる感覚である。

必ず、体温が上がるので、汗も流れる。

昔から、ナニかが寄ってくると寒気ではなくて熱さを感じた。

 自分の波動に合った存在としかコンタクトが取れないのなら

私はマダマダだ。

 でも、幽霊を幽霊として見ていないのでは…と思うことは時々ある。

目の前に見えている理解できない人物の足下を見て、影を確認する癖がついているが

幽霊にも足があり、影もある場合もあるので、あまりアテにならないな。コレは。