この道を選んで良かったのでしょうか、と手相見の時にたずねられることがあります。
「良かったんです」と答えます。
時間は巻き戻らないし、「あのときの選択は…云々」と考えて前に進めないのも困ります。
迷いも、失敗も色々あるから人間だと言えます。
それに失敗は成功のもとと言われるくらいですから、失敗を重ねて得るものもあると
思います。自分の全ての失敗が重なって、今の自分があるのですから。
なにひとつ欠けても、今の自分を構成し得ないと思います。
昔、友人Aに誤解されたことがあります。
「あなたにしか話していないのに、あんまりじゃない?」
私相談を受けたAの話を、別の友人Bから聞いたというのです。
Bに話した覚えが無いので、後日Bにたずねてみました。
「Aさんは、私が聞いてもいないのに、自分のことを話していたよ。
私の言葉の一部分から煉さんが、わたし(B)に話していると思い違いしたのではないかな」
責める前に、「どうなの?」確認する余裕がAには無かったのだと思います。
でも、ちょうどその頃はAの考え方や感性が合わないなと思いはじめていました。
友人としての糸の細い部分は残しておきたいとも考えましたが、白黒をはっきりつけたがるAにはそれも不満だったようです。
私は一方的に思い違いしているAに「Bから聞いたいきさつ」は語りませんでした。
誤解を解く気力が無いことを自覚しました。それだけの関係だったということです。
そのときの判断が正しいかと自問することもありました。
私とAの接点はもうありません。ときどき、思い出すときには今の幸せを願うばかりです。
Aは今も私を「不誠実な人間」だと思っているかもしれません。
それはそれで仕方の無いことだと思っています。
そういうめぐり合わせだったと、意味があるってことですね。
そして、それはお互い様なのだと思います。
私にも、欠けている(見えない)部分があり、相手にもあった。
手相を見ていると人と人との出会いと別れには、タイミングがあり、
意味があると感じずにはいられません。
どんな依頼主とも、絶好のタイミングで出会えていると確信しています。






